第5章 第154話 傷だらけのレンジャー
その日は、NOXから特に集合の指示は出ていなかった。
五人も朝から拠点へ顔を出すことはなく、それぞれ好きに過ごしている。
悠斗はヴェローチェで買い物へ出ており、レイザーを預けている蓮も一緒についていった。ナナはセブンⅡで街へ出ていて、アキラも自分の用事で外にいる。
シオンは自宅で昼食を済ませ、特に予定もないまま過ごしていた。
そんな時、テーブルの上に置いていたスマートフォンが鳴る。
画面に表示された名前はソウだ。
「もしもし」
『シオン、レンジャーの件』
「うん」
『持ち主に連絡ついた。今日なら見せてもらえる』
「行く」
『即答かよ』
「いつ?」
『今からでもいいらしい。場所送る』
「分かった」
『あと、アキラも連れてこい』
「アキラ?」
『売る話になったら値段とか条件が出るだろ。俺は車を見る。そういう話はあいつの方が向いてる』
「分かった」
『俺も直接向かう』
「うん」
通話が切れ、すぐに住所が送られてきた。
シオンは場所を確認すると、そのままアキラへ電話をかける。
『もしもし?』
「今どこ?」
『外。どうした?』
「レンジャー見に行く」
『今日?』
「うん」
『急だな』
「ソウさんが、アキラも来いって」
『俺も?』
「値段の話」
『ああ、なるほど』
『シオンは?』
「家」
『じゃあ迎え行くわ。場所送っといて』
「分かった」
◇
しばらくして、黒いプラントSがシオンの家の前へ滑り込んできた。
助手席へ乗り込むと、アキラが送られてきた住所をナビへ入れる。
「ここ?」
「うん」
「結構外れだな」
車が走り出す。
「状態は?」
「まだ見てないって」
「ソウさんも?」
「うん」
「じゃあ現物見てからか」
シオンは頷いた。
中心街を離れるにつれ、高層ビルは減り、古い住宅や小さな工場が目立つようになる。
しばらく走ると、前方に黒いSUVが停まっているのが見えた。
「あれだな」
アキラがその後ろへプラントSを停める。
ソウもSUVから降りてきた。
「来たか」
「ここ?」
「ああ。家はこの先」
三人で歩いていく。
通りから少し奥へ入ったところに、古い平屋があった。
家の脇には屋根付きの車庫があり、その奥に一台の四輪駆動車が停まっている。
シオンの足がわずかに速くなった。
「……あれ」
黒いレンジャーだった。
四ドア。
後部には黒い布製の幌。
探していた条件は揃っている。
ただ、綺麗ではなかった。
右前フェンダーには長い擦り傷があり、ドアにも細かな線傷が残っている。フロントバンパーの角は塗装が剥げ、ホイールにも長く使われてきた跡があった。
アキラが横から眺める。
「結構傷あるな」
「かっこいい」
シオンはそれ以上言わず、車体を見続ける。
「まだ触るなよ」
ソウが言う。
「分かってる」
その時、家の方から声がした。
「お前らか?」
白髪混じりの老人が、作業着姿のまま歩いてくる。
七十前後に見える。歩き方はしっかりしていたが、右足を踏み出す時だけ、少し動きが硬い。
「ソウってのは?」
「俺です」
ソウが軽く頭を下げる。
「こっちが御影シオン。レンジャー探してる本人。こっちは水城アキラ」
「どうも」
アキラも会釈する。
老人は三人を順番に見たあと、シオンへ視線を止める。
「お前が乗るのか?」
「はい」
「古いぞ」
「大丈夫です」
「傷だらけだ」
「かっこいいです」
老人の眉が少し上がった。
「……かっこいい、か」
シオンは何も返さず、またレンジャーへ目を向けた。
◇
老人の許可をもらい、ソウが車の確認を始める。
まず運転席へ乗り込み、キーを回した。
一度でエンジンが始動し、低い排気音が車庫の屋根へ響く。
車体へ細かな振動が伝わる。
老人はその音を聞きながら、どこか懐かしそうにレンジャーを見ていた。
ソウはアイドリングを聞きつつ、メーター類を確認する。
「どう?」
シオンが聞く。
「まだエンジンかけただけだ」
「壊れてない?」
「それを今から見る」
ボンネットを開け、ホースや配線、油の滲みを順番に確認していく。
シオンは邪魔にならない位置から、その様子をじっと見ていた。
「年式考えれば悪くないな」
しばらくしてソウが言う。
「変な配線もない。酷い漏れも見えない」
