第3章 第117話 纏まった交渉
『では、話を続けよう』
銀行の外から、拡声器を通した男の声が響いた。
『改めて名乗っておく。交渉を担当する相原だ。そちらが人質を傷つけるつもりはないことは確認した』
アキラは正面のガラス扉へ向いたまま返す。
「そのつもりだ! こっちも誰かを傷つけたいわけじゃない!」
『分かった。なら、その前提で話を進めよう』
赤と青の光が、ガラス越しに銀行内を何度も照らしている。
悠斗はアキラの半歩後ろに立ち、外へ目を向けていた。
足元には現金の詰まったボストンバッグ。
少し離れた場所では、シオンが人質たちを見ている。
具合を悪くした男性だけは、すでに救急へ引き渡した。
残っている人質たちは待合席や壁際で静かにしている。
最初ほどの混乱はない。
それでも、自分たちが銃を持った強盗であることは変わらなかった。
『まず確認したい。残っている人質はどうする?』
アキラはすぐに悠斗を見る。
「中に残していくんだよな?」
「うん」
これは事前にも話していた。
人質を車まで連れていくつもりはない。
悠斗たちが銀行を出た後、そのまま中に残して警察に保護してもらう。
アキラが外へ声を張る。
「人質は銀行の中に残していく! 俺たちが出たあとで保護してくれ!」
『全員か?』
「具合悪くてさっき出した一人以外は全員だ!」
『分かった。そちらが外へ出るまでは、中へ入らない。それでいいか?』
「いい!」
悠斗も小さく頷いた。
これなら、人質を外へ連れて歩く必要もない。
自分たちが離れれば、そのまま解放になる。
『では、そちらの条件を聞く』
アキラの表情が少し引き締まった。
「逃げる車を銀行前までつけたい!」
外からすぐに返事は来なかった。
ガラス越しに見える警察官たちが、何人か集まって話している。
やがて相原の声が返った。
『その車へ乗って逃走する、ということだな?』
「そうだ!」
『続けてくれ』
アキラが一度だけ悠斗を見る。
悠斗は頷いた。
「車が来て、俺たちが乗り込むまでは撃つな!」
『そちらからも撃たないこと。それが条件だ』
「撃たない!」
『人質には手を出さず、中に残す』
「それも約束する!」
そこまでは大きな問題なく進んだ。
悠斗はゆっくり息を吐く。
問題は、この先だ。
アキラが続けた。
「あと、逃げ始めてから3分!」
『3分?』
「追ってくるのはいい! でもその3分は、車をぶつけたりして無理に止めるのはなしだ!」
銀行内が静かになった。
人質たちも話を聞いている。
外からの返事は、先ほどより長く待たされた。
アキラが声を落とす。
「通ると思う?」
「分かんない」
「だよな」
シオンが人質側から短く言う。
「待つしかない」
「それはそう」
アキラが肩を竦めた。
◇
銀行から少し離れた場所では、ナナがセブンⅡを停め、周囲を見ていた。
警察車両は最初より明らかに増えている。
救急車もまだ待機していた。
少し前には、規制で流れが変わった道路で一般車同士が接触し、運転手同士が言い合いになっていた。
今は警察官が対応しており、大きな騒ぎにはなっていない。
「こんな時でも事故るんだ……」
ナナは小さく呟き、無線へ声を入れた。
『外、大きな変化なし。さっきの事故も落ち着いてきた』
『警察は?』
「銀行前にはまだ多い。今見える範囲では変な動きしてないよ」
『分かった』
「そっちは?」
『逃げる時の条件、今話してる』
「もうそこまで行ったんだ」
『うん』
「了解。こっちは見とく」
『お願い』
通信が切れる。
ナナは周囲を確認してから、ゆっくりセブンⅡを動かした。
乗り始めてまだ日が浅い。
こんな状況でも、止まる時や動き出す時には少し緊張する。
速く走る必要はない。
今の自分の仕事は、見えたものをそのまま伝えることだった。
◇
ストラドの運転席では、蓮が無線を聞いていた。
「やっと出番か」
ハンドルへ置いた指が、無意識に動く。
レイザーより少し重く感じる感触。
古さの残る内装。
派手ではないが、マカベに見てもらったばかりという安心感はある。
『銀行前まで車つける話してる』
「いつ動けばいい?」
『まだ待って。決まったら言う』
「了解」
蓮はフロントガラスの向こうへ視線を戻した。
銀行前へ出れば、警察の視線は一気にこの車へ集まる。
