第1章 第28話 新しい名前
射撃場へ行ってから二日後。
夕方のタクシー勤務を終えた悠斗が休憩室で制服の上着を脱いでいると、ロッカーの上に置いていたスマートフォンが震えた。
画面を開けば、《仮》のグループチャットに新しいメッセージが届いている。
『アキラ:今日暇な奴、飯行かね?』
『蓮:行く』
『ナナ:早い』
『蓮:腹減ってる』
『ナナ:それはいつもでしょ』
悠斗は小さく笑い、そのまま返信した。
『悠斗:俺も行ける』
送ってから、少し考える。
『悠斗:シオンにも聞いてみる』
個別の画面を開き、
『今日、みんなで飯行くけど来る?』
と送る。
数分後に返ってきた答えは、やはり短かった。
『シオン:行く』
集合場所は西海岸寄りの大通りにある二十四時間営業のハンバーガーショップに決まった。
◇
夜の西海岸は、中央地区とは違った明るさがあった。
ホテルや飲食店の看板が通りを照らし、海側から吹く風には潮の匂いが混じっている。観光客を乗せたオープンカーが音楽を鳴らしながら通り過ぎ、その後ろを仕事帰りらしい古いセダンがのんびり走っていった。
悠斗が銀色のセダンを駐車場へ入れると、蓮の青いクーペがすでに停まっている。
少し離れた場所には白い小型車。
その車から降りてきたばかりらしいアキラが、悠斗に気づいて手を上げた。
「それ今日の?」
悠斗が白い車を指す。
「そう。知り合いから借りた」
「また?」
「俺の車みたいに言うなよ」
「最近、毎回違うから」
「それは否定できない」
二人で店へ入ると、奥の六人掛けテーブルには蓮とナナが先に座っていた。
蓮はすでにポテトを食べている。
「遅い」
「時間ちょうどだろ」
「俺は十分前に来た」
「それは蓮が早いだけだろ」
「最近、言い返すようになったな」
蓮が楽しそうに笑う。
「理不尽なこと言ってるからだろ」
「ほら、それ」
悠斗が椅子を引くと、ナナもくすりと笑った。
「悠斗、蓮相手だと結構普通になったよね」
「普通って何?」
「前より遠慮ない」
「蓮が遠慮させてくれないだけじゃない?」
「それはある」
アキラが即答した。
「お前ら酷くない?」
「自覚ないの?」
「ない」
そんなやり取りをしているところへ、入口のベルが鳴った。
シオンが一人で入ってくる。
黒いパーカーに濃色のパンツ。普段と大きく変わらない格好だった。
悠斗たちを見つけると、軽く手を上げて近づいてくる。
「おつかれ」
悠斗が言う。
「おつかれ」
空いていた端の席へシオンが座った。
そこで会話が一度途切れた。
仕事で顔を合わせたことはある。
けれど、こうして何の目的もなく五人で食事をするのは初めてだ。
アキラは何か話題を探すように口を開きかけたが、それより先にナナがメニューをシオンの方へ滑らせた。
「何食べる?」
「肉」
「ざっくりしてるね」
「肉ならだいたい好き」
シオンは真顔だった。
蓮がメニューを覗き込む。
「じゃあ一番でかいバーガーでいいじゃん」
「食べられる?」
「たぶん」
「たぶんで頼む量じゃないだろ」
悠斗が口を挟むと、シオンが少し考えてから、
「じゃあ普通の」
とあっさり変更した。
「素直だな」
アキラが笑う。
最初の妙な間は、それで少し薄くなった。
◇
料理が揃ってからも、シオンは四人ほど頻繁には喋らなかった。
蓮とアキラが車の話を始めれば聞いている。
ナナが質問すれば答える。
自分から話題を広げることは少ない。
それでも席を立とうとはしないし、時折小さく笑う。
悠斗は無理に会話へ引き込もうとはしなかった。
シオンはシオンのペースでここにいる。
それで十分だと思った。
「そういえば昨日のお金」
ナナがバーガーの包み紙を畳みながら言った。
「二百、ちゃんと受け取ったから」
「わざわざ報告する?」
アキラが尋ねる。
「する。大事だから」
「二百ドルが?」
「金額じゃないって」
ナナはポテトを一本摘まむ。
「仕事で調べたなら、友達でもちゃんと払ってほしいの。『知り合いなんだからタダでいいでしょ』って一番嫌い」
「それは分かる」
悠斗が言った。
「仕事として頼んだなら、払う方がいいと思う」
「でしょ?」
蓮も頷く。
「金で揉める奴、普通にいるからな」
「蓮が言うと妙に実感ある」
アキラが笑う。
「あるぞ。前に四人で仕事して、一人が『俺が一番危なかったから多く寄越せ』って言い出して、そのまま喧嘩」
