第6章 第196話 幹部の仕事
翌日の夜。
悠斗は白いヴェローチェを走らせ、NOXの拠点へ向かっていた。
昨日は朝からサーキットを動き回り、閉会後も撤収が終わるまで残っていた。昼過ぎまで眠ったおかげでかなり楽にはなったものの、肩や足にはまだ薄く疲労が残っている。
赤信号で車を止め、悠斗はハンドルから片手を離して肩を回した。
「……まだちょっと重いな」
それでも、嫌な疲れではなかった。
昨日開催したRAVEN MOTOR FESTの光景が、自然と頭へ浮かんでくる。
埋まった観客席。
並んだ展示車両。
人の途切れなかった出店ブース。
照明の下を走り抜けていくレースカー。
ホームストレートへ何度も響いた歓声。
企画を始めた頃には、本当にあれほどの規模になるとは思っていなかった。
協賛企業や出店者と話し、展示ショップを集め、運営会社や警備とも調整した。NOXとSHIFT、それぞれの担当者とも何度も話し合い、問題が出れば確認し、必要ならその場で決めた。
本当に間に合うのかと思ったことも、一度や二度ではない。
それでも最後まで終わった。
一日経った今の方が、むしろ実感がある。
自分たちは、本当にあのイベントをやり切ったのだ。
「疲れたけど……楽しかったな」
小さく笑ったところで、信号が青へ変わった。
悠斗はアクセルを踏み、夜の街を再び走り始める。
今日は本来、休みだった。
それでも拠点へ向かっているのは、昨夜カナメから電話で呼ばれたからだ。
『悠斗だけ明日の夜に来い』
『玲司さんが話あるってよ』
内容までは聞かされていない。
だが、このタイミングなら大体の想像はつく。
昨日の閉会式。
玲司から突然ステージへ呼ばれ、大勢の観客が見ている前でNOXの幹部へ上げると告げられた。
嬉しくないわけではない。
むしろNOXへ加入したばかりの頃を思えば、自分が幹部になったことなど信じられないくらいだった。
ただ、それ以上に分からないことが多い。
幹部とは何をするのか。
構成員だった昨日までと何が変わるのか。
自分に何を求められているのか。
そんなことを考えているうちに、ヴェローチェは見慣れたNOXの拠点へ到着した。
◇
ガレージには何台か見慣れた車が並んでいたが、普段より静かだった。
昨日フェスに関わっていたメンバーの多くは、今日は休んでいるらしい。
悠斗はヴェローチェをいつもの場所へ停め、建物の中へ入った。
「お疲れさまです」
廊下を歩いていると、向こうから顔見知りの構成員が一人やってきた。
悠斗より先にNOXへ入り、これまでにも何度か一緒に仕事をしたことのある男だった。
「お疲れさまです、悠斗さん」
「……え?」
思わず足が止まる。
相手も立ち止まり、不思議そうに悠斗を見た。
「どうしました?」
「いや……急に敬語だったので」
「そりゃ、幹部になりましたから」
「ああ……」
昨日まで普通に話していた相手だ。
閉会式で昇格を告げられた時よりも、こういう小さな変化の方が妙に現実味があった。
悠斗は少し困ったように笑う。
「今まで通り接してください」
だが、男はすぐに首を横へ振った。
「それではいけません」
「え?」
「悠斗さんはもう幹部です。俺たちが今までとまったく同じ接し方をしてたら、組織として示しがつきません」
思っていたより真面目な返事だった。
しかも相手は、自分より先にNOXへ入った人間だ。
そんな相手から急に一段上として扱われるのは、どうにも落ち着かない。
「じゃあ……仕事の時以外は、今まで通りにしてもらえませんか?」
「仕事の時以外?」
「はい。仕事中は幹部として扱ってもらって大丈夫です。でも、普段まで敬語だと変な感じがするので」
男は少し考えたあと、笑った。
「分かった。じゃあ普段は今まで通りな」
「お願いします」
「ただし、仕事になったら別だからな」
「はい。それは分かってます」
「急に偉くなって大変だな」
「まだ全然慣れてないです」
「昨日の顔見てりゃ分かる」
「見てたんですか?」
「そりゃ見てるだろ」
いつもの調子へ戻ったことで、悠斗は少しだけ肩の力が抜けた。
立場が変わったことは受け入れなければならない。
それでも、昨日まで築いてきた人間関係まで全部変えたいわけではなかった。
悠斗はその構成員と別れると、玲司とカナメが待つ部屋へ向かった。
◇
「来たか」
部屋へ入ると、玲司がソファから顔を上げた。
「はい」
「座れ」
悠斗は向かいへ腰を下ろした。
