第5章 第174話 守るための準備
《RAVEN MOTOR FEST》の募集を始めた翌朝。
NOXの事務所では、昨日から届き続けている応募や問い合わせの整理が進んでいた。
ナナとトウマはノートパソコンを並べ、一般応募、展示、出店、協賛と項目ごとに振り分けている。
少し離れた机では、シオンがイベント会場となるサーキットの資料を眺めていた。
常設サーキットだけあって、コース周囲のフェンス、スタンド、ピットウォール、救護室、緊急車両用ゲートといった基本設備は最初から揃っている。
サーキットを予約した段階で、それらを今回のイベントでも使用できることも確認済みだ。
今日詰めるのは、その先だった。
車両展示。
飲食出店。
ピットウォーク。
数千人規模を想定した一般客。
そして、NOXとSHIFTの共同イベントだからこそ来場するであろう、他ギャングの関係者。
「そろそろ行くか」
資料を鞄へ入れ終えた朝倉迅が立ち上がった。
「警備会社が先?」
シオンが聞く。
「午前はそっち。午後は病院」
「今日は確認だけ?」
「そう。必要な人員と配置、どこまで頼むか。まだ契約まではしない」
「分かった」
その時、奥でスマートフォンを操作していたカナメが顔を上げた。
「朝倉」
「はい」
「ギャング関係の管理は警備会社に投げるなよ」
「そこは俺らでやります」
「ならいい」
カナメはスマートフォンを机へ置いた。
「チケットの件は俺から各組織のアンダーまで通す」
悠斗も顔を上げる。
「組織ごとにまとめて買ってもらうやつですよね」
「ああ。参加する奴の名前も出してもらう」
「名簿も?」
「その方が早い」
ギャング関係者用のチケットには所属組織名を入れる。
さらに各ギャングには、来場予定者を事前にまとめてもらう。
当日は専用入口から入場させ、会場内でも完全に隔離するのではなく、各組織ごとに基準となる観覧・待機場所を設ける。
そして、各ギャング自身にも構成員を管理する責任者を置いてもらう予定だった。
「CROWN、MIRAGE、EMBERには俺から伝える。SHIFTは向こうでも共有する。NOXはこっちで管理する」
カナメの声が少し低くなる。
「会場で抗争や喧嘩を始めたら、その時点でNOXとSHIFT両方に喧嘩を売った扱いだ」
「一般チケットで入ろうとした場合は?」
悠斗が聞く。
「勝手にやったなら所属先に引き取らせる。組織ぐるみなら別件だ」
説明はそれだけだった。
朝倉が頷く。
「その辺は警備会社にも伝えておきます。一般客の安全は向こう、ギャングの統制は俺らとSHIFT」
「そうしろ」
カナメは再びスマートフォンを手に取った。
「俺はこっちを進める。お前らは外を頼む」
「了解です」
朝倉が軽く手を上げる。
シオンはすでに出口へ向かっていた。
「早く」
「お前、こういう時だけ急かすよな」
二人は事務所を後にした。
◇
数十分後。
二人は市内のイベント警備会社を訪れていた。
応接室のテーブルへサーキットの施設図を広げ、朝倉がイベント概要を説明する。
「レースだけじゃなく、カスタムカーとショップのデモカー展示、飲食出店、ピットウォークもやります。一般客も入れます」
担当者が図面へ目を落とした。
「常設サーキットなら、コース周辺の安全設備は施設側のものをそのまま使えますね」
「はい」
「こちらで重点的に見るなら、入退場、展示・飲食エリア、パドック周辺、ピットウォーク終了時の誘導ですね」
「そこを相談したかったです」
一般客向けの入口は二か所。
それとは別に、レーサー、運営スタッフ、整備、出店・展示業者、搬入車両などが使う既存の関係者用ゲートがある。
「一般客向けの二か所は両方使いますか?」
「一つは一般客。もう一つはギャング関係者専用にします」
担当者の手が止まった。
「ギャング専用?」
「はい」
「……普通に言いますね」
「この街なんで」
朝倉が平然と返す。
横でシオンが小さく頷いた。
「普通」
「いや、普通ではないと思うんですけど」
担当者が苦笑しながらメモを取った。
「では、ギャング側は専用入口で確認?」
「所属名入りのチケットと事前名簿です」
「それならかなり管理しやすいですね」
「問題は、一般チケットで入ろうとする奴です」
担当者が頷く。
「警備員だけでは所属までは分かりません」
「だから一般入口には、NOXとSHIFTから一人ずつ確認役を置きます」
