第1章 第21話 四人で集まる理由
ナナから連絡が来たのは、銀色のセダンを買ってから三日後の夕方だった。
『今日空いてる? この前言ってた飯、アキラと蓮も行けるって』
タクシー会社の休憩室でメッセージを読んだ悠斗は、少しだけ指を止めた。
四人で食事をする。
ナナと二人で会った時に出ていた話なので、突然の誘いではない。それでも実際に予定が決まると、胸の奥に小さな緊張が生まれた。
前世では、複数人で食事へ行く予定などほとんどなかった。学校に通っていた頃ですら、昼休みは一人で過ごすことの方が多かった。
誰か一人と話すだけでも緊張していた自分が、今は四人で飯を食べようとしている。
『行けます』
今回は、それほど迷わず返信できた。
すぐにナナから店の場所が送られてくる。
南部地区にある、小さなタコス店だった。
悠斗は勤務終了後、そのまま自分の車で向かうことにした。
◇
夜の南部地区は、中央地区とは違った賑やかさがある。
古い建物の間に派手な看板が並び、路上では大きめの音楽を流した車が信号待ちをしている。交差点の向こうには修理工場や酒場の明かりが見え、そのさらに奥には倉庫街の暗い輪郭が広がっていた。
指定された店は、大通りから一本入った角にあった。
悠斗が駐車スペースへ銀色のセダンを入れると、店の前に立っていたアキラがすぐに気づいた。
「それ買った車?」
「うん」
「思ったより普通だな」
「会った瞬間にそれ?」
「悪い意味じゃないって。悠斗っぽい」
「最近そればっか言われる」
「みんな同じこと思ってるんじゃない?」
アキラが笑う。
少し離れた場所には、見慣れた蓮の青いクーペも停まっていた。
「蓮は?」
「もう中。ナナさんもいる」
「まださん付けなんだ」
「……急に変えるのも変じゃない?」
「そこ気にするんだ」
アキラは面白そうに笑いながら店の扉を開けた。
中は二十席ほどしかなく、壁には色褪せたポスターが貼られている。鉄板で肉を焼く香ばしい匂いと、香辛料の少し刺激的な匂いが混ざっていた。
奥のテーブルでは、蓮とナナがすでにメニューを広げている。
「遅い」
ナナが言う。
「まだ約束の時間二分前ですけど」
「私が先に来てたから遅い」
「その基準おかしくないですか」
「また敬語」
「……まだ慣れてないから」
「まあいいけど」
ナナは楽しそうに笑った。
蓮が空いている椅子を足で軽く引く。
「座れよ。アキラが奢るって」
「言ってねえよ」
後ろから入ってきたアキラが即座に否定した。
「じゃんけんな」
「絶対嫌です」
悠斗が先に拒否すると、三人の視線が集まった。
「何?」
「いや」
アキラが笑いを堪えるように口元を押さえる。
「悠斗が一番最初に拒否すると思わなかった」
「だって三人とも俺より食べそうだから」
「賢くなったな」
「そこ評価する?」
そんな話をしながら席へ着く。
最初の数分は、やはり少しだけ居場所に困った。
二人なら会話する相手が決まっている。
四人になると、話の流れが急に変わる。
アキラとナナが同時に話し始めた時など、どちらを見ればいいのか分からず、一瞬だけ視線が泳いだ。
蓮がそこへ割り込み、今度はナナが悠斗へ話を振る。
自分を飛び越えて会話が進むこともある。
突然三人から答えを待たれることもある。
けれど、以前のように「何か話さなければ」と焦ることはなかった。
話せる時に話せばいい。
分からなければ聞いていればいい。
それだけで、不思議と楽だった。
「そういや銀セダン、もう東まで走ったんだろ?」
蓮が注文したタコスを受け取りながら言う。
「一緒に行っただろ」
「ハルトにレース誘われた話」
「ああ」
アキラが顔を上げる。
「レース出んの?」
「まだ日程は決まってないけど、初心者でも走れる時に」
「悠斗が?」
「その反応何?」
「いや、最初会った時めちゃくちゃ安全運転だったから」
「今も安全運転だよ」
「裏仕事してるのにそこは真面目なんだな」
ナナが笑う。
「裏仕事と運転は別だろ」
蓮が言うと、ナナがすぐ返した。
「それ、カイの前でも言える?」
「絶対言わない」
三人が笑う。
悠斗もつられて笑った。
こういう時間が欲しかったのだと思う。
何か大きな事件があるわけでもない。
仕事の相談でもない。
ただ同じテーブルを囲んで、どうでもいい話が続いている。
配信で何度も見た光景だった。
けれど、画面越しで見ていた時には分からなかったことがある。
仲間同士の会話は、ずっと面白い話をしているわけではない。
誰かが注文を間違えたり、飲み物を取ってくれたり、他人の皿から勝手に一個取って怒られたりする。
「それ俺の」
「一個くらいいいだろ」
蓮がアキラのポテトを取る。
「じゃあお前のタコス半分よこせ」
「価値違いすぎる」
「人のポテト取っといて文句言わないの」
ナナが呆れたように言う。
くだらない。
本当に、くだらない。
だからこそ、悠斗は楽しかった。
◇
食事が終わる頃には、店内の客も少し減っていた。
ナナがスマートフォンを確認しながら、ふと思い出したように言う。
