第1章 第39話 置いてはいけない
初めて自分たちで強盗をしてから三日。
あの夜、アキラのもとへ届いた「四人か五人で受けられる、少し大きな仕事」について、ようやく必要な情報が揃い始めていた。
悠斗は安宿のベッドへ腰掛け、スマートフォンに表示された《仮》のグループチャットを眺めていた。
『アキラ:依頼人の名前確認できた』
『ナナ:私も分かる範囲で見た』
『蓮:で、結局何の仕事?』
悠斗も入力欄へ指を置く。
『悠斗:誰の仕事なの?』
以前なら、文章を送るだけでも何度か書き直していた。
失礼ではないか。
変なことを聞いていないか。
自分が口を挟んでいいのか。
そんなことばかり考えていたはずなのに、今は必要だと思ったことをそのまま尋ねられる。
送信して間もなく、アキラからグループ通話が始まった。
悠斗は一瞬だけ呼吸を整え、通話へ参加する。
『アキラ:揃った?』
『蓮:俺いる』
『ナナ:いるよ』
「俺も」
『アキラ:じゃあ説明する』
アキラの声から、普段の軽さが少し消えた。
『仕事は南部にある元賭場から金を回収すること。依頼人は、前にそこで働いてた男』
「回収?」
『本人いわく、自分の取り分を他の連中に持っていかれたらしい』
『蓮:それ回収じゃなくて奪い返しじゃね?』
『アキラ:まあな』
「本当に依頼人のお金なの?」
『そこは確認できない』
悠斗は眉を寄せた。
以前なら、「依頼人がそう言っているなら」と受け流していたかもしれない。
今は違う。
「場所は本当に賭場だったの?」
『ナナ:それはたぶん本当』
ナナが答える。
『ナナ:数週間前まで私設の賭場として使われてたって話が複数ある。今は営業してないみたい。でも依頼人がそこでお金を取られたってところまでは分からない』
「相手は?」
『アキラ:二、三人って聞いてる。武器を持ってる可能性はある』
『蓮:可能性って便利な言葉だな』
「報酬は?」
一瞬だけ間が空いた。
『アキラ:六千ドル』
悠斗は黙った。
高い。
明らかに高い。
タクシーの仕事はいまだ停止中で、先日の罰金も痛い。今の悠斗にとって六千ドルという数字は十分すぎるほど魅力的だった。
だからこそ、不安になる。
「高すぎない?」
『俺も思った』
アキラが答える。
『ナナ:あと、その建物の周辺で最近揉め事が増えてるって投稿もあった』
「どんな?」
『ナナ:誰と誰が揉めてるかまでは分からない。夜に怒鳴り声聞いたとか、銃声っぽいのを聞いたって書き込みが何件かあるくらい』
『蓮:めっちゃ嫌じゃん』
『ナナ:私は行かない方がいいと思う』
ナナがそこまで言うのは珍しい。
好奇心の強い彼女が、自分から慎重な意見を出している。
悠斗は少し考えた。
「……いきなり金を取りに行くのはやめよう」
『アキラ:下見?』
「うん。依頼人とも直接話したい。説明と違うならやめる」
『蓮:それでいいと思う』
『ナナ:六千って言われても粘らないでね』
「分かってる」
『ナナ:悠斗に言ってる』
「なんで俺だけ?」
『蓮:前に警察から逃げた実績があるから』
「それとこれ関係ないでしょ」
『アキラ:いや、結構ある』
三人の笑い声が重なった。
悠斗は小さく息を吐く。
以前なら、こんなふうに弄られること自体にどう反応すればいいのか分からなかった。
今は少し悔しいくらいで済む。
『あとさ』
アキラの声が真面目になる。
『今回は、一人でも「やめよう」って言ったら一回止まろうぜ』
悠斗は黙って聞いた。
『前に俺が止まれって言ったのに、誰かさん逃げたからな』
「……はい」
『まだ根に持ってるから』
『蓮:長いな』
『アキラ:当たり前だろ』
冗談めかしてはいるが、本気でもある。
あの日の失敗を、なかったことにはしない。
「分かった。一人でも危ないって言ったら、まず全員止まろう」
『ナナ:それなら少し安心』
通話が終わったあと、悠斗は連絡先を開いた。
今回、蓮とアキラだけでは足りない。
相手が武装している可能性があるならシオンにも来てほしい。
