第2章 第62話 Placeholderの仕事
『頼みたい仕事がある』
電話の向こうから聞こえた言葉に、悠斗は店内のざわめきから少し離れるように窓際へ身体を寄せた。
「どんな仕事ですか?」
『現金の運搬だ』
男の話では、南部で小さなナイトクラブを経営しており、店で保管している現金を別の場所まで移したいらしい。
問題は、その金を狙っている可能性のある連中がいることだった。
『警察に相談できる金じゃねえし、正規の警備会社にも任せられない。だからレオに、こういう仕事を任せられる奴はいないか聞いた』
「それで俺たちを?」
『そういうことだ』
レオが直接依頼してきたわけではない。
それでも、自分たちの名前を出して紹介してくれたという事実は軽くなかった。
『運ぶ人間はこっちで一人出す。お前らには車と護衛を頼みたい』
「何人必要ですか?」
『三人。大人数で店に集まられると目立つからな。運転できる奴一人と、何かあった時に動ける奴が二人いればいい』
悠斗はテーブルの方を見る。
蓮、シオン、アキラ、ナナ。
今なら五人ともいる。
「報酬は?」
『成功で3,600ドル』
「3,600……」
これまで受けてきた仕事と比べても大きい。
『狙われるかもしれねえ現金を運ばせるんだ。それくらいは払う』
何も起きなければ短時間で終わる。
だが、本当に襲われれば話は別だ。
「ちょっと仲間と相談してもいいですか?」
『もちろんだ。十分以内に返事くれ』
「分かりました」
通話が切れた。
悠斗はスマートフォンを下ろし、席へ戻る。
「何の仕事?」
アキラが真っ先に尋ねた。
「現金運搬の護衛」
「へえ」
蓮がポテトを食べる手を止める。
悠斗は聞いた内容を順番に説明した。
依頼人は南部のナイトクラブ経営者。
表へ出せない現金を別の場所へ移したい。
その金を狙っている連中がいる可能性がある。
目立たないよう現場は三人だけ。
報酬は3,600ドル。
「結構出るな」
アキラが少し目を見開いた。
「危険込みなんだと思う」
悠斗が答える。
「何も起きなければ楽だけど」
「何も起きない仕事に3,600ドルは払わない」
シオンが紙カップへ口をつけながら言った。
「だよな」
蓮はむしろ楽しそうだった。
「運転なら俺行くよ」
「うん。蓮はお願いしたい」
そこは迷わなかった。
「シオンも来てもらった方がいいと思う」
「いいよ」
返事は短い。
これで二人。
「あと一人か」
アキラが自分を指差す。
「俺でもいいけど?」
悠斗は少し考えた。
交渉が必要ならアキラの方が向いている。
ただ、今回はすでに依頼内容が固まっている。
「俺が行く」
「自分で?」
「うん。名前を付けてから最初に受ける仕事だし」
口にすると、少しだけ照れくさかった。
別に自分がリーダーだと宣言したわけではない。
それでも、《Placeholder》という名前へ来た最初の依頼なら、自分もその場にいたかった。
アキラは茶化さずに頷いた。
「ならいいんじゃない」
「私、調べることある?」
ナナが尋ねる。
悠斗は少し考えた。
「依頼人の店と、運ぶ先。あと、最近その周辺で揉め事とか不自然な噂がないか見てもらえる?」
「それならできる」
「お願いしていい?」
「いいよ」
ナナがスマートフォンを手に取る。
そこでアキラが口を挟んだ。
「じゃあナナも仕事するじゃん」
悠斗も気づいた。
「そうだね」
少し前なら、現場へ出た人間だけで報酬を分けていたかもしれない。
だが、質屋の時にナナへ調査料を払った。
現場へ行かなくても、必要な仕事をしているなら対価は必要だ。
「調査料、100ドルでどう?」
悠斗が尋ねる。
「いいよ」
ナナはあっさり頷いた。
「じゃあ残り3,500ドルか」
アキラが言う。
「車使うならプール金にも入れた方がいい」
シオンが続けた。
「俺も賛成」
蓮も頷く。
現在のプール金は239ドル。
共有車を持った以上、燃料だけではなく、いずれ整備や修理にも金が必要になる。
「じゃあ500ドルをプール金に入れて、残り3,000ドルを現場の三人で1,000ドルずつは?」
「分かりやすい」
蓮が頷く。
「いいよ」
シオンにも異論はない。
「成功したらプール金739ドルか」
アキラが言った。
「まだ大金って感じじゃないけど、前よりはだいぶマシだな」
「車が壊れたら一瞬でなくなりそうだけどね」
ナナが笑う。
「不吉なこと言わないで」
蓮が顔をしかめた。
仕事を受ける。
誰が現場へ行くか決める。
後方で調べる人間にも報酬を払う。
共有車のための金も残す。
五人で話して、五人で決める。
少し前まで、そんなことを当たり前に相談する集まりではなかった。
悠斗はスマートフォンを手に取った。
