第1章 第26話 三人で受ける仕事
翌日の二十一時二十五分。
悠斗が銀色のセダンで立体駐車場へ入ると、蓮の青いクーペはすでに昨日と同じ区画へ停まっていた。
昼過ぎまで降っていた雨のせいで、コンクリートの床にはところどころ暗い湿り気が残っている。吹き込んでくる夜風には、濡れたアスファルトと排気ガスの匂いが混じっていた。
悠斗が車を隣へ停めると、蓮が運転席から顔を出す。
「一分遅刻したら飯だったのに」
「まだ五分前だろ」
「惜しかったな」
「何がだよ」
ドアを閉めたところで、階下から別のエンジン音が上がってくる。
黒いセダンが少し離れた場所へ停まり、アキラが降りてきた。
「それ、今日も借り物?」
「うん。終わったら返す。だからあんまり遅くなると面倒」
そう言ってから、アキラはスマートフォンを取り出した。
「ナナから追加来てるぞ」
《仮》には、十分ほど前に送られたメッセージが残っていた。
『ナナ:高城タツヤ本人かは最後まで確認できなかった。店の登録名義は別の人。噂以上のものは見つからない』
『ナナ:あと第七码頭、夜も普通に物流動いてるみたい。人がいない倉庫街だと思わない方がいい』
悠斗は画面を見ながら頷く。
『悠斗:ありがとう。終わったら連絡する』
すぐに既読がついた。
『ナナ:捕まった時は連絡できないと思うけどね』
「縁起悪っ」
横から覗いた蓮が笑う。
『アキラ:その時は俺が連絡する』
『ナナ:二人とも捕まったら?』
『蓮:悠斗が逃げ切る』
『悠斗:なんで俺だけなんだよ』
悠斗が返すと、今度はナナから笑っているスタンプが届いた。
短いやり取りが終わったところで、アキラが端末をしまう。
「で、港までは誰の車?」
「俺のでいいんじゃない?」
悠斗が自分の銀色のセダンを見ると、蓮が首を振った。
「帰りのこと考えろ。仕事のバンで南まで行くんだろ?」
「あ……」
「港に自分の車置いたら、あとで取りに戻るの面倒だぞ」
悠斗はそこで初めて気づいた。
「じゃあ、どうする?」
「俺の車で港まで行って、青いのは港近くの駐車場に置く。バンは仕事が終わったら指定された場所に置いて、そこから配車でも使って戻ればいいだろ」
蓮が言う。
アキラも頷いた。
「俺の借り物はここに置いとく。帰ってきてから返す」
「……最初から帰りのことまで考えないと駄目なんだな」
「今さら何言ってんの」
アキラが笑う。
「行きだけ考えてた?」
「少し」
「危な」
悠斗は気まずそうに視線を逸らした。
こういうところだ。
人を選ぶことや役割を考えるところまでは少しできるようになった。
けれど、仕事全体を最初から最後まで見通すとなると、まだ抜ける。
「じゃあ蓮の車で行こう」
「決まり」
◇
港湾地区へ近づくほど、道路を走る大型車が増えていった。
コンテナを積んだトレーラー。
夜間配送のトラック。
作業員を乗せた古いワゴン。
遠くには巨大なクレーンの赤い警告灯が点滅し、海側からは低い汽笛が響いてくる。
「思ってたより普通に人いるな」
悠斗が窓の外を見ながら呟く。
「港なんだから当たり前だろ」
蓮は前を向いたまま答えた。
「ナナも言ってたじゃん」
後部座席のアキラも続ける。
「勝手に犯罪者しかいない場所だと思ってた?」
「そこまでは思ってないけど……もっと暗い倉庫ばっかりかと」
「映画見すぎ」
配信でも、港は何度も犯罪の舞台になっていた。
けれど実際には、犯罪者のためにある場所ではない。
何百人もの人が働き、商品を運び、夜勤をしている。
その中へ、自分たちが勝手に裏仕事を持ち込んでいるだけだ。
第七码頭へ入る手前で、蓮が速度を少し落とした。
「十八って、あれか?」
大きな数字が倉庫の壁に描かれている。
広い敷地の奥には白い貨物バンが一台。
その横に男が二人立っていた。
「一回通り過ぎない?」
悠斗が言うと、蓮が頷いた。
「俺もそのつもり」
青いクーペは速度を落としすぎず、そのまま前を通過する。
悠斗は横目で倉庫を確認した。
外に男が二人。
見える範囲では武器はない。
倉庫のシャッターは半分開いていて、中には作業灯が点いている。
ただし奥までは見えない。
一周して少し離れた道路へ停める。
「中にもいるな」
アキラが言った。
「たぶん一人か二人」
「……ユウジに聞く」
悠斗はメッセージを送る。
『倉庫に何人いる? 聞いてたより多そう』
