第6章 第202話 五人の判断
夕方、悠斗の運転する白いヴェローチェがNOXの拠点へ入った。
助手席には玲奈が座っている。午後にイベント会社を訪ねた二人は、そのまま拠点へ戻ってきたところだった。
駐車場に車を停めると、玲奈がスマートフォンを確認した。
「蓮たちには連絡してあるから、集まるまでに資料を整理しましょう」
「うん。明日の話し合いで、いい方向に進められるといいね」
「そうね。でも、条件が合わなければ無理に決める必要はないわ」
二人は車を降り、小会議室へ向かった。
玲奈は長机に資料を広げ、タブレットを起動した。悠斗も隣に座り、昼間の話し合いで確認した内容を一緒に整理していく。
借入の返済、社員の雇用、三か月後の大型イベント。会社を引き継ぐとなれば、考えなければならないことは多い。
中でも悠斗が気になっていたのは、峯岸のことだった。
「……やっぱり、会社を手放すのは嫌なんだろうね」
玲奈が資料から顔を上げた。
「自分で立ち上げて、ここまで育てた会社だからね。簡単には決められないと思う」
「できれば、峯岸さんにも残ってもらいたいな」
「実は、そのことで一つ考えている案があるの。みんなが揃ったら話すわ」
玲奈はそう言って、再び資料へ目を戻した。
しばらくして、廊下から聞き慣れた声が近づいてきた。
「お、もう来てたのか」
扉を開けた蓮の後ろには、ナナ、アキラ、シオンが続いていた。
「うん。先に資料を整理してたんだ」
「準備いいじゃん。で、会社の方はどうだった?」
「それを今から話すところだよ」
四人が席に着くと、玲奈は資料を全員が見やすい位置へ寄せた。
「じゃあ、始めましょうか」
*
玲奈が最初に説明したのは、会社の現在の状況だった。
大口の取引先を失ってから資金繰りが悪化し、今月の借入返済さえ厳しくなっている。峯岸は会社の車両を売却することまで考えていた。
「車って、フェスで使ってたトラックも?」
蓮が顔を上げた。
「そう。ワゴンとバス、中型トラックが二台あるけど、そのうちの一台はまだローンが残ってるの」
「売ったら次の仕事で困るんじゃねえの?」
「その可能性はあるわ。必要な設備は、できるだけ残したいと思ってる」
蓮は資料の写真を覗き込んだ。
「でも、車の状態は確認した方がいいぜ。修理代が掛かるなら、それも考えねえと」
「それならカイにも相談してみようか」
悠斗が言うと、蓮はすぐに頷いた。
アキラが気にしていたのは、会社の設備よりも仕事の継続だった。
「取引先はどうなんだ? オーナーが変わっても、今の契約は続けられるのか?」
「基本的には会社がそのまま契約を続けられるわ。ただ、個別の条件は確認する必要があるけどね」
「評判については、私もちょっと調べてみたよ」
ナナが口を開いた。
この一週間、ナナは業界関係者から会社の評判を聞いていた。現場の対応は丁寧で、急な変更にも峯岸自身が出向いて調整することがあるという。
「ただ、条件が厳しくても仕事を断れないことがあるみたい」
「そこは数字にも出ていたわ。忙しいのに、ほとんど利益が残らない案件もあるの」
「仕事はあるのに儲からねえのか」
蓮が首を傾げた。
「全部がそうじゃないけどね。受注条件を見直せば、改善できるところはあると思う」
玲奈は次の資料を開いた。
「それと、三か月後の大型イベント。これは会社を引き継ぐうえで、かなり大きな材料になるわ」
悠斗も昼間、そのイベントについて峯岸から説明を受けていた。会場の規模も大きく、複数の企業や出店者が関わる案件だった。
「そのイベント、ちゃんと儲かるの?」
「ええ。契約内容と予算を見る限り、かなりまとまった利益が見込めるわ。今の会社にとっては、経営を立て直す大きなきっかけになる仕事ね」
「だったら、そのイベントを成功させればいいんじゃねえの?」
蓮の言葉に、アキラも頷いた。
「それだけ利益が出るなら、会社を買う価値もあるだろ」
「そうね。ただ、問題はそこまで会社を維持できるかどうかなの」
玲奈が資金繰りの資料を示した。
大型イベントの受注は決まっている。しかし、会場設営やスタッフの手配、資材の準備には先にまとまった費用が掛かる。
報酬の大部分が支払われるのは、イベントが終了してからだった。
「つまり、儲かる仕事を持ってるのに、準備するお金がないってこと?」
悠斗が聞き返した。
「そういうこと。今月の返済を乗り切ったとしても、次はイベントの準備資金が必要になるわ」
「もったいねえな。せっかく大きい仕事が決まってんのに」
蓮が呟いた。
悠斗も同じことを思った。昼間の峯岸は、三か月後のイベントについて話す時だけ、少し楽しそうな表情を見せていた。
