第3章 第133話 仮釈放審査
審査の日は、思っていたより静かにやってきた。
朝食も、点呼も、午前の空気もいつもと変わらない。
違うのは、悠斗が作業場ではなく、職員に連れられて管理棟へ向かっていることだけだった。
廊下の窓から差し込む朝の光が、磨かれた床に細長く伸びている。
一年前にここへ来た時は、閉まる扉の音を聞くたびに胸が重くなった。
今ではその音にも慣れている。
それでも今日は、扉が一枚閉まるたびに心臓が少し速くなった。
「緊張してるか?」
前を歩く職員が振り返らずに聞いた。
「……してます」
「まあ、するだろうな」
短いやり取りだった。
やがて通されたのは、刑務所内でも普段は来ない区画の面談室だった。
簡素な机。
向こう側には複数の審査担当者が座っている。
悠斗は指定された椅子へ腰を下ろした。
「神谷悠斗」
「はい」
「入所から一年。規則違反なし。作業評価も良好。対人トラブルも確認されていない」
淡々と記録が読み上げられる。
数字や評価だけを並べれば、自分の一年は驚くほど短かった。
けれど悠斗にとっては、その一行一行の間に何百回もの点呼や食事、作業、筋トレ、眠れない夜が詰まっている。
「事件について聞きます」
悠斗の背筋が僅かに伸びた。
「あなたたちは武装して銀行へ入り、人質を取り、警察から逃走した。その後、警察との銃撃にも発展しています」
「はい」
「今、あの行動をどう考えていますか?」
簡単な質問ではなかった。
ここで反省していると言えば聞こえはいい。
けれど、嘘だけを並べても意味がない気がした。
「……自分たちは、できると思ってました」
担当者が黙って聞いている。
「準備して、役割を決めて、逃げるところまで考えて。それで何とかなると思ってました。でも実際は全然違って……最後は三人撃たれて、全員捕まりました」
悠斗は膝の上で両手を組んだ。
「誰か死んでてもおかしくなかったです」
「それをどう受け止めていますか?」
「もう、軽く考えられないです」
倉庫の壁。
銃声。
脇腹へ走った衝撃。
シオンの肩から流れた血。
アキラが脚を撃たれた時の顔。
あの場にいた時には考える余裕もなかったものが、一年経っても消えてはいない。
「あなたは事件の途中で仲間と共に武器を捨て、投降していますね」
「はい」
「なぜですか?」
悠斗は少し考えた。
「このまま続けたら、誰か死ぬと思ったからです」
「自分が?」
「自分もですけど……仲間が」
担当者の一人が手元へ何かを書き込む。
「出所した場合、戻る住居はありますか?」
「あります」
「生活面の支援者は?」
「います」
ナナ。
カイ。
玲奈。
名前を思い浮かべるだけで、返事に迷うことはなかった。
「住居や生活上の契約も維持されていることが確認されています」
その言葉を聞いた瞬間、悠斗は小さく息を吐いた。
ナナたちが一年間やってくれたことが、こんなところでも自分を支えている。
「最後に一つ」
「はい」
「外へ出たら、まず何をしたいですか?」
予想していなかった質問だった。
仕事。
更生。
生活の立て直し。
そういう答えを求められているのかと思った。
けれど悠斗の口から出たのは、もっと単純なものだった。
「……仲間と飯を食べたいです」
一瞬だけ室内が静かになる。
「一年間、一緒に刑務所にいた三人と、外で待ってくれてる一人と。五人で」
担当者は表情を変えなかった。
「分かりました」
それで悠斗の審査は終わった。
◇
共有スペースへ戻されたのは昼を過ぎてからだった。
先に審査を終えていた蓮が、悠斗を見るなり近づいてくる。
「何聞かれた?」
「事件のこととか、外出たらどうするかとか」
「俺も」
アキラが椅子へ座りながら言う。
