第1章 第40話 俺たちでなればいい
逃げられる道へ背を向けた瞬間、悠斗の足が急に重くなった。
資材置き場の向こうには、銃を持った人間がいるかもしれない。遠くから聞こえていたサイレンも、さっきより明らかに近づいている。
怖い。
それでも、蓮もアキラもシオンも止まらなかった。
「タクミにかける」
アキラがスマートフォンを操作する。
数回の呼び出し音のあと、雑音混じりの声が返ってきた。
『……いる』
「動ける?」
『動ける。でも、今そっちには行けない』
「何がいる?」
『二人。資材置き場の出口近くで揉めてる』
その向こうで怒鳴り声が響く。
アキラの表情が変わった。
「俺ら、近くまで来てる」
『は? 来なくていいだろ』
「もう来てる」
『……馬鹿かよ』
通話が切れた。
蓮が小さく笑う。
「怒ってんな」
「生きてから怒られればいい」
悠斗が答えると、蓮が一瞬こちらを見てから頷いた。
建物裏手へ回ると、古いフェンスの向こうに資材置き場が見えた。
金属棚。
積まれた木箱。
使われなくなった機材。
外灯は何本かあるものの、物陰には濃い闇が残っている。
その中央付近で二人の男が言い争っていた。
「お前らが余計な奴呼んだからだろ!」
「知らねえよ! あの男に聞け!」
悠斗たちは足を止める。
タクミがいるのは、その二人のさらに向こう側だった。
こちらへ来るには、どうしても彼らの近くを通らなければならない。
「このまま行くのはまずい」
アキラが小声で言った。
シオンも頷く。
「撃つかもしれない」
悠斗は腰の拳銃の重みを意識した。
抜きたくなかった。
自分が銃を出せば、それだけで相手も銃を出すかもしれない。
撃てば、誰かが死ぬかもしれない。
「……俺が話す」
アキラが言った。
「蓮、反対からタクミ呼べる?」
「やってみる」
「シオンは?」
「見る」
短い返事だった。
悠斗は頷いた。
自分より適任の人間がいる。
なら、自分が全部やる必要はない。
アキラが少し前へ出る。
「ちょっといい?」
二人の男が振り向いた。
「何だお前」
「こっちも巻き込まれてるだけ。そっちの金にも揉め事にも興味ない」
「だったら消えろ」
「消えるよ。だからこっちの一人だけ返して」
男の一人が怪訝そうな顔をした。
「一人?」
その一瞬だった。
資材の向こう側で、蓮が小さく手を振る。
タクミが気づいた。
しかし動こうとした瞬間、別方向から男が一人現れた。
「おい、誰かいるぞ!」
空気が一気に張り詰める。
タクミがまた資材の陰へ戻った。
「最悪」
アキラが吐き捨てる。
男たちも互いに何が起きているのか分かっていないらしい。
その時、道路側からさらに大きなサイレンが響いた。
赤と青の光が、遠くの建物の壁へちらちら反射する。
「警察来るぞ!」
誰かが叫んだ。
それだけで場が崩れた。
男たちが一斉に道路側を見る。
「タクミ!」
蓮が呼ぶ。
今度は迷わなかった。
タクミが資材の間から飛び出し、こちらへ走る。
その途中で一発だけ銃声が鳴った。
悠斗は反射的に身を縮めた。
弾がどこへ飛んだのかは分からない。
シオンが悠斗の前へ出る。
「走れ!」
タクミが最後の数メートルを駆け抜けた。
袖が破れ、膝にも汚れがついている。
「怪我は?」
「転んだだけ!」
「行こう!」
五人はその場を離れた。
背後では怒鳴り声が続いている。
誰が誰と争っていたのか、結局最後まで分からなかった。
依頼人。
元賭場にいた人間。
後から来た連中。
どこまでが同じ側なのかすら曖昧だった。
悠斗は走りながら思う。
あの依頼人は、絶対に全部を話していなかった。
◇
騒ぎから離れてしばらくして、五人は人気の少ない駐車場でようやく足を止めた。
タクミは縁石へ腰を下ろし、自分の腕を確認している。
擦り傷。
破れた服。
