第1章 第27話 初めての銃
シオンから射撃場へ誘われた翌日の午後。
タクシーの勤務を終えた悠斗は、従業員用の駐車場で銀色のセダンへ乗り換えた。
昼間まで空を覆っていた雲は西から少しずつ切れ始め、高層ビルの隙間から差し込む夕日が中央地区の道路を橙色に染めている。帰宅時間にはまだ少し早いせいか交通量は多すぎず、悠斗は助手席に固定したスマートフォンの案内を時々確認しながら南部へ向かった。
画面にはシオンから送られてきた二通のメッセージが残っている。
『十八時』
『遅れそうなら連絡して』
それだけだった。
相変わらず必要なことしか書かない。
信号待ちで時刻を見る。
十七時四十一分。
「……間に合うな」
小さく呟いたものの、胸の奥にはいつもとは違う緊張が残っていた。
銃。
実物を目にしたことならある。
シオンが腰元に隠していた拳銃もそうだし、裏仕事で会った人間が持っているのを見たこともあった。
生前ならもっと身近だった。
もちろん画面越しに、だ。
強盗の準備。
警察との銃撃戦。
ギャング同士の抗争。
配信の中では、誰もが当たり前のように銃を取り出していた。
けれど今日は、自分の手で触る。
それだけで、同じ物とは思えなかった。
◇
指定された射撃場は、南部の工業地帯へ入りかけた場所にあった。
低い灰色の建物の正面に、《RAVEN SOUTH SHOOTING RANGE》と控えめな看板が掛かっている。隣には十数台分の駐車場があり、その一角でシオンが悠斗を待っていた。
黒いパーカーに濃色のパンツ。
仕事の時とほとんど変わらない格好だ。
悠斗が車から降りると、シオンが軽く手を上げる。
「早い」
「五分前だけど」
「蓮なら遅い」
「蓮を基準にするのやめない?」
「なんで?」
「なんでって……」
本気で分かっていない顔をされ、悠斗は小さく笑った。
「ここって普通の射撃場?」
「普通」
「犯罪者向けとかじゃなくて?」
「そんな店あったら、警察も普通に来ると思う」
「……確かに」
二人で中へ入る。
想像していたより明るい施設だった。
受付前の壁には吸音材が張られ、ガラスケースには保護具や競技用らしい道具が並んでいる。奥から乾いた発砲音が時折響いてくるが、厚い壁のおかげで音はかなり抑えられていた。
受付の中年男性がシオンを見る。
「久しぶり」
「どうも」
「今日は連れか?」
「初めて」
男の視線が悠斗へ移った。
「年齢は?」
「十七です」
「なら貸出銃は使える。十六歳以上は身分確認と初回講習が必須だ。経験は?」
「ありません」
「じゃあ説明から。分からないことは勝手にやらずに聞く。それだけ守ってくれ」
「はい」
悠斗は身分証を出し、必要な手続きを済ませた。
初回講習では、係員が銃を持つ際の姿勢や扱い方を一つずつ実演していく。特に安全に関する部分は何度も確認され、悠斗もそのたび真剣に頷いた。
多少長くても退屈には感じない。
一つ間違えれば、大怪我では済まない道具なのだから当然だった。
説明が終わったところで、シオンが横から言う。
「緊張してる?」
「してる」
「正常」
「シオンは初めての時、平気だった?」
「怖かった」
予想していなかった返事に、悠斗は横を見る。
シオンはいつもの無表情に近い顔で続けた。
「怖くなくなったら危ないと思う」
「……そっか」
◇
射撃レーンへ入った瞬間、悠斗の肩がわずかに強張った。
耳を保護する装備を着けていても、発砲音の衝撃は完全には消えない。
隣のレーンから乾いた音が響くたび、腹の奥へ小さな振動が伝わってくる。
「……音、でかいな」
「動画だと小さくなる」
「本当に別物だな」
係員から初心者向けの拳銃を渡され、悠斗は両手で慎重に受け取った。
最初に感じたのは重さだった。
「思ったより重い……」
画面の中では、誰もが気軽に片手で持っていた。
実際に自分の手に乗ると、小さな物体なのに妙な存在感がある。
落としたくない。
変な方向へ向けたくない。
そう考えるほど、両腕へ力が入っていく。
「握りすぎ」
シオンが言った。
「分かる?」
「手、固い」
悠斗は息を吐き、少しだけ力を抜く。
係員の指示に従って姿勢を取り、正面の紙標的を見る。
距離は近い。
配信で見ていた頃なら、こんな距離で外す方が難しいと思っていたかもしれない。
自分がそこに立つと、そんな考えは完全に消えた。
「いける?」
シオンが尋ねる。
「……たぶん」
「無理ならやめてもいい」
「やる」
悠斗は呼吸を整えた。
手のひらが少し汗ばんでいる。
係員の確認を受け、教えられた通りに構える。
指先に力を込めた。
鋭い発砲音が弾ける。
「っ!」
反動で腕が跳ねた。
