第3章 第135話 五人の帰る場所
刑務所を出て最初に向かったのは、以前から何度も利用していたダイナーだった。
ナナの運転するテンペストが駐車場へ入り、少し遅れてカイの車も近くへ停まる。
昼前の店内には、仕事途中らしい作業着姿の客や遅い朝食を取っている家族連れが何組かいた。厨房からは鉄板で肉を焼く音が聞こえ、扉を開けた瞬間、香ばしい匂いが流れてくる。
その匂いを嗅いだシオンが、わずかに足を止めた。
「……肉」
蓮が振り返る。
「そんなに食いたかった?」
「一年」
「期間で答えるなよ」
「ずっと食べたかった」
声はいつも通り淡々としている。
それなのに視線だけは、店員が運んでいく大きなステーキをしっかり追っていた。
アキラが笑う。
「珍しく分かりやすいな、お前」
「一年間それ楽しみにしてたもんな」
悠斗が言うと、シオンは小さく頷いた。
「うん」
「今日は好きなだけ食えよ」
「食べる」
即答だった。
ナナまで吹き出す。
「シオンがこんな乗り気なの珍しい」
その時、店の奥から聞き慣れた声が飛んできた。
「いらっしゃいま――」
トレーを手にしたミオが、途中で言葉を止める。
悠斗。
蓮。
アキラ。
シオン。
四人を順番に見て、最後にナナとカイへ視線を移した。
数秒後、ぱっと表情が明るくなる。
「……悠斗君たち!」
「久しぶり」
悠斗が答えると、ミオはすぐ近くまで来た。
「本当に帰ってきたんだ」
「今日」
アキラが答える。
「出てきて最初にここ?」
「こいつが肉食いたいって」
蓮がシオンを指した。
ミオがシオンを見る。
「シオン君が?」
「肉」
「はいはい。分かったから、とりあえず座って」
ミオは笑いながら六人掛けのテーブルを指した。
「久しぶりなんだから、今日はゆっくりしてって」
「そのつもり」
悠斗が答える。
ミオは少し嬉しそうに笑った。
「じゃあ、いつもの感じでいいね」
◇
席につくと、シオンはメニューを開いてほとんど迷わなかった。
一番大きなステーキを指差す。
「これ」
「早っ」
ナナが向かいからメニュー越しに顔を覗かせる。
「他のページ見なくていいの?」
「いい」
「肉なら何でもいいのか?」
蓮が聞く。
シオンは少し考えた。
「大きい方がいい」
「めちゃくちゃ楽しみにしてんじゃん」
アキラの笑い声がテーブルに広がった。
注文を取りに来たミオも、シオンの指先の先を見て笑う。
「じゃあシオン君はこれね。他は?」
六人分の注文を聞き終えると、ミオは厨房へ戻っていった。
しばらくして料理が運ばれてくる。
シオンの前には、熱した鉄板の上で音を立てる厚いステーキが置かれた。
立ち上る湯気。
焼けた肉の香り。
シオンはナイフを入れ、一切れを口へ運ぶ。
なぜか全員が、その反応を待っていた。
ゆっくり噛んだあと、シオンが小さく息を吐く。
「……うまい」
「おお」
蓮が軽く手を叩いた。
「何」
「いや、ちゃんと嬉しそうだなと思って」
「嬉しい」
「今日は素直だな」
「肉だから」
そう言って二切れ目を食べ始める。
食べる速度も普段より少し速かった。
「分かりやすっ」
ナナが笑う。
悠斗も自分の料理へ手をつけた。
焼きたての料理。
冷たい飲み物。
店内を流れる音楽。
食器の触れ合う音。
隣のテーブルから聞こえてくる笑い声。
窓の向こうでは、駐車場へ入ってきた車が空いている場所を探してゆっくり進んでいる。
どれも特別なものではない。
それなのに、一年間離れていたせいか、妙に鮮明だった。
「悠斗」
「ん?」
向かいに座っているカイが、フォークを持ったまま笑う。
「楽しそうだな」
「……そう見える?」
「見える」
それだけだった。
けれど悠斗自身、否定する気にはならなかった。
