第1章 第34話 神谷たち
翌日の午後七時前。
南部の空は薄い雲に覆われ、日が沈んだばかりの街には、まだわずかに青みが残っていた。古い商店や修理工場が並ぶ通りには仕事帰りの車が流れ、少し離れた高架道路から低い走行音が絶え間なく響いている。
悠斗たちは、依頼先の倉庫から少し離れたコンビニの駐車場へ集まっていた。
悠斗は銀色のセダンで来ている。助手席にはアキラ。
少し遅れて蓮の青いクーペが入り、その助手席から大河が降りてきた。
「全員いるな」
アキラが確認する。
「ナナからも来てる」
悠斗はスマートフォンを開いた。
『店が本当に閉店してるところまでは確認できた』
『倉庫も、前からその店が荷物を出し入れしてた場所らしいって話は複数拾えた』
『でも中身までは分からないから、現地でちゃんと見て』
最後に、
『調査代は忘れないでね』
と続いている。
悠斗は少し笑って、
『忘れない』
と返した。
「じゃあ行こう」
四人はそれぞれの車へ戻った。
◇
倉庫は古い商業地区の裏手にある、小規模な貸倉庫群の一角だった。
白い商用バンの横で、四十代ほどの痩せた男が待っている。
「水城君?」
「はい。昨日連絡した水城です」
アキラが先に応じた。
男も自分の名前を名乗り、身分証を見せる。
ナナから送られてきた名前と一致していた。
「こっちが神谷。あと久我と相馬です」
アキラが簡単に三人を紹介する。
「よろしくお願いします」
悠斗が頭を下げると、依頼人も軽く会釈した。
「若いのにちゃんとしてるな。じゃ、見てもらおうか」
倉庫を使用していることが分かる書類も提示される。
少なくとも、前に逮捕された時のように何も分からない状態ではない。
アキラが確認を続けた。
「今日運ぶのは、酒と店の備品で合ってます?」
「そう」
「追加があるなら、その場で先に教えてください。聞いてない物は勝手に運ばないので」
「分かったよ」
シャッターが上がった。
中には段ボール箱、小さな棚、折り畳み式のテーブル、古い看板などが並んでいる。
閉店した店の残り物らしい雑然とした空気があり、埃と木材、それにわずかな酒の匂いが混じっていた。
依頼人が箱をいくつか開ける。
中身はグラスや未開封の酒、店で使っていた小物だった。
悠斗は一通り見たあと、アキラと目を合わせる。
「聞いてた内容とは合ってそう」
「俺もそう思う」
蓮も箱を軽く覗き込み、大河は壁際の棚を見ている。
「問題なさそうならやる?」
アキラに聞かれ、悠斗は頷いた。
「うん。やろう」
「了解」
依頼人がそれを聞いて、少しだけ悠斗へ視線を向けた。
◇
作業を始める前に、もう一つ決めることがあった。
荷物は白い商用バンに積む。
だが、それを使えば悠斗と蓮の車がこの倉庫に残る。
「終わったあと戻ってくる足どうする?」
蓮が先に言った。
「前それで一回やらかしかけたしな」
アキラが苦笑する。
悠斗も覚えていた。
「依頼人の車は?」
「俺はこの白いバンで向こうまで行くよ。そのまま向こうに置いて、あとで知り合いに迎えに来てもらう」
依頼人が答えた。
それなら話は早い。
「じゃあ俺の車を先に搬入先へ置いてきた方がいいかな」
悠斗が言う。
「誰か乗せて戻る必要あるけど」
「俺行く」
アキラがすぐ答えた。
結局、悠斗とアキラが銀色のセダンで先に搬入先へ向かい、車を置く。
そこから依頼人の白いバンで二人だけ元の倉庫へ戻る。
仕事が終わった後は、搬入先に置いた悠斗のセダンで蓮と大河を元の倉庫まで送り、青いクーペを回収する。
「これなら置き去りは出ないな」
蓮が言った。
「たぶん」
「たぶんじゃなくて確認しろよ」
「……出ない」
「よし」
