第2章 第54話 人数として呼ばれる
夕方、悠斗は蓮と南部のコンビニへ寄っていた。
仕事が入っているわけではない。
蓮が「腹減った」と言い出し、適当に何か買って食べようということになっただけだった。
日が傾き始めた駐車場には、建物と車の長い影が伸びている。すぐ横を走る幹線道路では、帰宅時間と重なったのか車の流れが絶えず、信号が変わるたびにエンジン音が重なった。
悠斗がホットドッグと飲み物の入った紙袋を手に店から出る。
その隣では、蓮が買ったばかりのホットドッグをかじっていた。
「俺、ポテトも買えばよかった」
「今出てきたばっかりじゃん」
「悠斗のちょっとくれよ」
「自分で買ってきなよ」
「面倒」
「知らないよ」
そんなことを話しながら歩いていた時、一台の黒いSUVが駐車場へ入ってきた。
蓮が先に気づく。
「あれ」
運転席から降りてきた男にも見覚えがあった。
EMBERの副ボス、篠原レオだ。
「レオさん」
悠斗が声をかけると、レオもこちらを見た。
「……悠斗か」
隣にいる蓮にも目を向ける。
「ちょうどいいな」
「何がですか?」
「今夜、四人くらい動けるか?」
あまりにも唐突で、悠斗は紙袋を持ったまま少し固まった。
「内容によります」
答えてから、自分でも以前とは変わったと思った。
少し前なら、EMBERから声をかけられたというだけで、内容を聞く前に引き受けようとしていたかもしれない。
レオは気にした様子もなく頷く。
「それでいい。南部で話し合いがある」
「話し合い?」
「うちと取引してた半グレが、金のことで揉めてる。殺し合いになるような話じゃないが、向こうが何人連れてくるか分からん」
「俺たちは何をするんですか?」
「基本は立ってるだけだ。人数が欲しい」
そこでレオは悠斗と蓮を交互に見る。
「相手が騒いでも勝手に撃つな。こっちから喧嘩を始める仕事でもない」
「報酬は?」
蓮が尋ねた。
「一人三百。何も起きなくても払う」
四人なら千二百ドル。
危険がない仕事ではない。
だが、少なくとも何をさせられるか分からない依頼ではなかった。
「みんなに聞いてもいいですか?」
「ああ」
レオがコンビニを見る。
「俺、買い物してくる。その間に聞いとけ」
「分かりました」
それだけ言うと、レオは自動ドアの向こうへ消えた。
悠斗は蓮を見る。
「蓮は?」
「行く」
「即答だね」
「一人三百だろ。立ってるだけで済むなら悪くないし」
「本当に立ってるだけで終わればだけど」
「それはそう」
蓮は残っていたホットドッグを食べながら、悠斗の隣へ寄った。
悠斗は駐車場の端へ移動し、《仮》を開く。
『悠斗:EMBERから今夜仕事』
『悠斗:南部で話し合い』
『悠斗:相手が何人来るか分からないから四人ほしいって』
『悠斗:基本はその場にいるだけ』
『悠斗:勝手に撃つなって言われてる』
『悠斗:一人300』
隣にいる蓮はすでに参加。
ほどなくしてシオンから返信が来た。
『シオン:行く』
続いてアキラ。
『アキラ:話し合いなら行く』
これで悠斗、蓮、シオン、アキラ。
ちょうど四人だ。
少し遅れてナナからも届いた。
『ナナ:現場はいらなそうだから今回はいい』
『ナナ:相手の名前分かったら公開情報くらいなら見る』
『悠斗:分かった』
「揃った?」
蓮が悠斗の横から画面を覗き込む。
「うん。四人」
「じゃあ決まりだな」
「みんな返事早いな……」
「今さらじゃね?」
そう言われ、悠斗は小さく笑った。
昔なら、自分が何人かへ声をかけ、その全員から返事が来るだけでも信じられないことだった。
今では、それが少しずつ普通になっている。
数分後、自動ドアが開いた。
レオが缶コーヒーと小さな袋を持って店から出てくる。
「どうだった?」
「四人行けます」
「誰だ?」
「俺と蓮、それからアキラとシオンです」
レオは一度考えるように黙ったあと、頷いた。
「分かった。九時」
「場所は?」
「あとで送る」
そこでレオの動きが止まった。
悠斗も同時に気づく。
これまで何度も顔を合わせてきたが、自分とレオは直接連絡先を交換したことがない。
「……そういや、お前の番号知らねえな」
「俺もレオさんの番号知らないです」
「出せ」
「あ、はい」
二人はその場でスマートフォンを取り出した。