「全員をその二人で見る?」
「いや」
朝倉は首を振った。
「基本は普通に警備員と受付で流す。名簿にいる名前だったり、見覚えがある奴だったり、怪しい時だけこっちに回してもらいます」
シオンが補足する。
「顔と所属の確認役」
「なるほど。それなら詰まりにくいですね」
「NOX一人、SHIFT一人。両方置きます」
「一般入口で所属が確認できたら?」
「ギャング入口に回します。拒否したら入れません」
「そこは明確にしておきましょう」
担当者は施設図に印をつけた。
その後は、ピットウォークと観客導線の確認へ移った。
「終了時は、競技車両が動き出す前に一般客を完全に出してください」
「そこは徹底します」
シオンが図面の一角を指した。
「ここ」
「何?」
「ピットウォーク終わった客がスタンドに戻る流れと、パドック側に戻る関係者の流れが近い」
朝倉が覗き込む。
「ああ、確かに」
「既存の柵がありますから、増やすなら人員ですね」
担当者も頷いた。
「時間帯だけ誘導員を厚くするのがいいでしょう」
「通路を分けられるなら分ける?」
「その方がいいですね」
さらに展示エリアへ話が移る。
「展示車は触っていい車と駄目な車を明確にしてください」
「勝手に触る人います?」
「います」
シオンが即答した。
「いる」
朝倉が横を見る。
「お前、なんでそんな自信あるの?」
「触ったことある」
「お前側かよ」
担当者が吹き出した。
「じゃあ余計に表示は必要ですね」
「反省してます」
「今?」
「今」
朝倉が額を押さえた。
そんな軽いやり取りを挟みつつ、最後に必要人数と概算費用を出してもらう。
朝倉は数字へ目を通した。
「想定内ですね」
「現時点では少し余裕を持っています。来場者数と最終配置が決まれば調整できます」
「分かりました。この額で一度持ち帰ります」
警備費そのものは、大きな問題ではなかった。
常設サーキットには基本設備が揃っている。
ギャングの統制もNOXとSHIFT側で行う。
必要な場所に必要な人員を置くなら、この程度は妥当だった。
担当者が資料を閉じかけ、ふと尋ねた。
「ちなみに、イベント運営会社はもう入っていますか?」
朝倉が顔を上げる。
「運営会社?」
「受付、案内、場内進行、出店者対応、問い合わせ窓口なんかを回す会社です」
「警備とは別?」
「別です。この規模でNOXとSHIFTの方だけで全部やるのは、かなり厳しいと思います」
シオンが朝倉を見る。
「いるね」
「いるな」
朝倉はメモへ一行だけ追加した。
「そこ、完全に抜けてました」
「早めに入れた方がいいと思います」
「持ち帰ります」
これ以上はここで決める話ではない。
運営会社の選定と費用は、悠斗やカナメ、玲奈も交えて詰めることになる。
◇
昼食を済ませた二人は、午後から病院へ向かった。
事前に話を通していたため、受付を済ませると管理側の担当者と救急部門の職員が待つ部屋へ案内された。
朝倉は再びサーキットの施設図を広げる。
「当日の救護体制について相談したいです」
イベント概要を一通り説明すると、担当者は図面へ目を落とした。
「救護室はこちらですね」
「はい。予約時点で使用許可は出ています。緊急車両用ゲートと搬送ルートも使用可能です」
「それなら、その設備を基本に考えましょう」
担当者の指が図面をなぞる。
「問題は今回の来場規模ですね。既存の救護室だけで足りるかどうか」
「追加がいる可能性も?」
「あります」
「ドライバー用ですか?」
「観客用の意味合いも大きいです」
熱中症。
脱水。
転倒。
持病。
飲食による体調不良。
人混みでの怪我。
展示エリアでの事故。
レースだからといって、救護が必要になるのはコース上だけではない。
「展示と飲食エリアが離れてます」
朝倉が図面を指す。
「なら、その周辺に簡易救護所を一つ置く案はありますね」
シオンが候補位置を指した。
「ここ?」
担当者が少し考える。
「悪くないですが、そこは人の流れが多くなりませんか?」
朝倉が午前中のメモを見る。
「警備会社にも言われた場所だ」
「でしたら、警備側と一緒に決めた方がいいですね」
「了解です」
必要になるのは、簡易ベッド、AED、応急処置用品、水、電源、連絡手段。
設備そのものより、どこに置き、誰を配置するかが重要だった。