大河がそのやり取りを聞いて笑っていた。
「お前ら、ちゃんと考えるんだな」
「最近痛い目見たから」
アキラが言う。
悠斗は否定できなかった。
◇
車の配置を済ませたあと、作業を始めた。
悠斗とアキラが軽い箱を運び、蓮と大河が大きな物を担当する。
大河は棚を一人で持ち上げかけたが、途中で止まった。
「蓮、反対持って」
「一人でいけそうだけど」
「いけるけど、角ぶつけたら面倒だろ」
「ああ」
二人で運び出す。
悠斗はその様子を見て、少し印象を改めた。
体格に任せて何でも一人でやるタイプではない。
仕事そのものは意外と慎重だった。
一時間ほど経った頃、依頼人が倉庫の奥から赤い印のない段ボール箱を一つ持ってきた。
「悪い。これも一緒に頼めない?」
悠斗の足が止まった。
「それ、最初の荷物じゃないですよね」
「ああ。でも俺のだから大丈夫」
「中身は?」
「昔の仕事道具」
箱は封がされたままだった。
何が入っているかは分からない。
悠斗は少し迷ったが、前の逮捕を思い出した。
分からないまま持つ。
あとになって知らなかったと言っても、何の助けにもならない。
「すみません。中を確認できないなら、今日は運びません」
依頼人の眉がわずかに動いた。
「そこまでする?」
強く言われると、胸の奥が少し縮む。
それでも悠斗は目を逸らさなかった。
「最初に聞いてない物なので」
数秒の沈黙。
その横へアキラが自然に入る。
「追加があるなら相談って最初に確認しましたよね」
「ああ」
「中身を見せてもらえるなら考えます。無理なら今回は置いていきましょう」
アキラの口調は柔らかい。
だが、引く気はない。
依頼人は二人を見比べ、やがて肩をすくめた。
「分かった。じゃあいいよ」
箱は元の場所へ戻された。
「助かった」
悠斗が小さく言う。
「こういうの俺の仕事だろ?」
アキラが笑う。
「うん」
自分が全部できる必要はない。
違和感に気づいて止める。
その先は、もっと上手く話せる人に任せる。
それでいいのかもしれない。
作業を再開する時、大河は何も言わず悠斗の方を一度見てから荷物へ手を伸ばした。
蓮も当然のように作業へ戻る。
依頼人は、その様子を静かに見ていた。
◇
搬入先は南部から中央地区寄りにある別の倉庫だった。
白い商用バンは蓮が運転し、悠斗と大河が同乗する。アキラは依頼人と一緒に後続車へ乗り、到着後の確認を担当した。
夕方の混雑がまだ残る大通りを進んでいる途中、遠くでパトカーのサイレンが鳴った。
悠斗の胸がわずかにざわつく。
バックミラーを確認する。
こちらへ向かってくる様子はない。
蓮も速度を変えなかった。
「気になる?」
「ちょっと」
「まあ、今は普通に走ってりゃいい」
「うん」
それだけの会話だった。
以前なら、サイレンだけで逃げ道を考えていたかもしれない。
今は逃げる理由がない。
それを一つずつ自分へ言い聞かせる。
搬入先へ着くと、管理人らしい年配の男性がシャッターを開けて待っていた。
四人で荷物を運び入れ、最後に依頼人とアキラが数を確認する。
「全部あるな」
「追加分なし。聞いてた分だけです」
「うん。助かった」
依頼人は報酬の送金を済ませてから、悠斗たちを見回した。
「また似たような仕事があったら頼みたいんだけど」
最初に視線を向けたのはアキラだった。
「俺に連絡でもいいですよ」
「でも、さっき止めたの神谷君だったよな」
悠斗が少し驚いて顔を上げる。
「はい」
「水城君が話して、あとの二人も神谷君が決めたらそのまま動いてたからさ。中心なのかなって」
「いや、別に俺がリーダーってわけじゃ……」
蓮が横から笑った。