標的を見る。
紙のかなり外側に穴が一つ空いている。
「……当たった?」
「紙には」
思わずシオンを見る。
「そこ、もう少し褒めてもよくない?」
「初めてなら普通」
「普通か……」
二発目。
一発目より少し内側。
三発目はまた外側。
四発目は狙った位置から大きくずれた。
五発撃ったところで、悠斗は一度手を休めた。
「全然思ったところに行かない」
「当たり前」
「配信で見てた時は、もっと簡単そうだった」
「慣れてたんじゃない?」
「ゲームっていうのもあると思うけど……」
口にしてから、悠斗は一瞬だけ言葉を止めた。
シオンが首を傾げる。
「ゲーム?」
「昔、こういうのが出てくるゲームの配信をよく見てたんだ」
「へえ」
それ以上は聞いてこなかった。
悠斗は内心で少しだけ安堵する。
◇
休憩スペースへ戻る頃には、悠斗の腕に軽い疲労が残っていた。
数十分しか撃っていない。
それでも最初から力みすぎていたらしい。
自動販売機で買った水を一口飲み、ガラスの向こうにある射撃レーンを見る。
「シオンって、いつから撃ってるの?」
「十六くらい」
「最初から仕事で?」
「違う。知り合いに連れてこられた」
「その人に教わった?」
「少し」
シオンは炭酸飲料の缶を開ける。
「持つ前に一度撃っとけって言われた」
「銃を?」
「うん」
「それ、正しかった?」
「たぶん」
悠斗は少し考えた。
「俺も最近、危ない仕事増えてきたから……」
シオンがこちらを見る。
「欲しい?」
拳銃のことだとすぐ分かった。
悠斗は返事を急がなかった。
これから裏仕事へもっと深く入るなら、持っていた方がいい場面はあるかもしれない。
けれど、さっき撃った感触がまだ手に残っている。
「まだ分からない」
「うん」
「持ってれば安心って感じもしない。むしろ、今はちょっと怖い」
「その方がいい」
「やっぱり?」
「持っただけで強くなったと思う奴もいるから」
シオンは淡々と言う。
「撃たなくていいなら撃たない方がいい。持たなくていいなら、それでもいい」
「銃持ってるシオンが言うと説得力あるな」
「必要な時あるから」
少しだけ間を置く。
「でも、必要ない時まで使いたいとは思わない」
悠斗は黙って頷いた。
これまでシオンを、銃に慣れている戦闘担当として見ていた。
けれど当然、それだけではない。
「また来てもいい?」
「いいよ」
「次はもう少し真ん中に当てたい」
「紙には当たってた」
「だからそこ基準にするのやめよう」
シオンの口元がほんの少し緩んだ。
◇
外へ出る頃には、空は完全に暗くなっていた。
工業地帯の道路を大型トラックが走り抜け、低いエンジン音が駐車場まで響いてくる。
悠斗は銀色のセダンの前で足を止めた。
「今日はありがとう」
「別に」
「シオンから誘ってくれると思わなかった」
「興味ありそうだったから」
「……見てたんだ」
「見てた」
自分は人を見る方だと思っていた。
けれど相手も、自分を見ている。
そのことが少しくすぐったかった。
「飯行く?」
シオンが突然言った。
「え?」
「腹減った」
悠斗は一瞬戸惑ってから笑う。
「行く」
「何食べる?」
「シオンが誘ったんだから決めてよ」
「肉」
「広すぎるだろ」
車へ乗ろうとしたところで、悠斗のスマートフォンが震えた。
《仮》のグループチャットだった。
『アキラ:昨日の三千、明日ちゃんと分けようぜ』
『蓮:運転した俺が一番働いた』
『ナナ:事前調査した私が一番重要だった』
『アキラ:全員自分を一番にすんな』
悠斗は思わず笑った。
「何?」
シオンが尋ねる。
「昨日の仕事のメンバーが、また金の話してる」
「楽しそう」
「……うん」
悠斗は画面を見たまま少し迷った。
それからシオンを見る。
「シオン」
「何?」
「今度、みんなで何かする時……呼んでもいい?」
言ったあとで、ほんの少しだけ胸が緊張した。
シオンは数秒こちらを見てから、短く答えた。
「呼んで」
「うん」
悠斗は《仮》へメッセージを打つ。
『悠斗:今度シオンも呼んでいい?』
最初に返したのはアキラだった。
『アキラ:もちろん』
続いて蓮。
『蓮:いいよ』
最後にナナ。
『ナナ:《仮》なのにどんどん人増えるね』
悠斗はその文字を少しだけ眺めたあと、スマートフォンをポケットへしまった。
「行こうか」
「肉」
「分かったから」
二人で並んで車へ向かう。
耳の奥には、まだ乾いた発砲音の余韻が残っていた。
けれど今夜、悠斗の中に一番強く残ったのは、その音ではなかった。
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