第5章 第155話 安すぎる値段
老人に案内され、シオンたちは家の中へ入った。
居間には古い木製家具が並び、棚の上には何枚か写真が飾られている。その中には、若い頃らしい老人が軍服姿で仲間たちと並んでいるものもあった。
窓の向こうには、車庫に停まった黒いレンジャーが見える。
老人が四人分の飲み物を置き、自分も椅子へ腰を下ろした。
「それで」
アキラが口を開く。
「譲ってもらえるなら、値段の話をしたいんですけど」
「ああ」
老人は頷いた。
だが、すぐには金額を口にしなかった。
向かいに座るシオンを一度見て、それから窓の外へ視線を移す。
「本当に乗るんだな?」
「はい」
「飾っとくんじゃなくて?」
「乗ります」
「そうか」
老人はもう一度だけレンジャーを見る。
やがて、金額を口にした。
その瞬間、アキラの表情が止まった。
「……え?」
隣にいたソウも老人を見る。
「爺さん、それは安すぎるぞ」
「そうか?」
「そうだよ」
ソウは即答した。
「タイヤもゴム類も交換は必要だけど、それ込みでも安い。状態考えたらもっとする」
アキラも眉を寄せる。
「本当にその金額でいいんですか?」
「ああ。金が欲しいわけじゃねえからな」
老人は気にした様子もなく飲み物へ手を伸ばした。
「こいつにちゃんと乗る奴なら、それでいい」
その視線がシオンへ向く。
「タイヤも替えなきゃならんし、足回りにも金がかかるんだろ。その分は残しとけ」
シオンは不機嫌だった。
普段から表情の変化が小さいだけに、アキラにはすぐ分かった。
「シオン?」
「嫌です」
老人が眉を上げる。
「何が?」
「安すぎます」
「安い方がいいだろ」
「よくないです」
「何でだよ」
「気に入ったから」
老人が黙る。
アキラも一瞬だけシオンを見る。
「……シオン、普通は逆だからな?」
「分かってる」
「分かってて言ってんの?」
「うん」
老人が腕を組んだ。
「俺がこの値段でいいって言ってるんだぞ」
「もっと払います」
老人の表情が変わった。
「それなら売らん」
「じゃあ買わない」
「は?」
老人より先に、アキラがシオンを見た。
「シオン、ちょっと待て。欲しかったんじゃないのか?」
「欲しい」
「じゃあ何で買わないんだよ」
「安いの嫌」
「……そこなの?」
「うん」
アキラは額へ手を当てた。
ソウも横で口元を押さえている。
老人はしばらくシオンを見ていたが、やがて呆れたように息を吐いた。
「本当に面倒くせえ奴だな」
シオンは何も返さない。
アキラが老人とシオンを交互に見た。
「分かった。もう俺に任せろ」
「うん」
「そこは素直なんだな」
アキラは苦笑し、それから老人へ向き直る。
「爺さんもいいです?」
「こいつよりは話になりそうだな」
「たぶん」
「たぶんかよ」
少しだけ空気が緩んだ。
アキラは姿勢を戻す。
「爺さんが安くしてくれてる理由は分かります。シオンに乗ってほしいんですよね?」
「ああ」
「で、こいつも安く買えて得したいわけじゃないんです」
「それも分かった」
アキラが頷く。
「こいつ、あのレンジャーを本気で気に入ってるんですよ。だからちゃんとした価値で買いたいんです」
老人はシオンを見る。
シオンも黙ったまま頷いた。
「……そういうことか」
「たぶん」
「またたぶんか」
「本人、説明しないんで」
「うん」
「お前はそこで返事すんな」
アキラが言うと、ソウが吹き出した。
老人も少し笑う。
アキラは続けた。
「だから、間を取りません?」
「間?」
「爺さんが最初に言った額よりは上。でも普通に売るよりは少し安いくらいで」
老人が眉を寄せる。
「俺は高く売りたいわけじゃねえぞ」
「そこは分かってます」
アキラは窓の外を指した。
「でも最近の車に乗り換えるんでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、その足しにしてくださいよ」
「金には困ってねえ」
「困ってるとかじゃなくて」
アキラは少し笑う。
「シオンも納得するし、爺さんも次の車に使える。それでいいじゃないですか」
老人は何も言わず、窓の外へ目を向けた。
車庫の下に、レンジャーが停まっている。
長く乗ってきた相棒を手放して、自分は新しい車へ乗り換える。
それを考えるように、しばらく黙っていた。
「……お前はどうなんだ」
老人がシオンへ聞く。
「ちゃんとした値段なら」
「まだ言うか」
老人が呆れたように笑う。
「分かった。少し上げる」
「少し?」
「お前が決めたら高くしそうだから、俺はそれ以上上げん」
シオンは何か言いかけた。
その前にアキラが手を出す。
「だから俺に任せろって」
シオンは少しだけ不満そうな顔をした。
「……うん」
「よし」
アキラは老人へ向き直る。
「じゃあ、この辺でどうです?」
提示した金額を聞き、老人が少し考える。
「まだ高いな」
「爺さんも下げようとしないでください」
「そういうもんだろ」
「普通は逆です」
またソウが笑った。
シオンは黙っていた。
しばらく細かいやり取りが続き、ようやく一つの金額へ落ち着く。
老人が最初に提示した額よりは上。
それでも、普通に売るよりはかなり良心的な金額だった。
「これでいいな?」
老人がシオンへ聞く。
シオンは少しだけ考えたあと、頷く。
「はい」
「本当に?」
「はい」
「やっと決まったな……」
アキラが椅子の背へ身体を預ける。
ソウも苦笑した。
「車買う話で、買う側が値段上げる交渉なんて初めて見た」
「俺もだ」
老人が笑う。
それから立ち上がり、窓のそばまで歩いていった。
右足を少し庇いながら、車庫のレンジャーを見る。
「じゃあ、持ってけ」
「ありがとうございます」
シオンも立ち上がった。
老人は振り返る。
「礼はいい。ちゃんと走らせろ」
「はい」
「たまには見せに来い」
「来ます」
その返事に、老人は満足そうに頷いた。
窓の向こうでは、黒いレンジャーが変わらず車庫の中に停まっている。
傷も、剥げた塗装も、そのまま。
けれど次にここから出る時には、もう老人だけの相棒ではない。
シオンはしばらくその姿を見つめてから、ほんの少しだけ笑った。
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