第5章 第163話 ユウジの依頼人
「止まれ。両手を見えるところに出せ」
背後から飛んだ声に、ユウジの足が止まった。
目の前には、エンジンをかけたまま停車している黒い高級セダン。そのドアまで、あと数メートルしかない。
ユウジを乗せてきた白いタクシーは、すでに交差点を曲がっていた。人気のない倉庫街には、高級セダンのアイドリング音だけが低く響いている。
ユウジが両手を上げながら振り返った。
最初に見えたトウマの顔には覚えがない。それでも、その隣へ出てきたアキラの服にはNOXのロゴがある。さらに別の物陰から悠斗、蓮、シオンが姿を見せると、ユウジの顔が強張った。
「……NOX」
「手を下ろすな」
トウマが距離を保ったまま告げる。
アキラが近づき、上着の内側と腰回りを確認した。
「武器はないです。端末だけ」
「ナナ、そっちは?」
トウマが無線へ声を入れる。
『後ろから来た車はない。周辺にも動きなし』
「こっちは押さえた。テンペストで来い」
『了解』
向かいに停めていた黒いテンペストが移動してくる。ナナが運転席から降りたところで、トウマはユウジへ向き直った。
「その車を取りに来たな?」
「……何の話だよ」
「ここへ来るまで乗っていたタクシーを探して、運転手に聞いてもいい。降りてから真っすぐこの車へ近づいた理由を、そいつにも説明するか?」
ユウジは答えなかった。
「リョウとケンジから話は聞いてる」
二人の名前を出された瞬間、ユウジの視線が僅かに揺れた。
「お前が二人へ車を盗ませた。『NOXの悠斗たちから回ってきた仕事だ』と言ってな」
「俺は頼まれた通りに伝えただけだ」
「誰に頼まれた?」
「それは……」
「先に確認しておく。この仕事を悠斗たちは頼んでいない。NOXから出した依頼でもない」
ユウジの目が悠斗へ向く。
「俺たちの誰から頼まれた?」
悠斗が尋ねると、ユウジは答えなかった。
「俺でも、蓮でも、シオンでも、アキラでも、ナナでもないんだろ?」
その沈黙だけで、答えは十分だった。
「だったら、最初から俺たちの仕事じゃないと知ってたよな?」
「……車を集めるために、お前たちの名前を使えって言われたんだよ」
「それで、リョウさんたちを騙したの?」
ナナの声には、普段の明るさがなかった。
「名前を出した方が仕事を受ける奴を集めやすいって言われた。実際、あいつらも受けただろ」
開き直ったような言葉とは反対に、ユウジの上げた両手は微かに震えている。
「誰に言われた?」
トウマが尋ねる。
「言えない」
「なら、お前が一人でNOXの名前を騙り、車を盗ませたことになる」
「俺一人で考えたことじゃない」
「それを証明するなら、指示した人間の名前を話せ」
ユウジが唇を噛む。名前を使ったNOXにすべての責任を問われるか、指示した人間を明かすか。しばらく迷った末、周囲を見回してから口を開いた。
「……真壁コウタ」
トウマの眉が僅かに動く。
「SHIFTの真壁か?」
「ああ」
悠斗には初めて聞く名前だったが、トウマには心当たりがあるらしい。
「車や部品の運搬を任されてる、SHIFTの下っ端だな。お前もSHIFTに入ったのか?」
「入ってない。コウタさんから仕事を回してもらってるだけだ。最近は使いっ走りみたいになってるけど、俺は構成員じゃない」
「車は何に使うと聞いた?」
「SHIFTで使うって話だった。逃走車か、部品取りだと思ってた」
「それなのに、SHIFTの名前を隠して俺たちの名前を使ったの?」
悠斗が聞くと、ユウジは気まずそうに視線を逸らした。
「コウタさんが、自分やSHIFTの名前は出すなって言ったんだよ。お前たちなら最近名前が売れてるし、仕事を受ける奴も疑わないって」
銀行強盗を経てNOXへ入り、悠斗たちの名前は以前より知られるようになった。それを成り上がった証拠のように感じたこともある。
だが、広まった名前は自分たちの知らない場所でも力を持つ。信用だけでなく、恐怖や勘違いによって他人を動かす道具にもなるのだ。
「端末を開けろ」
トウマが言った。
「何でだよ」
「真壁に指示された証拠を確認する。見せないなら、お前の証言だけでは信用できない」
ユウジは躊躇したが、やがてスマートフォンを取り出した。ロックを解除し、コウタとのやり取りを自分で表示する。
『車を持ってこられる奴を探せ』
