第5章 第148話 見た目だけの当たり車
昼を少し回った頃、NOXの黒い四ドアセダンが拠点の車庫を出た。
運転席にはソウ。助手席には悠斗。後部座席にはシオンが座っている。
蓮は朝からユウキと別の作業に回されていた。レンジャー候補を見に行くと知った瞬間から「俺も行きたい」と食い下がっていたが、当然のように却下されている。
「蓮、最後まで言ってましたね」
悠斗が笑う。
「人の車を見るために仕事抜けられたら困る」
ソウは前を向いたまま答えた。
後部座席からシオンが口を挟む。
「写真撮ってきてって」
「撮るの?」
「自分用にも欲しい」
「もう気に入る前提なんだ」
「レンジャーだから」
いつもより返事が早い。
表情は普段とほとんど変わらないが、楽しみにしていることだけは十分伝わってきた。
中央地区を離れるにつれ、高層ビルが減り、道路沿いには板金工場やタイヤショップ、中古車店が増えていく。
「レンジャーって、そんなに出ないんですか?」
「そもそも新車を一般人が買えない」
ソウが答える。
「《ヴァルカン・レンジャー》の新車を買えるのは軍だけだ。民間にあるのは全部中古。軍から払い下げられたか、それを買った奴がまた市場に戻したかのどっちか」
「じゃあ、全部元軍用車なんですね」
「ああ」
後ろからすぐに声が飛んだ。
「今日のは?」
「写真で見る限りはかなりいい」
「黒?」
「それくらい自分で見ろ」
シオンはそこで黙った。
◇
セダンが入ったのは、工業地区の外れにある中古車店だった。
金網フェンスに囲まれた敷地には、SUV、ピックアップ、古いセダン、商用バンまで雑多に並んでいる。奥には小さな整備スペースと二基のリフトも見えた。
ソウが受付で名前を告げると、作業着姿のメカニックが奥から出てきた。
「三枝さん?」
「ああ。レンジャー入ったって聞いて」
その瞬間、メカニックが何とも言えない表情をした。
「……ああ、あれですか」
「何だよ、その反応」
「連絡来たの、仕入れの奴からですよね?」
「直接じゃない。知り合い経由」
「やっぱりか……」
メカニックは額を押さえた。
「とりあえず、見ます?」
「そのつもりで来た」
「ですよね……」
妙に歯切れの悪い返事を残し、メカニックが車列の奥へ歩き出す。
悠斗は少し気になったが、シオンはもう前しか見ていなかった。
角を曲がったところで、その足が止まる。
「……あった」
黒い大型四輪駆動車。
《ヴァルカン・レンジャー》。
角張った無骨な車体に四枚のドア。後部には広い荷室があり、その上を黒い布製の幌が覆っている。
しかも、想像していたよりずっと綺麗だった。
黒い塗装にはしっかり艶があり、目立つ擦り傷もほとんどない。バンパーにも大きな歪みはなく、幌まで整っている。
「……いい」
シオンが小さく呟く。
ソウも一周してから頷いた。
「確かに見た目はいいな」
「当たり?」
「まだ分からん。ただ、外装までここまで直してあるなら、払い下げ後もちゃんと金掛けて大事にされてた可能性はある」
シオンはすでにスマートフォンを取り出していた。
「もう撮るの?」
「蓮に送る」
「自分用は?」
「それも」
シャッター音が二度鳴る。
ソウがメカニックから鍵を受け取り、四枚のドアを順番に開けた。
内装も綺麗だった。
シートに目立つ破れはなく、ダッシュボードにも大きな割れはない。荷室まできちんと掃除されている。
「中もいいですね」
「ああ」
ソウが運転席へ回った。
「エンジン掛けるぞ」
キーが回る。
セルは勢いよく回った。
だが、エンジンは掛からない。
「……ん?」
二度目。
一瞬だけ火が入ったものの、そのまま止まる。
「駄目?」
シオンが聞く。
「待て」
三度目。
ようやく低い排気音が響いた。
ただ、アイドリングは安定しない。
ぼっ、ぼっ、と息継ぎするように回転が揺れ、排気にも少し濃い臭いが混じっている。
ソウの眉が寄った。
「かぶり気味だな」
「まずい?」
「まだ分からん」
メーターには警告灯も残っている。
ソウが軽くアクセルを煽ると、回転の戻りも綺麗ではなかった。
数秒ほど音を聞き、そのままエンジンを切る。
「ボンネット開けるぞ」
そこで初めてエンジンルームを確認した。
中を覗き込んだソウが、すぐに低い声を漏らす。
「……あー」
「駄目?」
「ちょっと待て」
奥へ手を入れ、抜いた指先には黒いオイルが付いていた。
「漏れてるな」
「滲みじゃなくて?」
「これは漏れ」
さらにホース類を確認する。
「冷却系も古い。ホースも硬くなってる」
配線を追ったところで、ソウの顔がさらに険しくなった。
「ここも雑に直してる」
「直せる?」
「直せるかどうかなら直せる」
「じゃあ欲しい」
「まだ終わってない」
ソウが即座に遮った。
横にいたメカニックが気まずそうに視線を逸らす。
ソウが振り返った。
「お前、これ知ってたな?」
