第2章 第46話 盗む側のルール
プール金が二百ドルになった翌日の夕方、《仮》に蓮からメッセージが入った。
『蓮:仕事じゃないけど案ある』
『アキラ:嫌な予感しかしない』
『ナナ:内容』
悠斗もすぐに画面を開いた。
『蓮:車』
『悠斗:買う方?』
『蓮:盗む方』
悠斗の指が止まった。
少し間を置いて、アキラから返事が来る。
『アキラ:急に犯罪度上がったな』
『蓮:俺ら何だと思われてんの』
『ナナ:半グレ』
『蓮:正解』
冗談めいたやり取りのあと、蓮がもう少し詳しく説明した。
南部の古い立体駐車場に、黒い高級クーペが長く停まったままになっているらしい。
レース関係の知人が何度も見かけており、ここ一週間ほど位置も変わっていないという。
ただし、誰の車なのかは分からない。
放置されている理由も不明。
売る相手も決まっていない。
『悠斗:それだけじゃやらない』
悠斗はすぐに送った。
『蓮:だと思った』
『悠斗:盗った後どうするか分からないし』
『アキラ:とりあえず見るだけなら?』
『ナナ:場所と車種送って』
そこで話はいったん止まった。
勢いのまま誰かが現地へ向かうことはない。
そのことに、悠斗は少しだけ安心した。
◇
翌日の夕方。
悠斗たちは中央地区から南へ下った古い駐車場で合流した。
集まったのは、悠斗、蓮、アキラ、ナナ、シオンの五人。
大河には声をかけていない。
タクミにも、まだ連絡していなかった。
曇った空の下、近くの工場地帯から低い機械音が響いている。古い集合住宅と倉庫が並ぶ通りには、仕事帰りらしい車が時折通る程度だった。
「で、例の車は?」
アキラが蓮へ聞く。
「ここから十分くらい」
「先に見に行った?」
「外からだけ」
「触ってないよな?」
「触ってない」
ナナがスマートフォンを見ながら口を開く。
「私が確認できたのは、その駐車場に同じ車が何日も停まってるってことくらい。近所の投稿にも何回か写ってる」
「持ち主は?」
悠斗が聞く。
「分からない」
「何で置きっぱなしなのかも?」
「それも無理。ただ、一個だけ」
ナナが画面を見せる。
「数日前、その車の前輪に簡易の整備札みたいなのが挟まってる写真がある。今もあるかは分からないけど」
「故障して置いてる可能性もある?」
アキラが聞く。
「あるかも。でも断定はできない」
ナナは肩をすくめた。
「だから、誰も使ってない車って決めつけるのは無理」
悠斗は頷いた。
「そもそもさ」
アキラが蓮を見る。
「盗んだらどうするつもりだった?」
「そこなんだよ」
蓮が苦笑する。
「最初は売れるんじゃねって思ったけど」
「誰に?」
「知らない」
「じゃあ駄目じゃん」
「だから相談した」
悠斗は思わず少し笑った。
「それは前よりいい」
「何目線?」
「分かんない」
空気が少し緩む。
壁に背を預けていたシオンが口を開いた。
「売る先も逃げる先もないなら、やめとけ」
それだけだった。
悠斗はシオンを見る。
「うん。今日は盗まない」
蓮は少し残念そうな顔をしたが、反対はしなかった。
「見るだけ行く?」
「それなら」
アキラが答える。
「周りの雰囲気も見たい」
ナナも頷いた。
◇
問題の車は、古い立体駐車場の二階に停まっていた。
黒い高級クーペ。
薄暗い蛍光灯の下でも塗装の艶が残っている。
ただ、フロントガラスには薄く埃が積もり、左前輪のそばには落ち葉が溜まっていた。
「確かに動いてない感じはするな」
蓮が小声で言う。
「感じだけね」
ナナが返す。
五人は車へ近づきすぎず、少し離れた位置から周囲を見る。
駐車場には他にも十数台の車があった。
完全な廃墟ではない。
階段から人が上がってくることもありそうだ。
「あれ」
アキラが天井を見上げた。
「カメラあるな」
全員が視線を上げる。
壁際の高い位置に、小さな監視カメラが設置されていた。