六人で同じテーブルを囲んでいる。
誰かが話し、誰かが割り込み、ミオが料理を運んでくればまた会話が増える。
昔なら緊張していたような時間が、今ではただ楽しかった。
◇
食事を終える頃には、シオンの大きな皿は綺麗に空になっていた。
ナナがその皿を見る。
「満足した?」
「した」
「即答だな」
アキラが笑う。
「もう一枚いける?」
「いける」
「いけるのかよ」
「でもいい」
シオンは水を飲む。
「次にする」
「次も来る気満々じゃん」
会計へ向かうと、レジにいたミオが四人を見る。
「また来てね」
「来る」
シオンが即答した。
ミオが目を丸くする。
「シオン君が一番乗り気なんだけど」
「肉あるから」
「それなら大丈夫そうだね」
悠斗も笑いながら店を出た。
駐車場へ出ると、カイが自分の車を指した。
「俺、ここで仕事戻るわ」
悠斗が振り返る。
「迎えまで来てくれてありがとう」
「気にすんな。また店来いよ。車も一回見といた方がいい」
「うん」
カイは続けて蓮を見る。
「レイザー、いきなり無茶すんなよ」
「分かってるって」
「その返事が一番怖い」
「信用ねえな」
「実績がある」
アキラが笑う中、カイは車へ乗り込み、そのまま道路へ出ていった。
ナナがテンペストの運転席へ戻る。
「ガレージ行くんだよね?」
「うん」
悠斗が答えた。
「行きたい」
◇
久しぶりに見る建物は、一年前とほとんど変わっていなかった。
五つ並んだシャッターの、端から二番目。
ナナがテンペストを前に停め、エンジンを切る。
鍵を外してシャッターを持ち上げると、金属の擦れる音が静かな敷地へ響いた。
中には長い古いテーブル。
使える椅子が五脚。
以前壊れた一脚だけが、壁際へ寄せられたままになっている。
棚。
壁際のコンセント。
蛍光灯。
大きく変わったものはない。
「……帰ってきたな」
蓮が先に入る。
「変わってねえ」
アキラも続いた。
悠斗は入口で一瞬だけ立ち止まった。
銀行へ向かう前、ここで五人で準備をした。
あの時と同じ場所へ、今は全員で戻ってきている。
それだけで胸の奥が少し温かくなった。
ふと、悠斗はポケットからスマートフォンを取り出した。
出所時に返却された端末だったが、長い間使われていなかったせいで、電池はほとんど残っていない。
画面を点けても、すぐに警告表示が出る。
「充電器ある?」
悠斗が聞く。
「あるよ」
ナナが棚を探し、ケーブルを取り出した。
「これ使えると思う」
「ありがとう」
悠斗は壁際のコンセントへ差し込み、スマートフォンをつなぐ。
充電を示す表示が出たのを確認し、そのままテーブルの端へ置いた。
「これでやっと使える」
「一年ぶりのスマホ?」
ナナが聞く。
「ほぼそう」
「通知すごそう」
「見るの怖いな……」
蓮が横から画面を覗き込もうとする。
「ちょっと見せて」
「何でだよ」
「一年分の通知、何件あるか気になる」
「自分の見ろよ」
「俺のもあとで見る」
「じゃあ待て」
悠斗が端末を少し遠ざけると、蓮が笑った。
その横で、シオンがガレージの奥へ視線を向けた。
「……あれ」
全員の視線が動く。
棚の近くに、ボストンバッグが置かれていた。
一年前、銀行から持ち出した現金。
アキラが近づく。
「これ、中見た?」
ナナは首を横に振った。
「見てない。ここへ持ってきて、そのまま」
蓮がバッグを見る。
「じゃあ、まだ誰もちゃんと数えてないんだよな」
「うん」
悠斗は入口へ振り返った。
「シャッター閉めよう」
「そうだね」
ナナが外へ出てシャッターを下ろす。
ガレージの中が暗くなり、代わりに蛍光灯を点ける。
外から見えなくなったのを確認してから、五人はバッグをテーブルへ運んだ。
