第1章 第36話 守るために持つもの
EMBERの車列に挟まれるように南部を走りながら、悠斗は助手席の窓へ視線を向けていた。
夜の大通りには、まだ人が多い。
コンビニの前で笑う若者たち。信号待ちの歩道に並ぶ会社員。遠くでは救急車が赤い光を反射させながら交差点を抜け、その音が高架の向こうへ消えていく。
つい一時間ほど前まで、自分もあの普通の景色の中にいた。
仲間とカフェで話していただけだった。
それなのに、知らない男たちに囲まれ、外へ出ろと言われ、相手が何を持っているかも分からないまま睨み合うことになった。
もしレオたちが来なかったら。
考えないようにしても、その先ばかり頭に浮かぶ。
「悠斗」
運転席の蓮が呼んだ。
「何?」
「さっきからずっと外見てる」
「……ちょっと考えてた」
「だと思った」
それ以上、蓮は何も言わなかった。
後部座席ではアキラとタクミが小声で話している。シオンは別のEMBER車両に乗っていた。
誰も怪我はしていない。
それだけで十分なはずなのに、悠斗の胸には重いものが残っていた。
自分たちだけだったら、どうなっていたのか。
◇
連れてこられたのは、以前にも訪れた南部の倉庫だった。
昼間とは違い、夜の倉庫街は大型車両の往来も減り、開いたシャッターの奥から漏れる白い作業灯だけがやけに明るく見える。
中へ入ると、簡素なテーブルの向こうに黒瀬ジンが座っていた。
隣にはレオ。
少し離れた場所では、ミナがノートパソコンを開いている。
「おう」
ジンが片手を上げた。
「ずいぶん人数増えたな」
悠斗は思わず後ろを振り返った。
蓮。
アキラ。
シオン。
タクミ。
「……まだ、別にグループってわけじゃないですけど」
「その割に一緒に動いてるだろ」
「それは……まあ」
ジンが笑った。
「座れ」
悠斗たちは折り畳み椅子へ腰を下ろした。
最初に口を開いたのはレオだった。
「さっきの連中について、分かった範囲だけ話す」
その一言で、場の空気が変わる。
ミナが画面を確認しながら続けた。
「正式な組織名はまだ掴めてない。南部で車や荷物の運搬を請け負ってる小さい連中がいる。その周辺に、さっきの二人が出入りしてる」
「じゃあ、あの車は?」
アキラが聞く。
「揉め事があったクラブの関係者が使っていた車と特徴は一致してる。でも所有関係までは分からない」
「盗難車かどうかも?」
「まだ」
悠斗は少しだけ息を吐いた。
EMBERほどの組織でも、何でも分かるわけではない。
それが逆に現実的だった。
「俺たちに仕事が回ってきた経路は?」
タクミが聞く。
「そこも途中まで」
ミナが答える。
「アキラに話を回した人間、その一つ前までは分かった。でも、その上はまだ追えてない」
「俺、元の依頼人全然知らなかったってことか」
アキラが嫌そうに眉を寄せる。
「そうなる」
「最悪だな」
ジンが鼻で笑った。
「半グレなんてそんなもんだ。どこにも所属してない。金が要る。仕事はする。捕まっても、その上まで辿られにくい」
悠斗の背中が冷えた。
全部、自分たちに当てはまる。
「最初から使い捨てにするつもりだった可能性もある?」
悠斗が聞く。
「ある」
ジンは迷わなかった。
「ただし、普通に車を運ばせるだけだった可能性もある。そこはまだ分からん」
「……じゃあ、何が一番危なかったんですか?」
「お前らが何も知らなかったことだ」
ジンの声が少し低くなる。
「相手の言うことだけ信じて車を運んで、あとから揉め事の荷物やら何やらが出てきたら、お前らが全部被る可能性もあった」
悠斗は黙った。
少し前の自分なら、四千ドルという金額に引かれて現地へ向かっていたかもしれない。
今回は断れた。
それでも、危険はそこで終わらなかった。
「調べてるって知られたのは?」
タクミが聞いた。
ミナが画面を見たまま答える。
