第5章 第180話 開催へ向けて
レイザーをカイの会社へ預けた翌日。
NOXの拠点では、朝から長机いっぱいに応募資料が広げられていた。
カスタムカー部門とスーパーカー部門。それぞれ一般枠は九台。
昨夜までに悠斗とナナ、それにトウマが応募内容を整理しており、今日はそこから実際に予選へ進むドライバーを決める。
席についているのは悠斗、蓮、ナナ、三枝ソウ。そしてSHIFT側から参加しているサラだった。
「こいつ速いよ」
蓮が一人の資料を指先で叩いた。
「前に走ってんの見たことある。車もかなり作ってる」
「私は外すかな」
サラが即座に返す。
「なんで?」
「抜き方が危ない。前が詰まってても無理に入るし、横に並んでる相手を押し出しかけたのも見たことある」
蓮は少し考えてから、もう一度資料へ目を落とした。
「……ああ、確かに。そういや前もかなり無理に入ってたな」
ソウさんが資料へ視線を落としたまま言う。
「速さは予選で競わせればいい。ここで見るのは、十五台で一緒に走らせてもレースを壊さないかだろ」
応募者の経歴だけで決めるわけではない。
街のレースや走行会で実際に見たことがあるなら、その時の走りも判断材料になる。速くても周囲を見ない者や接触の多い者は外し、逆に目立った実績が少なくても安定して走る者は候補に残した。
何度か意見が割れ、そのたびに資料を見直す。
昼を過ぎた頃、ようやく両部門九人ずつが決まった。
「じゃあ、この人たちに連絡するね」
ナナが一覧を保存した。
「辞退が出たら次の候補?」
悠斗が確認すると、ナナが頷く。
「うん。選ばれなかった人には個別では送らない」
その日のうちにナナとトウマが連絡を始めた。
返答には多少ばらつきがあったものの、翌日には両部門の一般枠がすべて埋まった。
正式に出場が決まった者から、公式サイトへ名前と車両情報が追加されていく。
蓮は更新された画面をしばらく眺めていた。
「名前並ぶと、一気にそれっぽくなるな」
「今まで何だと思ってたの?」
ナナが呆れたように聞く。
「いや、やるのは分かってたけどさ。十五台って数字だけだった時と違うじゃん」
悠斗にも、その感覚は分かった。
空欄だった枠へ、一人ずつ名前が入っていく。
話し合いの中にしかなかったイベントが、目に見える形になり始めていた。
◇
招待枠も順番に埋まっていった。
一ノ瀬ハルトはNOX側カスタムカー部門の招待を承諾。
ほかの招待選手も正式決定した者から公式サイトへ掲載される。
数日後には、御堂一成。
さらにその後、SHIFT側からエリック・クロフォードの出場も正式に決まった。
二人の名前が公式サイトへ並んだ日の夜、チケットの売れ方が目に見えて変わった。
「ちょっと待って」
ナナがノートパソコンの画面へ顔を近づける。
「さっきから増え方すごい」
悠斗が隣から覗いた。
「今の上限で大丈夫?」
「そこは勝手に増やせないよ」
「じゃあ、運営会社に会場としてどこまで対応できるか確認しよう。朝倉さんにも、警備を増やせるか聞いてみる」
悠斗は一度言葉を切った。
「カナメさんにも確認する。SHIFT側にも共有しないと」
収容人数だけ増やせば済む話ではない。
駐車場、入口、警備、スタッフ、導線。
規模を広げれば、全部が連動して変わる。
以前なら、こういう話になると自分より詳しい誰かが決めるのを待っていた。
今は違う。
自分ですべてを判断できるようになったわけではない。
ただ、誰に任せて、誰に確認すれば前へ進むのかは分かるようになっていた。
◇
イベントの準備は、それから一気に形になっていった。
エマとアキラが進めていた協賛交渉では、大口スポンサーに続いて小口スポンサーも次々と契約がまとまった。
車両関連。
タイヤやホイール。
パーツ。
飲料。
整備やカスタムを扱う会社。
玲奈さんが入金を確認するたび、イベントの収支見込みも更新される。
「協賛は、当初の見込みを超えそう」
その報告に、悠斗も少しだけ肩の力が抜けた。
展示エリアも徐々に埋まっていく。
ショップ製作のカスタムカー、デモカー、珍しいスポーツカー、レース仕様車。
企業ブースも含め、スペースの広さや公式サイトへの掲載内容に応じて契約が決まっていった。
御堂とクロフォードの参加発表後には、アキラが外回りから戻るなりソファへ倒れ込んだ。
「最初こっちから声掛けてたのに、今は向こうから展示したいって来るんだけど」
「そんなに変わる?」
「世界で走ってる二人が来るんだぞ。そりゃ宣伝したい会社は増えるって」
カイの会社も、整備ブースと自社デモカーの展示で正式に出展することになった。
「レイザーのスポンサーとは別なんだよね?」
悠斗が確認すると、アキラが頷く。
「別。あっちは蓮の車。こっちは会社としてイベントに出る分」
「会計も分けてるよ」
玲奈さんが横から付け加える。
カイが一般枠で走らせるつもりだったカスタムカーは、そのまま会社のデモカーとして展示される。
さらに、エリックが希望していたレース車とは別の一台も、スポンサー側との話がまとまり、展示が決まった。
『エリックが追加で展示したいって言ってた車、正式に決まったよ』
サラから届いたメッセージを見て、ナナが返す。
『あの追加の一台?』
『そう』
『了解。展示一覧に入れとく』
悠斗はそのやり取りを横から見て、展示車がまた一台増えたことだけを確認した。
◇
飲食ブースも埋まっていった。
ハンバーガー、肉料理、ホットドッグ、コーヒー、スイーツ。
一覧を見た悠斗が言う。
「これ、レース見なくても一日いられそう」
「モーターフェスなんだから、そのくらいでいいでしょ」
