第1章 第33話 俺たちで受ける仕事
乗務停止になって三日目の朝、悠斗は警察署の駐車場で銀色のセダンと再会した。
曇り空の下、見慣れた車体は数日前とほとんど変わっていない。もともとあった細かな傷も、薄く擦れた後ろのバンパーもそのままだ。
それでも、運転席のドアを開ける手は少し重かった。
シートへ座り、エンジンをかける。低い振動が足元から伝わってきた瞬間、バックミラーに赤と青の光が映った夜を思い出した。
警察に止まれと言われたのに、自分で逃げることを選んだ。
その結果、アキラまで巻き込んだ。
「……次は、逃げるかどうかもちゃんと考えよう」
口にすると、ひどく当たり前のことだった。
だからこそ、忘れない方がいい。
◇
警察署を出たあと、悠斗はそのままカイの働く整備工場へ向かった。
シャッターの開いた作業場から金属音が響き、奥では一台の車がリフトへ上げられている。工具箱の前にいたカイは、入ってきた銀色のセダンを見ると片手を上げた。
「お、戻って――」
悠斗が車から降りたところで、言葉が止まる。
「何、その顔」
「ちょっと話があって」
「車ぶつけた?」
「ぶつけてない」
「じゃあ何」
悠斗は一度息を吸った。
「……逮捕された」
「は?」
カイの表情が止まった。
「怪しい仕事に行って、警察が来て……逃げた」
「お前さ」
「うん」
「違法レースの次が逮捕って、順調に悪化してない?」
「……否定できない」
カイは額を押さえ、大きく息を吐いた。
「怪我は?」
「ない」
「一人?」
「アキラもいた」
「巻き込んだのか」
「うん」
そこだけは、まだ胸が痛んだ。
カイはしばらく黙っていたが、やがてセダンへ視線を移す。
「とりあえず車見る」
「怒ってるのに?」
「怒ってるのと車見るのは別」
「……そっか」
「そこ納得すんな」
短く確認を終えたカイは、車体から離れた。
「変なところはなさそう」
「よかった」
「で、犯罪やめるの?」
悠斗は少し黙った。
「全部やめるつもりはない」
カイは何も言わず、続きを待つ。
「でも、何も分からない仕事を言われるまま受けるのはやめる。今回仕事を回してきた人とも切った」
「それで安全になるとは思ってないよな?」
「思ってない」
「ならいい」
カイはレンチを工具台へ置いた。
「犯罪相談は俺にすんなよ」
「しない」
「車なら見る」
「うん」
「捕まる前に持ってこい」
「そこは気をつける」
「断言しろよ」
ようやく少し笑われた。
悠斗もつられて笑った。
◇
工場を出てしばらく走ったところで、スマートフォンに《仮》の通知が入った。
悠斗はコンビニの駐車場へ車を入れてから画面を開く。
『アキラ:仕事の話ある』
『悠斗:どんな?』
『アキラ:前に一緒に仕事した奴から』
『アキラ:閉店したバーの荷物を倉庫から別の保管場所に移したいって』
数日前のことが頭をよぎった。
すぐにアキラから続きが来る。
『アキラ:今回は依頼人の名前聞いてる』
『アキラ:現地で本人確認する』
思わず口元が緩んだ。
『悠斗:そこまで先に書かれると思わなかった』
『アキラ:誰のせいだよ』
『ナナ:名前送って。分かる範囲なら見る』
『蓮:車いる?』
以前とは少し違っていた。
誰か一人から仕事を与えられ、それに乗るかどうかを決めるだけではない。
アキラが話を持ってきて、ナナが確認し、蓮が必要な車を考えている。
『悠斗:何運ぶの?』
『アキラ:店で使ってた酒と備品。あと棚とか』
『悠斗:盗品じゃない?』
『アキラ:そこも確認する』
少し間があり、もう一通届く。
『アキラ:重い物あるから一人呼んでいい?』
『悠斗:誰?』
『アキラ:相馬大河』
知らない名前だった。
『アキラ:前に搬入の仕事で一緒だった。でかいけど話しやすい』
『蓮:名前は知ってる』
『蓮:たぶん会ったことある』
悠斗は少し考える。
知らない相手と会うことに緊張しないわけではない。
それでも、以前ほど「知らない」というだけで避けたいとは思わなくなっていた。
『悠斗:会ってみたい』
送信したあと、自分で少し驚いた。
前の自分なら、アキラに全部任せていたかもしれない。
◇
その日の夜、悠斗たちは南部にある大型ホームセンターの屋外駐車場へ集まった。
