第4章 第137話 上の景色
NOXの拠点を出たあと、五人はそのままガレージへ戻ることにした。
行きと同じ四台で街を走っているのに、帰りの無線は妙に静かだった。
先頭を走るアキラのプラントS。その後ろを悠斗のヴェローチェが追い、さらに蓮のレイザー、最後尾にはナナのセブンⅡが続いている。
昼のレイヴンシティは、悠斗たちに何があったかなど関係なく動いていた。
交差点ではタクシーが客を降ろし、歩道では買い物袋を提げた人たちが信号待ちをしている。向かい車線を一台のパトカーがゆっくり通り過ぎ、その後ろから配送トラックが続いていった。
いつもなら、久しぶりにレイザーへ乗った蓮が何かしら無線で喋っている頃だ。
今日はエンジン音しか聞こえてこない。
悠斗自身も、さっき玲司から言われた言葉を何度も思い返していた。
――NOXに入れ。
しかも、自分一人ではない。
五人まとめて。
ずっと目指してきたものが、突然すぐ目の前まで近づいていた。
◇
ガレージの近くまで戻ると、四台はいつも利用しているスーパーの駐車場へ入った。
悠斗はヴェローチェを空いている区画へ停める。
少し離れた場所にはアキラのプラントS、そのさらに向こうには蓮のレイザー。ナナもセブンⅡを他の車から少し離して停めた。
シオンがヴェローチェの助手席から降りる。
ナナがヘルメットを外しながらスーパーを見る。
「飲み物買ってく?」
「買う」
アキラがすぐ答えた。
「俺、炭酸」
「俺も」
蓮も続く。
シオンは少し考えた。
「水」
「相変わらず地味だな」
アキラが言う。
「水でいい」
「否定もしねえんだ」
「悠斗は?」
ナナに聞かれ、悠斗は店内へ向かいながら答えた。
「コーヒーにする」
「じゃあ私も何か見よ」
五人でスーパーへ入る。
食品売り場には昼食を買いに来たらしい客が何人もいて、レジの前には短い列ができていた。
蓮とアキラは冷蔵ケースの前で炭酸飲料を見比べ、なぜか味で揉め始める。
「絶対こっちだろ」
「いや、それ甘すぎるって」
「炭酸に何求めてんだよ」
「飲みやすさ」
「女子か」
「偏見だろそれ」
少し離れた場所で水のボトルを一本だけ取ったシオンが、二人を見て呟く。
「どっちでもいい」
「お前は水だから言えるんだよ」
「水うまい」
「知ってるよ」
ナナが笑いながら自分の飲み物を選ぶ。
悠斗も缶コーヒーを一本取り、五人で会計を済ませた。
重要な話をしに行くはずなのに、その直前までこんなことで揉めている。
それが妙にいつも通りで、悠斗は少しだけ肩の力が抜けた。
スーパーを出ると、それぞれ飲み物を手にしたままガレージへ向かう。
建物の前へ何台も愛車を並べることはしない。
数分歩き、五つ並んだシャッターの端から二番目へ着いた。
中へ入ったあと、シャッターを閉め、蛍光灯を点ける。
昨日と変わらない長いテーブル。
使える椅子が五脚。
五人がそれぞれ腰を下ろした。
アキラが炭酸飲料の缶を開ける。
小さな音が、静かなガレージに響いた。
「……で、どうする?」
蓮が椅子の背にもたれる。
「いきなり本題だな」
「じゃあ飲み物の感想から始める?」
「それはもっといらねえ」
「面倒くせえな」
ナナが笑いながらキャップを開けた。
張りつめていた空気が、少しだけ緩む。
アキラは缶をテーブルへ置いた。
「俺は入っていいと思ってる」
悠斗が顔を上げる。
「もう決めてる?」
「ほぼな。でも、何も考えずにって意味じゃない」
いつもの軽い調子を少し抑え、アキラが続けた。
「NOXに入ったら、今までみたいにはできないだろ。俺らだけで仕事決めて、金の分け方決めて、今日は何するって好きに動くわけにもいかなくなる」
「Placeholderとして好きにやるのとは違うね」
ナナが頷く。
「今までは五人で決めれば、それで終わりだった。でもNOXに入れば、その上に組織がある」
「それが嫌?」
悠斗が聞く。
ナナは少し考えてから首を横へ振った。
「嫌っていうより、ちゃんと分かった上で入りたいってこと」
手にしたボトルをテーブルへ置く。
「Placeholderの名前がなくなるかどうかは分からないけど、今までと同じ半グレグループの感覚ではいられないでしょ」
悠斗にも分かる。
今までは何をするにも五人が基準だった。
銀行強盗もそうだ。
自分たちで考え、自分たちで決め、自分たちで実行した。
そして失敗した。
シオンが水を一口飲んでから静かに口を開く。
