第1章 第35話 嫌な予感
翌日の昼過ぎ、悠斗は安宿のベッドに腰を下ろしたまま、アキラから届いたメッセージを読み返していた。
『昨日言ってた仕事、もう少し詳しく聞いた』
『俺の知り合いじゃなくて、その知り合いから回ってきた話』
『南部で車一台受け取って、東部の倉庫まで運ぶ』
そこまでなら、これまでにも似た仕事はあった。
問題は、その続きだった。
『持ち主は依頼人本人じゃない』
『車内の荷物には触るな』
『報酬四千』
悠斗は画面を見つめた。
昨日は四人で一時間以上働いて二千ドル。
今回は車一台を移動させるだけで、その倍。
高い。
理由も分からないまま受けるには、高すぎた。
『悠斗:誰の車?』
『アキラ:依頼人の知り合いらしい』
『悠斗:持ち主本人とは話せる?』
しばらくして返事が来る。
『アキラ:無理って言われた』
悠斗は息を吐いた。
以前なら、現地まで行ってから判断しようと考えたかもしれない。
今は、その前に確認できることを増やしたかった。
『悠斗:ナナにも見てもらおう』
『アキラ:もう送った』
『悠斗:早い』
『アキラ:学習した』
少し笑ってしまった。
《仮》のチャットにも話が共有される。
『蓮:その額は怖い』
『ナナ:金額以外も十分怖い』
『アキラ:ですよね』
悠斗は数秒迷ったあと、シオンへ個別にメッセージを送った。
『悠斗:今夜空いてる?』
『シオン:空いてる』
『悠斗:ちょっと危なそうな仕事の相談したい』
『シオン:分かった』
続いてタクミにも送る。
『悠斗:車の仕事で聞きたいことある』
『タクミ:実車見る?』
『悠斗:まだ受けるか決めてない』
『タクミ:なら先に話聞く』
短い返事だった。
それでも、頼れる相手がいるだけで考えやすくなる。
自分一人で正解を出す必要はない。
そのことを、逮捕されてから以前より強く意識するようになっていた。
◇
夜八時。
悠斗たちは南部にあるコインランドリー併設の小さなカフェへ集まった。
壁の向こうでは大型乾燥機が一定の音で回り、ときどき床へ微かな振動が伝わってくる。窓の外ではネオン看板が濡れた歩道を淡く照らしていた。
テーブルには悠斗、アキラ、蓮。
少し遅れてシオンとタクミが到着する。
大河にも声をかけたが、今日は別口の搬入仕事があるらしく来られなかった。
ナナは自宅近くにいて、分かったことだけメッセージで送ると言っている。
「で?」
席へ座ったタクミが聞いた。
アキラが順番に説明する。
南部の立体駐車場に置かれた黒い高級セダン。
それを東部の倉庫まで運ぶ。
依頼人は所有者本人ではない。
所有者本人とは連絡できない。
車内の荷物には触れない。
報酬は四千ドル。
タクミは最後まで黙って聞いた。
「俺なら、その条件のままでは受けない」
「やっぱり?」
悠斗が聞く。
「分からないことが多すぎる」
タクミは眼鏡を押し上げる。
「誰の車か確認できない。依頼人が本当に運ばせる権限持ってるかも確認できない。車内に何があるかも分からない。移動先も相手の説明しかない」
「四千ってのも気になるよな」
蓮が言う。
「高い理由が分からない報酬は、だいたい怖い」
アキラも頷く。
シオンは少し考え、
「断れば」
とだけ言った。
悠斗はすぐ答えず、全員を見る。
「……俺も、かなり断るつもりでいる」
「じゃあ何で集めた?」
シオンが聞く。
「自分だけで決めるより、みんなの意見聞いた方がいいと思ったから」
以前なら、この言葉を口にするだけでも少し気恥ずかしかったかもしれない。
今は自然に言えた。
タクミが小さく頷く。
「それでいいと思う」
その時、悠斗のスマートフォンが震えた。
ナナからだった。
『ナナ:送ってもらった車種と外見で探した』
『ナナ:昨日の夜、似た車がSNSに写ってる』
画像が添付される。
南部のクラブ街らしい。
店の前に停まる黒い高級セダン。
ナンバーは一部しか見えていないが、色と車種、ホイールの形が似ている。
『ナナ:投稿した人が「店の前で揉めてた人たちの車っぽい」って書いてる』
『ナナ:何の揉め事かは分からない』
『ナナ:同じ車って断定はできない』
悠斗たちは画面を覗き込んだ。
「もう十分じゃね?」
蓮が言う。
「うん」
悠斗は迷わなかった。
「断ろう」
