第1章 第32話 逮捕の代償
警察署を出てから一時間ほど後、悠斗たちは《SUNSET DINER》の奥の席に座っていた。
午後の混雑が一段落した店内には、食器を片づける音と古いスピーカーから流れる音楽が静かに重なっている。窓から差し込む西日がテーブルの端を照らし、厨房からは焼いた肉と油の匂いが漂ってきた。
悠斗の向かいには蓮とシオン。隣にはアキラが座り、ナナが注文した大皿のフライドポテトを中央へ寄せている。
「とりあえず食べなよ。二人とも、まともな飯食べてないでしょ?」
「腹は減ってる」
アキラはハンバーガーを持ち上げたまま、横目で悠斗を見る。
「でもまだこいつにはちょっとムカついてる」
「……ごめん」
「それ、何回目?」
「たぶん六回くらい」
「数えてたの?」
ナナが呆れたように笑う。
アキラも息を吐いたが、完全に怒りが消えたわけではなかった。
「別に絶交するほどじゃないけどさ。俺、止まれって言ったからな」
「うん」
「次また同じことしたら、本気でキレる」
「分かった」
「あと今日は俺のポテト取るな」
「それ関係ある?」
「ある」
ナナが吹き出し、蓮も肩を揺らした。
悠斗も少しだけ笑った。
昨夜、警察署の中にいた時には、こんなふうに笑えるとは思わなかった。
それでも、なかったことにしていい失敗ではない。
自分一人ならまだしも、アキラまで巻き込んだ。
そのことだけは忘れないようにしようと思った。
蓮がポテトを一本つまむ。
「で、銀色のセダンは?」
「まだ警察署。手続き終わったら取りに来いって」
「壊してないならいい」
「基準そこなの?」
ナナが言うと、シオンが静かに頷いた。
「壊れてないのは大事」
「車好き多すぎない?」
アキラが呆れる。
「カイには?」
シオンに聞かれ、悠斗の手が止まった。
「……まだ言ってない」
「言った方がいいと思う」
「うん」
違法レースへ出たことまではカイも知っている。
けれど逮捕は別だった。
何より問題なのは、カイではない。
タクシー会社だった。
警察からも、勤務先への報告が必要だと説明されている。
悠斗がレイヴンシティで初めて得た仕事。
犯罪で稼ぐ金が増えてきても、辞めようと思ったことはなかった。
街を走る理由になった。
知らない相手と話す練習にもなった。
カイとも、ジンとも、アリサとも、最初は客として出会った。
悠斗にとってタクシーは、単なる収入源ではなかった。
「悠斗?」
ナナに呼ばれ、顔を上げる。
「大丈夫?」
「……仕事、なくなるかもしれない」
口にすると、急に重く感じた。
蓮の顔から少し笑いが消える。
「タクシー?」
「うん」
アキラがハンバーガーを置いた。
「罰金もあるんだろ?」
「ある」
「いくら?」
「……かなり痛い」
「そこ濁すってことは相当だな」
悠斗は苦笑した。
払えない額ではない。
犯罪で稼いだ金があるからだ。
だからこそ妙な気分だった。
危険な仕事で稼いだ金が、犯罪の結果として消えていく。
「昨日の仕事、報酬千五百だったんだっけ?」
ナナが聞く。
「うん」
アキラが鼻で笑う。
「捕まった上に報酬ゼロだけどな」
「言わないで」
「事実じゃん」
「だから言わないでって」
蓮が吹き出す。
「最悪だな」
「蓮まで言うの?」
少しずつ、胸の奥に張りついていたものがほどけていった。
そんな時だった。
悠斗のスマートフォンが震えた。
画面に表示された名前を見た瞬間、笑いが止まる。
ユウジ。
『昨日どうなった』
悠斗はしばらく画面を見つめた。
「誰?」
ナナが聞く。
「……ユウジ」
アキラの顔が険しくなる。
「今?」
「うん」
「ここではやめとこう」
蓮が短く言った。
悠斗もすぐに頷いた。
「そうする」
以前、自分で決めたことがある。
この店を、犯罪の詳しい相談をする場所にはしたくない。
ミオや店を、自分たちの裏仕事へ巻き込みたくなかった。
悠斗はスマートフォンを伏せた。
「飯食ってから外出よう」
アキラが言う。
「うん」
それ以上、ユウジの話はしなかった。
◇
食事を終え、五人は店の外へ出た。
夕方の空気はまだ少し暖かく、西へ傾いた太陽が駐車場の車体へ赤みを帯びた光を落としている。
店の入口から少し離れた場所まで歩いてから、悠斗は改めてスマートフォンを開いた。
『悠斗:逮捕された』
すぐに既読が付く。
『ユウジ:マジか』
続けて、
『ユウジ:荷物は?』
悠斗は無言で画面を見つめた。
最初に聞くのがそれだった。
アキラが隣から覗き込む。
「……そこ?」
蓮も少し眉をひそめる。
悠斗は文字を打った。
『悠斗:取ってない』
