第3章 第134話 ただいま
出所の日の朝、悠斗はいつもより早く目を覚ました。
見慣れた天井を見つめたまま、しばらく動かなかった。
一年前にここへ来た時は、鉄の扉が閉まる音ひとつで胸が重くなった。決められた時間に起き、決められた場所へ行き、決められた作業をして、夜になれば同じ部屋へ戻る。
その生活も、今日で終わる。
悠斗はゆっくり身体を起こした。
三か月を過ぎた頃には銃撃で負った傷もほぼ治り、それからは自由時間に蓮たちと筋トレを続けてきた。以前より腕や肩には少し筋肉がつき、体つきも引き締まっている。
けれど、今はそんな変化よりも。
今日、外へ出られる。
そのことの方がずっと大きかった。
◇
「忘れ物ない?」
荷物をまとめながらアキラが言った。
「刑務所に忘れ物しても取りに戻りたくねえな」
蓮が笑う。
「そういう意味じゃないだろ」
「分かってるって」
悠斗は手元の荷物を確認した。
多くはない。
それでも、ナナから届いた手紙だけは何度も確かめた。折り目は柔らかくなり、少しだけ紙も擦れている。
シオンはすでに準備を終えていた。
「早いな」
「荷物少ないから」
「俺も少ないんだけどな」
「蓮は確認しすぎ」
「大事だろ。一年分だぞ」
アキラが肩をすくめる。
「最後までうるせえな」
「外出ても同じだろ」
「それはそう」
四人は顔を見合わせた。
一年前、最初の夜に約束した。
全員で外へ出る。
誰も欠けなかった。
◇
出所前の手続きは、思っていたより長かった。
仮釈放中に守る条件。
定期的な報告。
住所や生活状況に大きな変化があれば届け出ること。
違反すれば、残っている刑期へ戻される可能性があること。
説明を受けながら、悠斗は一つずつ確認していった。
三年の判決そのものが消えるわけではない。
一年を刑務所で過ごし、残りは条件付きで外へ出る。
自由になる。
でも、何をしてもいいわけではない。
「神谷」
「はい」
この一年、何度も顔を合わせた担当職員が最後の書類へ目を落とした。
「外で問題起こすなよ」
「……はい」
「次に会う時が、ここじゃないといいな」
悠斗は少しだけ笑った。
「俺もそう思います」
◇
最後の扉が開いた。
悠斗が一歩、外へ出る。
朝の風が頬へ触れた、その直後だった。
「悠斗!」
聞き慣れた声が飛んでくる。
顔を上げると、出口のすぐ先にナナがいた。
一年前と同じ顔。
けれど髪は少し伸びている。
その後ろにはテンペストが停まり、少し離れたところにはカイと、カイが乗ってきた車も見えた。
ナナは四人の姿を確かめるように見回したあと、そのまま早足で近づいてくる。
「遅い!」
蓮が笑う。
「一年待たせた相手に最初それ?」
「一年待ったから言ってんの!」
目が少し赤い。
悠斗はそれに気づいた。
でも、何も言わなかった。
「……ただいま」
自然に口から出た。
ナナが一瞬だけ黙る。
それから、笑った。
「おかえり」
その一言で、胸の奥に溜まっていたものが少しほどけた。
「俺らもいるんだけど」
アキラが言う。
「あ、おかえり」
「雑じゃね?」
「おかえり、蓮」
「急にちゃんとした!」
「シオンも」
「うん」
ナナはもう一度、四人を順番に見た。
「……本当に全員いる」
その声だけは少し震えていた。
一年間。
ナナは外で、四人が帰ってくる場所を残していた。
車を戻し。
家を残し。
ガレージも維持し。
カイや玲奈と一緒に、止まったままにならないよう動いてくれた。
悠斗は短く言った。
「ありがとう」
ナナが少し驚いた顔をする。
「何が?」
「色々」
「雑」
「でも、本当に」
ナナはしばらく悠斗を見て、小さく息を吐いた。
「……帰ってきたんだから、それでいいよ」
そこでようやく、蓮が周囲を見回した。
「……広っ」
アキラも道路の方を見る。
「街ってこんな広かったっけ?」
「一年いたから」
シオンが淡々と答える。
道路では普通に車が走っている。
セダン。
配送バン。
