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『引きこもり高校生、犯罪都市でギャングを始める ~友達ゼロだった俺の成り上がり~  作者: 阿鼻恭介
序章

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序章 第2話 神様とギャングになりたい少年

 目を開けた時、神谷悠斗は自分がまだ部屋の床に倒れているのだと思った。


 けれど、頬に触れるはずの冷たい床の感触がない。


 胸を締めつけていた痛みも、息苦しさも消えていた。


「……あれ?」


 身体を起こそうとして、悠斗は動きを止めた。


 周囲には何もない。


 床も、壁も、天井も見当たらない。


 白とも灰色ともつかない淡い光だけが、果ての分からない空間いっぱいに広がっている。


 それなのに、自分の身体は落ちることもなく、普通に立っていた。


「ここ……どこだ?」


 声を出した瞬間、妙な違和感を覚えた。


 耳鳴りがない。


 胸も痛くない。


 身体そのものが、ひどく軽かった。


 最後の記憶が蘇る。


 暗い部屋。


 二枚のモニター。


 仲間を迎えに行くために車列を作っていた配信。


 無線越しの笑い声。


 突然の胸の痛み。


 机の端にあったスマートフォンへ手を伸ばして――。


「……俺」


 そこまで考えた時だった。


「死んでるよ」


「うわっ!」


 真後ろから声をかけられ、悠斗は思わず飛び退いた。


 振り返る。


 そこに、一人の人物が立っていた。


 男にも見える。


 女にも見える。


 年齢も分からない。


 肩に届くほどの銀白色の髪と、淡い金色の瞳。整った顔立ちをしているが、威圧的な雰囲気はほとんどなかった。


 白を基調とした長衣のような服装も、見たことがないはずなのに不思議と目に馴染む。


 その人物は、驚いて固まる悠斗を見て楽しそうに笑った。


「いい反応するね」


「……誰ですか?」


 反射的に敬語になった。


 知らない相手と一対一で話している。


 それだけで、さっきまで感じていなかった緊張が戻ってくる。


 人物はそんな悠斗の様子を興味深そうに眺めた。


「リーヴァ。名前としてはそれでいいよ」


「リーヴァ……さん?」


「好きに呼んで。リーヴァでも、神様でも」


 悠斗は数秒黙った。


「……神様?」


「うん」


 あまりにも軽く返され、逆にどう反応すればいいのか分からなくなる。


 冗談だと思いたかった。


 けれど、床も壁もない空間に立っている現状の方が、よほど現実離れしていた。


「じゃあ……ここって、死後の世界ですか?」


「似たようなものかな。正確には、魂を一時的に留めておく場所」


 リーヴァはそう言って、何もない空間を数歩歩いた。


 足元に何かあるようには見えないのに、普通に歩いている。


 悠斗は自分の胸へ手を当てた。


「本当に……死んだんですか?」


「本当に」


 あっさりした返事だった。


 その言葉を聞いても、すぐには実感が湧かなかった。


 自分が死んだ。


 十七歳で。


 数分前まで部屋で配信を見ていたのに。


「原因は……?」


「身体へ無理をかけすぎたんだよ。三日近くまともに眠らず、食事も水分も足りていなかった。その上、カフェインで無理に起き続けた」


 リーヴァは悠斗を責めるでもなく淡々と続けた。


「二日くらいは若さで誤魔化せた。でも三日目で身体が耐えられなくなった」


「……あれだけで、死ぬんですね」


「人間は、自分が思っているほど頑丈じゃないよ」


 悠斗は何も言えなくなった。


 最後に母親へついた嘘を思い出す。


『ちゃんと寝てる?』


『寝てるよ』


 胸の奥に、さっきまでとは違う痛みが生まれた。


「母さん……」


 自分を見つけるのは、おそらく母親だ。


 扉の向こうから何度も声をかけてくれていた。


 心配してくれていた。


 それなのに、自分はろくに話もしないまま死んだ。