「一個だけじゃなさそう」
ナナも周囲を見回す。
「入口側にもある」
蓮が苦笑した。
「面倒だな」
「そもそも簡単だったら、こんないい車まだ残ってないでしょ」
悠斗が言う。
「タクミいたら分かるかな」
蓮が呟く。
悠斗は首を振った。
「ちゃんとやるって決めてから聞こうよ」
「今聞いてもいいだろ」
「でも、まだ何してほしいか決まってないし」
アキラが横から頷く。
「呼んでから考えるより、その方がいいな」
蓮は納得しきってはいないようだったが、それ以上は言わなかった。
その時、下の階から車のエンジン音が聞こえた。
五人の視線が自然にそちらへ向く。
白いセダンがゆっくり二階へ上がってきて、少し離れた区画へ停まった。
乗っていたのは中年の男女。
こちらへ特別な関心を向けることもなく、荷物を持って階段へ歩いていく。
それだけだった。
何もしていない。
それでも悠斗は、自分でも気づかないうちに少し肩へ力を入れていた。
「帰ろう」
悠斗が言う。
「今日は十分」
誰も反対しなかった。
◇
駐車場を出た五人は、そのまま人通りの少ない河川沿いへ移動した。
空はすっかり暗くなり、遠くの高架道路を走る車のライトが途切れず流れている。
「で、やる?」
蓮が聞く。
悠斗は少し考えた。
「条件が揃ったら」
「何が必要?」
「まず売る相手」
アキラがすぐに頷く。
「それは絶対」
「車が本当に動くかも見たい」
蓮が言う。
「外から分かる範囲でな」
ナナも続ける。
「私はもう少し周辺と持ち主関係を調べる。でも分からないところはそのままになると思う」
「それでいい」
悠斗が答える。
「分からないのに大丈夫ってことにする方が嫌だし」
シオンが短く言う。
「人が来たらやめろ」
「うん」
「撃ち合いになるなら、もっとやらない」
シオンの判断は分かりやすかった。
車一台のために命を賭けるつもりは、誰にもない。
「タクミには?」
アキラが聞く。
「やる可能性が高くなったら、先に内容を全部話して聞く」
「大河は?」
悠斗は少しだけ考えた。
「今回は呼ばなくていいと思う」
「理由は?」
「人数が多ければいいって仕事じゃないから」
言ってから、自分でも少し驚いた。
以前なら、多い方が心強いと思っていた。
けれど今は、必要のない人まで呼べば動きにくくなることも分かる。
呼ばないことと、仲間外れにすることは違う。
「じゃあ各自、次までに確認できること確認」
アキラがまとめる。
「それでやるなら、役割と取り分も先に決める」
「プール金も?」
蓮が笑う。
「そこも」
悠斗も笑った。
昨日決めたことが、もう当たり前の確認事項になりつつある。
◇
その夜。
安宿へ戻った悠斗のスマートフォンが鳴った。
タクミからだった。
『タクミ:蓮から車の話聞いた』
悠斗は眉を寄せた。
続けて、
『タクミ:まだやるか決めてないんだろ』
『悠斗:うん』
『タクミ:なら決まってからでいい』
『悠斗:ごめん』
少し間を置いて、もう一通。
『タクミ:あと蓮に勝手に俺を技術班扱いすんなって言っといて』
悠斗は思わず吹き出した。
そのまま《仮》へ内容を送ると、
『蓮:もう技術班でよくない?』
『悠斗:本人が違うって言ってる』
『アキラ:人の話聞け』
『蓮:聞いてるけど納得してない』
くだらないやり取りが続く。
悠斗は画面を眺めながら、少しだけ笑った。
盗む車は、まだ一台もない。
本当にこの話を進めるかどうかも決まっていない。
それでも、以前のように思いつきだけで走り出すことはなくなった。
分からないことは分からないままにし、必要な人へ相談し、誰か一人の勢いだけで決めない。
そんなやり方が、少しずつ自分たちの中に根付き始めていた。
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