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『引きこもり高校生、犯罪都市でギャングを始める ~友達ゼロだった俺の成り上がり~  作者: 阿鼻恭介
第1章

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第1章 第18話 噂を拾う少女

 昼を少し過ぎた《SUNSET DINER》は、遅めの昼食を取る客たちでほどよく賑わっていた。


 厨房では鉄板の上で肉が焼ける音が続き、コーヒーと揚げ物の匂いが店内に混ざっている。大きな窓の向こうでは、南部と中央地区を結ぶ通りを配送トラックやタクシーが絶え間なく行き交っていた。


 悠斗は入口近くで一度足を止め、店内を見回した。


 待ち合わせの相手とは、まだ一度も会ったことがない。


 アキラを通じて連絡先を知り、昨夜初めてメッセージを交わした雨宮ナナ。


 EMBERの名前を持ち出してきた怪しい仕事を断ったことを伝えたところ、


『似たような話、ちょっと聞いたことある』


 と返ってきた。


 それが今日ここへ来た理由だった。


「悠斗?」


 突然名前を呼ばれ、肩が小さく跳ねる。


 声のした方を見ると、奥の四人掛け席から一人の少女が手を上げていた。


 肩にかかる程度の黒髪。毛先だけが少し明るく、薄手のパーカーの上からショートジャケットを羽織っている。テーブルにはスマートフォンと飲みかけの炭酸飲料、それからほとんど空になったポテトの皿が置かれていた。


