第5章 第181話 最後の招待枠
翌朝。
蓮は完成したばかりのレイザーを走らせ、郊外のサーキットへ向かっていた。
街中では意識して抑えている。それでも、昨日まで乗っていた同じ車とは思えないほど感触が違う。
アクセルへ足を乗せた時の反応が鋭く、ギアを繋いだ後の加速も途切れにくい。路面から伝わってくる感触まで、以前より直接的になっていた。
「……マジで別の車じゃん」
赤信号で停まり、蓮はふと左側へ目を向けた。
助手席はない。
後ろを振り返っても後席はなく、余計な内装を取り払った車内には補強された部分が見えている。
「普段使い、マジで無理だなこれ……」
今さらながら実感する。
買い物へ行くにしても一人しか乗れない。誰かを迎えに行くこともできない。
レースが終わったら、普段乗り用をもう一台探そう。
そんなことを考えているうちに信号が青へ変わり、蓮は再びレイザーを走らせた。
◇
サーキットへ着く頃には、パドック周辺に何台もの車が集まり始めていた。
本番ではないため、一般客向けの飲食ブースも大規模な展示スペースもまだ作られていない。
それでも一般参加ドライバー、招待選手、メカニック、運営スタッフ、NOXとSHIFTの関係者が行き交い、以前参加したSHIFTの定例走行会とは明らかに空気が違う。
蓮がレイザーをピット側へ入れると、近くにいたナナが真っ先に振り返った。
「え、ちょっと待って。これレイザー?」
「そうだけど」
「全然違うじゃん」
ナナが目を丸くして車へ近づく。
少し離れた場所に灰色のスポーツセダンを停めていたアキラもやってきた。
「思ってたより本気だな」
「フルカスって言っただろ」
シオンも車体を一度眺め、後ろへ回る。
「……羽、でかい」
「なんでみんな最初にそこ見るんだよ」
蓮が呆れたように言い、悠斗は思わず笑った。
黒い車体は以前より低く構え、張り出したフェンダーの奥には太いタイヤが収まっている。
フロントにはスプリッター。
リアには大型のウイングとディフューザー。
右フロントドアには、以前から残していた大きな白いNOXのロゴ。
その近くには、今回レイザーを支援しているカイの会社のロゴが一つだけ入っていた。
「どう?」
蓮が少し得意そうに聞く。
悠斗は車をもう一度見回した。
「めちゃくちゃ蓮の車って感じする」
「だろ?」
その答えが気に入ったらしく、蓮の口元が緩んだ。
「おーい」
聞き慣れた声に振り向く。
工具や予備部品を積んだ会社の車から、カイが降りてくるところだった。
カイはレイザーへ近づくなり、車体をざっと見回す。
「ちゃんと壊さず持ってきたな」
「朝だけで壊すわけねえだろ」
「お前ならある」
「信用なさすぎだろ」
「昨日完成したばっかなんだから、今日は特にな」
軽口を交わしながらも、カイはすぐ仕事の顔になり、タイヤや車高、エンジンルームの確認を始めた。
◇
受付では、ナナとトウマが参加者の到着を確認していた。
カスタムカー部門の一覧は、ほとんど埋まっている。
残っている空欄は一つ。
SHIFT側の最後の招待枠だった。
蓮が受付近くにいたサラへ声をかける。
「最後の一人は?」
「もう来るよ」
「やっぱ決まってたんじゃん」
「昨日、決まってないとは言ってないでしょ」
「ずる」
サラは楽しそうに笑うだけだった。
悠斗も気になってサーキット入口側へ目を向ける。
その直後だった。
乾いた排気音とともに、小柄なオープンスポーツがパドックへ入ってきた。
車高は低いが、必要以上に派手ではない。
張り出したフェンダー。
軽量そうなホイール。
小ぶりなリアスポイラー。
外見だけでも、見た目重視ではなく走るために手が入っていることが分かる。
濃いスモークのせいで、運転席に誰が座っているのかは見えない。
「あれ?」
蓮が車を目で追う。
「最後の一台?」
「たぶんそうじゃない?」
アキラも入口側を見る。
車――《セルディア2000RS》は指定された場所までゆっくり進み、そこで停止した。
エンジンが止まる。
ドアが開いた。
「……リクさん?」
蓮の声が裏返った。
運転席から降りてきたのは、SHIFTのボス、風間リクだった。
悠斗も思わず目を見開く。
「え?」
周囲にいた一般参加者や外部スタッフからも、小さなどよめきが起こった。
一方、SHIFT側の人間は誰一人驚いていない。
その中でサラだけが、いかにも満足そうに笑っている。