営業時間を終えた店の看板だけが白く浮かび、広い駐車場には数台しか車が残っていない。遠くの大通りを走る車の音だけが、ときどき静けさを破る。
悠斗が銀色のセダンを停めると、先に来ていたアキラが片手を上げた。
隣には見知らぬ男がいる。
大きい。
悠斗が最初に思ったのは、それだった。
身長も高いが、何より肩幅が広い。短く刈った黒髪に黒いTシャツ。黙って立っているだけなら、少し近寄りがたい。
けれど悠斗を見つけると、男はすぐ片手を上げた。
「神谷?」
「あ、うん」
「相馬大河。よろしく」
声は大きいが、表情は明るい。
悠斗も差し出された手を握る。
「神谷悠斗。よろしく」
「十七だっけ?」
「うん」
「若いなあ」
「大河が老けて見えるだけだろ」
アキラが横から言う。
「二十二だぞ俺!」
「見えない」
「お前あとで覚えとけよ」
怖そうという第一印象は、あっさり崩れた。
そこへ蓮の青いクーペが入ってくる。
車を降りた蓮が大河を見る。
「あれ、やっぱ見たことある」
「レースのとこ?」
「たぶん」
「じゃあほぼ初対面じゃん」
「名前は知ってた」
「便利な言い方すんな」
二人は顔見知り程度らしい。
少しして、アキラが本題へ戻した。
「で、最終的に受けるかどうする?」
大河が周囲を見る。
「誰が決めんの?」
「最近は、最後に悠斗へ聞くことが多い」
アキラが言った。
「俺?」
分かっていたはずなのに、改めて言われると落ち着かない。
蓮が笑う。
「何だかんだ最後に確認するのお前じゃん」
「そうだけど……」
大河が悠斗を見る。
「へえ」
その一言に妙な期待が混じっている気がして、少し居心地が悪かった。
悠斗は自分がリーダーのつもりで動いているわけではない。
分からないことを、分かる相手に聞く。
危ないと思えば相談する。
それを繰り返しているだけだった。
「まだ受けるとは決めないよ」
「それでいいんじゃね?」
大河はあっさり言った。
「変だったら帰ればいいし」
「俺もそのつもり」
「じゃあ飯行く?」
「何で今?」
「腹減った」
アキラが呆れた顔をする。
「お前、来る前に食ったって言ってなかった?」
「あれは来る前の飯」
「今は?」
「打ち合わせ後の飯」
蓮が吹き出した。
「こいつ面白いな」
「真面目なんだけど」
大河が不満そうに言い、悠斗も思わず笑った。
◇
ナナから確認結果が届いたのは、それから十分ほど後だった。
依頼人の名前で営業していたバーが実際に存在していたこと。
数週間前に閉店していること。
問題の倉庫も、以前からその店の荷物を出し入れしていた場所らしいという話が複数見つかったこと。
そこまでは確認できた。
最後に、
『ナナ:これ以上は分からない。現地でちゃんと確認して』
と付け加えられている。
「十分だと思う」
悠斗は画面を見ながら言った。
「明日、本人と話して、荷物も確認して、それで変だったらやめよう」
「賛成」
アキラが頷く。
「車は俺のでいい?」
蓮が聞く。
「量による。大きいなら別の車借りた方がいいかも」
「そこ現地で見る?」
「うん」
大河が手を上げる。
「俺は?」
「重いの頼みたい」
「分かりやすくていいな」
笑いながら答えた。
アキラが続ける。
「報酬は二千。ナナに調査代払って、必要な経費引いて、残りどうする?」
悠斗は少し考えた。
「現場に出る四人で同じでいいと思う」
「俺もそれでいい」
蓮が言う。
「異議なし」
アキラも頷いた。
大河が真顔で口を開く。
「飯代は?」
「自腹」
悠斗が即答すると、アキラと蓮が同時に笑った。
「何で即答なんだよ!」
「そこまで経費にしたら毎回赤字になりそうだから」
「俺そんな食わねえって」
三人が黙って大河を見る。
「……そんな食う?」
「さっき二回目の飯の話してたよな」
「それは別」
夜の駐車場に笑い声が響いた。
悠斗はその輪の中で、少しだけ肩の力を抜いた。
仕事を持ってきたのはアキラ。
調べたのはナナ。
車のことは蓮。
力仕事には大河がいる。
自分一人ではできないことでも、誰かと一緒なら選択肢が増える。
「じゃあ明日、四人で行こう」
悠斗が言うと、三人は自然に頷いた。
その反応が、少しだけ嬉しかった。
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