カナメは少し離れた椅子に座っており、テーブルには飲みかけのコーヒーが置かれている。
玲司がすぐに本題へ入るかと思ったが、何も言わない。
昨日から気になっていたこともあり、悠斗の方から口を開いた。
「カナメさんって、僕が幹部になるの知ってたんですか?」
「ああ」
「やっぱり」
カナメは平然と頷いた。
「昨日、ナナたちと話してたんです。誰か知ってたとしたら、カナメさんじゃないかって」
「当たってたな」
「教えてくれてもよかったじゃないですか」
「俺に言うな」
カナメの視線が玲司へ向く。
悠斗もそちらを見ると、玲司はまったく悪びれた様子がなかった。
「先に言ったら面白くねぇだろ」
「やっぱりそれなんですね……」
「半分な」
悠斗は呆れたように息を吐いた。
「で、今日呼んだのはその続きだ」
玲司がテーブルへスマートフォンを置いた。
「お前、自分が何で幹部に上がれたか、ちゃんとは分かってねぇだろ」
「フェスを最後までやったから……ですよね?」
「それもある」
玲司は頷いた。
「だが、それだけじゃねぇ」
カナメが口を開く。
「NOXじゃ、幹部になる条件の一つに上納がある」
「上納金……ですか?」
「ああ。構成員のうちは、基本的に組織から回ってきた仕事で実績を作る。そこでどれだけ利益を持ってこれるかも見られる」
「じゃあ、シノギを持ってなくても幹部にはなれるんですか?」
「そもそも、自分のシノギを持てるのは幹部になってからだ」
玲司が答えた。
「構成員が勝手にNOXの看板使って商売始めたら収拾つかねぇだろ」
「ああ……確かに」
「構成員の間は、こっちから回す仕事で結果を出す。幹部になれば、自分でシノギを作って上納を作れる。そういう順番だ」
悠斗は少し考えた。
「じゃあ、今回のフェスも上納の実績に入るんですか?」
「今回は特例だ」
カナメが答える。
「特例?」
「あれは普通にNOXから回した仕事じゃねぇだろ」
言われて、悠斗はフェスが始まったきっかけを思い出した。
SHIFTの構成員が、SHIFTにも無断でやっていた仕事に悠斗たちの名前を勝手に使った。
その件が発覚し、SHIFTはその構成員を破門にした。
その後、名前を使われた悠斗たちへの賠償として、SHIFT側から何をしてほしいかと聞かれた。
そこで悠斗が希望したのが、NOXとSHIFTで共同のレースイベントを開催することだった。
その要望をもとに両組織で準備を進め、最終的にRAVEN MOTOR FESTとして形になった。
「お前が賠償として、NOXとSHIFTで共同レースをやりたいって言ったところから始まった話だ」
カナメが続ける。
「はい」
「普通の構成員に回ってくるような仕事じゃねぇ。たまたまそういう機会があって、お前が自分からやりたいことを出した」
玲司も続けた。
「それを共同イベントとして最後まで回した。しかも利益まで残した」
悠斗は黙って聞いていた。
「だから今回は、その利益もお前の上納実績として扱う」
「特例なんですね」
「ああ」
カナメが頷く。
「次も同じような話が都合よく転がってくると思うなよ」
「それは思ってないです」
「ならいい」
カナメは少し笑った。
「それで、フェスの金についてはもう玲奈に話してある」
「玲奈に?」
「ああ。最終利益が出たら、まずSHIFTと折半する。そのあとNOX側に残った利益の三分の二を、お前の上納分として組織へ入れる」
「三分の二……?」
悠斗は少し考えてから、玲司を見る。
「全部上納しなくていいんですか?」
「ああ」
「僕が取った仕事みたいな扱いになるなら、全部NOXに入るのかと思ってました」
「今回は、お前を幹部に上げるための上納として三分の二を入れる」
玲司が答えた。
「その額なら、幹部に上げるための基準は十分超える」
「じゃあ、昨日僕を幹部にしたのって……」
「フェスを回した実績と、そこから組織へ入る金。その両方を見て決めた」
玲司の返事は簡潔だった。
「金だけなら上げねぇ。人をまとめて、最後まで責任持って回した。それに上納も届く。両方揃ったから上げた」
「……なるほど」
悠斗はゆっくり頷いた。
元は、自分たちの名前を勝手に使われたことへの賠償だった。
そこで自分が、NOXとSHIFTで共同レースをやりたいと言った。
その一言から始まったものが、大勢を集めるイベントになり、最後には利益まで残した。
昨日突然告げられた昇格が、ようやく一本の線につながった気がした。