「じゃあ、受けるって返す」
◇
それから一時間ほど。
ナナからグループチャットへいくつかメッセージが届いた。
【店はちゃんと営業してる。オーナーもエドガーで合ってる】
【最近、店の近くで何度か揉め事があったって話はある】
【でも誰が金を狙ってるかまでは分からない】
【運ぶ先も表向きは倉庫。変な噂は今のところ見つからない】
決定的な情報ではない。
けれど、少なくとも依頼人が嘘の店を名乗っているわけではなく、目的地にも露骨な危険情報はない。
【ありがとう。十分】
悠斗が返すと、
【100ドル忘れないでね】
すぐに返信が来た。
思わず口元が緩む。
【忘れない】
◇
夜。
南部の繁華街は、昼間とはまるで違う顔を見せていた。
ネオンの光が歩道や車のボディへ映り、バーやナイトクラブの入口には客の列ができている。窓を開けた車から流れる音楽や、酔った若者たちの笑い声が通りを満たしていた。
黒く姿を変えた共有のスポーツセダンを運転しているのは蓮だった。
悠斗は助手席。
後部座席にはシオンが座っている。
「なんかいいな」
赤信号で止まった蓮が、ハンドルを軽く叩いた。
「何が?」
「自分たちの車で仕事行くの」
悠斗は少し笑った。
「分かる」
これまでは誰かの個人車を使うか、仕事ごとに用意された車へ乗っていた。
今は違う。
この車は《Placeholder》の共有車だ。
「前」
後部座席からシオンが言う。
「青」
「あ、はいはい」
いつの間にか信号が変わっていた。
蓮が車を発進させる。
「運転担当、大丈夫?」
「ちょっと感傷に浸ってただけ」
「仕事中はやめて」
シオンが淡々と言う。
「今日厳しくない?」
「いつも」
悠斗は思わず笑った。
あの夜、警察に追われていた灰色の車と同じものだとは、今の姿からは感じにくい。
それでも運転席や内装には見覚えがあり、完全に別の車になったわけではないことも分かる。
やがて、指定されたナイトクラブが見えてきた。
紫色のネオンが入口を照らし、二人の警備員が客の列を整理している。
ナナが調べた通り、店は普通に営業していた。
店の前へ車を寄せると、中から三十代くらいの男が出てくる。
電話で話した声と一致した。
男は入口のスタッフへ短く声をかけ、常連らしい客に呼び止められると笑って肩を叩いてから、こちらへ歩いてきた。
その後ろには、黒いバッグを持った別の男がいる。
「Placeholder?」
「はい」
まだ少し聞き慣れない名前だったが、悠斗は迷わず答えた。
「レオから聞いてる。俺はエドガー。こいつが金を持って乗る」
後ろの男を示す。
「目的地は送った場所だ。何もなけりゃ二十分くらいで着く」
「途中で何かあったら?」
「まず金を守ってくれ。ただ、無理なら逃げろ」
悠斗は少し意外に思った。
「戦えじゃないんですね」
エドガーが眉を上げる。
「3,600ドルで護衛頼んでるだけだ。死ぬまで撃ち合えなんて言ってねえよ」
少なくとも、報酬を払ったから命まで差し出せと言う相手ではないらしい。
「分かりました」
後部ドアが開き、バッグを持った男がシオンの隣へ乗り込んだ。
扉が閉まる。
蓮がミラーを確認する。
「じゃ、行く?」
「行こう」
黒いスポーツセダンが夜の通りへ走り出した。
◇
繁華街を抜けるまでの数分は、何も起こらなかった。
信号。
タクシー。
深夜営業の飲食店。
酔って大声を出す若者たち。
レイヴンシティでは珍しくもない夜の景色が窓の外を流れていく。
後部座席の男は、黒いバッグを膝の上へ置いたままほとんど喋らない。
シオンも無言だった。
「あと十五分くらい」
蓮が言う。
「このまま何もなきゃ楽だな」
「そういうこと言うと何か起きそう」
悠斗が返す。
「映画じゃないんだから」
蓮が笑った。
繁華街の明かりが遠ざかり、道路沿いの建物が倉庫や小さな工場へ変わっていく。
交通量も少しずつ減っていた。
次の信号を右へ曲がったところで、蓮の表情が変わる。
さっきまでの軽さが消えた。
「……悠斗」
「何?」
蓮は正面を見たまま、ルームミラーへ一瞬だけ視線を送った。
「後ろの車」
悠斗もミラーを見る。
少し距離を空けて、濃紺のセダンが走っている。
「さっきから?」
「繁華街出る前からいる」
「偶然じゃなくて?」
「まだ分かんない」
蓮は速度を変えずに答えた。
「でも、曲がったところ全部同じ」
後部座席でシオンがゆっくり顔を上げる。
バッグを抱えた男の表情も強張った。
悠斗はもう一度ミラーを見る。
濃紺のセダンは近づきも離れもしない。
一定の距離を保ったまま、夜の道路をついてきていた。
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