それだけだった。
「……よかった」
悠斗が呟く。
「何が」
「大きな怪我なくて」
「お前らが戻ってきたせいで増える可能性あったけどな」
タクミが睨む。
「ごめん」
「謝るなって」
苛立った声だった。
それでも本気で怒っているようには見えない。
「来なくてよかったのに」
「置いていけないよ」
悠斗が答える。
タクミは数秒黙ったあと、ため息をついた。
「……馬鹿じゃねえの」
「それは俺も思う」
蓮が口を挟む。
「お前も戻っただろ」
アキラに言われ、蓮が黙る。
シオンがほんの僅かに口元を緩めた。
その時、アキラのスマートフォンが震えた。
「依頼人」
画面を見たアキラの顔が露骨に険しくなる。
「何て?」
「『仕事失敗だから報酬はなし。もういい』だって」
蓮が呆れた顔をする。
「よく言うわ」
アキラも鼻で笑った。
「聞いてた人数も車も全部違っただろ。説明してない奴まで来てんじゃん」
「もう関わらない方がいい」
悠斗が言った。
「金がどうとかより、何を隠してたのか分からない」
「俺もそう思う」
アキラは短く返信し、それ以上やり取りを続けなかった。
六千ドルは大きい。
罰金もある。
タクシーの仕事も止まったままだ。
それでも、惜しいという感情は不思議なほど薄かった。
もしタクミを置いて帰っていれば、依頼人と話を続ける余地はあったかもしれない。
だが戻った時点で、悠斗たちは仕事より仲間を選んだ。
それでよかったと、今は思う。
「ナナに連絡しよう」
悠斗が電話をかける。
以前なら発信ボタン一つにも躊躇していたのに、今はほとんど迷わなかった。
『もしもし!?』
繋がった瞬間、ナナの大きな声が響く。
「全員いる」
『怪我は!?』
「タクミが擦り傷くらい」
『本人に聞く』
「信用ないな俺」
タクミがぼそっと言う。
電話の向こうでナナが長く息を吐いた。
『……よかった』
その声を聞いて、ようやく悠斗の肩から力が抜けた。
◇
翌日の夕方。
レオから届いたメッセージを見て、悠斗はEMBERの倉庫へ向かった。
昨夜の騒ぎは南部の裏社会でも話題になっていたらしい。
以前から別件で周辺の人間を調べていたEMBERの耳にも入り、レオが「一応確認しておいた方がいい」とジンへ伝えたとのことだった。
倉庫へ入ると、何人かの構成員がいつも通り車や荷物を扱っている。
昨夜の騒ぎとは関係なく、EMBERにはEMBERの一日が流れていた。
奥でジンが紙コップのコーヒーを飲んでいる。
「また面倒なの引いたな」
「……はい」
「レオからざっくり聞いた。俺らも全部分かってるわけじゃねえぞ」
「分かってます」
「仕事は?」
「失敗です」
「金は?」
「ゼロです」
「仲間は?」
「全員います」
ジンは少しだけ笑った。
「なら今回は、それで終わりにしとけ」
悠斗は頷く。
「はい」
「ただな」
ジンの声が低くなる。
「毎回仲間を助けに戻って、自分まで死んだら意味ねえぞ」
悠斗は黙って聞く。
「助けるのと無茶するのは別だ。昨日戻ったのが正解だったかどうかも、結果だけじゃ決められねえ」
「……はい」
その言葉は胸に残った。
昨日は戻ってよかったと思っている。
だが、次も同じ判断が正しいとは限らない。
仲間が増えれば、一人を助けるために別の誰かを危険へ晒すことだってあるかもしれない。
今の悠斗には、まだ答えは出せなかった。
ジンはそんな悠斗を少し眺めてから、ふっと笑う。
「でも、お前」
「?」
「最初に会った頃より随分楽しそうになったな」
悠斗は目を瞬いた。
タクシーを始めたばかりの頃。
後部座席に座るジンと話すだけで、何を答えればいいのか分からなかった自分を思い出す。
「あの頃は、一人でずっと何か考えてる顔してた」
「今も結構考えてますけど」
「今は他人のことで悩んでる」
