第1章 第15話 仕事抜きの時間
アキラが見つけたハンバーガーショップは、東部の住宅地から車で十分ほど離れた大通り沿いにあった。
二十四時間営業らしく、赤いネオン看板が夜空の下で明るく光っている。駐車場には仕事帰りの乗用車や古いピックアップトラックが並び、店内からは揚げ物の匂いと軽い音楽が漏れていた。
「ここでいいだろ」
先を歩くアキラが入口を指す。
「肉ある?」
隣のシオンが尋ねた。
「ハンバーガー屋でそれ聞く?」
「魚だけかもしれない」
「どんな店だよ」
二人の後ろを歩きながら、悠斗は小さく笑った。
車を運ぶ仕事は、もう終わっている。
報酬も受け取った。
自分が今ここにいる理由は、運転でも金でもない。
ただ三人で飯を食べるためだった。
そう思った途端、さっきまで意識していなかった緊張が少し戻ってくる。
カイとは何度か食事をしている。
けれど、アキラとは知り合って二日ほど。シオンとは今日初めて会ったばかりだ。
どこへ座ればいいのか。
二人が昔話を始めたら、自分は黙っていても変ではないのか。
話題が途切れた時、自分から何か言った方がいいのか。
そんなことを考えているうちに、入口の前で足が少し遅れた。
「悠斗?」
アキラが振り返る。
「何してんの?」
「……何でもないです」
「じゃあ早く来い。シオンもうメニューしか見てないぞ」
カウンターを見ると、シオンは確かに頭上のメニュー表を無言で見上げていた。
悠斗は慌てて店へ入った。
◇
「ダブルベーコンバーガー二つ。両方パティ追加で」
シオンの注文を聞き、店員が一度だけ瞬きをした。
「二つとも追加でよろしいですか?」
「はい」
「食いすぎだろ」
隣のアキラが呆れる。
「足りなかったら追加する」
「もう追加前提なの?」
悠斗は普通のチーズバーガーセットを選び、アキラはチキンバーガーと大きなポテトを注文した。
三人で窓際の四人席へ向かう。
シオンが壁側へ座り、その正面へアキラが腰を下ろす。
悠斗は一瞬迷ったあと、アキラの隣へ座った。
店内には二十人ほどの客がいた。
奥では若い男女のグループが大きな声で笑っており、入口近くでは作業着姿の男が一人で遅い夕食を取っている。カウンターの向こうでは店員たちが手際よく注文を処理し、油の弾ける音が一定の間隔で響いていた。
犯罪者も警察も関係ない、ただの夜の飲食店だ。
「そういや悠斗、十七だっけ?」
ポテトを一本つまみながらアキラが聞いた。
「はい」
「俺十八。シオン十九」
「知ってる」
シオンが包み紙を開きながら言う。
「誰に言ってんだよ」
「悠斗」
「俺が説明してんの」
二人のやり取りを見ながら、悠斗が尋ねる。
「二人って長い付き合いなんですか?」
「一年くらい?」
アキラがシオンを見る。
「一年三か月」
「細かく覚えてんの?」
「最初に会った日に、アキラが俺の車ぶつけた」
「そこ基準?」
「忘れない」
アキラが少し気まずそうにポテトを口へ放り込んだ。
「駐車場でちょっと擦っただけだからな」
「ドア交換した」
「それはちょっとじゃないですね」
「悠斗、どっちの味方?」
「今の話だとシオンさんです」
「今日会った奴に即切られたんだけど」
アキラが大げさに肩を落とす。
シオンは何も言わずバーガーを食べていたが、口元だけがわずかに緩んでいた。
悠斗はそこで少し分かった。
シオンは不機嫌なのではない。
単に言葉数が少ない。
アキラはそれを知っているから、短い返事でも気にせず会話を続ける。
自分とカイとは違う形だが、この二人にも積み重ねてきた距離があるのだろう。
「二人とも、ずっとこういう仕事してるんですか?」
尋ねてから、少し踏み込みすぎたかもしれないと思った。
だがアキラは気にした様子もなかった。
「俺は一年くらいかな。最初は普通の配達とか、イベントの手伝いとかしてた」
「イベント?」
「合法の方な。ライブ会場の設営とか」
「意外です」
「何が?」
「最初からずっと裏の仕事してるのかと思ってました」
「人を何だと思ってんの?」
「昨日、車盗もうとしてましたよね」
「そこ出されると何も言えねえな」
アキラが苦笑する。
シオンは水を一口飲んだあと、ぽつりと言った。
「俺はもっと前から」
「何歳からですか?」
「十六」
悠斗の手が止まる。