 悠斗は俯いた。


「……ごめん」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 リーヴァは、しばらく何も言わなかった。


 慰めることも、励ますこともしない。


 その沈黙が、悠斗にはありがたかった。


 やがて少し落ち着いて顔を上げると、リーヴァが静かに口を開いた。


「最後まで、生きたいって思ってたね」


「え?」


「君があの街を見始めた頃から、時々見てたんだ」


 悠斗の表情が固まった。


「……見てた?」


「うん」


「なんでですか?」


「興味を持ったから」


「俺に?」


「正確には、君の見ていたものと、それを見る時の君に」


 悠斗には意味が分からず、眉を寄せた。


 リーヴァは片手を上げる。


 何もなかった空間に、突然いくつもの映像が浮かび上がった。


 夜の大通り。


 スポーツカー。


 赤と青の警光灯。


 救急車。


 整備工場。


 飲食店。


 港。


 山道。


 高層ビル群。


 悠斗が生前、何時間も見続けていた犯罪都市を思わせる光景だった。


「……これ」


 思わず一歩近づく。


 似ている。


 あまりにも似ていた。


 けれど完全に同じではない。


 建物の形も、道路の配置も、看板も違う。


 それでも、自分が画面越しに眺め続けていた街を思い出させる何かが確かにあった。


「部屋からほとんど出られなかった君が、毎日のように別の街を見てた。警察も、救急も、整備士も、店員も、犯罪者も」


 リーヴァは少し笑う。


「特にギャングが好きだった」


「……はい」


「でも、銀行強盗や銃撃戦を見てる時より、仲間が集まって飯を食べたり、誰かを迎えに行ったりしてる時の方が、ずっと楽しそうだった」


 悠斗は何も言えなかった。


「自分から誰かに話しかけるのは怖いのに、誰かが誰かを助けに行く場面ばかり嬉しそうに見てた。そこが気になったんだよ」


「……そんなところまで見てたんですか」


「見てた」


「恥ずかしいんですけど」


「独り言も多かったね」


「それは忘れてください」


「無理かな」


「神様って性格悪いですね」


 言ってから、悠斗ははっとした。


 知らない相手へそんなことを言うつもりはなかった。


 けれどリーヴァは怒るどころか、声を上げて笑った。


「こういう話になると、ちゃんと返せるんだ」


「……すみません」


「謝らなくていいよ」


 リーヴァは再び空中の映像へ目を向ける。


「君が配信で見ていた犯罪都市と、よく似た場所が実際に存在する」


「……え?」


「別の世界にね」


 浮かんでいた映像が一つにまとまる。


 そこに映ったのは、海沿いに広がる巨大な都市だった。


 夕暮れの海岸線。


 高層ビルの間を走る幹線道路。


 郊外へ伸びる高速道路。


 遠くには山。


 反対側には乾いた土地が広がっている。


 道路には無数の車が行き交い、交差点の一角ではパトカーが一台の車を止めていた。


 少し離れた場所を救急車が走り抜ける。


 歩道には普通の人々がいる。


 犬を連れた女性。


 電話をしながら歩く会社員。


 買い物袋を持った老人。


 信号待ちをするバイク。


 映像越しでも、その街に人が暮らしていることが伝わってきた。


「自由都市、レイヴンシティ」


 リーヴァが告げる。


 悠斗は、その名前を小さく繰り返した。


「レイヴンシティ……」


「人口は数百万。海も山も、乾いた土地もある。君が見ていた街を思い出す場所は、いくつも見つかると思う」


「じゃあ……ゲームの世界なんですか?」


「違う」


 それまで軽かったリーヴァの声が、少しだけ低くなる。


「そこはゲームじゃない」


 映像が切り替わった。


 繁華街の交差点。


 交通事故の現場。


 倒れた人へ救急隊員が駆け寄っている。


 別の場所では、警察官が男を取り押さえていた。