「当日、救急スタッフに会場待機してもらうことはできますか?」
「できます。ただ、人数はまだ決められません」
「何を出せばいいです?」
「開催日時、開催時間、想定来場者数、競技内容、会場図。そのあたりですね。正式に提出してもらえれば、病院と救急側で必要な人員を判断します」
朝倉がメモを取る。
「ちなみに、そこって主催側の費用は?」
「掛かりません」
「無料?」
「少し違います」
担当者は穏やかに首を振った。
「この街では、闇医者のような正規制度外を除けば、病院も救急も公的機関です。医師も救急隊員も公務員なので、イベント主催者から待機料や派遣料を受け取って利益を得ることはできません」
「実際に怪我人が出た場合は?」
「診察や処置、搬送を受けた本人に、通常通り費用が発生します」
「なるほど」
朝倉が頷く。
「俺らが金払って待機人数を増やしてもらう仕組みじゃない、と」
「そういうことです」
「金積んだら優先してもらえる?」
シオンが聞く。
「できません」
「了解」
説明はそれで十分だった。
必要性が認められれば、公務として人員が配置される。
その判断をしてもらうために、主催側が早めに正確な情報を出す必要がある。
「じゃあ、来場規模が見えてきたらすぐ正式資料を出します」
「お願いします」
打ち合わせを終え、二人が廊下へ出る。
「あれ?」
聞き覚えのある声に振り向く。
白鳥ユナだった。
仕事中らしく制服姿で、手には書類を抱えている。
「シオンさんと朝倉さん?」
「どうも」
「二人揃って病院って、誰か怪我したんですか?」
「今日は違う」
朝倉が笑った。
「イベントの相談」
「イベント?」
「NOXとSHIFTでレースやる」
ユナが目を丸くした。
「悠斗さんたちも関わってるんですか?」
「思いっきり」
「じゃあ、救護はちゃんと準備してくださいね」
「なんでそこで悠斗なんだよ」
ユナは少し呆れた顔をする。
「大河さんが撃たれた時も、銀行強盗の時も大変だったじゃないですか」
大河が撃たれた時。
そして、その後に自分たちが銀行強盗で運び込まれた時。
シオンは何も言わず、小さく頷いた。
「今回は普通のイベントだって」
朝倉が言う。
「普通に終わらせるために準備するんです」
ユナはすぐに返した。
朝倉が一瞬黙る。
「……正論だな」
「でしょう?」
ユナも少し笑った。
「あと、レース事故だけ見ないでくださいね。観客の体調不良の方が数は多いかもしれませんから」
「今日それ言われた」
「じゃあちゃんと聞いてください」
「はいはい」
「はいは一回です」
「厳しいな」
ユナは軽く手を振り、そのまま仕事へ戻っていった。
◇
病院を出た頃には、午後の日差しが少し傾いていた。
朝倉が運転する車の助手席で、シオンがメモを見返している。
「警備」
「うん」
「一般入口とギャング入口を分ける。一般側の所属確認はNOXとSHIFT一人ずつ」
「名簿も使う」
「ピットウォーク後の導線は人員増やす」
「そこは運営会社とも共有だな」
シオンがページをめくる。
「運営会社」
「今日一番の追加案件」
「探す」
「悠斗とカナメさんに話す。玲奈さんにも費用見てもらう」
「病院」
「救護室と緊急ゲートはもう使える。必要なら簡易救護所追加。正式資料出したら向こうで人員決める」
「主催側の派遣費なし」
「そう」
そこでシオンがメモを閉じた。
「終わり」
「珍しく短いな」
「必要なことだけ」
「最初からそうしてくれよ」
「朝倉さんが喋りすぎ」
「俺が悪いの?」
「多分」
朝倉がため息をつく。
その直後、信号が青へ変わった。
車は再びNOXの事務所へ向けて走り出す。
昨日までは、応募や問い合わせが増えることばかりに目が向いていた。
だが、人を集めれば、それを案内する者がいる。
走らせるなら、それを守る者がいる。
万が一が起きた時には、救う者もいる。
そして、その全部をNOXとSHIFTだけで抱える必要もない。
任せるべきところは、専門家に任せる。
その上で、自分たちにしかできない判断をする。
《RAVEN MOTOR FEST》は、少しずつ企画から、本当のイベントへ変わり始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
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