第5章 第168話 経験を持ち寄る
翌朝、悠斗は玲奈から出された条件をカナメへ報告した。
イベント用の資金をほかの金と分け、入出金をすべて記録すること。玲奈が扱うのは合同イベントの会計だけとし、帳簿に載せられない金には触れないこと。
カナメは紙へ目を通し、机の上へ置いた。
「条件は認める。会計を依頼する方向で進めていい。ただし、報酬と支出を承認できる範囲は、見積もりと仕事量を確認してから決める。正式に決まるまでは、組織の資料を渡すな」
「分かりました」
玲奈の協力は前向きに進めるが、仕事として正式に任せるのは報酬や扱う情報の範囲を決めてからだ。
「今日の視察は企画側の一次確認だ。アキラは契約に必要な情報を集めてエマへ渡せ。シオンも危険箇所を確認するところまで。警備の人数や配置は、担当幹部が決める」
二人が頷く。
「SHIFTは、以前からこのサーキットでレースを企画している。使える資料や経験があるなら、それを活かせ。全部を一から確認する必要はない。合同開催で変わる点と、今の施設条件を押さえてこい」
「内容を整理して持ち帰ります」
「それでいい」
東部の砂漠地帯を抜けた先に、視察予定のサーキットがあった。
黒いテンペストと蓮のレイザーが入口のゲートを通り、駐車場へ入る。乾いた風が砂を運び、管理棟の向こうから試走車のエンジン音が響いていた。
管理棟前で待っていたのは、赤を基調に黒を差したレーシングジャケット姿の柊サラと、SHIFTの運営担当、警備担当の三人だった。運営担当は施設図とファイルを持ち、警備担当は折り畳んだ配置図を脇に抱えている。
「来てくれて助かる。前にここで開催した時の資料を持ってきたよ」
運営担当がファイルを開いた。過去のレースで使った進行表や施設図、来場者の案内図が綴られている。
「蓮も、ここは知ってるんだよね?」
悠斗が尋ねると、蓮は曖昧に頷いた。
「一度か二度、走ったことがある。コースの雰囲気は覚えてるけど、最近の状態までは分からないな」
「ちょうど、前回から路面の補修が入ってるの。そこは実際に走って確かめよう」
サラが施設図を指で押さえた。
「今日は視察用にコースを使える時間をもらってある。安全確認を済ませてから、蓮と走ってみるつもり」
「走るなら、俺も行く」
「そのために呼んだんでしょ」
サラの返事に、蓮は口元を緩めた。
今回は正式な会談ではなく、現場の問題を洗い出すための視察だ。NOXの五人もスーツではなく、動きやすい黒い服装で来ていた。SHIFT側にアンダーボスの姿はなく、現場を知る運営担当と警備担当がサラと共に対応している。
施設責任者に案内され、一同は管理棟の事務室へ入った。
長机には料金表と利用規約が用意されていたが、SHIFTの運営担当はファイルから前回の資料を取り出し、必要な箇所をすぐ開いた。
「会場の申請や一般客の受付、当日の進行で必要なものは、前の開催でまとめてある。施設側にも、前回の書類を探してもらっていた」
「警備の配置図もあります。前回のまま使える部分と、今回の企画に合わせて変える部分を分けてあります」
警備担当が図面を机へ広げた。
施設責任者は基本的な申請手順や設備の説明を繰り返す必要がなく、変更点の確認から話を始めた。主催者が提出する警備計画と救護体制、市への興行申請についても、SHIFT側には過去の経験がある。
「主催者名義は、前回と同じSHIFT側で出すんですか?」
アキラが尋ねた。
「合同主催にするなら、名義をどうするかは改めて決めないといけない。前回の書類をそのまま使うことはできないよ」
「名義と責任の範囲は、NOX側のエマにも共有して、両組織で確認します。今日は必要書類を把握するところまでですね」
「そうだね。申請書の新しい様式と、必要書類の一覧は渡しておく」
アキラは一覧を受け取り、契約確認が必要な箇所に印をつけた。すでに分かっている手順を一から聞くのではなく、合同開催で責任者が変わる部分に質問を絞っている。
「前回から料金は変わっていますか?」
悠斗が見積もりを確かめると、施設責任者は料金表を示した。
「基本料金は変わっていません。ただ、保証金と保険の条件は現在の規定で確認してください」
アキラは保証金が会場費に充当されること、主催者側の都合で取り消した場合は返金されないこと、規定内の日程変更なら引き継げることを確認し、エマへ渡すメモに加えた。
「空いている日は来月の第二土曜日と第四日曜日です。第二土曜日には、ほかのお客様からも問い合わせがあります。保証金を受け取るまでは、どちらも先着順です」
「空き日程と金額を持ち帰ります。日程は両方の組織で調整してから連絡します」
悠斗はその場で決めず、資料へ候補日を書き込んだ。保証金を支払う権限は、まだ彼にはない。
事務室を出ると、サラがサーキットの入口で待っていた。
「コースは閉鎖してあるから、施設の許可範囲で走れる。先に私が一周して、補修箇所を見せるね」
