第5章 第190話 世界の速さ
三十分の予選は、後半へ入ろうとしていた。
大型モニターの上位には、御堂一成、エリック・クロフォード、柊サラ、鷹宮セイヤの名前が並んでいる。暫定一位は御堂。そのすぐ下にクロフォードがつき、三位のサラと四位の鷹宮もほとんど差がない。
五位以下にも柴崎レイ、城ヶ崎レン、相沢ケイらが続き、十位の通過ラインを巡る争いも少しずつ激しくなっていた。
「クロフォードさん、また出るみたい」
悠斗がピット側を見る。
一度戻っていた《ラグナード・ヴェノム》が再びコースへ向けて動き始めていた。さっきまでナナへ軽口を叩いていた本人とは思えないほど、車に乗り込んでからのクロフォードは静かだった。
「差、どれくらい?」
「まだ普通にひっくり返せる」
カイが順位表示を見ながら答える。
その横では、蓮も大型モニターから目を離していなかった。
ヴェノムが前の車との間隔を十分に取ってから、計測周回へ入る。クロフォードは最初のアタックよりもさらに奥まで速度を残しながら、それでもコーナーの出口では無理をしない。御堂ほど滑らかに見えるわけではないが、どこまで攻められるかを探りながら一周を削っているのが、悠斗にもなんとなく伝わってきた。
「速いな……」
蓮が小さく呟く。
最終コーナーを抜け、ヴェノムがコントロールラインを通過した。
大型モニターの数字が更新される。
「抜いた」
悠斗が思わず声を上げた。
暫定一位――エリック・クロフォード。
御堂のタイムを、わずかに上回った。
観客席から歓声が上がる。クロフォード自身も順位表示を確認したらしく、コース上で片手を軽く上げてから、そのまま次の周回へ入っていった。
「絶対喜んでる」
ナナが笑う。
「クロフォードさんだしね」
「エリック」
「ナナだけでしょ、それ」
「そうだった」
悠斗が言うと、ナナは少し楽しそうに笑った。
だが、トップが入れ替わったからといって、予選が御堂とクロフォードだけのものになったわけではない。
三位のサラも自己ベストを更新した。それまで四位との差をほとんど作れていなかった《フェルゼン911R》が、計測を終えた瞬間に一歩前へ出る。
「サラさんも上げた」
悠斗が順位表示を見る。
その直後、今度は鷹宮の《ヴェルティアX12》がアタックへ入った。
鷹宮も速い。前半より明らかにタイムを縮めながら走り切り、ラインを越える。
順位は四位のまま。
だが、サラとの差はさらに小さくなっていた。
「三位も近いな」
カイが言う。
「決勝、こっちも面白くなりそう」
悠斗が答えると、蓮も一度だけ順位表示へ目を向けた。
トップ争いは御堂とクロフォード。その後ろでは、サラと鷹宮。予選の段階から、決勝で何が起こりそうなのか少しずつ形になり始めていた。
◇
暫定トップがクロフォードへ変わってから数分。
御堂の《アルシオン・セレス》が再び動き出した。
「御堂さんも行く」
蓮が真っ先に気づく。
クロフォードに抜かれたからといって、御堂が焦っているようには見えない。前との間隔を十分に空け、一周を使って準備してから計測へ入った。
悠斗は、さっきカイに教えられたことを意識しながらモニターを見る。
直線の終わりまで速度を残し、かなり深い位置から減速する。それでもアルシオン・セレスの姿勢は大きく乱れず、狙ったところへ車を入れていく。コーナーを抜ける頃にはもう次の加速へつながっていて、一つ一つの操作が途中で途切れているように見えない。
「やっぱうめぇな」
カイが小さく言った。
「クロフォードさんとは違う?」
「速さはどっちも速い。でも見え方は違うな。クロフォードは攻めてるのが分かりやすい。御堂さんは、気づいたら速いって感じだ」
「なるほど……」
悠斗には完全には分からない。それでも言われて見れば、確かにそう見えた。
アルシオン・セレスが最終区間へ入る。途中タイムはクロフォードとほとんど差がない。
そしてコントロールラインを越えた。
表示が切り替わる。
一位――御堂一成。
「戻した!」
悠斗が声を上げる。
差は大きくない。それでも御堂は、クロフォードが更新したばかりのタイムをさらに上回っていた。
「すげぇな……」
蓮が小さく笑う。
「抜かれたら、また抜き返すんだ」
「まだ時間あるぞ」
カイの言葉通り、残り時間はまだ数分あった。
◇
予選が終盤へ入ると、今度は十位付近の争いが激しくなっていった。
トップ四台がある程度順位を固め始める一方で、決勝進出ラインの前後では一周ごとに順位が入れ替わる。
「十位と十一位、ほとんど変わらないね」
悠斗が大型モニターを見る。
「だから最後まで走るんだろ」
カイが答えた。
画面も一位争いだけではなく、通過圏ぎりぎりの車や自己ベストを更新した車へ次々と切り替わる。
残り三分を切ったところで、九位だった鳴海が自己ベストを更新して少し順位を上げた。その影響で十位争いがさらに詰まり、十一位の遠野レイジも最後のアタックへ入る。
「遠野さん、これ最後かな」
「時間内に入れれば有効だ」
残り一分。
御堂はすでにピットへ戻り、暫定一位のまま動かない。クロフォードも最後のアタックを終え、二位。サラは三位、鷹宮は四位につけていた。