 さらに違う映像では、飲食店の厨房で料理人が忙しそうに鍋を振っている。


「NPCなんて一人もいない。警察官も、救急隊員も、店員も、犯罪者も、ギャングも、全員が本当に生きている人間だ」


 悠斗は黙って映像を見る。


「撃たれれば痛い。事故に遭えば怪我をする。君の世界より人間は頑丈で、医療も発達しているけど、絶対に助かるわけじゃない」


 病院の廊下を、医師たちが走っている映像が映る。


「命は一つ」


 リーヴァが悠斗を見る。


「死ねば、それで終わりだ」


 自分がついさっき死んだばかりだからこそ、その言葉は重かった。


「……生き返ったりは?」


「しない」


「俺だけ特別、とかも?」


「ないね」


 即答だった。


 悠斗は少し眉を下げる。


「そこは……もう少しくらい何かあってもよくないですか?」


「何が欲しいの?」


「例えば、銃がすごく上手いとか」


「なし」


「運転が上手いとか」


「なし」


「身体能力が高いとか」


「なし」


「お金が大量にあるとか」


「もっとなし」


「……本当に何もないんですね」


「最低限は用意するよ」


 リーヴァが指を一本立てた。


「まず、向こうでちゃんと存在する人間として扱われるための身分」


 二本目。


「言葉に困らないための言語能力」


 三本目。


「一週間くらいなら、安い宿と食事で何とか暮らせる程度のお金」


 四本目。


「それから、向こうの世界に適応した身体」


「適応した身体?」


「十七歳の今の姿のまま送る。ただし身体だけは、向こうの人間として自然なものになる」


「強くなるんですか?」


「ならない」


 リーヴァはすぐに否定した。


「筋力も、運動神経も、技術も、基本は今の君相応。銃の扱いも運転も上手くならない。ただ、生命力や回復力は現地の人間と同じになる。それだけ」


「……なるほど」


 悠斗は少し安心したような、少し残念そうな顔をした。


 空中の映像では、夜の街を派手なスポーツカーが走っている。


 その後ろを、同じ色の車が数台ついていった。


 ギャングなのかもしれない。


 胸が高鳴る。


 けれど、すぐに現実的な疑問が浮かんだ。


「住むところは?」


「自分で探して」


「仕事は?」


「自分で探す」


「車は?」


「買えば?」


「ギャングは?」


「入れてもらえば?」


「簡単に言いますね……」


「だから面白いんじゃない」


 リーヴァは悪びれもしない。


「君は何度も言ってたよ。あんな街へ行けたら、ギャングになりたいって」


「……言ってましたけど」


「だったら、自分でなればいい」


 悠斗は言葉を失った。


 映像の中では日が沈み始めていた。


 高層ビルの窓へ明かりが灯り、道路を走る車のライトが増えていく。


 繁華街ではネオンが輝き始める。


 画面越しに何度も憧れたような夜の街。


 そこへ、本当に行ける。


 怖くないわけがなかった。


 悠斗は日本ですら、知らない相手へ自分から話しかけることが苦手だった。


 レイヴンシティへ行っても、知り合いは一人もいない。


 家もない。


 仕事もない。


 車もない。


 銃を持ったこともない。


 喧嘩すらまともにしたことがない。


 ギャングになる以前に、普通の生活を始めるだけでも苦労するかもしれない。


「怖い?」


 リーヴァに聞かれ、悠斗は少し考えてから頷いた。


「……怖いです」


「なら、別の道もあるよ」


 悠斗が顔を上げる。


「もっと穏やかな世界へ送ることもできる。危険の少ない場所で、普通に人生をやり直すことだってできる」


 冗談ではないらしい。


 悠斗はもう一度、レイヴンシティを見る。


 夜の街。


 信号待ちをする車。


 走っていく救急車。


 路肩へ停車したパトカー。


 店の前で話す人々。


 遠くを飛ぶヘリコプター。


 交差点を曲がっていく、同じ色の数台の車。


 死ぬ直前に見ていた配信が蘇った。


 仲間一人を迎えに行くためだけに、何台も車を出した人たち。