一分ほどで返事が来た。
『高城側三人の予定。積み込みまでは向こうがやる』
「三人予定だって」
「見えてた二人と、中に一人なら合うな」
蓮が言う。
悠斗は頷きかけて、そこで止まった。
「……あ」
「何?」
「バン、仕事終わったあとどこ置くか聞いてない」
アキラが吹き出した。
「今気づいた?」
「ごめん」
悠斗はすぐに追加で送る。
『バンは荷物届けたあとどうする?』
『受け渡し先の敷地に置いていい。鍵は相手へ渡せ』
「よし」
蓮が言う。
「これで帰りは配車使って港戻れる」
「先に聞いといて良かった……」
「抜けてたけどな」
「分かってる」
それでも、出発してから気づくよりはましだった。
◇
倉庫十八へ入ると、外にいた一人が手を上げた。
三十代くらい。
作業着の上に黒いジャケットを羽織っている。
「ユウジの紹介?」
アキラが先に降りる。
「そう。三人」
「どれが神谷?」
突然本名を出され、悠斗の身体がわずかに固くなる。
「……俺です」
「若いな」
男はそれ以上興味を示さなかった。
「高城だ。車はこれ」
目の前の白い貨物バンを顎で示す。
ナナが調べた中古品店の人物と同じ人間なのかは分からない。
その場で確かめる術もない。
近くにはもう一人。
倉庫の中からは台車を押した三人目が出てきた。
人数は聞いていた通りだった。
「ユウジから、俺の名前まで聞いてるんですね」
悠斗が言うと、高城は一度だけ視線を向ける。
「仕事受ける奴の名前くらい聞く」
「……そうですか」
それだけで済ませた。
けれど内心では少し引っかかった。
自分がどこまで名前を出すのか。
裏仕事相手へ、本名がどこまで回っているのか。
これも今後考えた方がいい。
台車には木箱が四つ積まれていた。
一つ一つは大きくないが、二人で持った方がよさそうな重さに見える。
「中身は?」
悠斗が尋ねる。
高城が眉を上げた。
「聞いてないのか?」
「盗品とは聞いてます。運ぶ時に気をつける物か知りたいだけです」
「精密機械の部品。落とすな。濡らすな」
「危険物は?」
「ない」
悠斗は少し迷った。
「……こういう荷物って、位置を追われたりしないんですか?」
高城が少し笑う。
「慎重だな」
「一応」
「その辺はこっちで見てる」
断言されても、完全に信用することはできない。
蓮も木箱を眺めている。
「外だけ見ていい?」
「好きにしろ」
三人で箱の外側を確認する。
目立つ機器や発信器らしいものはない。
それ以上は開けなかった。
今回、自分たちはあくまで運搬役だ。
どこまで確認するべきか、その線引きもまだ曖昧だった。
高城からキーを渡され、蓮が運転席へ座る。
悠斗が助手席。
アキラは後ろの補助席へ座った。
「到着場所は?」
高城が端末へ住所を送る。
南部の工業地帯。
小さな中古品倉庫だった。
「着いたら裏へ回せ。向こうに二人いる」
「了解」
アキラが答える。
高城は最後に悠斗を見る。
「事故るなよ。中身の方が車より高い」
悠斗は一瞬黙る。
「……それ、先に言ってほしかったです」
横で蓮が吹き出した。
◇
港を出て十五分。
今のところ、何も起きていない。
蓮はいつもよりずっと穏やかに運転していた。
加速も減速も滑らかで、車間も広めに取っている。
「もっと飛ばすのかと思ってた」
悠斗が言う。
「荷物積んでんだぞ」
「レースの時と全然違う」
「そりゃそうだろ。速けりゃいいってもんじゃない」
蓮は前を見たまま答えた。
その言葉だけで十分だった。
後ろからアキラが声をかける。
「次の交差点、警察いる」
悠斗の肩が固くなる。
前方。
道路脇にパトカーが一台停まっている。
警察官が二人。
一台ずつ止めているわけではない。
トラックの運転手と話しているだけにも見える。
「どうする?」
蓮が少し声を落とす。
「普通に行こう」
悠斗は答えた。
「急に曲がる方が変だと思う」
「了解」
バンはそのまま進んだ。
警察官の一人がこちらを見る。
悠斗は不自然に顔を背けないよう意識しながら、前を見る。
十メートル。
五メートル。
横を通過する。
何も言われない。
数十メートル進んでから、アキラが息を吐いた。
「止められたら何て言うつもりだった?」
「配送」
蓮が即答する。
「雑すぎるだろ」
「じゃあお前は?」
「夜間配送。積み荷は依頼主の荷物って言う。細かく聞かれたら、その時点でかなりきつい」