「まあ、だいたい最後に確認するのは悠斗だけど」
「ほら」
「蓮」
「事実じゃん」
大河も口元を上げた。
「今日も最初に『やる』って言ったの神谷だったしな」
悠斗は返す言葉に困った。
自分では、相談して決めているつもりだった。
誰かへ命令している感覚もない。
それでも外から見ると、そう見えるらしい。
依頼人は笑った。
「じゃあ次、神谷君らに頼みたい時は水城君へ連絡すればいい?」
「それなら大丈夫です」
アキラが答える。
「内容は先に全部教えてください」
悠斗も付け加えた。
「分かった。神谷君ら、結構細かいな」
少し前なら、その言葉を悪く受け取ったかもしれない。
今はむしろ、そのままでいいと思えた。
◇
白いバンは搬入先へ置いたままにし、四人はそこに先に停めてあった悠斗の銀色のセダンへ乗った。
助手席にアキラ。
後部座席に蓮と大河。
「狭い」
蓮が言う。
「俺のせいみたいに言うなよ」
大河が返す。
「半分お前のせい」
「じゃあ半分は車のせいだろ」
「車に謝れ」
くだらない会話を聞きながら、悠斗は元の倉庫へ車を走らせた。
四十分ほどで戻り、蓮が青いクーペを回収する。
そのあと近くのガソリンスタンドへ移動した。
今回の燃料代などの小さな経費は依頼人側が負担していたため、報酬二千ドルからナナへ調査代百ドルを送る。
残った千九百ドルは、現場へ出た四人で均等に分けた。
一人四百七十五ドル。
「ちゃんと入った」
大河がスマートフォンを確認する。
「仕事初回で金の揉め事とか嫌だからな」
アキラが言った。
「それは本当にそう」
蓮も頷く。
悠斗は飲み物を買い、四人で外のベンチへ座った。
仕事自体は地味だった。
銃声もない。
警察から逃げてもいない。
大金でもない。
それでも、自分たちで確かめ、自分たちで受けると決め、自分たちで終わらせた。
「また人足りなかったら呼んで」
大河が言った。
「今日ので懲りなかった?」
悠斗が聞く。
「普通に楽しかった」
「じゃあまた連絡する」
「おう」
それは、ごく自然なやり取りだった。
悠斗はスマートフォンへ目を落とす。
連絡先には、以前より名前が増えている。
蓮。
アキラ。
ナナ。
シオン。
タクミ。
そして今日、大河も加わった。
一人でこの街へ来た時には、電話帳を開いてもほとんど何もなかった。
今は違う。
その変化をぼんやり眺めていると、アキラのスマートフォンが震えた。
「ん?」
画面を開いたアキラの表情が、少しだけ変わる。
「どうした?」
蓮が聞く。
「知り合いから仕事の話」
アキラはしばらく内容を読んでいた。
「……ちょっと嫌な感じするな」
悠斗は顔を上げる。
「何が?」
「詳しくはまだ分かんない。場所と相手の名前だけ来てる」
アキラはすぐに返信を打つ。
「先に内容聞く。あと、必要ならナナにも見てもらおう」
「うん」
「タクミとかシオンにも、内容次第では聞くかもな」
悠斗は頷いた。
「それでいいと思う」
急いで受ける必要はない。
分からないなら確かめればいい。
自分一人で分からなければ、分かる人へ聞けばいい。
その当たり前のことを、ようやく少しずつできるようになってきた。
悠斗は缶を握ったまま、駐車場の向こうに並ぶ仲間たちの車を見た。
銀色のセダン。
青いクーペ。
まだ二台しかない。
それでも今夜、依頼人から初めてまとめて呼ばれた言葉が、妙に耳に残っていた。
――神谷君ら。
正式な名前なんてない。
そもそも、まだグループですらない。
けれど誰かの目には、もう少しだけ違って見え始めているらしかった。
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