「仲介の一人が、『慎重すぎて車まで確認してる』って上へ返したらしい」
「余計なことを……」
アキラが呟く。
「だから、ナナがどこまで何を見たかまで相手が知ってたわけじゃない」
悠斗の肩から少し力が抜けた。
「じゃあ、ナナの情報が抜かれたわけじゃない?」
「今のところはね」
「良かった……」
「安心するのはまだ早いけど」
ミナは淡々としていた。
「EMBERと繋がってるって言われたのは?」
蓮が尋ねる。
ジンが悠斗を見る。
「お前、うちの倉庫に何度か来ただろ」
「はい」
「人の出入り見てる奴なんていくらでもいる。そこから話が膨らんだんだろうな」
「俺たち、EMBERの人間だと思われてる?」
「一部にはそう見えてるかもしれん」
ジンはそこで表情を変えた。
「でも勘違いするなよ」
「はい」
「俺と知り合いだからって、EMBERの看板がお前らを守るわけじゃねえ」
悠斗は背筋を伸ばした。
「勝手に使うな。期待もするな」
「使いません」
一度言ってから、悠斗は少し迷い、それでも続けた。
「でも今日、助けてもらいました」
ジンが目を細める。
「今日はこっちにも理由があった」
「EMBERの名前を使われてたから?」
「ああ。今回の仕事を、うちが絡んでるみたいに匂わせて回してた奴がいた。そういう真似は放っておけねえ」
以前ジンから教えられた言葉を思い出す。
ギャングの名前は、勝手に使っていいものではない。
「だから俺らはあいつらを追ってた。その途中でお前らとぶつかった」
言い方は冷たい。
けれど、それだけではない気がした。
悠斗がそう思っても、口にはしなかった。
「それと、神谷」
「はい」
「この前、警察から逃げて捕まったらしいな」
悠斗の身体が固まる。
蓮が笑いを堪えきれず顔を背けた。
「もう知ってんの?」
「裏の連中の噂は早いからな」
ジンが呆れたように続ける。
「しかも、止まれって言われてから逃げたんだろ」
「……はい」
「何もやってねえ時くらい止まっとけ」
「はい……」
隣でアキラが深く頷いた。
「もっと言ってください」
「お前まだ怒ってんのか」
「俺まで捕まったんですよ」
「そりゃ怒っていいな」
「ほら」
悠斗は小さく頭を下げた。
「……ごめん」
「まだ根に持ってるからな」
「うん」
完全には許されていない。
でも、それでもアキラはここにいる。
そのことが、悠斗にはありがたかった。
◇
話が終わり、倉庫の外へ出た時には夜もかなり深くなっていた。
熱の残るアスファルトを、乾いた風が撫でていく。
蓮とアキラは何か食べて帰るらしく、大河にも一応声だけかけてみると言っていた。昨日一緒に仕事をしたばかりで、まだ毎回当然のように呼ぶ関係ではない。それでも、少しずつ距離は縮まっていた。
タクミは翌朝が早いらしく先に帰る。
シオンだけが悠斗の隣へ残った。
「考えてる?」
「……分かる?」
「顔」
短い答えだった。
悠斗は倉庫の壁へ背を預ける。
「今日さ」
「うん」
「あの男が上着に手をやった時、何もできなかった」
シオンは黙って聞いている。
「俺だけならまだいいって思った。でも、蓮もアキラもタクミもいたし、店の人もいた」
自分が銃を持っていたら勝てた。
そんなふうには思わない。
むしろ銃を出していたら、もっと悪いことになっていたかもしれない。
それでも。
「前に射撃場で言ってたよね。持たなくていいなら、持たない方がいいって」
「言った」
「今もそう思う?」
「思う」
即答だった。
「じゃあ俺は?」
シオンは少し考えた。
「悠斗が決めること」
倉庫前に並ぶ車へ視線を向ける。
「持てば安心するわけじゃない」
「うん」
「強くもならない」
「うん」
「逃げた方がいい時もある」
「うん」
「撃ったら戻せないこともある」
その言葉だけは、少し胸に残った。