サラがヘルメットをかぶり、愛車へ乗り込む。蓮も続いてレイザーのエンジンをかけた。高い音が乾いた空気を震わせる。
施設のスタッフがピット出口を確認し、二台へ合図を送った。
サラの車が先にコースへ入り、蓮が十分な距離を保って続く。最初の周回では、サラが補修された路面の位置を無線で伝えた。
『ホームストレートの先、右側が新しく舗装されてる。前より滑りにくいけど、古い路面との境目に段差が残ってる』
『見えた。次で感触を確かめる』
蓮は次の周回で同じ区間を通り、路面のつなぎ目を越えた時の車体の揺れを確認する。サラはその先のコーナーへ入り、速度を保ったまま車を傾けた。
上り坂の頂点では、コースの先が一瞬見えなくなる。
『ここは前から見通しが悪い。前に走った時も気になったけど、坂の向こうで車が止まってたら気づくのが遅れる』
『だから確認員を置く。前回の運営でもそこは注意箇所にしてたけど、今回は走行枠を分けるなら配置も見直す必要があるわね』
最後のコーナーを抜けると、サラがピットへ戻る合図を出した。蓮は速度を緩め、少し間を置いて後に続く。
ヘルメットを外した蓮は、コース図の舗装継ぎ目と坂の頂点に印をつけた。
「一、二度走った時とは路面が変わってた。最近の状態を知らないまま、覚えてるつもりで走るのは危ないな」
「補修後の感触を確かめられたのは大きいね。参加車両の区分や走行枠を決める時に、運転担当へ共有する」
蓮は決定事項と混同しないよう、「視察で分かったこと」としてメモをまとめた。
その間、シオンはSHIFTの警備担当と共に、観客席からピットへ続く通路を歩いていた。
「前回の配置図では、ここを開放していないな」
「走行中に客が車両側へ入らないよう、閉鎖していました。今回、車両展示をするなら、休憩時間に限って開ける案が出ています」
シオンは出入口と通路の幅を確認した。
「展示中も救急車の進入路は塞げない。時間を区切るなら、開放中にどこへ係員を置くか、担当幹部に判断してもらう」
「そうですね。ここは前回と同じ配置では足りません」
二人は人数を決めず、前回の配置図に変更が必要な場所だけを書き加えた。
救護室にはベッドと洗面台があり、担架を通す広さもある。一方、救護員や医療器具は常設されていない。
「前回は救急隊に待機を依頼しました。今回も正式に相談する必要があります」
「救急車の待機場所と、観客の動線が交差しないようにしたい。ここも救護担当へ伝えておく」
シオンは搬送経路を撮影し、NOX側の警備担当幹部へ渡す資料に加えた。
観客席と駐車場の収容数は、SHIFTの資料ですぐに確認できた。客席は八百人分あるが、場内駐車場は百六十台分。過去の開催記録にも、来場者が増えると駐車場から先に余裕がなくなると記されている。
「今回も参加者や出店者の車があるから、客席の定員まで入場させるのは難しいね」
ナナは前回の案内図に、今回の企画で変わる点を書き足した。
「車両展示を休憩中だけ行うなら、受付から観客席へ進む流れを一部変えたい。展示時間に合わせて、ここからピットへ入ってもらって、出口は反対側にできるかな」
運営担当と警備担当が図面を確認する。
「その形なら、前回の導線を大きく崩さずに済みます。展示が終わる前にピットを閉めて、走行再開までに客を観客席へ戻しましょう」
「駐車場の空き台数を見て、入場人数に上限をつけた方がいいと思う。今回は場内だけで対応できる規模に抑える案を、両組織で検討しよう」
ナナが意見をまとめ、悠斗はSHIFT側と視線を交わした。
「その案をそれぞれ持ち帰りましょう。定員は、参加車両や出店数が決まってから調整したいです」
SHIFTの運営担当が頷く。
「そうしよう。以前の記録を基に、駐車場の使い方と受付方法はこちらでも案を作っておく」
視察が終わる頃、過去の資料には今回の変更点が書き加えられていた。
会場の申請手順や基本の警備配置、来場者の案内方法はSHIFTの経験を使える。改めて確認したのは、現在の料金と空き日程、補修後のコース、合同開催で変わる主催者名義や車両展示の動線だった。
駐車場へ戻ると、運営担当がファイルを閉じた。
「こちらは明日の昼までに希望日をまとめます。NOX側の希望も分かったら、日程を擦り合わせましょう。保証金は、双方の承認が取れてからです」
「分かりました。NOX側もカナメさんへ報告して、明日の昼までに希望をまとめます」
悠斗は見積書と施設図を整理した。
帰ったら、カナメへ全体を報告する。アキラは契約資料をエマへ、シオンは危険箇所を警備担当幹部へ、蓮は走行上の注意点をNOXの運転担当へ渡す。ナナは来場者の導線と駐車台数を広報担当のトウマと共有する。
玲奈へ見積もりを渡すのは、報酬と仕事の範囲が正式に決まってからだ。
SHIFTが積み上げてきた経験に、今回の合同開催で変わる点を重ねていく。五人が持ち帰る情報は、それぞれの担当者が判断するための材料になっていた。
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