経営に苦しんでいても、イベントの仕事そのものが嫌になったわけではないのだろう。
「それと、一か月後にはRAVEN MOTOR FESTの運営報酬も入る予定よ」
玲奈が続けた。
フェスの運営報酬はすでに契約で決まっている。ただ、その入金より先に借入の返済期限が来るため、峯岸は前倒しでの支払いを頼んでいた。
「でも、あれはNOXとSHIFTの共同イベントだから、僕だけじゃ支払いを変えられないんだよね」
「だったら、契約どおりでいいんじゃねえの?」
アキラが言った。
「私もそのつもりよ。だから、買収するなら私たちが当面の資金を会社に貸し付けることを考えてるの」
その資金で今月の返済を乗り切り、必要な設備や社員を維持する。一か月後の入金で資金繰りに余裕を持たせ、三か月後の大型イベントを成功させる。
「じゃあ、貸した金は戻ってくるのか?」
「会社が安定すれば返済してもらえるわ。ただし、イベントの準備費用や社員の給与を優先して、無理のない範囲でね」
玲奈の説明を聞きながら、悠斗は資料に目を落とした。
仕事も設備も社員も残っている。さらに、大きな利益を見込める受注まで決まっていた。
足りないのは、それらを維持して仕事を進めるためのお金だった。
「それなら、ただ借金を抱えた会社を買うって話じゃないんだね」
「そうね。もちろん、計画どおりに進む保証はないけど、立て直せるだけの材料は揃っていると思うわ」
その時、廊下から大きな笑い声が聞こえてきた。
「だから修理代いくらだったんだよ!」
誰かの声に、別の構成員が笑いながら言い返している。
「また誰か車壊したのか?」
蓮が扉の方を見た。
「お前もそのうち壊しそうだけどな」
アキラが笑いながら言うと、蓮は不満そうに顔をしかめた。
「は? 俺はそんなヘマしねえよ」
「そう言ってる奴ほど危ないんだよ」
「いや、俺の運転技術なめんなって!」
ナナが笑い、シオンも小さく口元を緩めた。
玲奈はそんなやり取りを眺めながら、資料を切り替えた。
「車の話はあとにして、次に進めてもいい?」
*
「実は、会社を引き継いだ後の経営について、一つ提案があるの」
玲奈は全員を見渡した。
「峯岸さんには、そのまま社長を続けてもらいたいと思ってるの」
「え? 会社を買うのに?」
悠斗は思わず聞き返した。
「所有者が変わったからといって、社長まで交代させる必要はないでしょ?」
玲奈の考えは、悠斗が会社のオーナーとなり、峯岸には代表取締役社長としてイベント運営を任せるというものだった。
玲奈自身はグループ全体の経営管理を担当し、財務や事業計画の面から会社を支える。
「つまり、峯岸さんは雇われ社長になるってことか」
アキラが確認する。
「そういうこと。今の取引先との関係もあるし、私たちが急に運営を引き継ぐより、その方がいいと思うの」
「それなら社員の人たちも安心できそうだね」
ナナが言った。
「でも、今までと同じ経営を続けたら、またお金が足りなくなるんじゃない?」
悠斗の疑問に、玲奈は頷いた。
「だから、財務や受注条件については私が支援するわ。ただ、現場の仕事は峯岸さんの方が詳しいから、相談しながら進めたいの」
峯岸の経験や取引先との関係を残しながら、経営を立て直していく。
その方が、イベント運営を知らない悠斗たちが無理に現場へ口を出すより、ずっと現実的に思えた。
「社員はNOXの仕事には使わないんだよな?」
それまで黙って聞いていたシオンが尋ねた。
「うん。今までどおり、普通のイベント会社として続けてもらいたい」
悠斗が答えると、シオンは短く頷いた。
会社の社員たちはNOXとは関係のない一般市民だ。悠斗も彼らをギャングの仕事に巻き込むつもりはなかった。
「……僕も、峯岸さんに社長を続けてもらう方がいいと思う」
悠斗は昼間の応接室を思い出した。
「会社を手放すのは嫌そうだったけど、三か月後のイベントは絶対に成功させたいって言ってたんだ。社長として残れるなら、峯岸さんも仕事を続けられるし、僕たちも助かると思う」
「ただ、今までと同じように自由に経営できるわけじゃないわ」
玲奈が付け加えた。
「大きな投資や経営方針は相談して決めてもらうことになる。それを受け入れてくれるかは、明日話してみないと分からないわね」
「うん。ちゃんと説明してみよう」
悠斗は頷いた。
*
「で、結局どこまで金を使えるんだ?」
蓮が尋ねた。
玲奈はアパートの収支資料を開いた。
フェスの利益から得た資金は、すでに不動産の購入にも使っている。アパートの維持管理や修繕に備える資金も残しておかなければならない。
さらに、悠斗たちにはNOXへの月次上納がある。
「今日みたいな運搬の仕事もあるけど、それだけで毎月足りるかは分からないからね」
