第2章 第60話 Placeholder
翌日の昼過ぎ。
悠斗たちは南部から少し離れた貸し倉庫の一室に集まっていた。
拠点というほど大げさな場所ではない。アキラが短期間だけ使える場所を見つけてきただけで、室内には折り畳み式のテーブルと椅子が四脚ある程度だった。
そのテーブルの中央には、昨夜の質屋から持ち出したバッグが置かれている。
「じゃあ、確認するか」
アキラがバッグの口を開いた。
中から出てきたのは、現金と複数の品物だった。
腕時計が4本。
ネックレスが6本。
指輪が8点。
ブレスレットが3本。
そのほかにも、小さな宝石の付いたイヤリングやペンダントがいくつかある。
昨夜は警察に囲まれ、逃げることだけで精一杯だった。
四人が落ち着いて中身を見るのは、これが初めてだった。
蓮が腕時計を1本持ち上げる。
「これ、高い?」
「俺に聞くなよ」
アキラが苦笑する。
「質屋に置いてあったんだから、それなりなんじゃない?」
「その“それなり”が分かんないんだよな」
悠斗もテーブルを見つめた。
現金なら数えれば価値が分かる。
だが、品物は違う。
店に付いていた値札と、実際に誰かへ売った時の金額が同じとは限らない。
「先に現金数えよう」
四人で札を確認する。
しばらくして、アキラが最後の紙幣を置いた。
「3,887ドル」
蓮が眉を上げる。
「思ったよりあったな」
「でも、こっちどうする?」
アキラがテーブルに並んだ品物を見る。
その一言で、全員の視線が集まった。
誰も答えない。
「普通の店に持っていくのはまずいよな」
アキラが言う。
「多分」
悠斗も頷く。
「じゃあ、どこで売る?」
蓮の問いに、また沈黙が落ちた。
悠斗にも分からなかった。
奪って逃げるところまでは考えた。
けれど、逃げた後に品物をどう現金へ変えるかまでは、具体的に考えていなかった。
画面越しなら「換金した」の一言で済んでいたことも、この街では実際に買う人間が必要になる。
「あと、車」
シオンが短く言った。
その言葉で、今度は全員が倉庫の外へ意識を向けた。
昨夜の逃走に使った、アキラの灰色のスポーツセダン。
蓮が野次馬から戻った時にナンバーは隠してある。
それでも、警察には車体そのものを長く見られていた。
色。
形。
車種。
逃走に使われたこと自体は変わらない。
「……これ、もう普通には乗れないよな」
アキラが言った。
「だろうな」
蓮も頷く。
アキラは少し考え込んだ。
「海外に売れたりしないかな」
「誰に?」
「知らない」
「じゃあ無理じゃん」
「だから困ってんだよ」
アキラが眉を寄せる。
シオンが倉庫の入口へ目を向けたまま言った。
「無理なら処分」
「それも、どうすればいいんだ?」
誰も答えられなかった。
海外へ売る。
それが無理なら処分する。
今の悠斗たちに思いつくのは、その程度だった。
売る方法も知らない。
処分の仕方も知らない。
品物の売り先も分からない。
結局、分からないことばかりだった。
悠斗はスマートフォンを取り出した。
「……レオさんに聞いてみる」
「連絡できるんだっけ?」
アキラが聞く。
「この前交換した」
「じゃあ聞こう」
蓮が言った。
悠斗はレオの連絡先を開く。
電話をかける前に、一度だけ息を吐いた。
以前なら、それだけで何分も迷っていたかもしれない。
今でも好きではない。
それでも、聞かなければ何も進まない。
悠斗は通話ボタンを押し、スマートフォンを耳へ当てた。
◇
『どうした』
数回の呼び出し音のあと、レオの落ち着いた声が聞こえた。
「あ、悠斗です。今、大丈夫ですか?」
『手短になら』
「ちょっと相談したいことがあって」
『何だ』
悠斗は昨夜のことを必要な範囲で説明した。
質屋へ入ったこと。
警察に囲まれたこと。
何とか逃げ切ったこと。
店から持ち出した腕時計やアクセサリーの売り先が分からないこと。
そして逃走に使ったアキラの車を、どうすればいいのか分からないこと。
『車はどうしようと思ってる』
「海外に売れないかなって話はしてました」
『当てはあるのか』
「ないです」
『だろうな』
「無理なら処分するしかないかなって」
電話の向こうで、レオが小さく息を吐いた。
『お前ら、盗って逃げるところまでは考えて、その後はほぼ何も考えてなかったんだな』
「……はい」
『正直でいいけどな』
褒められてはいない。
それくらいは悠斗にも分かった。
『まず品物だ。そういうのを扱ってる奴はいる』
「紹介してもらえますか?」
『できる』
「助かります」
『車も、捨てるしかないって決まったわけじゃない』
悠斗は思わず姿勢を正した。
「使えるんですか?」
『状態次第だ。警察に見られたままの姿で乗り回すのはやめた方がいい。ただ、そういう車を扱う連中はいる』