「SHIFTのカスタムカー招待枠、最後の一人」
「リクさんだったの?」
「何だよ」
リクがセルディア2000RSのドアを閉めた。
「俺が出ちゃ悪いか?」
「悪くないですけど……今回は出ないと思ってました」
蓮がそう言うと、リクはセルディア2000RSへ目を向けた。
「こいつ気に入ってるってのもあるけどな」
そう言ってから、今度は蓮を見る。
「お前と同じ部門で走った方が面白そうだった」
「俺と?」
「せっかくレイザー、あそこまで作ったんだろ。だったら直接やった方が楽しいじゃん」
蓮の口元が少し上がる。
「……じゃあ、負けても言い訳なしっすよ」
「それ、お前もな」
横でサラが笑った。
「それでカスタムカー部門に出るって言い出したんだよ」
「ちゃんと考えて決めたんだよ」
「蓮のレイザーがフルカスになるって聞いた後でね」
「余計なこと言うな」
「図星じゃん」
「うるせえ」
そのやり取りを見ていた悠斗も、つられて笑った。
リクがSHIFTのボスだから出るわけではない。
セルディア2000RSが気に入っていて、蓮と同じ部門で直接走った方が楽しそうだから出る。
それだけで参加を決めるあたりが、いかにもリクらしかった。
「昨日、これ知ってたんですよね?」
悠斗がサラへ聞く。
「もちろん」
「教えてくれてもよかったじゃないですか」
「それじゃ面白くないじゃん」
するとリクが横から口を挟んだ。
「俺は別に隠さなくていいって言ったけどな」
「リク、それ言わなくていい」
「お前が勝手に遊んでただけじゃねえか」
「ちゃんと盛り上がったからいいでしょ」
ナナが笑いながらスマートフォンを取り出す。
「じゃあ、更新するね」
ほどなくして、公式サイトに残っていた最後の空欄へ、
《風間リク/セルディア2000RS》
の文字が追加された。
「これでカスタムカー部門、全員決定」
ナナが画面を確認しながら言った。
◇
その後、御堂一成とエリック・クロフォードもサーキットへ姿を見せた。
二人が参加するのは、この後に行われるスーパーカー部門の走行だ。
蓮は御堂の姿を見つけた瞬間から落ち着かなくなったが、御堂の方が先にレイザーへ気づいた。
「完成したんだな」
「はい」
蓮の返事が少し硬くなる。
御堂はレイザーの外観を眺めてから、蓮へ視線を戻した。
「後で走ってるところ見せて」
「……はい!」
返事だけ妙に大きい。
横にいた悠斗が吹き出す。
「何だよ」
「いや、別に」
「笑ってんじゃん」
◇
カスタムカー部門のブリーフィングが始まった。
参加車両は十五台。
NOX招待枠は、久我蓮の《レイザー》、一ノ瀬ハルトの《アステラX》、そしてNOX構成員・榊原ユウの《グリフォンRS》。
SHIFT招待枠は、風間リクの《セルディア2000RS》、SHIFT所属レーサー・神崎トオルの《ヴェクサーR》、無所属の草レーサー・牧野ユウマが乗る《オルビスGT》。
一般枠には九台。
黒田ショウの《ファルコンGT》。
朝比奈ミカの軽量ハッチ《リュミエールR》。
大森ケンの大排気量FRクーペ《バレルRS》。
瀬戸タクヤの四駆スポーツセダン《ノヴァスX》。
結城レナの高回転NAクーペ《アークライトR》。
高城ユウジのワイドボディFRクーペ《ブレイズGT》。
三田ハヤトの《レイザー》。
乾シンの《ヴォルテクスR》。
赤城ナオの《リュミエールR》。
同じ車種も混じっていた。
三田のレイザーは蓮の車と同型だが、方向性はかなり違う。
蓮の一台が今回のレースへ向けて走行性能を徹底的に詰めた仕様なのに対し、三田の車は街乗りの雰囲気を残したストリート寄りのカスタムだった。
朝比奈と赤城も同じリュミエールR。
朝比奈は軽量化と足回りを重視し、赤城はエンジンと駆動系へ手を入れている。
同じ車でも、どこへ金をかけ、何を残し、どんな走りを目指したのかで姿も性格も変わる。
「こうして見ると面白いな」
悠斗が並んだ車を見ながら呟いた。
「同じ車でも作り方で全然変わるからな」
蓮は三田のレイザーをちらりと見てから、自分の車へ視線を戻す。
「むしろ同じ車いる方が、違い分かりやすいし」
今日のタイムは本番の予選結果には一切影響しない。
目的は車両とコースの確認。
危険な追い越しはしない。
異常を感じたら無理をせずピットへ戻る。
ソウさんと運営担当が説明している横で、蓮は何度もレイザーへ目を向けていた。
後ろに立っていたカイが小声で言う。