悠斗は午前中の仕事を思い出した。
三枝ソウから紹介してもらった運搬は予定どおり終わった。しかし、毎日ああした仕事が都合よく入るとは限らない。
会社を買うために資金を使い切ってしまえば、今後のシノギにも影響が出る。
「僕は、必要な資金を残したうえで買えるなら、引き継ぎたいと思ってる」
悠斗が顔を上げると、全員の視線が集まった。
「峯岸さんたちを助けたい気持ちもある。でも、僕たちも毎月の上納を続けなきゃいけない。だから、会社を買った後もちゃんと利益を出せるようにしたいんだ」
三か月後の大型イベントは、そのための大きな機会になる。
ただし、そこまでの資金繰りを支えられなければ、利益を得るどころか、会社を維持することさえ難しくなる。
「使える資金の上限を決めて、その範囲で話がまとまるなら買いたい。無理なら見送る。それでどうかな?」
「俺は賛成」
アキラが最初に答えた。
「大きな仕事も決まってるし、今ある取引先や設備を引き継げるなら、ゼロから始めるより可能性はあると思う」
「私も。峯岸さんが残ってくれるなら心強いしね」
ナナに続いて、シオンも同意した。
最後に悠斗が蓮を見ると、蓮は腕を組んだまま少し考えた。
「まあ、いいんじゃねえか。上納に必要な金まで使わないなら、俺は反対しねえよ」
「ありがとう」
「その代わり、トラックはちゃんと確認しようぜ」
「うん。カイにも相談してみよう」
五人の意見がまとまったところで、玲奈が資金計画を整理した。
会社の株式は、資産や負債を踏まえた条件で峯岸から譲り受ける。会社を支えるための資金を優先し、株式の取得条件についても、双方が納得できる形を探る方針だった。
もちろん、峯岸がその条件を受け入れてくれるかは分からない。個人で保証している借入についても、銀行との調整が必要になる。
明日の話し合いで、すべてが決まるわけではなかった。
「じゃあ、明日はこの方針で提案してみましょう」
玲奈が言うと、アキラが椅子の背もたれに寄り掛かった。
「しかし、俺たちが会社を買う相談してるって、少し前なら考えられなかったな」
「ほんとそれ。前は次の仕事どうするかって話ばっかりだったのに」
ナナが笑う。
「今も大して変わんねえだろ。結局、次の仕事をどうするかって話だし」
蓮の言葉に、悠斗も笑った。
「確かに、そうかもしれないね」
*
資料を片付け終わった頃には、時計は九時を回っていた。
「あー、終わった! 腹減ったな」
蓮が大きく伸びをした。
「じゃあ、何か食べに行く?」
悠斗が尋ねると、蓮はすぐに立ち上がった。
「行こうぜ。肉がいい」
「毎回それだな」
アキラが笑いながらスマートフォンを取り出す。
「この時間なら、いつものダイナーもまだ開いてるだろ」
「私はそれでいいよ」
ナナも立ち上がり、シオンは机に残っていた飲み物の容器をまとめ始めた。
玲奈はそんな五人を眺めながら、小さく笑った。
「……本当に、いつもこんな感じなのね」
「何が?」
「さっきまで会社を買う話をしてたのに、もう晩ご飯の相談をしてるところ」
「まあ、いつもこんな感じかな」
「でも、いいと思うわ」
六人は小会議室を片付け、廊下へ出た。
拠点の奥では、まだ別の構成員たちが仕事の相談をしている。誰かのスマートフォンが鳴り、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。
悠斗たちが会社について話し合っている間にも、NOXの仕事はそれぞれの場所で動いている。
駐車場へ出ると、蓮が黒いレンジャーへ向かった。
「じゃあ、俺たちはこっちだな。シオン、運転よろしく」
「最初からそのつもりだろ」
「バレた?」
アキラが笑いながら後部座席のドアを開け、ナナもその後に続いた。
悠斗は玲奈と一緒に白いヴェローチェへ向かう。
「じゃあ、ダイナーで」
「おう!」
蓮が手を振り、シオンが運転席へ乗り込んだ。
悠斗もヴェローチェのドアを開けようとして、ふと手を止めた。
少し前まで、自分が会社を持つことさえ想像していなかった。それが今では、仲間たちと次の会社を引き継ぐ相談をしている。
もちろん、明日の交渉がうまくいく保証はない。
それでも、今夜は五人で一つの方針を決められた。
「悠斗?」
助手席側から玲奈が声を掛けてきた。
「あ、ごめん。何でもない」
悠斗は笑って運転席へ乗り込んだ。
エンジンを掛けると、先に動き出した黒いレンジャーのテールランプが駐車場の出口へ向かっていく。
悠斗はその後を追うように、白いヴェローチェを発進させた。
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