第3章 第115話 初めての銀行強盗
銀行が見える通りへ入ったところで、蓮はストラドの速度を落とした。
そのまま建物の正面までは行かず、少し離れた場所で車を停める。
フロントガラスの向こうでは、昼の街が何事もないように動いていた。
信号を渡る会社員。
買い物袋を提げた女性。
路肩へ客を降ろしているタクシー。
その先には、何度も下見した銀行が見えている。
悠斗は助手席で、足元に置いた二つのボストンバッグへ視線を落とした。
銀行へ入るのは悠斗、アキラ、シオンの三人。
蓮は逃走役。
ナナはセブンⅡで周囲を見ている。
二つのバッグには、できるだけ現金を詰めるつもりだった。
ただし、どこまで取れるかは分からない。
時間次第だ。
目出し帽は四人分用意していた。
銀行へ入る三人はここで被る。
蓮の分は、逃走が始まった時のために車内へ残してある。
「俺はまだ被らなくていいよな」
蓮が自分の目出し帽を手に取る。
「今から被って外にいたら、それだけで怪しいだろ」
後部座席からアキラが言った。
「銀行強盗するやつに怪しいって言われたくねえな」
「それはそう」
悠斗は少しだけ笑った。
けれど、銀行へ視線を戻すと、その笑みはすぐに消える。
昨日までは準備だった。
下見をして。
逃走車を用意して。
ガレージで役割を決めて。
何度話しても、どこかに生前見ていた配信の延長のような感覚が残っていた。
今日は違う。
本当に中へ入る。
「悠斗」
蓮に呼ばれた。
「何?」
「無理だと思ったら言えよ」
いつもの軽い調子ではなかった。
悠斗は蓮を見る。
「蓮もね」
「俺は待って運転するだけ」
「それが一番大事なんじゃない?」
「……プレッシャーかけるなよ」
後ろからアキラが笑う。
「緊張して余裕ないじゃん」
「ガム買ったやつに言われたくない」
「まだ言う?」
「まだ言う」
アキラは口の中のガムを噛みながら肩をすくめた。
「俺はちゃんと緊張してるって認めてるから」
「開き直るなよ」
シオンが静かにドアノブへ手を掛ける。
「行こう」
その一言で、車内の空気が変わった。
悠斗は目出し帽を取り出した。
アキラとシオンも同じだった。
三人は互いに顔を見合わせる。
「……行くよ」
「ああ」
三人が目出し帽を被る。
薄い布が顔へ触れ、視界が少し狭くなった。
悠斗は二つのボストンバッグを持ち、ドアを開ける。
「外は見とく。何かあったら無線入れる」
「頼む」
「そっちも気をつけろよ」
「うん」
三人がストラドを降りた。
少し遅れて蓮も運転席から出る。
ただし三人について銀行へ向かうわけではない。
車から少し離れた場所で待つ。
「じゃ、俺はこの辺いる」
「うん」
「呼んだら戻る」
「お願い」
蓮は片手を上げ、そのまま三人とは別方向へ歩いていった。
◇
銀行までの道が、普段より長く感じた。
目出し帽を被った三人を見て、すれ違った男性が明らかに足を緩める。
悠斗はそちらを見なかった。
入口だけを見る。
足は重い。
それでも止まらない。
自動扉が開いた。
冷房の効いた空気とともに、低い話し声や機械音が耳へ入ってくる。
下見でも入った場所だ。
受付。
窓口。
待合用の椅子。
番号札を持った客。
書類を書いている老人。
職員と話している女性。
三人が入った瞬間、その空気が止まった。
こちらを見る人々。
目出し帽。
二つのボストンバッグ。
そして悠斗が取り出した拳銃。
「動かないでください!」
銀行内へ声が響いた。
思っていたより大きな声が出る。
女性が短く悲鳴を上げた。
立ち上がりかけた客も、その場で固まる。
すぐ隣からアキラの声が飛ぶ。
「落ち着いて! 言うことを聞いてくれれば何もしない!」
やはり、こういう時はアキラの方が声が通る。
悠斗は周囲へ目を向けた。
下見した時より人が多かった。
それだけで、頭の中に描いていた光景が少し崩れる。
子供を背中へ隠そうとする母親。
椅子から動けない老人。
口元へ手を当てている若い女性。
こちらを険しい目で見ている中年の男。
生前なら、まとめて「人質」と見ていた。
今は違う。
一人ずつ違う顔をしている。
泣いている者。
怒っている者。
何をすればいいか分からず固まっている者。
悠斗は無意識に拳銃を握る手へ力を込めた。
すぐに気づき、力を抜く。
撃ちたいわけではない。
誰かを傷つけたいわけでもない。
それでも今、この場所で人を怯えさせているのは自分たちだった。
「大丈夫?」
横から小さく声を掛けられる。
「……うん」
喉は乾いていた。
心臓も速い。
それでも、やることは決まっている。
シオンは客と職員全体へ目を配っていた。
必要以上に誰かを脅そうとはしない。
悠斗は窓口側にいた職員へ視線を向ける。
「金庫まで案内してください」
職員の顔が強張った。
「……」
「お願いします」
こんな時まで敬語だった。
無理に荒っぽい口調へ変える方が、悠斗には不自然だった。
職員はすぐには動かない。
少し離れた位置からアキラが声を掛ける。
「言う通りにしてください。誰も傷つけたくないんで」
職員はようやく小さく頷いた。
悠斗は二つのボストンバッグを持ち、その後ろについて銀行の奥へ向かう。
「何かあったら呼んで」
背中からシオンの声が届く。
「うん」