「俺、めっちゃ真面目に答えた」
「逆に怪しいな」
「どういう意味だよ」
シオンも戻ってきた。
「終わった?」
悠斗が聞く。
「終わった」
「どうだった?」
「普通」
「シオン、それで会話終わらせるのやめろよ」
蓮が笑う。
四人とも審査は終わった。
だが、結果はまだ分からない。
「今日出るのかな」
アキラが言う。
「結果?」
「うん」
「分かんない」
蓮は椅子の背にもたれた。
「四人のうち一人だけ駄目とかやめてほしいよな」
誰もすぐには返さなかった。
笑い話にしたかったのだろう。
けれど、それは全員が考えていたことでもある。
一年前に約束した。
四人で一緒に出る。
もし一人だけ残ることになれば、その約束は叶わない。
シオンが静かに言った。
「待つしかない」
「だな」
悠斗は頷いた。
◇
結果を知らされたのは、その日の夕方だった。
最初に呼ばれたのは悠斗だった。
面談室へ入ると、いつもの担当職員が一枚の書類を持っている。
表情からは何も読めない。
「神谷」
「はい」
「仮釈放が許可された」
一瞬、意味を理解するまで時間がかかった。
「……本当ですか?」
「嘘を言う理由があるか?」
「ないです」
「なら本当だ」
思わず口元が緩みそうになる。
「出所日は三日後」
三日。
たった三日。
一年前はあれほど遠かった外が、急に手の届くところまで近づいた。
「必要な説明は明日行う。決められた事項は守れ。それが条件だ」
「はい」
「それと」
職員が書類を置く。
「久我、御影、水城についても許可が出ている」
悠斗は思わず顔を上げた。
「四人とも?」
「ああ」
その瞬間だけは、隠せなかった。
「……よかった」
声が漏れた。
職員は僅かに口元を緩める。
「まだ三日ある。最後に問題を起こすなよ」
「絶対起こしません」
「それを一年続けたんだ。あと三日くらいできるだろ」
「はい」
◇
「よっしゃあ!」
共有スペースに蓮の声が響いた。
「うるさい」
職員に即座に注意される。
「すみません」
蓮が反射的に謝る。
アキラが肩を震わせて笑った。
「最後の最後で記録つくぞ」
「声デカかっただけだろ!」
「三日なんだから静かにしろよ」
「分かってるって」
シオンはいつも通り静かだったが、口元がほんの少し緩んでいた。
悠斗は三人を見る。
「三日後」
「帰れる」
アキラが言う。
「肉」
「まだ言ってんの?」
「一年言い続けたんだから絶対食う」
「俺はレイザー」
「知ってる」
「シオンは風呂だろ?」
「うん」
三人が悠斗を見る。
「で、悠斗は?」
「俺?」
「飯って言ってたじゃん」
悠斗は少し考えてから頷いた。
「うん。五人で行きたい」
一人足りない。
その一人が外で一年間待っていた。
家を残して。
車を戻して。
ガレージを守って。
四人が帰ってくる場所を残してくれた。
「ナナ、迎え来るかな」
蓮が言った。
「来るだろ」
アキラが即答する。
悠斗も、そう思った。
◇
その夜。
悠斗は居室で横になっていたが、なかなか眠れなかった。
一年前とは違う。
不安で眠れないわけではない。
三日後にはこの扉の向こうへ出る。
ヴェローチェに触れる。
街の匂いを嗅ぐ。
好きな時間に飯を食べ、行きたい場所へ行ける。
ガレージのシャッターを開ければ、また五人であのテーブルを囲める。
一年という時間は、自分たちから色々なものを奪った。
けれど同時に、外に残っているものがどれだけ大切だったのかも教えた。
悠斗は暗い天井を見つめた。
「……あと三日か」
小さく呟く。
長かった刑務所生活が、ようやく終わる。
三日後。
五人がもう一度、同じ街に揃う。
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