「じゃあ、残りの三分の一はどうなるんですか?」
「お前に残す」
「僕に?」
「遊ぶ金じゃねぇぞ」
玲司に先回りされ、悠斗は少し笑う。
「それは分かってます」
「新しいシノギを作る元手に使え」
「新しいシノギ……」
「ここからは幹部だからな」
カナメが続ける。
「自分で商売を始めてもいい。犯罪の仕事を作ってもいい。毎月必要な上納を作れるなら、やり方はかなり自由だ」
「毎月って、いくら必要なんですか?」
「額はあとで正式に伝える」
玲司がそう答えた。
「ただし、一度幹部になったら終わりじゃねぇ。毎月その基準を満たせ」
「満たせなかったら?」
「降格だ」
即答だった。
悠斗は一瞬黙る。
「結構厳しいですね」
「当然だ」
「一回幹部になったら、ずっと幹部ってわけじゃないんですね」
「組織に利益入れられねぇ奴を、いつまでも幹部に置いとく理由がねぇだろ」
玲司らしい考え方だった。
カナメが少し補足する。
「ただ、今すぐ次の上納を作れって話じゃない」
「え?」
「今月分はフェスで足りてる」
「でも、フェスって今月の四週目の日曜でしたよね」
「ああ」
確かに、もう月末に近い。
「じゃあ、次の上納は?」
「来月末までだ」
「来月末?」
「月が変わったら、そこから一か月で次の上納を作れ」
悠斗は少し安心した。
「来月いっぱいはあるんですね」
「ある」
玲司が答える。
「だから、その間にシノギを作れ。月末になって何もありませんじゃ済まさねぇけどな」
「はい」
一か月。
何も決まっていない今の悠斗には、十分長いようでもあり、意外と短いようにも思えた。
「それと、人を使えるようになる」
カナメが話題を変えた。
「自分のシノギや仕事に、構成員を回していい」
「誰でもですか?」
「何人でも好き勝手にって話じゃない。NOX全体の仕事があるならそっちが優先だし、大人数を動かすなら話は通してもらう」
そこで一度区切り、カナメが続ける。
「ただ、お前の場合は蓮、ナナ、アキラ、シオンの四人を優先的に使っていい」
「四人を?」
「ああ」
玲司が頷いた。
「あいつらとは半グレの頃から組んで、実際に結果も出してる。互いの癖も得意分野も分かってるだろ。わざわざ崩す理由がねぇ」
「僕の直属になるんですか?」
「そこまでじゃねぇ」
玲司がすぐ否定した。
「あいつらもNOXの構成員だ。組織の仕事があればそっちに入るし、他の幹部の仕事に回ることもある」
「ただ、予定が被ってなければ、お前の仕事を優先させていい」
カナメが付け足す。
悠斗は四人の顔を思い浮かべた。
半グレだった頃から、何かあれば五人で動いてきた。
自分がこれからシノギを持つなら、できれば今まで通り四人と動きたい。
「じゃあ……明日、四人を僕のシノギで使いたいです」
「明日?」
カナメが聞き返す。
「はい。まだ何をするかは決まってないですけど、まず四人に今日の話をして、一緒に考えたいです」
玲司は少しも迷わなかった。
「いいぞ」
「ありがとうございます」
「ただし、今言った通りNOX全体の仕事が入ったらそっちが優先だ」
「はい」
「それと」
カナメが続けた。
「人だけ増やせばいいってもんじゃない」
「どういうことですか?」
「例えば十人使った仕事で、その十人にまともな分け前を払えないような利益しか出てないとか、組織側に利益が残らないような額しか持ってこれないなら、上納実績としては認めない」
「ああ……」
悠斗にも意味が分かった。
「人数使って、見かけだけ上納金を作っても駄目ってことですね」
「そういうことだ」
人を動かせるからといって、使い放題というわけではない。
必要な人数を考え、その仕事できちんと利益を出す。
そこまで含めて、幹部の仕事になる。
「思ってたより大変ですね」
「今さらか?」
「昨日は何も説明されてないですから」
「だから今日してんだろ」
「順番逆じゃないですか?」
カナメが吹き出す。
玲司はまったく気にしていない。
「まあ、全部一人でやる必要はねぇ」
悠斗が玲司を見る。
「自分より向いてる奴がいるなら任せろ。そのために人を使えるようにしてる」
悠斗はその言葉を聞いて、昨日のフェスを思い出した。
自分一人で全部やったわけではない。
蓮たち四人だけでもない。
NOXとSHIFT、それぞれの担当者へ任せたからこそ、最後まで回った。
「分かりました」
少しだけ、これから何をすべきなのか見えてきた気がした。
「そういえば」