「どんな人ですか?」
『名義関係を扱える奴と、こういう車を裏で触ってるメカニックだ。車を見せて、残せるか聞け』
「そんな人がいるんですね」
『裏で車使ってる連中が、毎回全部捨ててたら金がいくらあっても足りねえだろ』
言われてみれば、その通りだった。
「紹介、お願いしてもいいですか?」
『いい。金は自分たちで払えよ』
「もちろんです」
『質屋の品物を見てもらえる相手も一緒に送る』
「ありがとうございます」
悠斗がほっと息を吐いたところで、レオがふと思い出したように言った。
『そういや』
「はい?」
『お前らのチーム、何て名前なんだ?』
「……チーム名?」
思わず聞き返してしまう。
『いつまで俺に“悠斗たち”とか“お前ら”って呼ばせる気だ』
「あー……」
悠斗は少し考えた。
「ないです」
『は?』
「まだ決めてなくて」
今度は明らかに呆れた沈黙が返ってきた。
『人数集めて仕事して、金までまとめ始めてるのに名無しか』
「まあ……はい」
『好きにしろ。ただ、呼び方くらいはあった方が楽だぞ』
「考えます」
『紹介先はあとで送る』
「ありがとうございます」
『次は、逃げた後のことまで少し考えとけ』
「はい」
通話が切れた。
悠斗がスマートフォンを耳から離すと、アキラがすぐに聞いた。
「どうだった?」
「品物を買ってくれる人は紹介してくれるって」
「車は?」
「処分するしかないわけじゃないらしい。名義関係を扱う人と、裏でこういう車を触ってるメカニックを紹介してくれるって」
蓮が倉庫の外へ目を向ける。
「じゃあ、まだ残せるかもしれないんだ」
「見てもらってから」
シオンが短く言う。
「あと、何か聞かれた?」
アキラの問いに、悠斗は少し困った顔をした。
「俺たちのチーム名」
三人が一瞬黙る。
「ないじゃん」
蓮が言った。
「だから俺もそう答えた」
「何て言われた?」
「いつまで名無しなんだって呆れられた」
アキラが笑った。
「まあ、それはそうだな」
◇
その日のうちに、レオから紹介先が送られてきた。
まず灰色のスポーツセダンを見てもらうことになった。
名義関係を扱う男と、裏の車仕事を請け負うメカニックが車体を一通り確認する。
ボディには昨夜の逃走で付いた細かな汚れや傷が残っていたが、走行そのものに大きな問題はない。
しばらく確認したあと、処分する必要はないという結論になった。
名義を整理し、裏のメカニックのところで外見にも手を入れれば、まだ使えるという。
塗装を変える。
フロントやサイド、リアの外装にも手を入れる。
必要ならエアロパーツも交換する。
昨日までの灰色のスポーツセダンとは、見た時の印象そのものを変える。
それを聞いて初めて、悠斗たちは車を残すことを現実的に考えた。
「じゃあさ」
話を聞き終えたあと、蓮が灰色のスポーツセダンを見る。
「これ、俺らで使わない?」
アキラが振り返る。
「共有?」
「前から欲しいって話してただろ。みんなの車」
悠斗も車を見る。
共同で使える車については、以前から何度も話していた。
だが、プール金はまだ220ドルしかない。
中古車を買えるほどの金はなかった。
こんな形で候補が出てくるとは思っていなかった。
「でも、アキラの車だし」
悠斗が言う。
アキラは少しだけ車を眺めたあと、肩を竦めた。
「俺は売ってもいいよ」
「いくら?」
蓮が尋ねる。
「5,500ドルで買ったから、3,800ドルでいいよ」
「現金ほぼ全部じゃん」
「まあ、昨日ので普通には乗りづらくなったし。それでもタダで渡す気はないけど」
「それはそう」
悠斗も頷いた。
処分しなくてもいい。
手を入れれば使える。
それなら、共有車として残す意味はある。
「じゃあ、買おう」
悠斗が言った。
シオンも頷く。
「いいと思う」
蓮にも異論はなかった。
質屋から持ち出した現金は3,887ドル。
そこからアキラへ3,800ドルを支払う。
残りは87ドル。
悠斗はそこで思い出した。
「ナナの調査料もある」
「80ドルだっけ?」
アキラが聞く。
「うん」
「それも先に分けとこう」
ナナへ渡す80ドルを取り分ける。
残った現金は7ドルになった。
蓮がテーブルの上の金を見る。
「昨日あんな目に遭って、7ドルか」
「車一台残っただろ」
アキラが笑う。
「もうお前のじゃないけどな」
「3,800ドルもらったから文句はない」
◇
質屋から持ち出した腕時計4本、ネックレス6本、指輪8点、ブレスレット3本、それに宝石付きのイヤリングやペンダント類は、レオに紹介された相手へまとめて買い取ってもらった。
その売却代金は、ほとんど車へ使うことになった。
名義を整理するための費用。
車体の塗装。
フロントやサイド、リアの外装変更。