◇
アキラが仲介してきた相手へ断りの連絡を入れ、それから十数分が過ぎた。
帰ろうかという話を始めた頃、アキラのスマートフォンが鳴る。
「さっきの相手」
「出る?」
悠斗が聞く。
「断った話だけもう一回する」
アキラは店の外へ出た。
ガラス越しに見える横顔は、最初こそ普段と変わらなかった。
途中で眉が寄る。
数分後、戻ってきたアキラは椅子へ座った。
「報酬六千にするって」
「余計嫌だ」
タクミが即答した。
「俺も断った」
「それで?」
蓮が聞く。
「『じゃあ別の奴探す』って」
「終わりじゃん」
「そのあとに変なこと言われた」
アキラは少し間を置く。
「『EMBERと繋がってる若い連中だって聞いたけど、違ったか』って」
悠斗の表情が固まった。
「俺たちのこと?」
「たぶん」
「どこから?」
「分からない」
シオンが僅かに眉を動かす。
タクミは腕を組んだ。
「その程度なら、どこかで見られて噂になっててもおかしくはない」
悠斗はこれまでのことを思い返す。
EMBERの倉庫へ行ったこと。
ジンと話したこと。
街は、自分が思っているより狭い。
それでも、自分たちが「EMBERの人間」と思われるほどではない。
「ジンさんに確認できればいいんだけど」
アキラが言う。
悠斗は首を振った。
「連絡先持ってない」
「EMBERの他の人も?」
「ない」
蓮が考える。
「カイ経由は?」
「犯罪のことでカイを使いたくない」
「だよな」
そこでシオンが言った。
「なら放置」
悠斗も頷く。
「うん。俺たちは断ったんだから、それ以上触らない方がいい」
ジンの名前に近いものが出たからといって、自分たちから首を突っ込む必要はない。
そう決めた時、蓮が窓の外へ目を向けた。
「……あの黒いSUV」
「何?」
「さっきも通った気がする」
悠斗も見る。
大通りを黒いSUVがゆっくり通過していく。
「同じ車?」
「確信はない」
タクミが言う。
「なら今は決めつけない方がいい」
「うん」
悠斗はそう答えたものの、胸の奥に落ち着かないものが残った。
◇
数分後。
悠斗のスマートフォンへ、知らない番号からメッセージが届いた。
『断るならそれでいい』
続けてもう一通。
『余計なことまで調べるな』
喉が僅かに乾いた。
「……来た」
画面をアキラたちへ見せる。
「調べたの、何で分かった?」
蓮の声から軽さが消える。
タクミが画面を見る。
「まだ分からない」
「ナナが何かしたのバレた?」
「公開されてる投稿見ただけなら、普通は分からない」
「じゃあ何で」
「仲介側から漏れたか、最初からこっちの反応を見てたか……今の段階じゃ判断できない」
悠斗はすぐナナへ連絡した。
『悠斗:今どこ?』
『ナナ:もう家』
『悠斗:今日は出ないで』
『ナナ:何かあった?』
『悠斗:ちょっとだけ。あとで説明する』
数秒後。
『ナナ:分かった』
それを見て、少しだけ肩の力が抜けた。
「帰る?」
アキラが聞く。
「今すぐはやめた方がいいかも」
悠斗は店内を見る。
洗濯物を待つ客。
カウンターの店員。
普通に夜を過ごしている人たち。
「外で本当に誰か見てるなら、慌てて出る方が危ない気がする」
シオンが頷いた。
「少し待つ」
「俺もそれでいいと思う」
タクミも同意する。
五人はそのまま店内へ残った。
乾燥機の回転音だけが、さっきより耳につく。
◇
二十分ほど経った。
黒いSUVは戻ってこなかった。
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
その時、店の入口が開いた。
入ってきたのは二人組の男だった。
三十代ほど。
洗濯物は持っていない。
飲み物を買うでもなく、店内を見回す。
片方の視線が悠斗たちの席で止まった。
「神谷ってどれだ?」
心臓が強く鳴った。
誰もすぐには答えない。
悠斗は一度息を吸った。
「……俺です」
「少し外来い」
「用件は?」
「話だよ」
「ここで話せませんか?」
男の表情が少し硬くなる。
「面倒くせえな。ちょっと来いって」
シオンが静かに立ち上がった。
もう一人の男がそちらを見る。
上着の裾へ手をやった。
何を持っているのかは見えない。
悠斗の身体が強張る。
射撃場で握った拳銃の重さが、一瞬だけ蘇った。