前世で見ていた配信では、銃はもっと軽い存在だった。
装備して。
撃って。
失えば買い直す。
でもここでは違う。
撃った先には、本当に誰かの人生がある。
「それでも欲しい?」
シオンが聞く。
悠斗はすぐには答えなかった。
仲間を守りたい。
それは本当だ。
でも、それだけではない。
次に同じことが起きた時、また何もできない自分でいるのが怖かった。
守りたいという気持ちと、自分の無力さが嫌だという気持ち。
どちらもある。
「……欲しい」
悠斗はようやく答えた。
「格好いいからじゃない」
「分かってる」
「怖いから、持ちたいっていうのもある」
「それも分かってる」
「それって駄目かな」
「別に」
シオンは悠斗を見る。
「怖くない奴の方が危ない」
悠斗は少しだけ肩の力を抜いた。
「じゃあ、付き合ってくれる?」
「明日なら」
「ありがとう」
◇
翌日の夕方。
悠斗はシオンと一緒に、南部から少し離れた銃器販売店へ来ていた。
レイヴンシティでは、十六歳以上でも一定の身分確認と審査を通れば護身用銃器の所持が認められている。
悠斗は先日の逮捕で罰金と違反点数を受けていたが、窃盗や武器犯罪への関与を立証されたわけではなく、所持資格そのものは失っていなかった。
店内は想像していたより静かだった。
派手な音楽もない。
白い照明の下、ケースの中に並ぶ銃は、どれも無機質に見えた。
店員から説明を受け、必要な書類を書く。
自分の名前を書く欄で、悠斗の手が一瞬止まった。
神谷悠斗。
ただそれだけの文字なのに、今日は妙に重く感じる。
これはレンタルではない。
誰かの物を借りて撃つのでもない。
自分が持つと決める。
そのための署名だった。
悠斗は時間をかけて名前を書いた。
その場で終わる簡易審査と本人確認を経て、購入許可が下りる。
シオンは隣にいたが、銃そのものを選ぶ時にはほとんど口を出さなかった。
「何かおすすめある?」
「自分で決めた方がいい」
「分からないんだけど」
「店員に聞けばいい」
「冷たくない?」
「普通」
少しだけ笑ってしまう。
最終的に選んだのは、高価でも派手でもない、護身用として一般的な拳銃だった。
専用ケースに収められたそれを受け取った時、悠斗は思わず両手で持った。
重い。
射撃場で触った時と、重量そのものは変わらないはずだった。
なのに今は、まるで別物に感じる。
返す相手はいない。
これは自分の物だ。
「嬉しそうじゃないね」
店を出てからシオンが言った。
「……嬉しくはないかも」
「それでいい」
夕方の街を車が流れていく。
横断歩道を人が渡り、バス停では学生らしい若者がスマートフォンを見ていた。
悠斗はケースへ目を落とす。
銃を持ったから、強くなったわけではない。
蓮より運転が上手くなったわけでもない。
アキラより話せるようになったわけでもない。
シオンより戦えるようになったわけでもない。
それでも、今までより一つだけ自分で背負うものが増えた。
「シオン」
「何?」
「また射撃場付き合って」
「いいよ」
「俺、まだ全然下手だから」
「知ってる」
「そこは少しくらい否定して」
「嘘になる」
悠斗は苦笑した。
ケースの重さは変わらない。
これを持ったことで、誰かを守れるようになったとは思わない。
むしろ、扱い方を間違えれば自分が誰かを傷つける側になる。
その怖さごと持つしかない。
少し前までの悠斗なら、危険な時は誰かが助けてくれることを願っていただろう。
今も助けられてばかりだ。
それでも次は、何も考えず誰かの後ろへ隠れるだけではいたくなかった。
守れるかどうかは分からない。
まずは、自分が何をするのかを自分で決める。
その一歩として、悠斗はケースを持ち直した。
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