エアロパーツを使ったカスタム。
裏の車仕事を請け負うメカニックに預け、警察に見られた灰色のスポーツセダンとは印象の違う車へ作り直してもらう。
費用を聞いたアキラが、思わず笑った。
「結局、品物の金もほぼ残らないじゃん」
「今回は金稼いだっていうより車買った感じだな」
蓮が言う。
「共有のな」
シオンが付け加えた。
裏のメカニックは、最後に費用を40ドル分まけてくれた。
すべての支払いを終えると、品物の売却代金から残ったのは12ドル。
最初の現金から残っていた7ドルと合わせて19ドルだった。
「……19ドル」
アキラが何とも言えない顔をする。
「分ける?」
蓮が笑いながら聞いた。
「4人で?」
「4ドルちょっとずつ」
「いらない」
シオンが即答した。
悠斗も思わず笑う。
「プール金に入れよう」
「俺もそれでいい」
アキラが頷く。
蓮にも異論はなかった。
これまで220ドルだったプール金へ19ドルを追加する。
合計239ドル。
あれだけ大変な思いをした強盗で、自由に使える金はほとんど残らなかった。
それでも、グループには一台の共有車両ができた。
今はまだ裏のメカニックのところへ預けられている。
塗装も外装も変わり、戻ってくる頃には以前とは違う姿になっているはずだ。
悠斗には、その日が少し楽しみだった。
◇
夕方になり、ナナも合流した。
「はい」
悠斗が80ドルを差し出す。
ナナが首を傾げる。
「何これ?」
「質屋を調べてもらった分」
「ああ」
ナナが受け取る。
「ちゃんと払ってくれるんだ」
「仕事してもらったから」
「ありがと」
現場に参加していなくても、やった仕事には金を払う。
そこを曖昧にしないことは、これからも必要だと思った。
ナナが80ドルをしまったところで、アキラがスマートフォンをテーブルへ置く。
「あと、もう一個決めることある」
「何?」
「俺らの名前」
ナナが首を傾げた。
「名前?」
「さっきレオさんに聞かれたんだよ。チーム名何なんだって」
「ないじゃん」
「だから困ったんだって」
ナナが自分のスマートフォンを見る。
グループチャットの名前は今でも《仮》。
「これじゃ駄目?」
「半グレチーム《仮》って何だよ」
アキラが笑う。
「でも、変に格好つけた名前も違うよな」
蓮が言った。
悠斗もそう思った。
自分たちはまだギャングではない。
色もない。
縄張りもない。
正式な拠点もない。
それでも、ただの仕事仲間でもなくなっている。
プール金がある。
共有の車ができた。
困った時には集まる。
必要なら誰かが誰かへ連絡する。
名前だけがなかった。
「仮の名前でいいんじゃない?」
悠斗が言った。
「だから《仮》?」
アキラが聞く。
「そうじゃなくて……意味が仮、みたいな名前」
「そんな都合いい言葉ある?」
蓮が笑う。
ナナがスマートフォンを操作し始めた。
「仮置きとか、正式なものが入るまで置いておくものなら……」
しばらくして顔を上げる。
「Placeholderとか?」
「プレースホルダー?」
悠斗が聞き返す。
「うん。正式なものに置き換えるまで、とりあえずそこに置いてあるものって感じ」
蓮が口元を緩めた。
「それ、めちゃくちゃ今の俺らじゃん」
「でしょ?」
ナナも笑う。
アキラは声に出して確かめる。
「Placeholder……悪くないな」
シオンも頷いた。
「いいと思う」
悠斗は、その言葉を頭の中で繰り返した。
Placeholder。
まだ仮。
いつか本物のギャングになるまでの途中。
正式な組織になった時には、別の名前をつけるのかもしれない。
今はまだ、それでいい。
「俺も好きかも」
悠斗が言った。
「じゃあ決まりな」
アキラが笑う。
ナナがグループチャットの名前を変更する。
長く使ってきた《仮》の文字が消えた。
代わりに表示されたのは、
《Placeholder》
という名前だった。
「おお」
蓮が画面を覗き込む。
「急にチームっぽくなった」
「意味は仮だけどね」
ナナが笑う。
「そこがいいんだろ」
アキラも楽しそうだった。
悠斗は画面を見つめた。
今回の強盗で、個人の財布へ入る取り分はなかった。
プール金が増えたのも19ドルだけ。
それでも、自分たちには共有する車が一台できた。
そして、名無しだった集まりに、初めて自分たちで決めた名前ができた。
Placeholder。
正式な何かになるまでの、仮の名前。
今の自分たちには、それくらいがちょうどよかった。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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