悠斗は返事ができなかった。
「人が増えると面倒だぞ」
「……少し分かってきました」
「まだ入口だ」
ジンは笑った。
「帰れ。どうせ誰か待ってんだろ」
倉庫を出てスマートフォンを見る。
『蓮:飯』
『ナナ:SUNSET』
『アキラ:タクミも来る』
『タクミ:俺はまだ返事してない』
『シオン:行く』
さらに大河から、
『仕事終わった。まだ間に合う?』
と来ていた。
悠斗は少し笑い、
『間に合う』
と返した。
◇
SUNSET DINERには、いつもの匂いが満ちていた。
焼いた肉。
揚げ物。
コーヒー。
厨房から響く調理器具の音。
蓮とアキラは何かで言い合い、ナナが呆れ、大河は料理を眺めて嬉しそうにしている。
タクミの腕には小さなガーゼ。
シオンは静かに食事をしていた。
ミオが人数を見回し、
「今日は多いね。席足りてる?」
「大丈夫です」
「ならいいけど、騒ぐなら外でね」
「まだ何もしてない!」
アキラが抗議し、ミオは笑いながら厨房へ戻った。
犯罪の話はしない。
ここは飯を食う場所だ。
それが、悠斗には心地よかった。
食事を終えたあと、七人は店の外へ出た。
夜風が少し涼しい。
駐車場の端で話を続けていると、大河がふと思い出したように言った。
「そういや、お前らって結局何なんだ?」
「何って?」
「グループなのか、ただの友達なのか」
悠斗は答えに詰まった。
正式な名前はない。
拠点もない。
誰かが加入を宣言したわけでもない。
それでも何かあれば連絡し、仕事をし、飯を食う。
「……分かんない」
正直に答えると、蓮が笑った。
「そこ分かんねえのかよ」
「決めたことないし」
「じゃあ名前決める?」
アキラが面白そうに言う。
「それはまだいい」
悠斗が即答すると、何人かが笑った。
笑い声が落ち着いたあと、悠斗は夜の街を見る。
流れていく車。
ビルの明かり。
遠くのサイレン。
生前、何度も画面越しに眺めていたような景色だった。
「俺さ」
口にした瞬間、全員の視線が集まる。
少し恥ずかしい。
それでも続けた。
「……いつか、本物のギャングになりたいんだ」
数秒、静かになった。
「ずっと?」
ナナが聞く。
「この街に来る前から」
アキラが首を傾げる。
「前に住んでたところから?」
悠斗の心臓が少しだけ跳ねた。
「……まあ、そんな感じ」
「秘密多いな、お前」
アキラは笑っただけで、それ以上は追及しなかった。
蓮が車へ背を預けたまま言う。
「じゃあ、なれば?」
「そんな簡単に言うけど」
「一人でなる必要なくね?」
悠斗が顔を上げる。
蓮はいつもの軽い調子で続けた。
「だったら、俺たちでなればいいんじゃない?」
悠斗は言葉を失った。
「それ、面白そう」
アキラが笑う。
ナナも少し考えてから、
「本当にやるなら、情報集めるくらいは付き合う」
と言った。
シオンは悠斗を見て、
「嫌?」
と短く尋ねる。
「嫌じゃない」
むしろ逆だった。
タクミが腕を組む。
「俺、まだ入るとは言ってないけど」
「じゃあ来ない?」
蓮が聞く。
「……そういう意味でもない」
「はい一人確保」
「勝手に決めんな」
大河はそのやり取りを見て笑った。
「本気でやるなら、また声かけてくれよ。まだ俺、お前らと仕事した回数も少ないし」
「うん」
悠斗は頷いた。
誰も正式に何かへ加入したわけではない。
それでいい。
前世では、誰かの輪へ入ることさえできなかった。
今は、自分が口にした夢へ「一緒に行く」と言ってくれる人がいる。
悠斗は小さく笑った。
いつか。
俺たちで、ギャングになる。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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