悠斗は昨日、何人かから聞かれたことを思い出した。
「フェスって、またやるんですか?」
玲司は悠斗を見る。
「お前はやりたいのか?」
「できるなら、またやってみたいです」
「ならSHIFTと交渉しろ」
「僕がですか?」
「お前、もう幹部だろ」
あまりにも当然のように言われ、悠斗は一瞬返事に詰まった。
「今回みたいに、向こうから話が来るの待ってる必要はねぇ。やりたい仕事があるなら、自分で話持っていけ」
「僕からSHIFTに交渉していいんですね」
「ああ」
昨日までなら、他のギャングとの正式な話となれば、まず玲司やカナメへ相談するのが当たり前だった。
だが、幹部になった今は、自分から外へ話を持っていくこともできるらしい。
「ただし、勝手に全部決めるなよ」
カナメが言った。
「NOXとSHIFTの共同イベントなんだから、条件がまとまったらこっちにも通せ」
「はい」
「外と話して、新しい仕事を作って持ってくる。それも幹部の仕事だ」
「ああ……」
悠斗は小さく頷いた。
自分のシノギを作れる。
構成員を動かせる。
組織を背負って外と交渉し、新しい仕事を作ることもできる。
昨日までより自由になった分、自分で決めなければならないことも一気に増えていた。
「じゃあ、精算が終わって落ち着いたら、SHIFTにも聞いてみます」
「それでいい」
玲司が頷いた。
「ただ、二回目やるなら一回目と同じでいいとは思うなよ」
「はい」
一度成功したからといって、次も同じように成功する保証はない。
それでも、もう一度やりたいなら、今度は誰かから機会を与えられるのを待つ必要はない。
自分から作りにいける。
「とりあえず今は、次の上納を作る方を考えろ」
カナメが言う。
「来月末までに、ですよね」
「ああ」
「商売とか、僕あんまり詳しくないんですけど」
「だったら詳しい奴に聞け」
その言葉で、一人の顔がすぐ浮かんだ。
白石玲奈。
昨日も最後まで簡易運営本部へ残り、イベントの収支を確認していた。
金や商売についてなら、自分よりずっと詳しい。
「玲奈にも相談してみます」
「それがいいんじゃねぇか」
カナメが頷く。
「明日、蓮、ナナ、アキラ、シオンと玲奈を集めます」
悠斗は自分の中でも確認するように続けた。
「今日聞いた上納金のことを四人にも話して、これから何をシノギにするか、みんなで考えてみます」
「そうしろ」
玲司の返事は短かった。
だが、悠斗にはそれで十分だった。
「今日はそれだけだ」
玲司が立ち上がる。
悠斗もソファから腰を上げた。
「お疲れさまでした」
◇
拠点を出ると、夜の空気が少し冷たかった。
ヴェローチェまで歩きながら、悠斗は今日聞いた話を頭の中で整理していた。
幹部になった。
それだけなら昨日の時点でも分かっていた。
だが、その意味は思っていたよりずっと大きい。
毎月、組織へ上納を入れなければならない。
自分でシノギを作れる。
構成員を使える。
外と交渉して、新しい仕事を持ってくることもできる。
そして、その結果に責任を持つ。
次の期限は、来月末。
フェスのような特例が、もう一度都合よく転がってくるとは限らない。
今度は、自分たちで利益を作らなければならない。
ヴェローチェの横まで来たところで、悠斗はスマートフォンを取り出した。
五人のグループを開く。
『明日、みんな時間ある? 話したいことがある』
送信すると、最初に反応したのは蓮だった。
『幹部様から招集?』
続いてナナ。
『絶対それ言うと思った』
アキラからは、
『俺は空いてる』
シオンからは短く、
『俺も』
と返ってくる。
悠斗は苦笑しながら入力した。
『そういうのじゃないって』
そのまま玲奈とのトーク画面も開く。
『明日、時間ある? 蓮たちも一緒にちょっと相談したい』
少しして返信が届いた。
『あるよ。何の相談?』
悠斗は一度考えてから返した。
『上納金と、これからのシノギのこと』
既読がつき、少し間を置いて返事が来た。
『分かった』
悠斗はスマートフォンをポケットへ戻した。
明日、まず五人に今日聞いた話を伝える。
その上で、自分たちがこれから何をするのかを考える。
昨日までは、与えられた仕事をどうこなすかを考えればよかった。
これからは違う。
仕事そのものを、自分たちで作らなければならない。
悠斗はヴェローチェのドアを開け、運転席へ乗り込んだ。
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