「……雨宮ナナさん?」


「正解。こっち」


 手招きされ、悠斗は向かいの席へ腰を下ろした。


「初めまして。神谷悠斗です」


「うん。知ってる。アキラから聞いた」


「何をですか?」


「最近知り合った、ちょっと慎重な年下がいるって」


「……それだけならよかったです」


「何かもっと変なこと聞かれてると思った?」


「アキラなら言いそうなので」


 ナナが吹き出した。


「それ本人に言ったら絶対喜ぶよ」


「言わなくていいです」


「ちゃんと返してくるんだ」


 また笑われた。


 けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。


 前世では、誰かに笑われるだけで胸の奥が強張った。自分の言葉や失敗を馬鹿にされているのではないかと、反射的に考えてしまっていた。


 ナナの笑い方には、今のところそういう棘を感じない。


「悠斗、何頼む?」


「まだ決めてません」


「じゃあ早めに決めた方がいいよ。ここ、もう少ししたら混むから」


 そう言った直後、注文票を持ったミオがやってきた。


「あ、本当に待ち合わせだったんだ」


「……その言い方、信用してなかったみたいじゃないですか」


「だって悠斗が『二人で座れる席ありますか』って聞いてきたから」


「普通じゃないですか」


「普通だよ」


 ミオはそう答えたものの、口元にはわずかな笑みが残っていた。


 悠斗はハンバーガーとアイスティーを注文する。


 ミオが厨房へ戻ると、ナナがその背中を見送った。


「仲いいんだ」


「よく来るので。ミオさんとは、カイにここへ連れてきてもらってから何度も話してます」


「カイって整備士の?」


「知ってるんですか?」


「名前だけ。アキラから聞いた」


「……アキラ、どこまで話してるんだろう」


「大したことは聞いてないって」


 ナナは笑いながらストローを咥えた。


「それより昨日の話」


「あ、はい」


 悠斗も少し姿勢を正す。


 ナナはスマートフォンを手に取り、画面を数回操作した。


「今のところ、似た話を二件だけ拾えた」


「二件?」


「うん。どっちも若い犯罪者相手。『有名なギャングと繋がってる』『簡単な仕事をやれば紹介できる』って感じ」


 画面には、匿名で書き込まれた短い文章が表示されていた。


 不審な仕事を持ちかけられ、途中で断ったという内容だ。


「一件は悠斗と同じで、EMBERの名前を出されたって」


「もう一件は?」


「組織名までは書いてない。でもやり方が似てる」


 ナナが画面を指で滑らせる。


「高めの報酬を先に見せる。仕事内容は詳しく言わない。質問すると『細かいこと気にするな』って返してくる」


 悠斗は昨日の男とのやり取りを思い出した。


「同じ人なんですか?」


「分かんない」


 ナナはすぐに首を横へ振った。


「番号も違うし、証拠もない。似てるってだけ」


「EMBERが本当に関わってる可能性は?」


「それもゼロとは言えない。でも今の情報だけなら、名前を勝手に使ってる方がありそうかなって思ってる」


「どうして?」


 問い返すと、ナナの目が少しだけ楽しそうに細くなった。


「ちゃんと聞くんだ」


「え?」


「『じゃあ偽物なんですね』って決めつけるかと思った」


「前に、確認しないで失敗したので」


 最初の裏仕事を思い出す。


 中身を知らない荷物。


 盗難車だと知らないまま握ったハンドル。


 後ろから迫ってきたパトカー。


 あの頃の自分なら、有名なギャングの名前を出されたというだけで多少は安心していたかもしれない。


「まあ、それでいいと思う」


 ナナはスマートフォンをテーブルへ置いた。


「有名な名前を出せば、新人は信じやすいでしょ。でも本当にその組織の仕事かどうかは別。私も本人に確認したわけじゃないし」


「ジンさん本人の仕事じゃないって話までは、蓮から聞きました」


「ジンさん?」


「EMBERのボスです」


 一瞬だけナナの表情が止まった。


「……え、悠斗、黒瀬ジンと知り合いなの?」


「知り合いっていうほどでは……タクシーの客として最初に会って、最近また会っただけです」


「それを普通に『だけ』って言う?」


「連絡先も知らないので」


「そこは持ってないんだ」


「はい」


 ナナはしばらく悠斗を見たあと、妙に納得したように頷いた。


「なんか、聞いてたより変な人脈してるね」


「褒めてます?」


「半分くらい」


「残り半分は?」


「面白い」


「やっぱりそれなんですね……」


 ナナは小さく笑ったあと、少しだけ真面目な顔へ戻った。


「でも、ジン本人の仕事じゃないなら、なおさら触らなくてよかったと思う。誰が何のために名前使ってるのかはまだ分かんないけど」


「昨日は千五百ドルって言われました」


「高いね」


「最初の裏仕事が二千ドルだったので、少し迷いました」


「最初からそんな仕事したの?」


「……盗難車だと知らずに」


「それはひどい」


「後から知りました」


「よく続けたね」


 言われて、悠斗は少し考えた。


「怖かったですけど……やめたいとは思わなかったので」


「ふうん」


 ナナはそれ以上、理由を聞かなかった。


 その代わり、空になったポテトの皿を見下ろす。


「まあ、怪しい依頼がまた来たら送って。分かる範囲なら見る」


「ナナさん、こういうの普段から調べてるんですか?」


「趣味みたいなもの」


「趣味?」


「街の噂見るの好きなんだよ。SNSとか掲示板とか、店で聞いた話とか」


「それ、かなり情報集めてません?」


「全然。私が見えてるのは表に出てきた話だけ」


 ナナは肩をすくめた。


「本当に詳しい人はもっとすごいよ。私は気になったことを覚えて、知り合いに聞いたりするくらい」


「知り合い多そうですね」


「まあ、それは多いかも」


 そこはあっさり認めた。


「店員とか、整備屋とか、配達してる人とか、レース見に行く人とか、夜の店で働いてる子とか。街って、犯罪者だけで動いてないでしょ」


 悠斗は顔を上げた。


 その一言には強く納得できた。


 タクシーを運転していれば、毎日いろいろな人間を乗せる。


 会社員もいる。


 観光客もいる。


 警察官だっている。


 整備士も、店員も、犯罪者もいる。


 誰かの大事件には関係のない人間も、それぞれの生活を送りながら同じ街を見ている。


「犯罪者って、自分が目立ってないつもりで結構目立つんだよ」


「そういうものですか?」


「毎晩同じ車が倉庫の前に停まってたら近所の人は覚えるし、急に金持ちになった奴がいたら店員だって気づくでしょ」


「……タクシー運転手も同じか」


「そうそう。悠斗も結構いろいろ見てそう」


「客から聞いたことを勝手に話すのはまずいと思うけど」


「その判断でいいよ」


 ナナはあっさり頷いた。


「何でも喋る奴って、情報集める側からしても信用できないし」


 その考え方は少し意外だった。


「じゃあ、本当に怪しいのだけ相談します」


「うん。私も分かんない時は普通に分かんないって言うから」


「その方が助かります」


「あと敬語いらないよ」


「……急ですね」


「一歳しか違わないんでしょ?」


 さっき自分が言った言葉をそのまま返され、悠斗は詰まった。


「まあ、そのうちでいいけど」


 ナナは無理に距離を詰めてくることなく、炭酸飲料のストローを咥えた。


 そこへミオが料理を運んでくる。


「お待たせ」


「ありがとうございます」


「ナナちゃんは追加いる?」


「ポテトもう一個」


「さっき食べたでしょ」


「情報使うとお腹減る」


「それ情報関係ないと思う」


「じゃあ普通にお腹減った」


「最初からそう言って」


 二人のやり取りを聞きながら、悠斗はハンバーガーに手を伸ばした。


 どうやらナナとミオも初対面ではないらしい。


 自分の知らないところで、人と人は普通に繋がっている。


 この街で暮らし始めてから、そういう場面を見ることが増えた。


「そういえば悠斗って、普段は一人で裏仕事してるの?」


 食事が半分ほど進んだところで、ナナが尋ねた。


 悠斗は少し考える。


「一人……ではないと思います」


 口にしてから、自分でもわずかに驚いた。


「最初はユウジって人から仕事を回してもらうことが多かったんですけど、今は蓮とも仕事するし、アキラから直接連絡が来ることもあります。シオンさんとも何度か会いました」