「俺たちは、まだ足りない」
全員の視線が向く。
「銀行で分かった」
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
自分たちなりに準備したつもりでも、一つ崩れれば立て直せなかった。
逃走は乱れ、最後は銃撃戦になり、四人とも捕まった。
「だから入りたい?」
蓮が聞く。
「うん」
シオンは迷わない。
「強いところで覚えたい」
「やっぱそこか」
「あと」
「まだある?」
「レンジャーも欲しい」
一瞬、全員が黙った。
アキラが吹き出す。
「今その話する?」
「大事」
「NOX入ったらレンジャー買えると思ってんの?」
「稼げるなら」
その言葉に蓮が反応した。
「待て。NOXってカラーあるよな?」
「あるだろうね」
ナナが答える。
「レイザーも塗らないと駄目とか言われたらどうしよう」
「そこ?」
「そこ大事だろ」
「色変えたくないの?」
「俺が選んだ色だぞ」
アキラが呆れた顔をする。
「まだ加入もしてねえのに、車の色で悩むなよ」
「ギャング入るなら重要だろ」
「シオンも?」
「レンジャー買ってから考える」
「まだ持ってねえ奴が一番強いな」
さっきまで重かった空気が、少しずついつもの五人へ戻っていく。
悠斗は缶コーヒーへ口をつけながら笑った。
ナナがその様子を見てから、悠斗へ顔を向ける。
「悠斗は?」
「俺?」
「一番ギャングになりたかったの、悠斗でしょ」
答えはもう決まっていた。
「入りたい」
口にすると、不思議なくらい素直に言えた。
「ずっとギャングになりたかったし……俺たちだけじゃ分からないことも、NOXなら覚えられると思う」
五人でここまで来た。
だからこそ、五人だけでは足りないものも見えてきた。
蓮が両手を頭の後ろで組む。
「じゃあ俺も賛成」
「さっきまで決めてなかったの?」
「入りたいとは思ってた。でも一人でも『やっぱやめる』ってなったら、俺だけ先に決めてもしょうがないだろ」
アキラが眉を上げる。
「珍しくまともだな」
「珍しくは余計だ」
ナナも頷いた。
「私も入る」
悠斗は四人を順番に見る。
気持ちは同じだった。
ただ、一つだけやっておきたいことが残っている。
「ジンさんには話したい」
「だと思った」
アキラがすぐ答えた。
「許可をもらうとかじゃないけど、何も言わずにNOXへ入るのは違うと思う」
半グレになったばかりの頃。
裏社会のことを何も知らなかった自分に、ジンは色々なことを教えてくれた。
危ない時には助けてもらった。
その恩を忘れて、自分たちだけで先へ進む気にはなれない。
「じゃあ連絡しよう」
ナナが言う。
悠斗はスマートフォンを取り出し、そのままジンへ電話をかけた。
数回の呼び出し音のあと、低い声が返ってくる。
『おう』
「ジンさん、悠斗です」
『分かってる。出てきたらしいな』
「はい。昨日」
『四人とも無事か?』
「はい」
『ならいい』
声はいつもと変わらない。
「今日、少し会えますか?」
『何だ。出所祝いでも要求しに来る気か?』
「違います」
『即答かよ』
電話の向こうで笑う声がした。
『夕方なら空く。いつもの店に来い』
「ありがとうございます」
◇
夕方。
五人は一度スーパーの駐車場まで戻り、それぞれの車とバイクでジンから指定された店へ向かった。
EMBERがよく使っている、小さなバーだった。
まだ営業時間前で、入口の照明も半分しか点いていない。店員がカウンターの中でグラスを並べ、その奥のテーブルにはジンが一人で座っていた。
「よう」
五人に気づき、片手を上げる。
「久しぶりです」
悠斗が挨拶すると、ジンは四人を順番に眺めた。
「一年入ってた割には元気そうじゃねえか」
「筋トレくらいしかやることなかったんで」
蓮が答える。
「それで全員ちょっとゴツくなってんのか」
「分かります?」
「分かるわ」
笑いながら、空いている席を顎で示す。
「で、五人揃って何だ?」
悠斗たちは席についた。
一度だけ息を整え、悠斗が切り出す。
「今日、NOXに呼ばれました」
「ほう」
「五人まとめて、入らないかって」
ジンは驚かなかった。
むしろ少し納得したように顎を引く。
「やっぱり来たか」
「分かってたんですか?」
「分かってたわけじゃねえ。そうなってもおかしくねえとは思ってた」
ジンはテーブルに肘をつく。
「NOXがお前らを何度か仕事に入れてたのは聞いてる。あいつらが意味もなく同じ半グレを何度も使うとは思えねえ」