番号を交換し、悠斗は新しい連絡先を登録する。
《篠原レオ》
画面に一つ名前が増えた。
「今送る」
数秒後、スマートフォンが震える。
レオから届いた最初のメッセージは、南部の工業地帯にある集合場所だった。
「確認しました」
「九時前には来い」
「分かりました」
レオは黒いSUVへ戻っていく。
その背中を見送りながら、蓮が口元を緩めた。
「連絡先増えたじゃん」
「うん」
「嬉しそう」
「そう見える?」
「見える」
「……仕事の連絡先だからね」
「はいはい」
蓮は笑いながら空になった包み紙を丸めた。
仕事を一つ受けただけだ。
それでも、今まで直接繋がっていなかった相手と連絡が取れるようになった。
悠斗にとっては、それもこの街で人との繋がりが少し増えた証拠のように思えた。
◇
午後九時前。
指定された南部の工業地帯には、昼間の熱がまだアスファルトに残っていた。
倉庫群の向こうから貨物列車の低い走行音が響き、ときおり大型トラックが街灯の下をゆっくり通り過ぎていく。
悠斗たちはアキラが知人から借りた古い四ドア車で来ていた。
蓮の青いクーペは車好きの間ではそれなりに知られている。今夜のような話し合いへ、わざわざ目立つ車で来る理由はない。
指定された倉庫前には、すでにEMBERの車が二台停まっていた。
レオ。
藤堂マコト。
それに、悠斗がまだ名前を知らないEMBERの構成員が二人。
「揃ったな」
レオが四人を見回す。
「相手は《BOLT》って半グレ連中だ」
名前を聞いた悠斗は、すぐスマートフォンを取り出した。
『悠斗:相手はBOLTってグループらしい』
ナナへ送る。
すぐに既読がついた。
『ナナ:了解』
『ナナ:表から見える範囲だけ見る』
悠斗がスマートフォンをしまうと、レオがこちらを見ていた。
「何してる?」
「来なかった仲間が、相手の名前が分かったら公開情報くらい確認するって言ってたので」
「勝手に深く探らせんなよ」
「そこまではさせません」
「ならいい」
レオは倉庫の壁へ背を預ける。
「先に言っとく。今日は喧嘩しに来たんじゃない」
「向こうが始めたら別だけどな」
マコトが笑った。
「お前にも言ってる」
「分かってるって」
表情を見る限り、あまり信用できない。
アキラが悠斗の隣へ寄り、小声で言った。
「EMBERでも、始まる前に身内へ釘刺すんだな」
「マコトさん見てたら必要なんじゃない?」
「聞こえてんぞ」
少し離れていたマコトから声が飛んできた。
「すみません」
悠斗とアキラが揃って口を閉じ、蓮だけが笑いを堪えている。
「何で揉めてるんですか?」
悠斗が話を戻した。
「報酬だ」
レオが答える。
「前にうちから仕事を回した。仕事そのものは終わったが、聞いてた金額と違うと言ってきた」
「本当に違ったんですか?」
「そこを今から確認する」
アキラが首を傾げた。
「EMBER側が間違えてる可能性もある?」
マコトが少しだけ眉を動かす。
だがレオは普通に頷いた。
「ある」
「あるんだ」
蓮が思わず漏らした。
「こっちの伝達ミスかもしれんし、向こうが後から金額を増やしてるだけかもしれん。確認する前に決めつけるな」
悠斗はその言葉を黙って聞いた。
裏社会だからこそ、信用を雑に扱えば長く続かない。
以前ジンから聞かされた話が、こういうところで少しずつ形になって見えてくる。
◇
九時を少し回った頃、黒いワゴンと古いセダンが通りへ入ってきた。
二台は少し間を空け、EMBERの車の向かい側へ停まった。
先にワゴンのドアが開く。
一人、二人と男たちが降り、最後に後部から出てきた男まで数えて六人。
続いてセダンから四人が降りてきた。
合計十人。
こちらはレオ、マコト、EMBERの構成員二人に、悠斗たち四人。
八人。
人数では向こうが二人多い。
だからといって、それだけで何かが決まるわけではない。
ただ、「向こうが何人連れてくるか分からない」とレオが言っていた意味を、悠斗はそこで実感した。
先頭へ出てきた二十代半ばほどの男は、車を降りた時点ですでに機嫌が悪そうだった。
「レオ」
「カズマ」
どうやら二人は以前から知っているらしい。
カズマはEMBER側を一通り見回し、悠斗たちのところで視線を止めた。
「増やしたな」
「お前もだろ」