ナナの言う通りだった。
レースを見る人。
展示車を見に来る人。
ショップを回る人。
食事を楽しむ人。
目的が違っても、一日過ごせるイベントになりつつある。
準備が進めば、そのぶん新しい問題も出た。
一般客の駐車場所を増やせば、展示車の搬入経路と重なる。
搬入時間をずらせば、今度は飲食店の準備時間とぶつかる。
パドックへの立ち入りを整理すれば、関係者証の種類も増える。
メディアの撮影位置を決める時には、緊急車両の通路を塞がないよう運営会社と警備側の確認が必要になった。
一つ片付けると、別の問題が顔を出す。
それでも悠斗は、必要な相手へ順番に話を繋いでいった。
警備なら朝倉さん。
金なら玲奈さん。
協賛や展示ならエマさんとアキラ。
レースならソウさんとサラ。
会場設備なら運営会社。
NOXとしての判断が必要ならカナメさん。
少しずつ、未決定の項目が減っていった。
◇
その間、蓮のスマートフォンにはカイからレイザーの作業写真が届いていた。
内装を外した状態。
補強途中の車体。
加工されたフェンダー。
最初は毎回食い入るように見ていた蓮だったが、外装が形になり始めた頃、自分から連絡を入れた。
『もう完成するまで全体の写真送らなくていい』
『なんで?』
『完成したの最初に自分で見たい』
『めんどくせえな』
『うるせえ』
それ以降、カイから届くのは、
『順調』
『間に合う』
その程度になった。
◇
練習走行会を翌日に控えた夜。
一般出場者はすべて決定し、招待選手も正式決定した者は公式サイトへ掲載済みだった。
ただ、一枠だけ空いたままだった。
カスタムカー部門。
SHIFT側の最後の招待枠。
公式サイトには、
『SHIFT招待枠一名 調整中。練習走行会までに決定予定』
と表示されている。
NOX側も、その一人が誰なのか知らない。
拠点で翌日の確認をしていた蓮が、サラへメッセージを送った。
『最後の一人、まだ決まってないの?』
少しして返ってきた。
『明日の練習走行会、楽しみにしてて』
「……何だよ、それ」
蓮が画面を見ながら呟く。
「何?」
悠斗が聞くと、蓮はスマートフォンを差し出した。
「SHIFTの最後の一人」
「もう決まったのかな」
「だったら言えばいいだろ」
「明日分かるんじゃない?」
「まあ、そうだけど」
蓮は気になる様子を残しながらも、それ以上は追わなかった。
ナナは参加者への連絡を終え、アキラも出展側の確認を済ませている。シオンからも警備について大きな問題はないと報告が来ていた。
悠斗が手元の確認事項を見る。
数日前まで埋まっていた未処理の項目には、ほとんどチェックが付いている。
「じゃあ、明日は予定通りできそうだな」
「やっと走れる」
蓮が椅子へ深く座った、その時だった。
スマートフォンが震える。
表示された名前を見るなり、蓮はすぐ通話へ出た。
「もしもし?」
『できた』
カイの声だった。
蓮が身体を起こす。
「……マジ?」
『マジ』
「全部?」
『今終わった』
少し間があって、カイが続けた。
『今から見に来い』
「今から?」
『嫌なら明日まで待てば?』
「行く」
即答だった。
「レイザー?」
悠斗が聞く。
蓮はもう立ち上がっていた。
「完成した」
◇
夜のカスタム会社は静かだった。
蓮が着くと、敷地の奥にあるガレージだけが明るい。
入口ではカイが腕を組んで待っていた。
「遅い」
「呼ばれてすぐ来ただろ」
「もっと早く来いよ」
「無茶言うな」
「いいから来い」
カイがシャッターを上げる。
機械音とともに開いた先で、蓮は足を止めた。
黒いレイザーが、照明の下に置かれている。
同じ車だと分かる。
それでも、以前の姿とはまるで違った。
低く構えた黒いボディ。
大きく張り出したフェンダー。
レース用のホイールと太いタイヤ。
前にはスプリッター、後ろには大型のリアウイングとディフューザー。
ボディにはスポンサーのロゴが入り、それでも右フロントドアには、以前と変わらず大きな白いNOXの文字が残されていた。
蓮はしばらく何も言わなかった。
「何か言えよ」
待ちきれなくなったカイが声をかける。
「……めちゃくちゃいい」
「だろ?」
カイが満足そうに笑った。
蓮はゆっくり車の周囲を一周し、窓から中を覗く。
助手席も後席もない。
残っているのはレース用の運転席だけ。
ハーネスと追加計器が並び、街乗りの快適さより走るための機能を優先した車内になっていた。
「ほんとに別物だな」
「フルカスにしろって言ったのお前だろ」
「分かってる」
蓮は笑いながら運転席へ乗り込んだ。
カイからキーを受け取る。
「かけていい?」
「そのために呼んだ」
エンジンが目を覚ます。
以前より硬く、低くなった排気音が夜のガレージへ響いた。
蓮はステアリングを握ったまま、その音をしばらく聞く。
「最低限の確認は終わってる。でも、明日がサーキットでの本格的な初走行だからな。最初から無茶すんなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってるって」
「壊したら俺が泣くぞ」
「俺の車だろ」
「ここまで作ったの俺らだからな」
蓮が吹き出した。
視線を計器へ落とし、もう一度ステアリングを握り直す。
明日、この車で初めて本気でコースを走る。
それを想像しただけで、身体の奥がじっとしていられない。
「早く明日になんねえかな」
隠しきれない期待を乗せた声に、カイは小さく笑った。
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