「どうなったの?」
「二度と組まなくなった」
ナナが顔をしかめる。
「最悪」
「だから最初に決めた方がいいんじゃない?」
悠斗はテーブルに置かれた飲み物へ視線を落としながら言った。
「誰が何をやるとか、必要経費とか。その場でなんとなく分けるより」
アキラが笑う。
「なんか急にちゃんとしてる」
「揉めたくないだけ」
「そのうち悠斗だけレシート全部持ってそう」
「そこまではしないよ」
「絶対なくすタイプでもないよな」
ナナが言う。
「でも計算は?」
「……得意ではない」
「じゃあ駄目じゃん」
四人が笑い、少し遅れてシオンも小さく笑った。
悠斗はそれに気づいたが、何も言わなかった。
◇
食事を終え、五人で駐車場へ出た。
海からの風が先ほどより強くなっており、道路沿いの椰子の葉がざわざわと揺れている。
ナナがスマートフォンを確認しながら、アキラへ画面を向けた。
「これ、誰?」
「何?」
「さっき送ってきた人」
「ああ、タクミ」
悠斗が聞き返す。
「タクミ?」
「桐谷タクミ。二十一」
アキラが答える。
「機械とか電気系が得意な奴。仕事で何回か一緒になった」
蓮も名前には覚えがあるらしい。
「ああ。カメラとか電子ロック触るの早い奴?」
「そう、それ」
「何でもできるの?」
悠斗が尋ねる。
「何でもは無理。本人もそこはちゃんと言う」
アキラは肩をすくめる。
「車の電装とか監視カメラとか通信機器とか、そういうのに強い。あと簡単な電子ロックとか」
「へえ……」
「でも最近、前に組んでた連中と揉めたらしくてさ。仕事探してるんだって」
「何で揉めたの?」
ナナが興味を示す。
「そこまでは知らない。本人から聞いた方がいいだろ」
その答えには悠斗も頷いた。
片方だけの話で人を判断したくない。
「じゃあ今度、何かあったら呼んでみる?」
アキラが言った。
悠斗は少し考える。
「仕事の前に、一回会ってみたい」
「普通に?」
「うん」
「慎重だな」
蓮が言う。
「知らない人といきなり犯罪する方が怖くない?」
「まあ、それはそう」
ナナも頷いた。
「私はその方がいいと思う。どんな人か分からないまま仕事するより」
アキラはスマートフォンを操作する。
「じゃあ連絡先送る?」
「お願い」
数秒後、悠斗の画面に《桐谷タクミ》という新しい連絡先が表示された。
「連絡は俺からしていい?」
悠斗が尋ねる。
アキラが一瞬だけ目を瞬く。
「いいよ。むしろその方が早い」
悠斗は画面を開いた。
一度文章を入力する。
少し長い気がして消す。
もう一度入力し直した。
『初めまして。神谷悠斗です。アキラから連絡先を教えてもらいました。今度、一度会えませんか?』
これなら変ではない。
送信する。
「送った?」
ナナが横から尋ねる。
「送った」
「何て?」
「普通」
「普通が一番気になる」
「見せない」
「ケチ」
十数秒ほどして既読が付いた。
さらに返信。
『タクミ:水城から聞いた。いいよ。明日なら夜空いてる』
「返ってきた」
悠斗が言う。
蓮が車の鍵を指先で回しながら笑った。
「送ったなら、もう逃げられないな」
「逃げるつもりないよ」
「なら問題なし」
悠斗はもう一度画面を見る。
桐谷タクミ。
まだ顔も知らない。
どんな人間なのかも分からない。
仕事が本当にできるのか。
前の仲間と何があったのか。
信用できる相手なのか。
全部、これからだ。
『悠斗:明日の夜なら俺も大丈夫です』
返信を送る。
スマートフォンをポケットへしまうと、アキラが言った。
「じゃあ明日、俺も行くよ。最初くらい」
「助かる」
「俺も暇だったら行く」
蓮が続く。
「暇だったらって絶対来るやつじゃん」
ナナが笑った。
シオンは少し離れたところでその会話を聞いていたが、特に口を挟まない。
悠斗がそちらを見ると、シオンは一言だけ言った。
「会ってから決めればいい」
「うん。そうする」
それぞれが自分の車へ向かい始める。
夜の駐車場に、何台ものエンジン音が順番に響いた。
悠斗も銀色のセダンへ乗り込み、ドアを閉める。
スマートフォンの連絡先には、昨日までなかった名前が一つ増えていた。
それが仲間になる名前なのか、ただ一度会うだけの名前なのか。
今はまだ分からない。
だからこそ、まず会ってみようと思った。
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