「こっちは話しに来ただけだ」
「俺もそうだ」
言葉は穏やかでも、空気は硬かった。
十人の中には腕を組んで睨んでいる者もいれば、周囲を落ち着かなく見回している者もいる。
シオンは悠斗の少し後ろに立っていた。
武器へ手を伸ばしてはいない。
蓮も今は軽口を挟まなかった。
悠斗も自然と背筋が伸びる。
八対十。
喧嘩をしに来たわけではないと分かっていても、これだけの人数が向かい合うだけで空気は変わる。
問題になっている金額は六百ドルだった。
BOLT側は報酬三千ドルと聞いていた。
一方、EMBER側に残っている記録は二千四百ドル。
仕事自体はすでに終わっている。
「俺らが嘘ついてるって言いてえのか?」
BOLTの一人が声を荒らげる。
「まだ誰もそんなこと言ってねえだろ」
マコトが半歩前へ出た。
向こうの数人も反応して身体を動かす。
「マコト」
レオが低い声で止める。
同時にBOLT側でも、カズマが片手を上げた。
「お前らも動くな」
互いに前へ出かけた人間が止まる。
それだけで、張り詰めた空気が少しだけ戻った。
悠斗は双方の話を聞いていた。
六百ドル。
ここに集まっている人数で揉める方が、金額だけ見ればよほど割に合わない。
それでも「騙された」と思えば、単純な損得だけでは済まないのだろう。
隣を見る。
アキラが顎へ指を当て、何かを考えていた。
「一個聞いていい?」
声を落として悠斗へ言う。
「俺に?」
「向こうに」
悠斗はレオを見る。
「アキラが確認したいことあるみたいです」
「聞け」
許可を得て、アキラが一歩前へ出た。
十人分の視線が向く。
それでもアキラは、普段とほとんど変わらない口調だった。
「三千ドルって、誰から聞いた?」
カズマが眉を寄せる。
「仕事持ってきた奴だよ」
「EMBERの人?」
「違う。間に入った奴」
「EMBERから直接、三千って聞いた人は?」
BOLTの十人が互いを見る。
何人かが小さく首を振った。
答える者はいない。
「じゃあEMBER側で、二千四百ってBOLTへ直接伝えた人は?」
今度はレオが後ろの構成員二人を見る。
二人とも首を振った。
短い沈黙が落ちる。
さっきまで互いへ向いていた苛立ちが、わずかに揺れた。
「仲介した奴の名前は?」
レオが尋ねた。
「森崎ケント」
悠斗には知らない名前だった。
だが、レオとマコトの顔つきが変わった。
「そいつか」
マコトが眉をひそめる。
「最近連絡ついてねえぞ」
BOLT側でも何人かが顔を見合わせる。
「聞いてねえぞ、それ」
カズマの声から、さっきまでとは違う苛立ちが混じった。
それまでEMBERとBOLTの間に向いていた警戒が、少しだけ別の方向へ動いた。
悠斗はスマートフォンを取り出す。
『悠斗:仲介したのは森崎ケントって人』
『悠斗:分かる範囲だけでいい』
ほどなく、
『ナナ:了解』
と返ってきた。
悠斗はスマートフォンをしまう。
まだ誰が悪いのかは分からない。
ただ、EMBERとBOLTのどちらかが嘘をついていると決めつけるには早そうだった。
「今日はここまでだ」
レオが言う。
「森崎を確認する。六百の話はそれまで保留」
カズマは不満そうに鼻を鳴らした。
「逃げてたら?」
「その時は俺とお前で話す」
「こっちの三千は?」
「うちのミスならうちが払う。森崎が抜いたなら、そっちを追う」
「本当にそいつがやったって分かるまでは?」
「決めつけねえよ。だから調べるんだろ」
カズマは数秒間レオを見た。
やがて肩から少し力を抜く。
「……分かった」
完全に納得したわけではない。
それでも、その場で殴り合いを始める理由はなくなった。
「帰るぞ」
カズマの声でBOLTの男たちが動き始める。
十人が二台へ分かれて乗り込んでいく。
黒いワゴンと古いセダンが工業地帯の暗い通りへ消え、テールランプが見えなくなったところで、悠斗もようやく肩の力を抜いた。
「……十人いたんだ」
思わず口から漏れた。
「今さら?」
蓮が言う。
「目の前にいる時は数える余裕なかった」
「最初に数えてただろ」
「それと実感するのは別」
シオンが短く言った。
「揉めなくてよかった」
悠斗は頷いた。
本当に、その通りだった。
◇
「終わり?」
蓮がレオへ尋ねる。
「今日はな」
「一発も撃たなかったな」