「そういえば、前に話した怪しい仕事。似た書き込み、もう一件増えてた」
悠斗の意識が少し切り替わる。
「何か新しいこと分かった?」
「まだ正体までは。ただ今回は、断ったあとに別の番号から同じ車の話を持ちかけられたらしい」
アキラが眉を上げる。
「別番号?」
「うん。最初の相手を断った数時間後。報酬も行き先もほぼ同じ」
「それなら偶然よりは繋がってそうだな」
蓮が言う。
「でも断定はしない」
ナナは画面を伏せた。
「同じ奴が番号変えてるのか、何人かで同じ仕事回してるのか、元の依頼主が別にいるのかまでは分からない」
「前より一個だけ進んだ感じか」
悠斗が言うと、ナナが頷く。
「そんな感じ」
悠斗は少し考える。
以前なら、不審な依頼が来ても一人で悩んでいた。
受けるか。
断るか。
誰を信用するか。
今は違う。
蓮なら車のことを聞ける。
ナナなら噂を拾える。
アキラなら相手の言葉や条件の不自然さに気づくかもしれない。
自分にはできないことを、それぞれが普通にやっている。
「……次また来たら、みんなに聞いてもいい?」
三人が悠斗を見る。
「何を?」
アキラが尋ねる。
「怪しい仕事」
悠斗は少し言葉を選んだ。
「俺一人で判断するより、蓮に車のこと聞いて、ナナさんに似た話がないか見てもらって、アキラには相手の話がおかしくないか聞いた方がいいかなって」
ナナがそこで口元を上げた。
「今、ナナさんって言った」
「そこ?」
「気づいてる?」
「……何が?」
「さっきより普通に呼んでる」
悠斗は一瞬だけ黙った。
確かに、前より言いやすくなっていた。
「じゃあ、次はさん無し目標ね」
「目標にするもの?」
「悠斗には必要そう」
「それは否定できないけど……」
アキラが笑う。
「話戻していい?」
「どうぞ」
「俺は別にいいよ。怪しい仕事なら見せてくれれば」
「情報も見られる範囲なら見る」
ナナも頷く。
蓮は残っていた飲み物を一口飲んでから、
「車なら分かる範囲でな」
と答えた。
あまりにも普通の返事だった。
悠斗が少し拍子抜けしていると、アキラが眉を上げる。
「何その顔」
「いや……もっと迷惑かなって」
「毎日十件送ってきたら迷惑」
ナナが言う。
「それは送らない」
「じゃあいい」
「悠斗って変なところ遠慮するよな」
蓮が笑う。
前世から染みついていた癖なのだと思う。
誰かへ頼めば迷惑をかける。
頼らない方がいい。
自分でできないなら諦めた方がいい。
ずっと、そう考えてきた。
けれど最近は、それだけが正しいわけではないと少しずつ分かってきた。
「じゃあさ」
アキラがスマートフォンを取り出した。
「いちいち個別に連絡するの面倒だし、四人のグループ作る?」
悠斗は一瞬、固まった。
「グループ?」
「連絡用。飯でも仕事でも何でも」
「いいじゃん」
ナナは即答した。
「俺も」
蓮も気軽に頷く。
三人の視線が最後に悠斗へ集まった。
断る理由はない。
「……うん。俺も」
「じゃあ決まり」
アキラが手早く操作する。
数秒後、悠斗のスマートフォンが震えた。
新しいグループへの招待。
参加者は四人。
水城アキラ。
久我蓮。
雨宮ナナ。
神谷悠斗。
グループ名は、
《仮》
だった。
「名前雑すぎない?」
「正式な集まりでもないだろ」
アキラが笑う。
「じゃあ誰か考えて」
「別にこのままでいいんじゃない?」
蓮が言う。
「必要になったら変えれば」
「その頃にはこの名前に慣れてそう」
ナナが言う。
《仮》という雑な名前のグループが一つ増えた。
ただ、それだけのことだ。
それでも悠斗には、少し嬉しかった。
◇
店を出ると、夜の南部地区には相変わらず車の音と人の声が満ちていた。
蓮は青いクーペへ向かい、アキラは少し離れた路上へ停めてある車へ歩いていく。
ナナだけが店先でスマートフォンを見ていた。
「どうしたんですか?」
「バスの時間見てる」
画面には次の便まで二十分ほどと表示されている。
悠斗は自分の銀色のセダンへ視線を向けた。
行き先を聞けば、途中までなら送れるかもしれない。
そう思ってから、少しだけ迷った。
頼まれていない。
余計なお世話かもしれない。
前世なら、そこで何も言わず帰っていただろう。
「ナナさん」
「ん?」
「帰り、中央寄りでしたよね」
「うん」
「俺もそっち通るから……途中までなら送ろうか?」
口にしたあとで、少しだけ緊張した。
ナナは一瞬目を丸くしたが、すぐに笑う。
「じゃあお願い」
「うん」
「あと」
「何?」
「今のはまだナナさんなんだ」
「……今日はこれでいいだろ」
「はいはい」
からかうように笑うナナを見て、悠斗も小さく笑った。
蓮を助手席に乗せて走った時とは違う。
今回は、自分から「送ろうか」と声をかけた。
それだけの違いだった。
けれど悠斗にとっては、その小さな一歩の方が、自分の車を持ったことと同じくらい大きく感じられた。
悠斗は銀色のセダンの鍵を取り出し、ナナと並んで駐車場へ歩き出した。
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