『簡単に受ける奴なんているか?』
『NOXの悠斗たちから回ってきた仕事だと言え』
『本人たちに確認されたらどうする?』
『俺から頼まれたとは言うな。確認される前に車を持ってこさせろ』
『車はSHIFTで使うんだよな?』
『そうだ。余計なことは聞くな』
ユウジが嘘だと知っていたことも、コウタが指示したことも残っていた。
「報酬はどこから出た?」
「コウタさんから先に渡された。そこからリョウたちに払って、残りが俺の取り分だ」
ユウジが答えた額を、アキラが記録する。
「最初の銀色のスポーツセダンは?」
「リョウたちがここへ置いた後、俺が運んだ」
「鍵はなかったはずだ」
「エンジンをかけたまま置かせた。写真が届いてから、すぐタクシーで来たんだ。着いた時もエンジンは動いてた」
「どこへ運んだ?」
「港湾地区の貸し倉庫。中へ入れた後は、そのまま帰れって言われた」
「場所を出せ」
ユウジが端末に住所を表示する。それを確認したトウマは少し離れ、カナメへ電話をかけた。
「真壁コウタの名前が出ました。SHIFTの構成員です」
端末に残っていた指示、ユウジが承知の上で名前を騙ったこと、銀色の車が港湾地区へ移されたことを順番に報告する。
『真壁が正式なSHIFT構成員なら、そっちだけで触るな』
「はい」
『ユウジと証拠を持って戻れ。銀色の車は別の人間に確認させる。SHIFTには俺から連絡する』
「了解です」
通話を終えたトウマが戻ってくる。
「ユウジ。NOXの拠点まで来てもらう」
「俺をどうするつもりだ?」
「それを決めるために話を聞く。お前は事情を知らずに車を運んだだけじゃない。嘘だと知った上でNOXの名前を使った。その責任についても話してもらう」
ユウジは顔を強張らせたが、拒否はしなかった。
◇
連絡を受けたリョウとケンジが、青いクーペで倉庫街へ戻ってきた。
ユウジを見つけたリョウが、車を降りて真っすぐ近づいてくる。
「ユウジさん。本当に悠斗さんたちの仕事じゃなかったんですか?」
「……違う」
「知ってたんですか?」
ユウジは答えなかった。
その沈黙を見たケンジの顔から、不安が怒りへ変わる。
「俺たちに嘘をついたんですか?」
「金は払っただろ」
「そういう話じゃないですよ」
詰め寄ろうとしたケンジを、リョウが腕で止めた。ここで勝手に揉めれば、話が余計にこじれると分かっているのだろう。
「最初の車を置いた時、エンジンはかけたままだったな?」
トウマが尋ねる。
「はい。ユウジさんからそう指示されました」
「報酬は?」
「ユウジさんから受け取りました」
金額も、車を置いた時刻も一致した。
「受け取った金は使うな。後で返してもらう」
「分かりました」
リョウが頷き、ケンジも不満を飲み込むようにユウジから目を逸らした。
◇
罠に使った黒い高級セダンは、その場で所有者へ返却した。
リョウが預かっていた正規の鍵を渡し、ナナと所有者が車体の傷、車内、走行距離を確認する。燃料代と協力への謝礼はNOXが負担すると伝えたところで、所有者はようやく張り詰めていた息を吐いた。
「もう二度と貸さないからな」
「それがいいと思います」
ナナが苦笑しながら答えた。
帰りは三台に分かれる。
黒いプラントSにはトウマ、アキラ、ユウジ。黒いテンペストには悠斗、ナナ、蓮、シオンが乗り、青いクーペはリョウが運転してケンジを乗せた。
日付が変わった街を走り、三台はNOXの拠点へ戻った。
カナメはユウジの端末に残っていたやり取りと、三人の証言を一つずつ照合した。すべてを聞き終えると、テーブルに置かれた端末から目を上げる。
「真壁が一人で動いたのか、SHIFT内部に他の関係者がいるのかは、まだ分からない」
誰も口を挟まなかった。
「だが、SHIFTの正式な構成員がNOXの名前を使い、車を盗ませた証拠はある。ここから先は個人同士で処理する話じゃない」
カナメの視線が悠斗たちへ移る。
「明日、SHIFTの上と話をつける」
ただの噂から始まった調査は、実行役のリョウとケンジ、仲介役のユウジを経て、街第4位のギャングへ届いた。
NOXとSHIFT。
二つのギャングが、正式に向き合わなければならない事件になっていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