建物や車両周りを見るならタクミもいた方がいい。
大河にも一応連絡したが、今日は以前から入っていた搬入の仕事があり、来られないと返ってきた。
悠斗はシオンとタクミの名前を順番に押す。
『夕方、時間ある? 仕事の下見に付き合ってほしい』
以前なら十分以上悩んでいたような文章を、そのまま送った。
シオンからは一分もしないうちに、
『ある』
とだけ返ってきた。
タクミからは少し遅れて、
『内容聞いてから決める』
と届く。
「……普通だよな」
誰かに連絡する。
返事が来る。
それだけのことなのに、少し前の自分には難しかった。
悠斗はスマートフォンを握ったまま、僅かに笑った。
◇
夕方。
南部の工業地帯には、昼間の熱がまだアスファルトへ残っていた。
日が傾くにつれて人通りは急速に減り、遠くの高架道路を大型トラックが走る音と、倉庫から漏れる機械音だけが広い道路に響いている。
悠斗、蓮、アキラ、シオン、タクミの五人は、目的地から少し離れた場所へ集まっていた。
「で、俺は何すんの?」
タクミが尋ねる。
「中には入らなくていいと思ってる」
悠斗は答えた。
「車とか周りの様子とか、外から見て分かる範囲をお願いしたい」
「それならいい」
タクミは短く頷く。
以前、一緒に仕事をして以来、まともに話すのは久しぶりだった。
連絡先には名前が残っている。
でも、自分から連絡したことはほとんどなかった。
「来てくれて、ありがとう」
悠斗が言うと、タクミが少しだけ眉を上げる。
「まだ仕事始まってないけど」
「まあ……そうだけど」
「礼なら終わってからでいい」
相変わらず淡々としている。
隣で蓮が笑った。
「タクミって愛想ねえな」
「お前がうるさい」
「仲良しじゃん」
「違う」
アキラまで笑う。
シオンはそんな四人を眺めたあと、道路の向こうへ視線を向けた。
「来た」
一台の黒いSUVが近づいてくる。
車から降りてきたのは三十代半ばほどの男だった。
帽子を深く被り、道路の左右を何度も確認している。
「水城か?」
「そう」
アキラが一歩前へ出る。
男は改めて仕事内容を説明した。
元賭場の建物。
奥に残っている現金。
自分が受け取るはずだった取り分。
中にいるのは多くても三人。
できれば揉めずに持ってきてほしい。
電話で聞いた内容と大きくは変わらない。
それでも悠斗には気になることがあった。
男が何度も道路の奥を見ている。
まるで誰かが来るのを気にしているようだった。
「中にいる人たちとは、どういう関係なんですか?」
悠斗が尋ねる。
男がこちらを見る。
「前の仕事仲間だ」
「今は?」
「金で揉めた。それだけだ」
「他に、このお金を取りに来る人はいませんか?」
「いない」
答えが早かった。
悠斗はアキラを見る。
アキラも僅かに眉を動かしている。
「まず中の様子を確認します」
悠斗が言った。
男の顔が険しくなる。
「話が違うだろ。金を取ってくる仕事だ」
「状況が聞いた通りならやります。でも、その前に確認したいです」
「六千払うんだぞ?」
六千ドル。
魅力的な数字だ。
それでも、もうそれだけでは動けなかった。
「だから確認します」
男はしばらく悠斗を見たあと、不満そうに顎をしゃくった。
「勝手にしろ」
◇
元賭場の建物は、表向きには古い事務所にしか見えなかった。
看板は外され、入口のガラスには内側から板が貼られている。建物裏手には錆びたフェンスが伸び、その向こうに古い資材置き場がある。
道路側には悠斗たちの車。
建物正面に入口。
右手を回れば細い通路を通って裏の資材置き場へ抜けられる。
タクミは道路側に残り、車と周囲を見ることになった。
「中まで来なくていいよ」
「分かった」
「何かあったらすぐ連絡して」
「そっちも」
悠斗は頷き、蓮、アキラ、シオンと建物へ近づいた。
入口から数メートルまで来たところで、シオンが止まる。
「声」
中から複数人の話し声が聞こえる。
一人や二人ではない。
アキラも耳を澄ませた。
「二、三人より多くない?」