今の自分より一つ下だ。
「……どうして?」
聞いたあとで、答えたくなければ無理に言わなくてもいい、と続けようとした。
けれどシオンは少しだけ視線を落とし、
「金が必要だった」
それだけ答えた。
アキラも、それ以上は聞かなかった。
悠斗も口を閉じる。
自分は、興味と憧れから裏側へ足を踏み入れた。
シオンは違う。
必要に迫られて、十六の頃からこちら側にいた。
同じ「犯罪をしている若者」でも、そこへ来た理由は一つではない。
それを知っただけで、シオンを見る目が少し変わった。
「悠斗は?」
今度はシオンが聞いた。
「え?」
「何で始めた?」
答えに迷う。
金が欲しかった。
それも嘘ではない。
最初の二千ドルに惹かれたのは事実だ。
けれど、それだけではなかった。
「……興味があったから、だと思います」
アキラの眉が上がる。
「犯罪に?」
「犯罪そのものっていうより……この街の、表じゃない方を知りたかったというか」
「変わってんな」
「自分でもそう思います」
「怖くない?」
尋ねたのはシオンだった。
悠斗は少し考えてから頷く。
「怖いです」
「じゃあ何で続ける?」
「……まだ分からないです」
正直な答えだった。
最初に警察へ追われた時は、本気でもうやめようかと思った。
盗難車だと知らされた時もそうだった。
それでも次の仕事が来ると、まず内容を聞いている。
危険を避けたい自分と、その先を知りたい自分が同時にいる。
「ただ、今はまだ、やめたいとは思ってないです」
シオンはしばらく悠斗を見たあと、小さく頷いた。
「ならいい」
「それだけ?」
アキラが横から口を挟む。
「本人が決めることだから」
「まあ、それはそうだけど」
アキラはストローをくわえたまま悠斗を見る。
「でも、条件も聞かずに何でも受けるのはやめとけよ。ユウジとか、使えるか見るために新人へ面倒なの振る時あるから」
「やっぱりそうなんですか?」
「あるある。危ないの押しつけて、無事帰ってきたら次から扱い変えるとか」
悠斗は最初の盗難車を思い出し、眉を寄せた。
「……次また何か隠されたら、さすがに怒ります」
「一回目は怒らなかったの?」
「怒る余裕がなかったです」
「それはそれで可哀想だな」
◇
三人が食べ終わる頃には、十一時近くになっていた。
アキラは残っていたポテトをつまみ、シオンは二つのバーガーを平らげたあと、追加したホットドッグまで食べている。
「まだ入るんですね」
「これで最後」
「本当に?」
「多分」
「シオンの多分は信用すんな」
アキラが言った時、店の奥から椅子を引きずる大きな音が響いた。
「だからぶつかっただろ!」
若い男が立ち上がっている。
向かい側にも別の男が立ち、足元には倒れた紙カップから飲み物が広がっていた。
近くの客たちが一斉にそちらを見る。
店員が急いで近づいた。
「お客様、他のお客様もいらっしゃいますので――」
「うるせえよ!」
男が怒鳴る。
悠斗の身体が無意識に固くなった。
前世なら、視線すら向けなかった。
関わったことで自分へ矛先が向くのが怖くて、ただ終わるのを待っていただろう。
アキラが小さく息を吐いた。
「うるせえな」
「行く?」
シオンが聞く。
「まだいいだろ。店側で収まるなら、その方がいい」
意外だった。
アキラなら面白がって首を突っ込みそうだと思っていた。
しかし彼は席を立たない。
店員がもう一度落ち着くよう促す。
その後ろでは、別の店員が店舗端末を操作していた。警備会社か警察へ連絡しているのかもしれない。
これで収まれば、自分たちが出る必要はない。
悠斗がそう思った直後、怒鳴っていた男が店員の肩を強く押した。
アキラの顔から笑みが消える。
「……それは駄目だな」
席を立つ。
シオンも無言で続いた。
「え」
悠斗が見上げると、アキラが振り返った。
「無理して来なくていいぞ」
そう言われた。
それでも悠斗は一瞬迷い、自分も立った。
喧嘩を止められる自信などない。
戦うこともできない。
けれど二人だけが向かい、自分だけ席に残るのが妙に落ち着かなかった。
アキラが怒鳴っている男へ近づく。
「兄ちゃん、そこまでにしといた方がいいって」
「誰だよお前」
「ただ飯食ってた奴。店員に手出したら、喧嘩じゃ済まなくなるぞ」
