第5章 第167話 案を予算に変える
午後八時を過ぎた頃、玲奈との待ち合わせに向かおうとしていた悠斗たちは、NOX拠点の一階でカナメに呼び止められた。
「白石玲奈の件だ」
カナメの隣には黒川トウマが立っていた。昨日、玲奈の身元確認を任された構成員だ。
「勤務先と交友関係を確認した。借金もない。悠斗たち以外に裏社会との継続的な繋がりは見つからず、以前から五人の金の管理について相談を受けていたという話にも食い違いはなかった」
「情報を売るような動きは?」
「確認した範囲ではない。だが、調査で人間のすべてが分かるわけじゃない」
黒川の答えに、悠斗は頷いた。玲奈とは長い付き合いがあり、信用もしている。それでも、NOXにとっては組織外の人間だ。知り合いだからという理由だけで内部の情報を渡していいわけではない。
カナメが黒川から報告書を受け取る。
「今夜、会って話すことは許可する。NOXとSHIFTがサーキットを借りて合同のレースイベントを開く計画であること、お前たち五人が企画と運営を担い、お前が実務責任者だということ。それから、会計を頼みたいことまでは伝えていい」
「分かりました」
「NOXの資金状況やほかの仕事、構成員の情報は話すな。白石が条件を出しても、その場で組織として返事をするな。すべて持ち帰れ」
「はい。今日は話を聞くだけにします」
「知り合いだからといって、手順を飛ばすな」
カナメの念押しに、悠斗はもう一度頷いた。
午後九時を少し回った頃、ダイナーには夕食時の賑わいがまだ残っていた。
厨房から鉄板で肉を焼く音が聞こえ、コーヒーと揚げ物の匂いが漂う。窓際の席では仕事帰りらしい客が食事をし、カウンターでは常連がテレビのスポーツ中継に声を上げていた。
駐車場には、NOXのステッカーを貼った黒いテンペストと、アキラの黒いプラントSが並んでいる。五人は店の奥のボックス席に集まり、周囲の声に紛れる程度の音量で話していた。
「五人そろって真面目な顔をしてると、食事に来たようには見えないね」
水を配りながら、ミオがからかう。
「今日は大事な相談だから」
「相談はいいけど、店の中では揉めないでよ。椅子を壊されたばかりなんだから」
「俺たちは壊してないぞ」
蓮の弁解に、ミオは疑わしげな目を向けた。
「壊した人も、座るまではそう言ってた」
ミオが注文を取りに戻ったところで、入口のベルが鳴る。仕事着のまま鞄を提げた玲奈が、店内を見回してから奥の席へ歩いてきた。少し乱れた髪と疲れた目元から、仕事帰りなのが見て取れる。
「待たせた?」
「いや、俺たちも少し前に着いたところ」
悠斗が席を詰める。玲奈は空いた場所に腰を下ろし、五人を見渡した。
「みんなで来るって聞いてたけど、本当に全員そろってると、ちょっと圧があるわね」
「俺たち全員に関わる相談だから」
ナナが答えると、玲奈は納得したように頷いた。
「じゃあ、話を聞かせて」
悠斗は声を抑えて、サーキットを正式に借りて一般客を招くレースイベントを計画していること、五人が企画と運営を担い、自分が実務を取りまとめることを説明した。カナメから許可された範囲を越えないよう、組織の内部事情には触れなかった。
「それで、私に会計を頼みたいのね」
「うん。収入と支出を毎日まとめる仕組みを作りたい。でも、何から決めればいいのか分からなくて」
「収入の案ならある程度出てる」
アキラが話を引き取った。
「観客の入場料と参加費。企業や店から協賛を募って、飲食店や車関係の店にも出店してもらう。前の打ち合わせで、そういう話になった」
「案はあるけど、金額や条件はこれから、ということね」
「そう。協賛先もまだ候補を探す段階だ」
玲奈は手帳を開いた。
「じゃあ、まず来場者数の見込み。会場の使用料、参加台数、賞金。協賛金を頼めそうな相手と、出店数。それがないと、収支の予測は立てられないわ」
アキラが前回出した案を、玲奈はひとつも自分の提案として扱わなかった。代わりに、それぞれを数字と確認事項へ置き換えていく。
