第5章 第187話 止まらない一台
決勝開始から五十分が近づいていた。
首位は神崎の《ヴェクサーR》。
二位に風間リクの《セルディア2000RS》。
三位には蓮の《レイザー》が続いている。
高城の《ブレイズGT》も四位で大きく離されず、その後ろに一ノ瀬ハルトの《アステラX》。
六位には榊原の《グリフォンRS》がつけていた。
「ハルトさん、榊原さんとの差を少し広げてるね」
悠斗が大型モニターを見ながら言う。
「ああ。今はハルトの方が速いな」
カイもラップタイムを確認する。
榊原のタイムも序盤よりわずかに上がっていた。
ただ、それは特別目立つほどではない。
時間が経てば燃料は減る。
神崎も、リクも、蓮も、高城も、ハルトも、スタート直後より車体は少しずつ軽くなっている。
グリフォンRSも同じだった。
「榊原さんも少しは速くなってる?」
「多少はな」
「まだ重いのかな」
「それもあると思う」
カイはモニターを見たまま答える。
「グリフォンはタンクがでかい。どれだけ積んでスタートしたかまでは分からないけど、多めに積んでるなら、その分は重い」
「ああ、そっか」
「それに周りも軽くなってる。グリフォンだけ条件が変わってるわけじゃない」
悠斗が頷く。
榊原は無理に前を追うこともなく、それまでと同じリズムでグリフォンRSを走らせ続けていた。
◇
一時間を過ぎても、ピットレーンに大きな動きはなかった。
各車ともまだコース上に残っている。
給油へ入るには、まだ少し早い。
首位の神崎。
二位のリク。
三位の蓮。
四位に高城。
五位にハルト。
六位に榊原。
一時間十分。
一時間十五分。
一時間二十分。
順位に大きな変化はない。
先頭では神崎とリクが一定の間隔を保ち、その後ろを蓮が追う。
高城とハルトも崩れない。
レースは一度、静かな時間へ入っていた。
◇
一時間二十五分を過ぎた頃。
それまで静かだったピットレーンが、ようやく動き始めた。
中団の一台がピット入口へ向かう。
制限速度まで落とし、所定の場所で停止。
必要な燃料を積むと、すぐにコースへ戻っていった。
「そろそろ始まったね」
「ああ」
カイが短く答える。
しばらくして。
四位を走っていた高城のブレイズGTがピット入口へ向かった。
「高城さん入った」
制限速度まで落とし、そのまま所定の場所へ滑り込む。
スタッフがすぐに給油を始めた。
タイヤには触らない。
その間に、ハルトがコントロールラインを通過した。
順位表示が切り替わる。
「ハルトさん、四位になった」
「高城が止まってるからな」
少し遅れて、グリフォンRSもホームストレートを駆け抜ける。
再び順位表示が動いた。
「榊原さんも五位」
「ああ」
高城のピットインによって、
四位、ハルト。
五位、榊原。
給油を終えたブレイズGTは、二台より後ろでコースへ復帰した。
その後。
今度は四位を走るハルトのアステラXがピット入口へ向かう。
「ハルトさんも入る」
アステラXが所定の場所で停止した。
こちらも給油のみ。
グリフォンRSがコントロールラインを通過する。
「四位」
「だな」
高城のピットインで五位。
ハルトのピットインで四位。
榊原はコース上で誰かを抜いたわけではない。
給油へ入る車が増えるたびに、順位表示だけが一つずつ上がっていった。
さらに少しして、カイが蓮との無線をつなぐ。
「蓮、燃料どうだ?」
『まだ行ける。でも結構減ってる』
「了解。次入るぞ」
『分かった』
レイザーがピット入口へ向かった。
制限速度まで落とし、ピットロードへ入る。
所定の場所で停止すると、スタッフがすぐに給油を始めた。
タイヤには触らない。
必要な燃料だけを積む。
『何位になる?』
「今は見るな」
『なんでだよ』
「ピットのタイミング違うんだから意味ない」
『それでも気になるだろ』
「前見ろ」
『まだ止まってるんだけど!』
悠斗が思わず笑った。
その間に、グリフォンRSが最終コーナーを抜ける。
ホームストレートを駆け抜け、コントロールラインを通過。
順位表示がまた変わった。
「三位になった」
「ああ」
高城。
ハルト。
蓮。
三台の給油によって、榊原は六位から三位まで上がった。
もちろん、まだ給油を済ませていない。
条件の違う車が混ざっている以上、この順位をそのまま実力差として見ることはできない。
それでも、大型モニターの三番目に《グリフォンRS》の名前が表示されていた。
◇
その後、二位を走っていたリクもピットへ向かった。
セルディア2000RSがピットレーンへ入り、所定の位置で停止する。