アキラが眉を上げた。
「そういう話って入ってくるんですね」
「全部じゃねえぞ。俺は街の神様じゃねえ」
「ですよね」
「ギャングやってりゃ、他所が誰と動いてるかくらい耳に入る時もあるってだけだ」
悠斗も納得して頷いた。
ジンがこちらを見る。
「それで、お前はどうしたい?」
「入りたいです」
迷いなく答えた。
ジンが少し笑う。
「だろうな」
「五人とも同じ気持ちです」
「なら、俺に許可取りに来たわけじゃねえな」
「はい」
悠斗はジンの目を見る。
「ちゃんと話しておきたかったんです」
少し言葉を選ぶ。
「俺が何も知らなかった頃から、ジンさんには色々教えてもらったし、助けてもらいました。だから何も言わずに別のギャングへ入るのは違うと思って」
ジンはしばらく何も言わなかった。
やがて背もたれへ身体を預ける。
「律儀だな、お前」
アキラが横から笑う。
「要するに、それ言いに来たんですよ、こいつ」
「お前が説明すんなよ」
「だって事実だろ」
ジンが声を上げて笑った。
「まあ、そういうのは嫌いじゃねえ」
笑いが収まると、少しだけ表情が変わる。
「NOXへ入れば、今まで見えなかったもんは見えるだろうな」
悠斗は黙って聞いた。
「ただ、あそこへ入ったらNOXの看板を背負う。それは忘れんな」
「看板……」
「お前が馬鹿やれば、お前一人の問題じゃなくなる。逆に、NOXの誰かがやらかした時に、お前らまで巻き込まれることもある」
ジンは五人を見回す。
「ギャングに入るってのは、同じ色着て車並べて走るだけじゃねえ」
その言葉は、悠斗が憧れてきたものの裏側をまっすぐ指していた。
同じ色。
同じ拠点。
同じ名前。
憧れていたものは、そのまま責任にもなる。
「それでも行くなら、俺は止めねえ」
ジンは少し笑った。
「俺のところへ来いとも言わねえ。EMBERなら気楽だぞ、なんて誘い方もしねえ」
「……はい」
「行けるなら行ってこい」
そこで一度言葉を切る。
「上の景色を見てこい」
悠斗は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早えよ。入って三日で追い出されるかもしれねえぞ」
「縁起悪っ」
蓮がすぐ反応した。
ジンがそちらを見る。
「お前が一番危なそうだな」
「なんで俺なんすか」
「車で調子乗るから」
「まだ何もしてないでしょ!」
久しぶりに聞くジンの笑い声に、悠斗も自然と笑った。
◇
店を出る頃には、空が橙色へ染まり始めていた。
道路には仕事帰りの車が増え、少し先の信号では長い列ができている。
ヴェローチェ。
レイザー。
プラントS。
セブンⅡ。
それぞれの車とバイクの前で、五人は足を止めた。
「じゃあ」
蓮が全員を見る。
「決まり?」
「決まり」
シオンが答える。
「俺も」
アキラが続く。
ナナも頷いた。
「うん」
四人の視線が悠斗へ集まる。
悠斗はスマートフォンを取り出した。
「返事しよう」
カナメへ電話をかける。
数回の呼び出し音のあと、すぐに繋がった。
『早乙女だ』
「神谷です」
『決まったか?』
「はい」
悠斗は目の前にいる四人を見た。
「五人で、NOXに入ります」
一拍だけ間があった。
『分かった』
カナメの声はいつも通り落ち着いている。
『明日、全員で来い。そこからは新人として扱う』
「はい」
『遅刻するな』
「分かりました」
通話が切れる。
蓮がすぐに口を開いた。
「俺ら、返事した瞬間から遅刻の心配されてない?」
ナナが真顔で返す。
「誰のせいだと思う?」
「俺?」
「他にいる?」
「扱いひどくない?」
アキラが笑った。
「でも、本当に明日からなんだな」
その言葉で、悠斗も改めて実感した。
五人だけのPlaceholderとして走ってきた時間は、ここで一つの区切りを迎える。
明日からは、もっと大きな組織の中へ入っていく。
同じ色を身につけるのか。
どんな無線を使うのか。
NOXにはどんな人間がいるのか。
新人の自分たちに何を任されるのか。
まだ何一つ分からない。
それでも、不安より楽しみの方が大きかった。
悠斗は夕暮れの中に並ぶ仲間たちと、それぞれの愛車を見回した。
ここまで来たのは、一人ではない。
次の場所へ行くのも同じだ。
五人で行く。
それだけは、もう決まっていた。
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