マコトが少し物足りなさそうに呟いた。
「それが成功だろ」
「分かってるって」
レオは財布を取り出し、悠斗たちへ三百ドルずつ渡した。
約束通りの報酬だ。
「ありがとうございます」
悠斗が受け取る。
レオはアキラを見る。
「お前、名前なんだっけ」
「水城アキラ」
「覚えとく」
アキラの口元が少し緩んだ。
「それ褒められてます?」
「今日はな」
「やった」
「調子乗るな」
横からシオンがぼそりと言う。
アキラが振り返った。
「お前、最近ちょっと喋るようになったよな?」
「気のせい」
蓮が吹き出す。
レオはそんな四人を少し眺めてから、悠斗へ視線を戻した。
「前なら、こういう話し合いにお前らは呼ばなかった」
「どうしてですか?」
「何するか分からん半グレを人数に入れたところで、余計揉めるだけだからな」
「今は?」
「少なくとも、勝手に全部ぶち壊す連中じゃない」
褒め方としては随分と雑だった。
それでも、悠斗には妙に嬉しかった。
強いからではない。
犯罪が上手いと評価されたわけでもない。
そこへ立たせても大丈夫な人間として、自分たちが数えられた。
しかも今夜は、実際に相手の方が人数は多かった。
それでも逃げず、余計なこともせず、最後までその場に立っていられた。
「今日、俺たちに声かけたのって、本当にたまたま会ったからですか?」
「半分はな」
「半分?」
「人数が必要だったのは本当だ。コンビニでお前らを見つけたのも偶然」
レオは車へ向かいながら続ける。
「でも、使えねえと思ってる連中なら声はかけねえよ」
悠斗は一瞬、返事に困った。
「……ありがとうございます」
「そこで礼言うな。次にやらかしたら普通に呼ばねえからな」
「はい」
レオはポケットからスマートフォンを出して軽く振った。
「今度から必要なら連絡する」
コンビニの駐車場で交換した番号。
悠斗も自分のポケットへ入っているスマートフォンを意識した。
「分かりました」
今日増えたのは三百ドルだけではない。
EMBERの副ボスから、直接仕事の連絡が来る可能性も増えた。
◇
EMBERが去ったあと、四人は借りた車の前に集まった。
「で、今日の三百どうする?」
蓮が最初に言う。
「一人三百って最初から決まってたし、そのままでいいんじゃない?」
悠斗が答えた。
「俺もそれでいい」
シオンはすでに自分の分をポケットへ入れている。
アキラも頷いた。
現在のプール金は二百二十ドル。
今回はそこへ追加しない。
悠斗はふと、横に停まっている借り物の車を見る。
「燃料代は?」
「あ」
アキラの動きが止まった。
「俺が入れた」
「いくら?」
「三十二ドル」
「レシートは?」
アキラは少し得意そうな顔で胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「今回はちゃんとある」
蓮が笑う。
「成長したじゃん」
「お前に言われたくねえ」
「仕事で使った分なら四人で割る?」
悠斗が提案すると、誰からも反対はなかった。
一人八ドル。
大した金額ではない。
それでも、その場にいる誰か一人へ押しつけるのではなく、何に使った金なのか確認してから決める。
少し前までなら、こういう小さな支出について話し合うことすらなかった。
悠斗が自分の三百ドルを財布へしまおうとした時、スマートフォンが震えた。
ナナだった。
『ナナ:森崎ケント、同名の公開アカウント見つけた』
『ナナ:仕事の仲介してたっぽい投稿はある』
『ナナ:最近は更新止まってる』
続けて、もう一通届く。
『ナナ:少し前に「聞いてた報酬と違った」って書いてる人もいた』
『ナナ:森崎のことかまでは分からない』
『ナナ:断定はできないけど気になる』
悠斗は画面をアキラたちへ見せた。
「……さっきの話、まだ終わってないかも」
アキラの表情から笑みが消える。
EMBERとBOLT。
どちらかが嘘をついていると思われていた六百ドル。
その間にいた一人の男。
今夜、悠斗たちはただ人数として呼ばれただけだった。
けれどその揉め事は、思っていたより少しだけ深いところへ繋がっているのかもしれなかった。
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