軽い口調ではある。
だが店員と男の間へ入る位置取りは自然だった。
相手を必要以上に睨まず、手も出さない。
「うるせえ!」
男が一歩前へ出る。
アキラも反射的に少し身構えた。
完璧に余裕があるわけではない。
「おい、落ち着けって。もう通報入ってるみたいだぞ」
今度は少し早口になった。
その横へ、シオンが静かに立つ。
拳銃には触れない。
腰へ手を伸ばすことすらしない。
ただ相手を見る。
悠斗は、そのことが逆に印象に残った。
銃を持っている。
それでも、使う必要がなければ使わない。
持っていることと、撃つことは別なのだ。
男はアキラとシオンを交互に見た。
さらに店の入口付近で警備会社のスタッフらしき二人が入ってくるのが見える。
「お客様、これ以上続ける場合は警察へ引き継ぎます」
店員が少し離れた位置から告げた。
男は舌打ちする。
「……帰るぞ」
連れへ吐き捨て、肩をぶつけるようにして出口へ向かった。
警備員たちはそのまま二人を外まで見送る。
アキラはそれを確認してから、店員へ軽く手を上げた。
「大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
「俺らも騒ぎ増やしただけかもしれないけど」
「いえ、助かりました」
それ以上居座らず、アキラは席へ戻った。
シオンも続く。
「……すごいですね」
悠斗が言う。
「何が?」
「止め方」
「いや、最後は警備の人来たからだろ」
アキラは少し照れたようにポテトの箱を畳む。
「途中、普通にちょっと焦ったし」
「そうなんですか?」
「相手が殴りかかってきたら話変わるからな。俺、喧嘩そんな強くないし」
「俺がいた」
シオンが言う。
「そういう意味で頼りにしてんだよ」
アキラが笑う。
「俺が喋って、シオンが後ろにいると楽なんだよな」
「俺、話すの苦手だから」
「知ってる」
悠斗は二人を見た。
アキラは人と話すことに迷いが少ない。
シオンは言葉数こそ少ないが、危険な場面でも落ち着いている。
二人とも何でもできるわけではない。
それでも、それぞれ得意なことが違うから、同じ場にいると助け合える。
悠斗はふと、自分の周りにいる人間を思い浮かべた。
蓮は運転が上手い。
アキラは話せる。
シオンは危険な場面で動じない。
カイは、裏社会とは関係なく、車を直す腕を持っている。
街には、自分にはできないことを当たり前のようにできる人がたくさんいる。
では、自分は何ができるのだろう。
その答えはまだ分からない。
「どうした?」
アキラが顔を覗き込む。
「いや……人によって得意なことって、全然違うんだなって」
「急に真面目だな」
「すみません」
「謝るとこじゃないだろ」
アキラが笑う。
シオンも何も言わなかったが、悠斗の言葉を否定はしなかった。
◇
店を出ると、夜風が思ったより涼しかった。
大通りではまだ車が絶えず流れ、遠くの空を一機のヘリがゆっくり横切っている。
「じゃ、俺らこっち」
アキラが駐車場を指した。
「悠斗、帰れる?」
「配車アプリ使います」
「送ろうか?」
反射的に「大丈夫です」と言いかけた。
迷惑をかけない方がいい。
自分のために遠回りさせるのも悪い。
そんな理由がすぐ頭へ浮かぶ。
けれど今日は、その言葉を飲み込んだ。
「……途中までお願いしていいですか?」
アキラが少しだけ目を丸くする。
すぐに笑った。
「もちろん」
シオンも何も言わず、車のロックを解除した。
三人で駐車場を歩く。
誰かの車に乗せてもらうこと。
飯を食べたあと、帰る方向が近いから送ってもらうこと。
そんな普通のことが、生前の悠斗にはほとんどなかった。
助手席へ向かおうとしたところで、アキラが先にドアを開ける。
「俺助手席」
「じゃあ俺、後ろで」
「そこ争わないんだ」
「何を争うんですか」
アキラが笑う。
悠斗もつられて笑いながら後部座席へ乗り込んだ。
仕事はもう終わっている。
それでも、帰るまでの時間を一人で過ごさなくていいことを、悠斗は少しだけ嬉しく思った。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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