「収入だけじゃなくて、会場費、設営費、警備費、救護、保険、清掃も必要。許可の申請に費用がかかるなら、それも入れる。賠償責任を誰が負うのかも、契約前に確認しておかないと」
カナメが前回指摘した課題が、手帳の上でつながっていく。
「悪天候で中止する場合も決めておく必要があるわね。会場のキャンセル料はいつから発生するのか。参加費や入場料を先に受け取るなら、返金条件も決めないと」
「そこはまだ考えきれてなかった」
悠斗が答えると、玲奈は責めるでもなくペンを走らせた。
「今の段階で全部決まっていないのは普通よ。ただ、決める順番はある。会場の条件が分からないと、必要な人員も費用も計算できない」
「明日はSHIFTとサーキットを見に行く予定だ」
「なら、コースだけ見て帰らないことね」
蓮が苦笑した。
「走る車と路面ばっかり見そうだった」
「車両の参加条件や、コース上の安全設備は蓮が確認できる。僕らは観客の導線や駐車場、救護所の場所も見ないと」
アキラの言葉に、ナナが頷いた。
「広報するなら、開催日時や定員も早めに固めたい。まだ告知はしないけど、問い合わせが来た時に答えられる情報は整理しておく」
「警備配置を考えるにも、出入口と立ち入り禁止区域が必要だ」
シオンが短く付け加える。
玲奈は五人の発言を聞き、それぞれの項目を手帳に書き分けた。
「収入の案はもうある。足りないのは、それを実際に見込める金額にするための情報と、必要経費を見落とさない仕組みね」
そのとき、玲奈のスマートフォンが震えた。画面を確かめると、彼女は小さく息を吐いて伏せる。
「仕事?」
「明日の会議で使う集計表を直しておいてって。帰ったらやるわ」
ミオがサンドイッチとコーヒーを運んできた。
「まず食べなよ。話は逃げないから」
「ありがとう」
玲奈が食事に手をつけるのを待ってから、悠斗は改めて頼んだ。
「最初の管理方法を作るところから、手伝ってほしい。俺たちも覚えるし、全部任せるつもりはない」
玲奈はコーヒーをひと口飲んでから答えた。
「引き受けるなら条件がある。イベントの資金は、NOXやSHIFTのほかの資金と完全に分けること。入金も支出も記録して、領収書や契約書を残すこと。帳簿に載せられないお金は扱わない」
「分かった」
「それから、誰が支出を承認するのかを決めて。五人が別々に約束したら、管理できないわ。私はこのイベントの会計だけを見る。ほかの仕事やお金には関わらない」
どれももっともな条件だが、悠斗だけで承認はできない。
「全部カナメさんに伝える。今日ここでは返事をせず、条件として持ち帰るよ」
「それでいいわ。もちろん、報酬も決めてもらうから」
「当然だよ。金額もカナメさんに相談する」
「正式に認められたら、このイベントに限って手伝う。今の仕事があるから、時間は夜や休日が中心になるけど」
玲奈はまだ引き受けたわけではない。あくまで条件を提示し、NOXの承認を待つ段階だ。
「次に会うまでの宿題もあるわよ」
手帳から一枚の紙を切り取り、玲奈が悠斗へ渡した。
「会場費と利用時間。観客席の定員、駐車台数、救護設備、警備上の制限。許可の条件と、事故が起きた時の責任範囲。悪天候で中止した場合のキャンセル料も確認して。数字が揃わないと予算は組めない」
五人は紙を覗き込み、それぞれの担当に関わる項目を確かめた。
明日の会場確認は、コースを見て車を走らせるだけでは済まない。イベントとして開催できる条件と、そのために必要な費用を持ち帰る仕事になる。
「分かった。カナメさんにも共有して、明日確認してくる」
悠斗が紙をしまうと、玲奈はようやくサンドイッチを食べ始めた。
協賛金や出店料の案は、すでに仲間から出ていた。けれど、案を並べることと、責任を持って実行できる計画にすることは違う。
その違いを、五人は今夜ひとつ学んだ。
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