続いてタイヤへ目を向ける。
「これは替えた方がいい」
「もう古いからな」
老人が答える。
「ゴム類も何か所か交換したい。ブッシュもそろそろだ」
「高い?」
「普通に古い車を整備する範囲」
「ならいい」
「値段聞いてから言えよ」
アキラが笑う。
ソウはさらに下回りを確認した。
多少の錆はあるものの、深刻な腐食は見当たらない。
しばらくして立ち上がり、服についた埃を払う。
「見た目よりずっとまともだな。機械はちゃんと手入れされてる」
「当たり前だ」
老人が答える。
「こいつだけは、ずっと見てきたからな」
アキラがレンジャーへ目を向ける。
「元は軍の車なんですよね?」
「ああ」
老人は少し間を置き、フェンダーへ手を添えた。
「軍にいた頃の相棒だ」
「相棒?」
「俺が軍にいた頃、ずっと乗ってた」
老人の手が、傷の残るフェンダーをゆっくり撫でる。
「辞める時も、置いていく気になれなくてな。何度も頼み込んで、最後は引き取らせてもらった」
「そこまでして?」
「ああ」
老人は小さく笑う。
「辞めたあとも山へ行ったり、荷物運んだり、何だかんだずっと一緒だった」
シオンは黙って聞いている。
「じゃあ、何で手放そうと思ったんです?」
アキラが尋ねた。
老人は少しだけ右足へ視線を落とす。
「古傷だ」
「足の?」
「軍にいた頃にやったやつだ。昔は気にもならなかったんだがな」
老人は右腿のあたりを軽く叩いた。
「歳取ってから、こいつの振動が堪えるようになった」
ソウがレンジャーを見る。
古い軍用車由来の車体だ。乗り心地を優先した車ではない。
「長く乗るときついですか?」
アキラが聞く。
「ああ。降りたあとまで足に響く」
老人は苦笑した。
「知り合いに、最近の車なら振動もずっとマシだって言われてな。それなら、そろそろこいつを任せられる奴を探すかと思った」
「それで譲る相手を?」
「話を何人かにしてるだけだ」
老人は首を振る。
「いい奴がいなきゃ、そのまま置いとく」
「売れれば誰でもいいわけじゃない?」
「当たり前だ」
老人はレンジャーを見る。
「相棒だからな。金だけ出す奴に渡すくらいなら、俺が持ってる」
「まあ、そうなりますよね」
アキラが頷く。
老人の視線がシオンへ移った。
「お前」
「はい」
「こいつ、どこまで直すんだ?」
シオンは少し考えた。
「ちゃんと乗れるようにするだけ」
「傷もそのままか?」
「はい」
「何でだ?」
「かっこいいから」
迷いのない返事に、老人が一瞬黙る。
それから低く笑った。
「さっきからそればっかりだな」
「はい」
アキラも横で笑う。
「でも、本気ですよ。こいつ」
「みりゃ分かる」
老人はしばらくシオンを見ていた。
「乗るのか?」
「大事に乗ります」
老人は少しだけ眉を上げる。
「この車は、大事にするだけじゃ駄目だぞ」
シオンが老人を見る。
「走らせて、汚して、壊れたら直して、また走らせる。そういう車だ」
シオンは一度レンジャーへ目を向けた。
「俺も相棒にします」
老人の表情が止まった。
しばらく何も言わない。
それから、ゆっくりと口元を緩めた。
「……そうか」
短い言葉だった。
けれど、それまでとは明らかに声が違った。
老人はレンジャーを見たあと、もう一度シオンを見る。
「お前、本当にこいつが好きなんだな」
「はい」
「そうか」
老人は小さく頷いた。
「売ってもらえますか?」
シオンが尋ねる。
老人はすぐには答えなかった。
傷の残るボンネット。
擦れたフェンダー。
使い込まれた幌。
長い時間を一緒に走ってきた相棒を、ゆっくり見回す。
やがて老人が口を開いた。
「……話はしてやる」
シオンの目がわずかに動く。
「本当に相棒にするならな」
「します」
「また即答か」
「はい」
老人は今度こそ声を出して笑った。
「分かった。中で話すか」
そう言って家へ向かいながら、一度だけ振り返る。
その視線はレンジャーへ向いていた。
シオンも同じように車を見る。
傷だらけの黒いレンジャー。
まだ自分のものではない。
それでも老人は、もうシオンをただの買い手としては見ていなかった。
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