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『引きこもり高校生、犯罪都市でギャングを始める ~友達ゼロだった俺の成り上がり~  作者: 阿鼻恭介
第3章

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第3章 第121話 逃げ切った、その先で

 ストラドから伝わる振動は、まだ小さい。


 それでも、一度気づいてしまうと無視はできなかった。


 後部座席の悠斗は足元へ視線を落とし、シート越しに伝わってくる感触を確かめる。


 一定ではない。


 何も起きない時間もあれば、忘れた頃に細かな震えが来る。


 ただ、さっきまで追跡していた警察車両の姿はもう見えなかった。


 蓮が何度も進路を変え、道路から直接見えにくい場所へ入り、しばらく様子を見ても誰も来なかった。


 そこで四人はようやく覆面を外している。


 銀行から持ち出した現金も、この辺りから近かったアキラの部屋へ一度置いた。


 少なくとも、金を抱えたまま走り続けているわけではない。


 今はただ、自分たちが無事に帰ることだけを考えればいい。


「後ろは?」


 悠斗が聞く。


 助手席のシオンがミラーへ目をやる。


「いない」


「音は?」


「聞こえない」


 蓮もミラーを確認した。


「追跡自体は切れたっぽいな」


 その言葉を聞いて、アキラが背もたれへ深く沈んだ。


「やっとか……」


「まだ終わってないけど」


「分かってるって」


 口ではそう言いながらも、声には明らかに安堵が混じっていた。


 悠斗も同じだった。


 銀行の中。


 警察との交渉。


 ストラドへ乗り込むまでの緊張。


 三分間の猶予。


 その後の追跡。


 警察車両との接触。


 どこか一つでも大きく崩れていれば、今こうして四人で話してはいなかったかもしれない。


 けれど、今は全員ここにいる。


 ナナも追跡から離れている。


 現金も確保した。


 ようやく今日という一日が、終わりへ向かっているように思えた。


     ◇


 ストラドは速度を落として走っていた。


 もう赤信号を無視して突っ切る必要もなければ、車列を無理に抜く必要もない。


 周囲の流れへ混ざるように、普通の車と同じくらいの速度で進む。


 窓の外には、いつものレイヴンシティが広がっていた。


 買い物袋を持って歩く女性。


 店先で商品を並べる店員。


 自転車で通り過ぎる若者。


 信号待ちをする何台もの車。


 銀行強盗も追跡も知らない人間たちが、普通に自分の時間を過ごしている。


「……変な感じするな」


 悠斗が呟いた。


 アキラが窓の外を見る。


「何が?」


「街が普通すぎて」


「ああ」


 少し考えたあと、アキラが笑った。


「まあ、普通の人からしたら俺らの方がおかしいしな」


「それはそう」


 シオンが即答する。


「そこ即答する?」


「間違ってない」


「そうだけどさ」


 蓮が前を向いたまま笑う。


「お前、今日ずっとシオンに刺されてんな」


「味方いないんだけど」


「俺は運転で忙しい」


「悠斗は?」


 突然振られ、悠斗は少し笑った。


「……半分くらいアキラが悪いと思う」


「ここにもいなかった」


 車内に小さな笑いが広がった。


 銀行を出てから、こんなふうに普通に笑える時間はほとんどなかった。


 それだけでも、追跡が本当に遠ざかったことを実感できる。


     ◇


「そういえば」


 アキラが言った。


「金、置いといて正解だったよな」


「うん」


 悠斗もすぐに頷いた。


「この車の状態も分からないし」


「また見つかる可能性もゼロじゃない」


 シオンが言う。


 蓮も前を見たまま続けた。


「追跡切れたからって、向こうが探すのやめるわけじゃないしな」


 その言葉に、少しだけ車内の空気が引き締まる。


 そうだ。


 警察車両が今見えないだけで、事件そのものが終わったわけではない。


 街のどこかでは、まだ銀行強盗に使われた車を探しているはずだ。


「この車でずっと走るのも嫌だよな」


 アキラが言う。


「うん」


 悠斗は頷いた。


「でも今ここでバラバラになるのも違う気がする」


「俺もそう思う」


 蓮が答える。


「とりあえずガレージの近くまでは一緒に行く。途中で危なそうならその時考える」


「それでいいと思う」


 悠斗は細かく口を出さなかった。


 どの道を走るか。


 どの速度で行くか。


 車の状態がどこまで持つか。


 その判断は蓮の方が適している。


 自分が全部決める必要はない。


 それは半グレとして五人で動くようになってから、少しずつ覚えてきたことだった。


     ◇


 無線からナナの声が入った。


『そっちどう?』


 悠斗が応答する。


『今は警察見えてない』


『ほんと?』


『うん。たぶん追跡は切れてる』


『よかった……』


 声の奥で、ナナが息を吐くのが分かった。


『私はもう全然違うところにいるよ』


『そのままでいて』


『分かった』


 少し間が空く。