大型SUV。
遠くからスポーツカーらしい乾いた排気音まで聞こえてきた。
蓮の視線がそちらへ向く。
「……車だ」
「一年ぶりに見たみたいな顔すんなよ」
「ほぼ一年ぶりだろ!」
悠斗は思わず笑った。
このやり取りすら懐かしい。
◇
「で、お前ら」
少し離れたところから、カイが四人を見回した。
「筋肉ついたな」
蓮がすぐに腕を曲げる。
「分かる?」
「分かるけど見せんな」
「刑務所でやることなかったからな」
「三か月くらいしてからだけどな」
アキラが訂正する。
カイは悠斗の肩や腕を見て笑った。
「悠斗も前より筋肉ついてるじゃん」
「まあ……暇だったから」
「刑務所で筋トレして出てくるの、分かりやすすぎるだろ」
「それ言いたかっただけだろ」
「ばれた?」
一年経っても、カイはカイだった。
それが妙に嬉しかった。
◇
迎えに使われていたのはテンペストだった。
ナナがキーを持っているのを見て、蓮が反射的に手を伸ばしかける。
「俺、運転――」
そこで止まった。
「……いや」
ナナが首を傾げる。
「何?」
蓮はテンペストを見たまま、少し考えた。
「最初はやっぱレイザーだな」
アキラが笑った。
「何のこだわりだよ」
「一年ぶりに運転するなら、自分の車がいいだろ」
「お前なら言うと思った」
悠斗も少し笑う。
ナナはそのままキーを握り直した。
「じゃあテンペストは私が運転するね」
「頼む」
切り替えは早かった。
蓮は助手席側へ回り、悠斗たちも後部座席へ乗り込む。
五人でちょうど埋まる。
カイは自分の車へ向かった。
「俺は後ろついてくわ」
「了解」
◇
テンペストが刑務所前を離れる。
少し遅れて、カイの車も後ろについた。
「で、どこ行く?」
ナナが運転しながら聞く。
「肉」
アキラが即答する。
「やっぱり?」
「一年言い続けたからな」
蓮が前を見ながら言う。
「その前にレイザー」
「飯のあと」
「いや先だろ」
「一年ぶりに出てきて最初にやることが車見ること?」
「レイザーだぞ?」
シオンが後ろで背もたれに身体を預ける。
「どっちでもいい」
悠斗は笑った。
こういう会話がしたかった。
何でもないことで揉める。
誰かが車の話を始める。
行き先がなかなか決まらない。
それでも全員いる。
「先に飯でいいんじゃない?」
悠斗が言う。
「ほら、結局悠斗が決める」
アキラが笑う。
「俺リーダーじゃないって」
「まだ言ってんの?」
ナナまで笑った。
◇
街へ戻っていく。
窓の外を景色が流れる。
交差点。
ガソリンスタンド。
ダイナー。
パトカー。
配送車。
高架を走る車列。
道路脇で口論している二人組。
信号が青になった瞬間、隣のスポーツカーが無駄に強く加速していった。
蓮が目で追う。
「今の何だ?」
「知らない」
「ちょっと速そうだったな」
「もう始まったよ」
ナナが呆れた声を出す。
悠斗は窓の外を見ながら、小さく呟いた。
「……変わってないな」
「何が?」
「街」
ナナが前を見たまま答える。
「一年くらいじゃ、そんな変わらないよ」
それでも悠斗には、何もかもが新しく見えた。
自分たちがいない間も街は動き続けていた。
警察は事件を追い。
救急は人を運び。
店は営業し。
車は走り。
誰かが犯罪をして。
誰かが笑っていた。
そして今日。
そこへ自分たちも戻ってきた。
「ナナ」
「ん?」
「あとでガレージも行きたい」
ナナは少しだけ間を置いた。
「うん」
それだけ答えた。
ガレージには、一年前から残っているものがある。
五人で確認しなければならないこともある。
でも今は。
「先に肉な」
アキラが言う。
「はいはい」
ナナが笑った。
テンペストは街の中心へ向かって走っていく。
その後ろにはカイの車。
一年ぶりの五人で。
ようやく、Placeholderの日常が戻ってきた。
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