給油だけ。
スタッフが一気に作業へ取りかかる。
悠斗は大型モニターでグリフォンRSの位置を探した。
「榊原さん、来る」
「まだ大丈夫」
カイはピットロード出口とコース上の位置を見比べていた。
給油が終わる。
セルディア2000RSがすぐに発進した。
制限速度を守りながら、長いピットロードを進んでいく。
出口が近づく。
その時だった。
グリフォンRSが最終コーナーを立ち上がった。
「来た」
セルディア2000RSがピットロードを抜ける。
そこから一気に加速。
少し遅れて、グリフォンRSもホームストレートへ飛び込んできた。
順位は変わらない。
二位、風間リク。
三位、榊原。
二台の間には、ホームストレート半分ほどの差が残っていた。
「リクさん、守った」
「ああ。まだ前だ」
だが、その差は固定されたままではなかった。
一周。
さらに一周。
セルディア2000RSが遅いわけではない。
それでも、グリフォンRSが少しずつ近づいてくる。
「……縮まってるね」
「縮まってるな」
給油を終えたばかりのセルディア2000RSは、残り時間を走るための燃料を積んでいる。
一方のグリフォンRSは、ここまでまだピットへ入っていない。
最初はホームストレート半分ほどあった差が、周回を重ねるたびに削られていく。
やがて、一つのカメラに二台が同時に映るようになった。
「かなり近くなった」
さらにしばらくして。
グリフォンRSが、ついにセルディア2000RSの背後へついた。
「追いついた!」
長い直線。
榊原がスリップへ入る。
距離が一気に縮まった。
グリフォンRSがイン側へ出ようとする。
だが、その前にセルディア2000RSがイン側へ寄った。
「塞いだ?」
「いや。先にイン取っただけだ」
カイが答える。
急に進路を変えて押さえ込んだわけではない。
グリフォンRSが横へ出るより先に、セルディア2000RSが守る側のラインへ入っていた。
榊原は無理をせず、そのまま後ろへ戻った。
◇
「……めんどくせぇ」
リクがミラーを見ながら小さく呟いた。
離れない。
直線へ入れば近づいてくる。
コーナーでわずかに離しても、次の立ち上がりではまた背後にいる。
給油を終えたセルディア2000RSは、さっきまでより重い。
対してグリフォンRSは、まだ一度もピットへ入っていない。
理由はどうあれ。
今は向こうの方が少し速い。
ミラーの中で、グリフォンRSが外側へ動いた。
「譲らねぇ」
リクは前へ視線を戻す。
次のコーナー。
榊原が外から並ぼうとする。
リクは慌てない。
次の進入へ向けて先に位置を取る。
外から仕掛けたグリフォンRSが、そのまま前へ出るには苦しい角度になる。
榊原は無理をしなかった。
一度、後ろへ戻る。
それでも距離は開かない。
セルディア2000RSがコーナーを抜ける。
出口。
まだリクが前だった。
◇
「また守った」
悠斗が大型モニターを見ながら言う。
二台の攻防は、その後も続いた。
榊原が仕掛ける。
リクが先に守る位置を取る。
一度はグリフォンRSのノーズがセルディア2000RSの横へ並びかけた。
それでも前には出られない。
「リクさん、上手いね」
「ああ」
カイの返事は短かった。
仕掛ける場所を変えても、リクはそのたびに先回りする。
グリフォンRSの方がわずかに速い。
それでも、セルディア2000RSの前へ出ることはできなかった。
二台はほとんど一つの塊になって、コースを走り続けていた。
◇
その間に、首位の神崎も給油へ向かった。
ヴェクサーRがピットへ滑り込み、給油だけを済ませる。
神崎は、それまでに後続との間へ十分な差を作っていた。
短い停車を終えたヴェクサーRは、リクより前でコースへ復帰する。
順位が整理された。
一位、神崎。
二位、リク。
三位、榊原。
その後ろに蓮、ハルト、高城が続く。
一時間四十分を過ぎた。
悠斗は何気なくピットレーンへ目を向けた。
そして、ふと気づく。
「……榊原さん、まだ入ってないよね」
「入ってないな」
高城は入った。
ハルトも。
蓮も。
リクも。
神崎も。
上位勢は全員、一度の給油を終えている。
だが、グリフォンRSだけはまだ一度もピットへ向かっていない。
「タンク大きいから遅いだけだと思ってたけど……」
悠斗は残り時間を見る。
もう二十分を切っている。
それでも榊原は、リクの後ろについたまま走り続けていた。
ピットへ向かう気配はない。
悠斗は少し考えてから、カイを見る。
「これ……このまま給油しないんじゃない?」