「数える?」
アキラが聞く。
悠斗は頷いた。
「一回確認しよう」
◇
想像以上に時間がかかった。
札束を分け、数え、ナナが数字をメモする。
途中で合計が合わなくなった。
「……違う」
ナナが計算機を見る。
蓮がすぐアキラを指した。
「お前だろ」
「なんで俺なんだよ」
「途中で喋った」
「お前も喋ってた!」
「俺は数えながら喋れる」
「それが一番信用できねえんだよ」
「二人とも最初から」
「マジ?」
「マジ」
二度目は全員が黙って数えた。
最後にナナが計算機とメモを照らし合わせる。
「……合った」
「いくら?」
悠斗が聞く。
「百三十三万ドル」
一瞬、誰も喋らなかった。
蓮が札束の山を見つめる。
「そんなあったの?」
「ある」
アキラも目の前の現金へ視線を落とした。
しばらくして、ボストンバッグを見る。
「俺、これ抱えて家まで歩いたのかよ」
「そうだよ」
ナナが呆れたように答えたあと、少し眉を寄せる。
「私だって、これここまで持ってくるの大変だったんだからね」
蓮がナナを見る。
「セブンⅡで?」
「そう」
ナナはバッグを指差した。
「ほんとにセブンⅡで運ぶ重さじゃなかったから」
「そりゃきついわ……」
アキラが苦笑する。
「今さら」
シオンが淡々と言った。
「今だから言ってんだよ」
小さな笑いが起きた。
悠斗も笑ったが、すぐに札束へ視線を戻す。
百三十三万ドル。
大金なのは間違いない。
けれど、そのために四人は一年を失った。
今になって金額が分かったところで、素直に喜べるものでもなかった。
「今すぐ使うのはやめよう」
悠斗が言う。
「賛成」
シオンがすぐ答える。
蓮も頷いた。
「俺もそれでいい」
「さすがに出てきた日に百万ドル使い始めるのはな」
アキラが言う。
「目立ちすぎる」
ナナも頷いた。
現金をバッグへ戻し、口を閉じる。
五人がそれぞれ椅子へ腰を下ろした。
古いテーブル。
五脚の椅子。
そして五人。
豪華な場所ではない。
綺麗でもない。
けれど、悠斗にとっては間違いなく帰ってくる場所の一つだった。
拠点と呼ぶには小さい。
それでも、ここへ来れば誰かがいる。
それだけで十分だった。
その時。
テーブルの端で充電していた悠斗のスマートフォンが震えた。
画面が明るくなる。
悠斗は手に取り、表示された名前を見た。
表情が少し変わる。
「誰?」
ナナが聞く。
「……カナメさん」
蓮たちの視線が集まった。
悠斗は充電ケーブルをつないだまま通話を取る。
「もしもし」
『出てきたそうだな』
「はい。今日」
『四人ともか?』
「はい」
『そうか。なら明日、五人で来い。話がある』
悠斗はわずかに姿勢を正す。
「……分かりました」
通話が切れた。
アキラがすぐに聞く。
「NOX?」
「うん」
「何だって?」
悠斗はスマートフォンをテーブルへ戻した。
「明日、五人で来いって」
蓮が眉を上げる。
「出てきた翌日かよ」
「早いな」
アキラも少し真面目な表情になる。
ナナが悠斗を見る。
「五人全員?」
「うん」
「何の話かは?」
「聞いてない」
シオンが短く言った。
「行けば分かる」
「まあ、そうだな」
蓮が背もたれへ身体を預ける。
ただの挨拶なら、わざわざ五人全員を呼ぶ必要はない。
悠斗にも、それくらいは分かった。
一年前に止まった五人の時間は、今日ようやく動き始めた。
そして、その翌日。
彼らを待っているのは、街第2位のギャング《NOX》だった。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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