「聞け」
「聞いてるって」
◇
やがて最初の車両がコースへ出ていった。
低い排気音。
高回転まで引っ張る乾いた音。
ターボが吐き出す鋭い音。
十五台それぞれ違う音が、サーキットの空気を震わせる。
蓮もレイザーをコースへ出した。
最初の周回は抑える。
ブレーキ。
ステアリング。
シフト。
アクセル。
一つずつ感触を確かめていく。
コーナーを抜け、少し強めにアクセルを踏んだ瞬間、蓮の口から声が漏れた。
「……おお」
前とはまるで違う。
以前ならコーナーの入口で前車へ近づいても、出口から直線へ入った途端に離されていた。
今は踏んだ瞬間から前へ出る。
ギアを上げても勢いが途切れにくい。
タイヤも路面をしっかり掴み、出口で車体が以前ほど暴れない。
むしろ、まだ自分の感覚の方が車へ追いついていなかった。
数周したところで、ピットからカイの合図が出る。
蓮は素直に戻った。
「まだ行けるけど」
「最初だから見るんだよ」
カイはしゃがみ込み、タイヤを確認する。そのまま足回りや各部を順番に見ていった。
「どう?」
「全然違う。特に立ち上がり。前みたいに踏んでも置いてかれる感じがない」
「なら良かった」
カイは一度車体から離れる。
「次、もう少し上げていい」
「了解」
◇
その間にも、他の車が次々と走っていた。
リクのセルディア2000RSは、直線で圧倒するような車ではない。
その代わり、ブレーキングから向きを変えるまでが速い。
軽い車体を生かしてコーナーへ滑り込むように入り、余計な動きを見せずに立ち上がっていく。
「リクさん、普通に速えな……」
戻ってきた蓮がコースを眺めながら呟く。
「だから出るんでしょ」
サラは当然のように返した。
SHIFT所属の神崎はさらに安定していた。
何周走ってもラインがほとんど変わらず、無理をしているように見えないのに速い。
その一方で、牧野のオルビスGTは少し荒々しい。
それでもコーナーへの進入速度が高く、前を走る車との差を着実に詰めていく。
「草レーサーって聞いてたけど、あの人マジで速いじゃん」
「だから招待したんだよ」
サラが笑う。
一般枠も負けていなかった。
朝比奈のリュミエールRは軽い車体を生かしてコーナーへ飛び込み、同じリュミエールRでも赤城は立ち上がりで強く前へ出る。
三田のレイザーがストレートへ立ち上がっていくのを見て、蓮が少し身を乗り出した。
「同じレイザーでも結構違うな」
「向こうは街乗りも残してるんでしょ?」
悠斗が聞く。
「うん。俺のはもう完全にこっち寄りだから」
蓮はピットに停まる自分のレイザーを見る。
三田の車にも手は入っている。
それでも、削れるものを削り、助手席まで捨てて作った自分の一台とは明らかに方向が違った。
「一般枠、普通に強いし」
悠斗がコースへ目を戻す。
「だから選んだんだろ」
蓮はヘルメットを被り直した。
カイが最後の確認を終える。
「行っていいぞ。ただし、まだ壊すなよ」
「分かってる」
「その返事が一番信用できねえんだよな」
「うるせえ」
蓮は再び運転席へ収まった。
◇
二度目の走行。
今度は最初よりペースを上げる。
ブレーキを遅らせる。
車体を曲げる。
出口が見えたところでアクセルを開ける。
レイザーが狙った方向へ前へ出た。
前より速い。
それなのに、以前より車が素直に感じる。
まだ完成したばかりで、癖をすべて掴んだわけではない。
それでも蓮には分かった。
これなら戦える。
◇
カスタムカー部門の練習走行が一区切りし、十五台が次々とピットへ戻ってきた。
エンジンの熱気とタイヤの匂いが残る中、蓮はレイザーから降りてヘルメットを外す。
カイが近づいてきた。
「どうだった?」
蓮は黒い車体を一度振り返った。
「これなら戦える」
少しだけ笑う。
「もう車のせいにはできねえな」
「そのつもりで作ったんだよ」
カイも満足そうに返した。
その向こうでは、次の走行へ向けてスーパーカー部門の車両が動き始めていた。
御堂の車。
クロフォードの車。
サラの車。
さらに、まだ走っていないスーパーカーが次々とピット前へ並んでいく。
蓮もそちらへ目を向けた。
「……次、やばそうだな」
悠斗も同じ方向を見る。
カスタムカーとはまた違う、重く鋭いエンジン音がピットの奥から響き始めていた。
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