やがて残り時間がゼロを示す。
しかし、その時点ですでに計測周回へ入っていた車は、ラインを越えるまで記録が有効だ。
「まだ終わってない」
蓮が言う。
十位付近の車が一台ずつ戻ってくるたび、大型モニターの順位表示が更新される。
そして最後に遠野の《アルシオン・ヴェスタ》がコントロールラインを越えた。
タイム更新。
十一位から十位へ。
「入った!」
悠斗が思わず声を上げる。
代わりに、それまで十位だった一台が十一位へ押し出された。
さらに後ろから最後の車がラインを越えたが、順位は変わらない。
そこでようやく、三十分の予選が完全に終了した。
◇
大型モニターに正式なリザルトが表示された。
一位 御堂一成
二位 エリック・クロフォード《ラグナード・ヴェノム》
三位 柊サラ《フェルゼン911R》
四位 鷹宮セイヤ《ヴェルティアX12》
五位 柴崎レイ《アルシオン・ネーヴェ》
六位 城ヶ崎レン《グランディス・エッジ》
七位 相沢ケイ《ヴェルティア・アストラ》
八位 片桐シュン《ラグナード・ディアボ》
九位 鳴海ソウタ《フェルゼンGT4》
十位 遠野レイジ《アルシオン・ヴェスタ》
この十台が決勝へ進む。
蓮は順位表を一度見たあと、すぐに一位の横へ映し出されたアルシオン・セレスへ視線を戻した。
「御堂さん、一位か」
「嬉しそうだね」
「別に俺が勝ったわけじゃねぇし」
「でも嬉しそう」
「うるせぇ」
否定しながらも、口元は少し緩んでいた。
◇
予選終了後、すぐに決勝が始まるわけではない。
二時間耐久へ向けた車両準備と、ドライバーやスタッフの休憩を兼ねたインターバルが設けられていた。
決勝進出を決めた十台は、それぞれのピットへ戻る。燃料を足し、予選で使ったタイヤの状態を見て、ブレーキや足回りにも異常がないかを調べていく。
予選落ちした五台は走行エリアから外れ、代わりに決勝へ出る十台の周囲だけが一気に慌ただしくなった。
「あと何分?」
「グリッド入るまで二十分!」
「給油終わってる?」
「こっちは終わった!」
あちこちから声が飛ぶ。
少し離れたところでは、ヘルメットを置いて飲み物を口にしている選手もいれば、スタッフと最後の確認をしている選手もいた。
悠斗も休んでいる暇はない。
ナナと一緒に進行を確認し、無線で上がってくる連絡を順番に受けていく。観客側に大きな混乱はなく、警備からも問題なし。ピットロード側も予定通り準備が進んでいた。
「今のところ大丈夫そう」
ナナが無線を戻しながら言う。
「うん。このままいけそう」
悠斗はそう答えながら、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
◇
インターバルの終わりが近づくと、決勝へ進む十台が順番にグリッドへ向かった。
今回の決勝は、予選順位をそのまま使ったスタンディングスタート。
最前列には御堂のアルシオン・セレスとクロフォードのラグナード・ヴェノムが並び、二列目にはサラのフェルゼン911Rと鷹宮のヴェルティアX12。その後ろへ柴崎、城ヶ崎、相沢、片桐、鳴海、遠野と続いていく。
「近くで見ると、やっぱセレスいいな……」
蓮がまた言った。
「欲しくなってきた?」
「前から欲しいとは思ってたけど」
「思ってたんだ」
「そりゃ思うだろ」
蓮は先頭に並ぶアルシオン・セレスを見たまま、少しだけ間を置いた。
「……いつか乗ってみてぇな」
練習走行会で初めて間近に見た時は、ただ格好いい車として気になっていた。だが今は、その車を御堂がどう走らせるのかまで見たあとだ。
同じ「乗ってみたい」でも、少し意味が変わっているように悠斗には聞こえた。
「買えば?」
「簡単に言うな。いくらすると思ってるんだ」
「でも蓮、そのうち買いそうだけど」
「まず金だろ」
横でカイが笑う。
「壊した時の修理代まで考えとけよ」
「乗る前から壊す前提にすんな」
さっきまでの予選中とは違い、スタート前には少しだけいつもの空気が戻っていた。
◇
グリッド上の最終確認が進み、スタッフが一人ずつコース外へ下がっていく。
その様子を見ていた悠斗は、ふとさっきのデモカー展示を思い出した。
「……ここにレースクイーンいたら、それっぽかったな」
隣でナナが笑う。
「でしょ?」
「書いとけばよかったなあ」
「今さらだけどね」
「うん」
それだけ言って、悠斗もすぐに意識をコースへ戻した。
十台のエンジン音が重なり始める。
スタッフの誘導でグリッド周辺から人が消え、コース上には車だけが残った。
先頭には御堂。
隣にはクロフォード。
その後ろにサラと鷹宮。
予選でわずかな差しかなかった二つの争いが、今度は二時間の決勝で続く。
「始まる」
ナナが呟いた。
蓮もカイも、もう喋らない。
悠斗も大型モニターとホームストレートを交互に見る。
スタートシグナルが一つずつ点灯していく。
エンジン音がさらに高まる。
最後の灯火が消えた。
十台のスーパーカーが、一斉にスタートした。
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