『ユウジ:ならいい』
その一文を見た瞬間、不思議と気持ちが固まった。
今回、途中で帰らなかったのは自分だ。
警察から逃げたのも自分。
全部をユウジのせいにするつもりはない。
それでも、依頼人の名前も、倉庫への許可もはっきりしないまま仕事を回された。
そして今、悠斗とアキラが捕まったことより荷物の方を先に気にしている。
ユウジは友人ではない。
仕事を回す相手だ。
そのこと自体は悪くない。
けれど、今後も言われるまま仕事を受け続ける気にはなれなかった。
『悠斗:もうユウジから仕事は受けない』
送信する。
アキラが小さく口笛を吹いた。
「言ったな」
少し間があり、返事が来る。
『ユウジ:今回だけで切るのか?』
『ユウジ:お前も分かって受けてただろ』
悠斗は息を吐いた。
その通りだった。
『悠斗:逃げたのは俺の判断だから、それは俺が悪い』
『悠斗:でも依頼人も許可も確認できない仕事は、もう受けたくない』
そこで一度指が止まる。
ユウジから仕事を回してもらったことで、悠斗が裏社会へ足を踏み入れたのも事実だった。
あの仕事がなければ、今ここにいる仲間たちとも、違う形でしか出会えなかったかもしれない。
だからといって、危険まで見ないことにする必要はない。
『悠斗:今まで仕事回してくれたことは感謝してる』
送信する。
しばらく既読だけが続いた。
『ユウジ:分かった』
『ユウジ:じゃあもう回さない』
それきりだった。
敵になったわけではない。
友人だったわけでもない。
ただ、一つの仕事関係が終わった。
悠斗はスマートフォンを下ろした。
「終わった?」
ナナが聞く。
「うん」
「意外と普通に終わったな」
蓮が言う。
「仕事の関係だっただけだから」
口にしてから、悠斗は少し考える。
仕事の関係。
では、今隣にいる四人は何なのだろう。
蓮とは仕事でも会う。
アキラともそうだ。
ナナには調査を頼む。
シオンとは射撃場にも行った。
けれど、それだけではない。
何の仕事もない日に食事をする。
レースを見る。
くだらないメッセージを送り合う。
捕まれば迎えに来る。
少なくとも、ユウジと同じではなかった。
◇
その足で、悠斗はタクシー会社へ向かうことにした。
「送る」
蓮が言う。
「大丈夫。バスでも――」
「車ないじゃん」
「……まあ、そうだけど」
「送る」
二度目は断らなかった。
「じゃあお願い」
「最初からそう言え」
青いクーペの助手席へ乗り込み、営業所の近くまで送ってもらう。
降りる時、蓮は窓を開けた。
「終わったら連絡しろよ」
「うん」
「クビでも生きて帰ってこい」
「そんな大事件じゃないから」
「分かんねえぞ」
笑いながら走り去る青いクーペを見送り、悠斗は営業所へ向かった。
昼の出庫を終えた時間帯で、駐車スペースには空きが多い。奥では整備担当が一台のタクシーのボンネットを開けていた。
上司に事情を説明する。
勤務外だったこと。
自分の車だったこと。
警察から停止を求められたのに逃げたこと。
逮捕され、罰金と違反点数を受けたこと。
言葉にするたび、胃の辺りが重くなった。
すぐ解雇とはならなかった。
ただし、会社として正式な処分内容と運転資格への影響を確認するまで乗務停止。
その結果次第では、復帰できない可能性もある。
「……分かりました」
営業所を出た時には、夕方になっていた。
いつもなら自分も乗っている黄色いタクシーが、目の前の道路を走り抜けていく。
つい数日前まで当たり前だった景色が、少し遠く見えた。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
最初は蓮。
『終わった?』
続いてナナ。
『どうだった?』
アキラ。
『クビ?』
最後にシオン。
『飯いる?』
四人から、ほとんど同じタイミングで届いていた。
悠斗は営業所の前で立ち止まった。
『悠斗:とりあえず乗務停止。まだクビではない』
すぐに返信が返ってくる。
『アキラ:ギリ生存』
『ナナ:その言い方やめなよ』
『蓮:じゃあ今日は俺が足な』
『シオン:飯は?』
シオンだけ話が変わっていない。
悠斗は思わず笑った。
『悠斗:食べる』
送信する。
仕事を失うかもしれない。
罰金もある。
銀色のセダンもまだ戻っていない。
昨日までと同じ生活に戻れるかどうかも、まだ分からない。
それでも、四人から届いたメッセージを見ている間だけは、不思議と足元が揺らいでいる気がしなかった。
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