「結構いるじゃん」


「まだ仕事仲間って感じですけど」


「カイは?」


「カイは犯罪関係じゃないです。友達です」


 そこだけは自然に言えた。


「ミオさんも、ここへ来れば話しますし。ハルトさんにはレースへ誘ってもらって……」


 少し考えてから、悠斗は続けた。


「タクシーの客で、アリサさんっていう警察官とも知り合いました。連絡先は知らないですけど」


「警察にも顔見知りいるんだ」


「本当に客として一回乗せただけです」


「それでも十分変わってるよ」


「ジンさんも最初はタクシーの客でした」


「そっちはもっと変」


 ナナが即答したので、悠斗も少し笑った。


「言われてみると、そうかもしれないです」


 仕事を始めた頃は、ただ人と知り合えればいいと思ってタクシーを選んだ。


 そこから実際に知り合ったのは、整備士、店員、レーサー、警察官、犯罪者、そしてギャングのボス。


 ユウジのように、仕事はくれるがどこまで信用していいのか分からない相手もいる。


 蓮やアキラのように、少しずつ一緒にいる時間が増えている相手もいる。


 シオンとはまだ会話も多くないし、ジンとは連絡先すら交換していない。


 誰も同じ関係ではなかった。


「……なんか、増えましたね」


 思わず口から漏れる。


「何が?」


「知り合い」


 ナナがポテトを一本つまみながら、あっさり答えた。


「いいじゃん」


 それだけだった。


 大げさに褒めるでもなく、理由を聞くでもない。


 その軽さが、悠斗にはちょうどよかった。


 食事を終えて店の外へ出る頃には、午後の日差しも少し弱くなっていた。


 大通りには仕事中の車がまだ多く、遠くから救急車のサイレンが近づいてきて、交差点を抜けると再び小さくなっていく。


「じゃあ、何か分かったら連絡する」


「お願いします」


「また敬語」


「……じゃあ、頼む」


 一瞬だけ迷ってから言い直す。


 ナナが少し目を丸くした。


「お」


「何ですか」


「いや。ちゃんと言えるんだなって」


「今の絶対からかってますよね」


「ちょっとだけ」


 悠斗は小さく息を吐いた。


 まだ完全に自然ではない。


 それでも、相手が距離を縮めようとしてくれたから、自分も少しだけ近づいてみようと思えた。


「じゃあ、またね」


 ナナが片手を上げて歩き出す。


 数歩進んだところで振り返った。


「そうだ。今度アキラとか蓮も一緒に飯行こうよ」


「四人で?」


「嫌なら別にいいけど」


「いや……」


 複数人での食事。


 前世なら、それだけで断る理由を探していた。


 今も緊張しないわけではない。


 アキラはよく喋るし、蓮も遠慮がない。そこへ今日初めて会ったナナまで加われば、自分はほとんど聞き役になるかもしれない。


 それでも、断りたいとは思わなかった。


「行きたい」


「じゃあ、そのうち日合わせよう」


 ナナはそれ以上大げさに反応せず、今度こそ人通りの中へ消えていった。


 悠斗はその背中を見送ってから、スマートフォンを取り出した。


 連絡先を開く。


 カイ。


 ユウジ。


 蓮。


 ハルト。


 アキラ。


 シオン。


 そして今日、新しく加わったナナ。


 そこにアリサさんやミオさん、ジンさんの名前はない。


 それでも、連絡先に入っていないからといって、知らない人に戻るわけではなかった。


 店へ来ればミオさんがいる。


 街で偶然会えば、アリサさんとは言葉を交わせるかもしれない。


 ジンさんとは、まだ連絡する手段すらない。それでも、あの男が自分のことを覚えているのは知っている。


 友達。


 仕事相手。


 まだ信用しきれない相手。


 顔見知り。


 少し緊張する年上。


 今日初めて会ったばかりの相手。


 関係は、それぞれ違う。


 ほんの一か月ほど前まで、この街で悠斗の名前を知る人間は一人もいなかった。


 今はもう、そうではない。


 悠斗はスマートフォンを閉じる。


 先ほどナナへ答えた言葉が、もう一度頭に浮かんだ。


 一人ではない。


 まだ胸を張って「仲間がいる」と言えるほどではない。


 けれど、その手前まで自分は確かに来ている。


 悠斗は少しだけ口元を緩め、タクシー会社へ戻るため歩き出した。

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