「……はい」
「先に言えよ」
「言おうとは思ったんですけど……正直、こんなの仕入れたって知られるの恥ずかしくて」
「誰が仕入れた?」
「うちの仕入れ担当です。相場とか売れ筋は詳しいんですけど、俺らほど機械は見れないんで」
「現車は?」
「見てません。ネットのオークションです。写真と出品情報で落として、そのまま店まで配送されてきました」
「で、点検する前に話回したのか」
「そうみたいです。写真見て、かなりいいレンジャー取れたって喜んでたらしくて」
メカニックが苦笑する。
「届いてから俺が見て、中身がこれだって分かりました」
「仕入れた本人は?」
「今いません」
「どこ行った?」
「警察です」
ソウが眉を上げた。
「警察?」
「状態を偽って掴まされたって、詐欺で届け出に行ってます。中身がこれだって分かった時、しばらく無言でしたよ。そのあと急にキレて、そのまま警察です」
「……そりゃ行くか」
「外装も内装も、うちでは何も触ってません。届いた時からこの状態です」
ソウがレンジャーへ視線を戻した。
「下も見せろ」
「……分かりました」
◇
レンジャーがリフトに載せられ、ゆっくり持ち上げられる。
ソウは一人で車体の下へ入った。
悠斗とシオン、それにメカニックが少し離れて待つ。
数分後。
「……酷いな、これ」
下からソウの声が聞こえた。
「ですよね……」
メカニックが小さく答える。
やがてソウが出てくる。
「下回りの錆が広い。足回りのゴム類もかなり傷んでる。四駆側も怪しい」
シオンが聞く。
「直せる?」
「直せる」
「なら欲しい」
「まだ言うか」
ソウは指を折っていく。
「エンジン、冷却系、四駆、足回り、タイヤ、幌。古い修理跡も雑。全部まともにやり直したら相当掛かる」
「でも直る?」
「直る」
「じゃあ――」
「これ買って全部直す金があるなら、結構いいスーパーカーが買えるぞ」
悠斗も思わずレンジャーを見上げた。
「そんなに?」
「ちゃんと直すならな」
シオンは少し考えた。
「スーパーカーはいらない」
「そこは分かってる」
ソウがため息をつく。
「だから、こんなのに金使うなって言ってんだ」
それから、綺麗な黒い車体を見上げた。
艶のある外装。
整えられた内装。
写真だけなら、状態のいい個体にしか見えない。
対して、中身はまともに手を入れられていない。
「……クソ」
ソウが低く吐き捨てる。
「最初から騙すために、見た目だけ直しやがったな」
メカニックも苦い顔をした。
「うちも完全にやられました」
「俺も最初はちゃんと手入ってると思った」
「仕入れ担当なんか写真だけでしたからね。実物届いた時も、外と中だけ見てかなり喜んでました」
「で、お前が点検して地獄見せたわけか」
「俺のせいみたいに言わないでくださいよ」
メカニックが困ったように笑う。
「でもまあ、あいつ相当へこんでました。怒る前は本当に何も喋らなかったんで」
悠斗は少しだけ気の毒になった。
この店が悪い車を押しつけようとしていたわけではない。
店そのものが、この綺麗な外見に騙された側だった。
「これ、どうするんですか?」
「警察とオークション側の対応待ちですね。少なくとも、このまま客には売れません」
シオンだけは、まだレンジャーを見上げている。
「……買わない方がいい?」
「絶対やめとけ」
ソウが即答する。
「もっといいの探す」
「黒で?」
「そこまで条件増やすな」
「黒がいい」
ソウが額を押さえた。
「……分かった。黒も探す」
「ありがとう」
◇
帰りの車内。
シオンは後部座席で、撮った写真をまだ見ていた。
「蓮には送った?」
悠斗が聞く。
「送った」
ほとんど同時に無線が入る。
『シオン! めっちゃ綺麗じゃん!』
「買わない」
『なんで!?』
「中がボロボロ」
『直せばよくね?』
ソウがすぐ無線を取った。
「お前まで同じこと言うな」
『そんな酷いんですか?』
「全部まともに直したら、結構いいスーパーカー買える」
少し間が空く。
『……それはやめた方がいいですね』
「だろ」
『でも写真だと完全に当たりじゃないですか』
「店の仕入れ担当もそれで掴まされた」
『店も?』
「ああ。今、警察に詐欺で届け出に行ってる」
『うわ……ガチで騙されたやつじゃないですか』
「そういうことだ」
通信が切れた。
悠斗が後ろを振り返る。
「諦めた?」
「この車は」
「次に期待だね」
「うん」
シオンは写真をもう一度だけ眺め、画面を閉じた。
「でも、レンジャーは欲しい」
「それは全員知ってる」
ソウが即答する。
黒いセダンは午後の道路へ合流し、NOXの拠点へ向かって走っていった。
シオンのレンジャー探しは、まだ終わらない。
次に出会う一台が、今日の車ほど綺麗である必要はなかった。
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