さっきまでの暇な待ち時間とは、緊張の種類が違う。
「……いよいよだな」
ダッシュボードに置いたスポーツドリンクが目に入る。
蓮は手を伸ばしかけてやめた。
「これは終わってから」
◇
『待たせた』
相原の声が再び銀行内へ響く。
アキラがすぐに反応した。
「どうなった?」
『銀行前まで車を移動させることは認める』
アキラの表情が僅かに緩む。
『そちらが乗り込むまでは、こちらから発砲しない。ただし、そちらから撃った場合は別だ』
「撃たない!」
『残っている人質は全員銀行内に置いていく』
「それでいい!」
『問題は3分間の方だ』
悠斗は自然と背筋を伸ばした。
『完全に追わないという条件は受けられない』
「追っていいって言ってる!」
『分かっている』
相原の声は落ち着いていた。
『追跡はする。ただし最初の3分間は、こちらから車を直接ぶつけるような行動はしない。それなら受けられる』
アキラが悠斗を見る。
「どうする?」
悠斗は少しだけ考えた。
求めていた内容とほとんど変わらない。
「それでいいと思う」
シオンも短く答える。
「俺も」
アキラが外へ向き直った。
「それでいい!」
『その代わり、3分間はそちらも警察へ発砲しないこと』
「撃たない!」
『無関係な市民を意図的に巻き込むような行動もしない』
「分かった!」
『なら、その条件で進めよう』
悠斗はそこで初めて、肩に入っていた力を少し抜いた。
出口が見えてきた。
◇
その後も確認は続いた。
ストラドを銀行前へ移動させる。
悠斗たち三人が外へ出る。
人質は銀行内に残す。
三人が車へ乗り込むまでは双方発砲しない。
逃走が始まれば警察は追跡する。
ただし最初の3分間は、車を直接ぶつけるような強引な止め方はしない。
こちらも同じ3分間は警察へ発砲しない。
一つずつ話を合わせるたびに、短い待ち時間が入った。
アキラが途中で小さく息を吐く。
「長いな……」
「仕方ないよ」
「銀行入って金取る方が早かった気がする」
「それは俺も思ってた」
シオンが淡々と口を挟む。
「喋りすぎ」
「暇なんだって」
「人質いる」
「分かってるって」
悠斗は僅かに笑った。
こんな状況でも、いつもの三人らしさが完全に消えていないことに少しだけ救われる。
『こちらの確認はほぼ終わった』
相原の声が響いた。
アキラがすぐに表情を戻す。
「来たな」
「うん」
『最後に確認する』
銀行内が静かになる。
『残っている人質は全員銀行内へ残す。そちらの車を銀行前まで移動させる。三人が乗り込むまでは双方発砲しない。逃走開始後はこちらも追跡するが、最初の3分間は車を直接ぶつけるような行動はしない。そちらもその間はこちらへ発砲しない』
アキラは返事をせず、悠斗を見る。
最終判断を求めている。
悠斗はシオンへ目を向けた。
小さく頷く。
無線へ声を入れる。
「外、変わりない?」
『こっちは大丈夫』
蓮の声。
少し遅れてナナも返す。
『私の方も大きな変化なし』
「分かった」
悠斗はアキラへ頷いた。
「それでいこう」
アキラが外へ声を張る。
「その条件でいい!」
『了解した』
相原の返事は短かった。
『では、次に車を動かす。こちらから合図するまでは、そのまま待ってくれ』
「了解!」
アキラが返したあと、悠斗へ顔を向ける。
「まとまったな」
「うん」
「やっとだ」
シオンは人質たちを見たまま言う。
「まだ外に出てない」
「お前は最後までそれ言うんだな」
「事実だから」
悠斗は足元のボストンバッグへ視線を落とした。
金は取った。
交渉もまとまった。
人質はここに残していく。
あとはストラドを銀行前へ呼び、三人で乗り込む。
その運転席には蓮がいる。
外にはナナもいる。
五人で帰るための形が、ようやく整った。
悠斗は無線へ声を入れた。
「準備してて」
『了解』
蓮の返事は短い。
その声を聞いてから、悠斗はガラスの向こうへ視線を戻した。
赤と青の光の先で、何人かの警察官が動き始める。
間もなく相原の声が響いた。
『それじゃあ、車を動かすところから始めよう』
アキラが悠斗を見る。
悠斗は静かに頷いた。
長かった交渉が終わり、銀行強盗はようやく逃走へ移ろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