 自分が欲しかったもの。


 前の人生では、一度も手に入らなかったもの。


 そこへ行ったからといって、仲間ができる保証はない。


 誰とも仲良くなれず、また一人になるかもしれない。


 ギャングになろうとして失敗するかもしれない。


 怖くなって逃げ出すかもしれない。


 それでも、安全だからという理由だけで別の世界を選んだら、自分はまた遠くから誰かの人生を眺めるだけになる気がした。


 今度は、それをしたくなかった。


「……行きたいです」


 声は小さかった。


 けれど、自分から口にした。


 リーヴァは何も言わず、続きを待っている。


 悠斗は一度息を吸った。


「レイヴンシティへ、行きたいです」


「そこで何をする?」


 分かっているくせに。


 そう思った。


 それでもリーヴァは、悠斗自身の口から聞きたいのだろう。


 前の人生なら、誰かへ自分の夢を話すだけでも恥ずかしくて逃げていた。


 今でも恥ずかしい。


 けれど、一度死んだ。


 もう一度人生をやり直せるのなら、少しくらい馬鹿な夢を口にしてもいいと思えた。


「俺……」


 悠斗は夜の街を見ながら答えた。


「ギャングになりたいです」


 数秒の沈黙。


 リーヴァの口元がゆっくりと上がった。


「やっぱり、それを選ぶんだ」


「変ですか?」


「最高だよ」


「最高?」


「そこまで憧れてたなら、本当にその中で生きてみればいい」


 悠斗は少しだけ笑った。


 リーヴァが指を鳴らす。


 レイヴンシティの映像が一気に広がった。


 高層ビル。


 海。


 山。


 乾いた土地。


 港。


 空港。


 無数の道路。


 数え切れないほどの人々が生きている巨大な街。


「一つだけ、覚えておいて」


 リーヴァの声が響く。


「君が見ていた配信とは違う」


 悠斗は黙って聞いた。


「失敗しても、全部が笑い話で終わるとは限らない。人を信じれば裏切られることもある。仲間になった人間と別れる日も来る」


 夜の街に、いくつもの明かりが瞬いている。


「でも、逆もある」


「逆?」


「画面の向こうじゃないからこそ、本当に君の名前を呼んでくれる人間ができるかもしれない」


 悠斗の表情がわずかに変わった。


 リーヴァは笑う。


「後は君次第」


 足元に光が広がっていく。


 悠斗は思わず周囲を見回した。


「え、もう行くんですか?」


「行きたいんでしょ?」


「いや、そうですけど……もう少し説明とか」


「身分証とスマートフォンは、向こうで確認して。口座にも必要な分は入れてある」


「住む場所は?」


「自分で探して」


「やっぱりそこは自力なんですね!」


「ギャングになる前に、路上生活にならないよう頑張って」


「最後に不安になること言わないでください!」


 身体が光に包まれていく。


 怖さは消えていない。


 けれど、それ以上に胸の奥が熱かった。


 死ぬ直前まで画面越しに眺めていたような街へ、自分自身が行く。


 誰も知らない。


 何も持っていない。


 特別な力もない。


 それでも今度は、見る側ではない。


 自分で生きる側になれる。


「神谷悠斗」


 リーヴァが最後に名前を呼んだ。


 悠斗は顔を上げる。


「君が欲しがってたものが、あの街で見つかるといいね」


 仲間。


 居場所。


 前の人生では、最後まで手に入れられなかったもの。


 悠斗は少しだけ息を吸い、しっかりと頷いた。


「……はい」


 リーヴァが片手を上げる。


「じゃあ、行ってらっしゃい」


 視界いっぱいに白い光が広がった。


 悠斗は思わず目を閉じる。


 最後に聞こえたのは、少し楽しそうな神の声だった。


「ギャングになりたいなら――自分でなってみればいい」

お読みいただきありがとうございます。

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