『……ちゃんと帰ってきてね』


 悠斗は小さく笑った。


『うん』


 通信が切れる。


 アキラが横から言う。


「心配されてんな」


「みんなされてるでしょ」


「俺にも言ってほしかった」


「同じ無線聞いてたじゃん」


「そういう問題じゃない」


 シオンが前を向いたまま言う。


「面倒」


「お前今日ほんと冷たいな」


 また少し笑いが起きた。


     ◇


 しばらく走ったところで、蓮がふと呟いた。


「ストラド、思ってたより頑張ったな」


 アキラがすぐ食いつく。


「気に入った?」


「最初から嫌いじゃねえって」


「レイザーより?」


「だから比べんな」


「ちょっと迷った?」


「迷ってねえ」


 シオンが淡々と口を挟む。


「でも直したいと思ってる」


 蓮が一瞬黙った。


「……まあ、それはな」


「認めたじゃん」


「うるせえ」


 悠斗も車内を見回す。


 少しくたびれた内装。


 新しい車ではない。


 レイザーのように蓮が一目惚れした車でもない。


 それでも今日は、この一台が四人を銀行まで運び、そこから警察を振り切るところまで走ってくれた。


 蓮が直したいと思うのも分かる気がした。


「マカベに見てもらえばいいよ」


 悠斗が言う。


「うん。ちゃんと見てもらう」


「大したことなかったら?」


「それが一番いい」


 蓮がそう言った直後だった。


 ざりっ。


 後ろから、長い擦過音が響いた。


 さっきより明らかに大きい。


 アキラが振り返る。


「……今のはちょっと嫌だな」


「分かってる」


 蓮の顔から笑いが消える。


 少し速度を落とした。


「走りは?」


 悠斗が聞く。


「まだ普通」


 その言葉を聞いて、悠斗はそれ以上問い詰めなかった。


 原因は分からない。


 蓮もメカニックではない。


 今ここで断定できることではなかった。


 ストラドはそのまま進む。


 数十秒。


 何も起きない。


 さらに少し走る。


 今度は車体が小さく震えた。


 悠斗が足元を見る。


 アキラも気づいたようだった。


「今、揺れた?」


「うん」


 蓮は短く答える。


 また数秒。


 もう一度振動する。


「……やっぱ増えてるな」


 蓮が呟いた。


「止める?」


「まだいい。ほんとに駄目なら止める」


「無理はしなくていいよ」


「してないって」


 声に焦りはない。


 ただ、運転へ向ける集中は明らかに強くなっていた。


     ◇


 さらに進む。


 振動は消えない。


 それでもストラドは走っている。


 警察車両も見えない。


 あと少し。


 そう思い始めたところで――


 ごっ。


 今までとは違う大きな衝撃が、車体全体へ伝わった。


「うわっ」


 アキラが前の座席へ手をつく。


 蓮がすぐにアクセルを戻した。


「……これは止めた方がいい」


「うん」


 今度は悠斗も迷わなかった。


 シオンが周囲を確認する。


「後ろはいない」


「止められそうなところある?」


「少し先」


 蓮が速度を落とす。


 ストラドはまだ真っすぐ走っている。


 ただ、車体の下から伝わる振動はさっきまでより明らかに強い。


「頑張れよ」


 アキラが小さく言った。


「車に言ってもしょうがないってさっき言われてなかった?」


「こういう時は別だろ」


 シオンが答える。


「それは分かる」


「分かるんじゃん」


 緊張しているのに、ほんの少しだけ笑いが漏れた。


 その時だった。


 シオンが前方を見たまま声を変える。


「……待って」


「何?」


 一台の車が、向こう側の通りから姿を現した。


 まだ距離はある。


 悠斗は最初、普通の車だと思った。


 けれど、建物の影を抜けた瞬間、屋根の上に載ったものが見えた。


 蓮も気づく。


「マジかよ」


 アキラが身を起こす。


「警察?」


「たぶん」


 悠斗の胸が一気に重くなる。


 追跡を切ったからといって、警察が捜索をやめたわけではない。


 分かっていた。


 頭では分かっていたはずなのに、実際にその一台が現れると、さっきまで戻っていた安心が一瞬で消えた。


 相手がこちらへ気づいたのかは、まだ分からない。


 ただの巡回車両なのか。


 銀行強盗の車を探している一台なのか。


 判断するにはまだ遠い。


 しかし最悪なのは、ストラドの方だった。


 今までなら蓮がすぐにアクセルを踏めばよかった。


 けれど今、車体の下からは強い振動が伝わっている。


 蓮がハンドルを握り直す。


「……止まるの、やめるぞ」


 悠斗は前方の警察車両を見た。


「うん」


 ストラドが再び少しだけ速度を上げる。


 まだ気づかれていないかもしれない。


 その可能性へ賭けるしかなかった。


 あと少しで終わる。


 本気でそう思っていた。


 金も確保した。


 警察も一度は撒いた。


 四人とも無事だった。


 それでも、銀行強盗はまだ終わっていなかった。

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