悠斗が眉を寄せる。
「伝票とか、聞かれる?」
「場合によるんじゃない?」
「……そこまで考えてなかった」
アキラが笑う。
「また抜けたな」
「うん」
「まあ今気づいたなら次に活かせばいい」
悠斗は素直に頷いた。
ただ運ぶだけでも、足りないものが次々見えてくる。
車。
運転。
会話。
情報。
準備。
生前、画面越しに見ていた時には簡単そうに映っていた仕事も、実際には細かい判断の積み重ねだった。
◇
南部の受け渡し場所へ着いたのは、二十二時四十三分だった。
古い工場と倉庫が並ぶ一角。
指定された建物の裏には男が二人待っている。
「高城の荷物?」
アキラが答える。
「四箱」
「開けるぞ」
男が木箱へ手をかける。
「ちょっと待ってください」
悠斗が反射的に声を出した。
男がこちらを見る。
そこで悠斗は言葉に詰まった。
「あの……こっちは、届けるところまでって聞いてて……」
声が少し硬い。
言いたいことはある。
でも、うまくまとまらない。
その横からアキラが自然に前へ出た。
「こっちは四箱を届けるところまでしか聞いてない。開けるなら、高城かユウジに確認取ってからにしてくれ」
「毎回やってる」
「毎回かどうかはこっちには分からない。勝手に開けて問題出たら、こっちまで巻き込まれる」
男の表情が少し険しくなる。
「面倒だな」
「分かる。でも確認一本で済む話だろ」
アキラの口調は穏やかだった。
強く出すぎない。
でも引かない。
悠斗は黙ってそのやり取りを見る。
自分が止めた。
言葉にするのはアキラがやった。
その方が、今はずっと自然だった。
男は舌打ちして端末を取り出した。
二分ほどして、短く言う。
「確認取れた。開ける」
「どうぞ」
木箱の一つが開けられる。
中には緩衝材に包まれた金属製の機械部品が並んでいた。
少なくとも、見た瞬間に銃や薬物と分かる物ではない。
四箱すべて数量を確認し、受領側が端末へ署名する。
その画面を悠斗も確認した。
「バンはここ置いてっていいんですよね?」
「ああ。鍵も置いとけ」
悠斗はようやく息を吐いた。
「終わり?」
「終わり」
蓮が大きく肩を回す。
「何も起きなかったな」
「それが一番いいだろ」
アキラが笑った。
◇
仕事完了の連絡をユウジへ送ると、十分もしないうちに三千ドルの入金通知が届いた。
そのあと三人は配車サービスを呼び、南部から港へ戻った。
車内では蓮が助手席、悠斗とアキラが後部座席へ並ぶ。
「俺、自分の名前まで向こうに渡ってると思ってなかった」
悠斗が言う。
「ユウジ経由なら、まあありえるだろ」
アキラが答える。
「嫌なら今度から聞いといた方がいいかもな。誰に何を伝えるのか」
「うん」
「そのうち名前変えて仕事する奴とかもいるけど、今のお前が急にそれやると逆に怪しいし」
「じゃあ、まず確認するところからか」
「そういうこと」
港へ戻ると、蓮の青いクーペはそのまま残っていた。
三人で立体駐車場へ戻り、アキラは自分の借りた黒いセダンを確認すると腕時計を見る。
「やば。返却時間ギリ」
「先行っていいよ」
「じゃあ悪い、金の話は明日な」
「うん」
「ナナの二百忘れんなよ」
「分かってる」
アキラは慌ただしく車へ乗り込んで出ていった。
蓮も青いクーペのドアを開ける。
「じゃ、俺も帰る」
「今日はありがとう」
「別に。次あったらまた呼べ」
「うん」
少し間を置いてから、蓮が付け足した。
「どうせ最後に決めるの悠斗だろ」
「……それ、何?」
「なんとなく」
蓮は笑って車へ乗り込んだ。
悠斗は返事に困ったまま、その背中を見送る。
まだ正式なチームになったわけでもない。
決まった名前もない。
それでも今日、自分たちは一緒に一つの仕事を終えた。
悠斗が銀色のセダンへ戻り、《仮》へ完了報告を送る。
『悠斗:終わった。全員無事』
すぐにナナから返信が来た。
『ナナ:おつかれ。私の二百忘れないでね』
『悠斗:忘れてない。明日渡す』
その直後。
別の通知が一件届いた。
送り主は、御影シオン。
『シオン:今度、射撃場行く?』
悠斗の指が止まる。
少しだけ画面を見つめてから、ゆっくり返信した。
『悠斗:行きたい』
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