第3章 第130話 塀の中の一日目
護送車が刑務所へ着いた頃には、夜もかなり深くなっていた。
レイヴンシティ中心部で見慣れた高層ビルの光は、もう見えない。
小さな格子窓の向こうにあるのは、等間隔に並ぶ照明と、高くそびえる無機質な外壁だけだった。
やがて護送車が速度を落とし、最初の門の前で止まる。
機械音とともに重い扉が左右へ開いた。
「……ちゃんと刑務所だな」
蓮が窓の外を見ながら呟いた。
アキラが顔を向ける。
「他に何だと思ってたんだよ」
「いや、もっと普通の建物かと」
「三年食らった奴をホテルにでも連れてくと思った?」
「そうは言ってねえだろ」
その横で、シオンだけは黙って外を見ている。
悠斗も視線を戻した。
監視塔。
照明。
何重にも区切られた門。
護送車が一つ目の門を抜けると、後方で重い金属音が響いた。
振り返らなくても分かる。
門が閉じた。
続いて前方のもう一枚が開く。
その瞬間、胸の奥に妙な重さが落ちた。
ここから先は、自分で帰ろうと思っても帰れない。
◇
到着後は、ほとんど流れ作業だった。
本人確認。
所持品の預かり。
健康状態の確認。
服薬や治療の引き継ぎ。
施設内の規則説明。
順番に呼ばれていく。
「神谷悠斗。十七歳」
「はい」
「脇腹の銃創。まだ経過観察が必要だな」
「はい」
担当職員は書類を確認しながら淡々と続けた。
「医務から指示が出ている。当面、重作業と激しい運動は禁止。痛みや出血があればすぐ申告しろ」
「分かりました」
怒鳴られるようなことはなかった。
必要な確認をして、必要な指示を出す。
思っていたよりずっと事務的だった。
少し離れたところでは、アキラが左脚について説明を受けている。
シオンも右肩の可動範囲を確認されていた。
蓮だけが早々に終わったらしく、椅子に座ってこちらを見ている。
「俺だけ健康体みたいになってんだけど」
「実際そうだろ」
アキラが返す。
「三人撃たれて、俺だけ無傷だぞ?」
「じゃあ明日から一人で働け」
「何でそうなるんだよ」
職員が顔を上げた。
「静かに」
「はい」
蓮とアキラが同時に口を閉じる。
悠斗は笑いそうになったが、脇腹を思い出して耐えた。
◇
受刑者用の服へ着替えたあと、四人は収容棟へ連れていかれた。
コンクリートの床に靴音が響く。
鉄格子。
扉。
監視用の窓。
その向こうには、すでに何人もの受刑者がいた。
こちらを見る者もいる。
ただ、新入りが四人まとめて通るのが珍しいだけなのかもしれない。
廊下の途中で、一人の男が悠斗たちへ目を向けた。
三十代くらい。
腕に古い傷のある、がっしりした男だった。
「新入りか」
職員が振り返る。
「止まるな」
「分かってるよ」
男はそれ以上何も聞かず、そのまますれ違っていった。
別の場所では、壁際にいた二人組が何かを話しながらこちらを見ている。
内容までは聞こえない。
悠斗は前を向いたまま歩いた。
ここにもここでの生活がある。
自分たちが来る前から、人がいて、時間が流れている。
それだけはすぐに分かった。
◇
同じ棟に入れられたのは、四人の警備区分や刑の扱いが同じだったかららしい。
ただし、居室まで一緒というわけではない。
「え、別々?」
蓮が思わず聞く。
「当然だ」
「四人部屋とかないんですか?」
今度はアキラ。
「旅行に来たわけじゃない」
「ですよね」
職員の返答が早すぎて、蓮が横を向いた。
シオンは特に気にしていない。
悠斗も、完全に別の棟へ離されなかっただけで十分だった。
生活時間が重なれば、顔を合わせる機会はある。
◇
悠斗の居室は狭かった。
ベッド。
机。
椅子。
小さな収納。
格子のある窓。
必要最低限のものしかない。
職員が最後の説明を終え、扉が閉じられた。
鍵の音が響く。
急に静かになった。
悠斗はしばらく立ったまま、閉じた扉を見ていた。
三年。
一年経てば仮釈放の審査対象になる。
けれど、それはあくまで審査を受けられるというだけだ。
問題を起こせば遠のく。
態度が悪ければ認められない。
ベッドへ腰を下ろし、脇腹を庇いながらゆっくり横になる。