自分は何も持っていない。
もし相手が武器を持っていたら、自分には何もできない。
「シオン」
悠斗が小さく呼ぶ。
シオンは動きを止めた。
「外には行きません」
悠斗は男を見る。
「話ならここで聞きます」
「お前、状況分かってる?」
「だから外へは行きません」
声が震えそうになるのを押さえる。
店員がこちらを見ていた。
無関係な客もいる。
ここで揉めたくない。
けれど外へ出る方が、もっと危険に思えた。
アキラも立つ。
「本人が嫌だって言ってるんで、ここでお願いします」
「お前には聞いてねえよ」
男が一歩近づいた。
その時、外で車のドアが閉まる音がした。
続けてもう一台。
二人組のうち一人が窓の外を見る。
表情が変わった。
濃い灰色のセダン。
その後ろに、黒い大型車。
さらに道路脇にはもう一台。
店へ入ってきた男を見て、悠斗も息を呑んだ。
篠原レオ。
以前、EMBERの倉庫で会った男だった。
レオは店内へ入ると、悠斗たちより先に二人組を見る。
「ここで何してる」
声は低く、短かった。
「……EMBERかよ」
「質問してる」
二人組は外へ視線を向ける。
灰色のセダンの近くには、すでに数人の男が立っていた。
レオ一人ではない。
EMBERとして来ている。
「話しに来ただけだ」
男が言う。
「なら今日は帰れ」
「黒瀬に伝えとけ。こっちは――」
「用があるなら自分で言え」
レオは遮った。
しばらく睨み合いが続く。
やがて男は小さく舌打ちした。
「行くぞ」
二人はそのまま店を出ていく。
道路の先に停まっていた黒いSUVへ乗り込み、走り去った。
完全に見えなくなってから、悠斗はようやく息を吐いた。
「……何でここに」
レオが悠斗を見る。
「お前らを探して来たわけじゃない」
「え?」
「今の連中、昨日からうちも別件で見てた」
悠斗は黙る。
「クラブ周辺で揉め事起こして、EMBERの名前まで勝手に出してた奴がいる。追ってたら、お前らに仕事振ってる話が入った」
なるほど、と悠斗は思うより先に背筋が寒くなった。
自分たちを助けるために突然EMBERが現れたわけではない。
EMBERはEMBERで、別の理由から動いていた。
その動線上に、自分たちが入ってしまった。
「じゃあ、あいつらが俺たちのこと知ってたのも……」
「どこまで知ってるかはまだ分からん」
レオが言う。
「お前らがうちの倉庫へ来たことを見てた奴がいてもおかしくないし、仲介から聞いた可能性もある」
「ナナが調べたのがバレた理由は?」
「それもまだ分からん。ボスが今調べさせてる」
タクミが初めて口を開いた。
「最初から依頼を受けるかどうか試されてた可能性も?」
レオがタクミを見る。
「誰だ、お前」
「桐谷タクミ」
「……まあ、その可能性もある」
レオは短く答えた。
「だから勝手に決めつけるな。今分かってるのは、あいつらがお前らへ接触したことと、うちも追ってるってだけだ」
悠斗は頷いた。
警察に捕まってから、慎重に動いたつもりだった。
条件を確認した。
怪しいと判断して断った。
それでも、危険の方から近づいてくることがある。
「神谷」
レオが呼ぶ。
「はい」
「今日は運がよかったな」
悠斗は返せなかった。
もしEMBERが別件で相手を追っていなかったら。
もしレオたちが少し遅れていたら。
店内で何が起きていたか分からない。
「ボスがお前と話したいってよ」
「ジンさんが?」
「ああ」
レオは悠斗だけではなく、蓮、アキラ、シオン、タクミへ順番に視線を向けた。
「お前らのことも見たいらしい。来るなら一緒でいい」
悠斗は仲間を見る。
誰もすぐには口を開かない。
最後に、全員の視線が自分へ戻ってきた。
以前なら、そのこと自体に困ったかもしれない。
今は少しだけ違う。
「……行こう」
悠斗が言う。
蓮が頷く。
アキラも。
シオンも。
タクミも、それぞれ静かに席を立った。
店の外には、EMBERの車が三台並んでいた。
悠斗はその光景を見ながら、改めて思う。
自分たちは、まだ何者でもない。
それなのに、知らないうちに誰かの目へ入るようになり始めていた。
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