カイもすぐには答えなかった。
グリフォンRSを見る。
数秒して、ようやく口を開く。
「俺もそう思う」
「二時間、一回も?」
「たぶんな」
その言葉を聞いて、悠斗は初めて序盤の走りを思い返した。
予選四位だったグリフォンRS。
それなのに決勝序盤は明らかにペースが落ちていた。
蓮に抜かれた。
ハルトにも抜かれた。
それでも榊原は、無理に順位を取り返そうとはしなかった。
「……最初から?」
「そう考えると辻褄は合う」
「序盤、重かったのも?」
「二時間分に近い燃料を最初から積んでたならな」
悠斗はもう一度、大型モニターを見る。
他の車は給油で燃料を積み直した。
だが、グリフォンRSは一度も止まっていない。
最初に積んだ燃料を、ここまでずっと減らし続けている。
「だから今、リクさんに追いつけたんだ」
「それもあるだろうな」
「すごい作戦だね」
「決まればな」
「決まれば?」
「最初は重い。タイヤも二時間持たせないといけない。何かあって予定外にピットへ入ったら、それまで重い状態で走ってきた分まで無駄になりかねない」
「ああ……」
「全部噛み合って初めて成立する作戦だ」
大型モニターでは、グリフォンRSが再びセルディア2000RSへ仕掛けていた。
リクは先にイン側へ入る。
榊原は入れない。
それでも離れない。
止まらず走り続けてきた一台が、二位を完全に射程へ入れていた。
◇
残り時間が十五分ほどになった頃。
首位では神崎がヴェクサーRを走らせていた。
二位争いでは、リクと榊原の攻防が続いている。
その少し前方。
神崎の進行方向に、周回遅れの車が見えた。
相手もヴェクサーRが迫っていることに気づいている。
コーナーを抜けたところで、ラインを譲ろうとした。
だが。
そこでリアが流れた。
「あっ!」
周回遅れの車が姿勢を崩す。
完全なスピンまではいかない。
それでも、斜めを向いた車体がコース中央へ戻りかける。
神崎は即座に進路を変えた。
「危ない!」
ヴェクサーRが外側へ逃げる。
ぎりぎりで正面衝突は避けた。
だが、完全には離れ切れない。
周回遅れの車のリアが、ヴェクサーRの右前を引っかけるように触れた。
鈍い衝撃音。
ヴェクサーRの車体が小さく揺れる。
「当たった!」
直後。
大型モニターの端に、運営からの表示が出た。
接触した二台に、ピットレーン走行の指示。
故意ではない。
不可抗力と判断されたらしい。
「両方ピットレーンだ」
カイが表示を見る。
「でも神崎さん……」
「ああ」
神崎はそのまま走り続けていた。
大きな接触ではない。
だが、次の直線に入ると挙動がおかしい。
右前が落ち着かない。
ステアリング修正が増える。
次のコーナーでは、神崎が明らかに速度を落とした。
「タイヤ?」
「たぶんな」
SHIFT側のピットが一気に慌ただしくなる。
交換用のタイヤが準備された。
神崎は無理にペースを維持しようとはしない。
後続を確認しながらラインを外し、残りの区間を慎重に走っていく。
「これ、かなりまずくない?」
「一本だけなら四本交換よりは早い」
「でも、ピットレーン走行だけじゃ済まないよね」
「ああ。タイヤも替えないと無理そうだ」
不可抗力の接触によるピットレーン走行。
それだけなら、まだ最低限のロスで済んだ。
だが神崎は、右前にもダメージを負っている。
ヴェクサーRが最終区間を抜け、そのままピット入口へ向かった。
制限速度まで落とす。
ピットレーンを走り、そのままSHIFTの作業場所へ滑り込む。
スタッフが右前へ集まった。
車体が持ち上がる。
損傷したタイヤが外され、新しい一本が運ばれてくる。
「リクさん来る」
悠斗が大型モニターを見る。
セルディア2000RSが最終コーナーを立ち上がる。
その背後には、グリフォンRS。
二台の間はほとんど開いていない。
ヴェクサーRはまだピットにいる。
セルディア2000RSがホームストレートへ飛び込んだ。
そのすぐ後ろを、グリフォンRSも追ってくる。
リクがコントロールラインを通過。
ほとんど間を置かず、榊原も続いた。
大型モニターの順位表示が切り替わる。
一番上から神崎の名前が下がった。
代わって表示されたのは――。
風間リク。
そして二位には、榊原。
神崎が守り続けてきた首位が、残り時間十五分を切ったところで初めて入れ替わった。
一位、リク。
二位、榊原。
ほとんど差のないまま、二台はそのまま一コーナーへ向かっていった。
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