病院とは違って、街の音がほとんど届かない。
スマートフォンもない。
無線もない。
ナナへ連絡することもできない。
ガレージがどうなっているのか。
ヴェローチェは無事なのか。
ナナが一人で何をしているのか。
何も分からない。
以前なら、一人でいることはそれほど苦にならなかった。
けれど今は、一人になった時ほど四人の顔が浮かぶ。
それが少し不思議だった。
◇
翌朝。
決まった時間に起こされ、点呼を受ける。
朝食のあと、悠斗、シオン、アキラの三人は当面の作業制限を告げられた。
傷が落ち着くまでは軽作業のみ。
運動も制限。
医務室で定期的に状態を見る。
一方、蓮には通常の作業が割り振られることになった。
共有スペースで顔を合わせた途端、蓮が不満そうに言う。
「何で俺だけ普通に働くんだよ」
アキラが笑う。
「健康だから」
「お前らも働けよ」
「俺、脚撃たれてんだけど?」
シオンが短く付け加える。
「肩」
悠斗も脇腹を軽く押さえる。
「俺も」
「三対一で怪我アピールすんなよ」
思わず四人とも笑った。
近くにいた職員がこちらを見る。
すぐに声を落とす。
外にいた時みたいに好き勝手にはできない。
それでも、こうして顔を合わせられるだけで随分違った。
◇
昼前。
共有スペースの端で四人が話していると、一人の受刑者が近づいてきた。
二十代後半くらいの細身の男だった。
「四人まとめて新入りって珍しいな」
アキラが顔を向ける。
「そうなの?」
「まあな。俺も長くいるわけじゃねえけど、同じ日に四人まとめて来るのはあんま見ない」
蓮が眉を上げる。
「長くいないって、どれくらい?」
「今回?」
「今回って何だよ」
男が少し笑う。
「三回目」
「常連じゃん」
「褒めんな」
「褒めてない」
職員から声が飛んだ。
「そこ、固まるな」
「はいはい」
男は素直に離れながら、振り返った。
「分かんないことあったら聞けよ。刑務所初心者」
蓮が小さく呟く。
「その呼び方ちょっと嫌だな」
アキラが笑う。
「でも間違ってない」
悠斗は離れていく男の背中を見る。
ここにも、ここなりの人間関係があるらしい。
外とは違う。
それでも、誰かと話して、誰かと顔を覚えていくという部分は同じだった。
◇
しばらくして、アキラが小声で言った。
「一年、大人しくするんだよな?」
「その予定」
悠斗が答える。
「じゃあ確認しとこうぜ。喧嘩しない。職員に逆らわない。変なことしない」
蓮が眉を上げる。
「何でお前が仕切ってんの?」
「俺が一番真面目だから」
三人とも黙った。
「何だよ、その反応」
シオンが淡々と言う。
「信用できない」
「シオンまで!?」
声が大きくなり、すぐに職員が振り返った。
「静かに」
「すみません!」
アキラが反射的に頭を下げる。
蓮が小声で言った。
「初日から模範囚遠のいてない?」
「うるさい」
悠斗は声を殺して笑った。
◇
午後、それぞれ別の場所へ呼ばれる直前。
蓮が三人を振り返った。
「一年後な」
悠斗が首を傾げる。
「何?」
「四人とも一緒に出ようぜ」
アキラが少し笑う。
「今から決めんの?」
「決めといた方がいいだろ」
シオンは迷わず頷いた。
「分かった」
三人の視線が悠斗へ向く。
大した約束ではない。
問題を起こさず、真面目に過ごす。
それだけだ。
それでも悠斗には、その一言が妙に嬉しかった。
「……うん。一緒に出よう」
◇
その日の夜。
悠斗は一人でベッドへ横になっていた。
昨日ほど部屋の静けさは気にならない。
同じ棟のどこかに、蓮とシオンとアキラがいる。
塀の外にはナナもいる。
一年。
長い。
けれど、一日目はもう終わった。
悠斗は残りの日数を数える代わりに、ガレージを思い浮かべた。
長いテーブル。
並んだ椅子。
車の話。
くだらない言い合い。
五人でまた街を走ること。
一年後に戻りたい場所が、自分にはある。
悠斗はそのことだけを考えながら、静かに目を閉じた。
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