その直後、建物の奥から男の声がした。
「外に車増えてるぞ」
四人の表情が変わる。
シオンがすぐ悠斗を見る。
「戻る」
「うん」
迷わなかった。
一人でも危ないと言ったら止まる。
さっき決めたばかりだ。
四人は入口から離れ始める。
その時だった。
道路側から複数のエンジン音が近づいてきた。
古いバン。
その後ろにセダン。
二台が続けて敷地へ入ってくる。
「何あれ」
蓮が呟く。
「聞いてない」
アキラの顔から笑みが消える。
悠斗はすぐスマートフォンを取り出した。
「タクミに――」
先にメッセージが届いた。
『タクミ:車の方に二人来た』
続けて、
『タクミ:道路側塞がれた』
「タクミがまずい」
悠斗たちは歩調を速める。
だが道路側から怒鳴り声が聞こえ、さらに建物の横手にも人影が現れた。
タクミから追加のメッセージが来る。
『タクミ:横からも一人』
『タクミ:車戻れない』
蓮が画面を覗き込む。
「どこ行った?」
すぐに返信が来た。
『タクミ:裏』
『タクミ:資材置き場』
タクミは道路側と横手を塞がれ、空いていた建物裏へ逃げたらしい。
自分から危険な方へ入ったわけではない。
戻れる道を失った結果だった。
「俺らも一回出るぞ」
アキラが言う。
悠斗も頷く。
四人は建物から距離を取り、敷地の端へ向かった。
その時、乾いた破裂音が一発響いた。
悠斗の身体が硬直する。
銃声だった。
シオンが即座に裏手へ顔を向ける。
普段ほとんど変わらない表情が、僅かに強張った。
「タクミ」
短い声だった。
悠斗は発信ボタンを押す。
一度。
二度。
三度。
繋がった。
『……何』
タクミの声。
「怪我してない?」
『してないと思う』
悠斗は息を吐く。
「こっち来れそう?」
『無理』
その向こうで誰かの怒鳴り声が聞こえた。
『人いる。資材の陰にいる』
「動かないで」
『言われなくても』
そこで通話が途切れた。
遠くから別の音が聞こえ始める。
サイレン。
誰かが通報したのだろう。
警察が近づいている。
シオンが周囲を確認した。
「今ならまだ外へ出られる」
悠斗たちは敷地の端にいる。
このまま道路へ抜ければ、少なくともタクミ以外の四人は危険な場所から離れられる。
仕事は失敗。
報酬もない。
だが、そんなことより問題なのは、戻れば撃たれるかもしれないことだった。
警察に捕まるかもしれない。
死ぬ可能性すらある。
悠斗は腰にある拳銃の重さを意識した。
持ってきてよかったとは思えない。
むしろ、これを使わなければならないかもしれない状況になったことが怖かった。
「悠斗」
アキラが呼ぶ。
蓮もシオンもこちらを見る。
命令を待っているわけではない。
ただ、どうするかを確かめている。
いつの間にか、そういう時には自然と悠斗へ視線が集まるようになっていた。
悠斗は資材置き場の方向を見る。
生前、何度も画面越しに見た。
誰かが捕まった。
誰かが取り残された。
誰かが危険になった。
すると仲間が言う。
迎えに行こう。
その瞬間、みんなが動き始める。
悠斗は、ずっとその光景に憧れていた。
実際にその立場へ来てみれば、格好いいものではない。
怖い。
心臓が速い。
膝も少し震えている。
サイレンは確実に近づいていた。
それでも、タクミを置いて逃げる自分だけは想像できなかった。
「……戻ろう」
悠斗は言った。
思ったより声は震えなかった。
「タクミを置いていけない」
蓮はほとんど間を置かず頷く。
「だと思った」
アキラも息を吐いた。
「俺も」
シオンはすでに資材置き場へ視線を向けている。
「行くなら早く」
悠斗は大きく息を吸った。
怖くないわけではない。
それでも、仲間という言葉を、自分に都合のいい時だけ使いたくはなかった。
四人は逃げられる道へ背を向ける。
向かう先は、裏の資材置き場。
取り残された仲間を迎えに行くために。
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