「こっちは見とく」
「お願い」
そこから先、誰も名前は呼ばなかった。
犯罪を始めた以上、必要のないことは口にしない。
◇
『聞こえる?』
無線からナナの声が入る。
「聞こえてる」
『こっちは今のところ普通。周り見ながら動いてる』
「分かった」
『そっちは?』
「今、奥に向かってる」
『了解』
少しして、別の声が入った。
『こっちも変わりなし』
「了解」
『何かあったら言えよ』
「うん」
名前を呼ばなくても、声だけで誰なのかは分かる。
やがて職員が足を止めた。
「ここ……です」
震えた声だった。
悠斗も立ち止まる。
目の前に目的の金庫がある。
まだ、ここまで来ただけだ。
二つのボストンバッグを足元へ置く。
「……開けてください」
職員の表情がさらに強張った。
「お願いします」
職員はすぐには動かなかった。
怖くて体が動かないのか。
迷っているのか。
悠斗には分からない。
その時、無線が入った。
『こっちで少し動きがあった』
「どうした?」
『人質の一人が立った。止めたから大丈夫』
「怪我は?」
『ない』
悠斗は目の前の金庫を見る。
まだ開いていない。
「分かった。こっちは今、開けてもらうところ」
『了解。こっちは任せて』
通信が切れる。
悠斗は一度だけ息を吐いた。
「続けてください」
◇
銀行の表側では、四十代くらいの男が立ったままだった。
「家族が外で待ってるんだ。俺だけでも出してくれ」
アキラが落ち着いた声で返す。
「今は出せません」
「でも、外に――」
男が一歩動いた。
「止まって」
シオンが横へ出る。
低く静かな声だった。
男が足を止めた。
「終わったら出られる」
「……」
「今は座って」
シオンは声を荒らげない。
銃も不用意に男へ突きつけなかった。
男はしばらくシオンを見ていた。
近くに座っていた年配の女性が、小さく声を掛ける。
「今は……言う通りにしましょう」
男は悔しそうに口を結んだが、ようやく元の椅子へ座った。
アキラは気づかれない程度に息を吐く。
「助かった」
「何が?」
「もう少し言い方考えてた」
「必要なかった」
「こういう時だけ強いな」
「こういう時だけ?」
「……今のなし」
シオンは何も返さず、再び店内へ視線を戻した。
◇
銀行から少し離れた場所で、蓮はスマートフォンを眺めるふりをしながら立っていた。
ストラドは少し離れたところに停まっている。
必要になれば戻ればいい。
ただ、待つだけというのも落ち着かない。
銀行の方向へ歩いていた男が、途中で足を止めた。
中の異変に気づいたらしい。
そのまま近づくのをやめ、引き返していく。
「……そりゃ気づくか」
蓮が小さく呟いた。
『そっちどう?』
ナナの声が入る。
「銀行見て引き返したやつがいた」
『じゃあ、そろそろ動くかも』
「だろうな」
蓮は一度だけストラドを見る。
まだ戻らない。
「待つ方が落ち着かねえな……」
◇
ナナはセブンⅡで銀行周辺を動いていた。
免許を取ってまだ日が浅い。
だから無理な速度は出さない。
大通り。
交差点。
脇道。
走っている車と周囲の様子を見ながら移動する。
タクシー。
配送用のバン。
一般車。
買い物帰りらしい歩行者。
街そのものは、まだ何事もなかったように動いている。
信号で停まり、ナナは片足を地面へ着いた。
その時。
遠くからサイレンが聞こえた。
ナナが顔を上げる。
「……来た」
一つではない。
ナナはすぐ無線へ声を入れた。
『来た。警察』
◇
金庫側にいた悠斗にも、その声ははっきり届いた。
『今見えたのは二台。ほかからもサイレン聞こえる』
「了解」
すぐに別の声も入る。
『こっちでも聞こえた』
「今どこ?」
『まだ車から少し離れたとこ』
「分かった」
『そろそろ戻る』
「お願い」
その直後、銀行の奥にいても分かるほどサイレンが一気に近づいた。
悠斗は思わず振り返る。
ここから外は見えない。
それでも、もう近いことだけは分かる。
『一台、銀行の前に来た』
早い。
悠斗の胸が強く鳴った。
金庫はまだ開いていない。
「……続けてください」
職員へ声を掛ける。
少しして、重い音を立てて扉が開き始めた。
悠斗は床に置いた二つのボストンバッグを見る。
本当なら、両方に詰めるつもりだった。
『二台目も来た』
警察はもう外にいる。
悠斗は一つ目のバッグを開いた。
「ここに入れてください。急いで」
職員が震える手で動き始める。
100ドル札の束が、次々とバッグの中へ入っていく。
一束。
また一束。
底が沈み、少しずつバッグが膨らんでいく。
すぐ横には、まだ空の二つ目がある。
『三台目も来た』
無線から声が入った。
続いて別の声も重なる。
『俺、車戻る』
「了解」
外では警察が増えている。
その間にも、100ドル札の束は一つ目のバッグへ入り続ける。
悠斗はサイレンが重なるたび、横の空のバッグへ視線を向けた。
二つ目にも入れるつもりだった。
けれど、もうその余裕はなさそうだ。
『外、かなり集まってきた』
「分かった」
『まだかかる?』
「もう少し」
『了解』
職員は手を止めない。
一つ目のバッグはかなり膨らんでいた。
悠斗は外から聞こえてくるサイレンへ耳を澄ませる。
これ以上は欲張れない。
「……そこまででいいです」
職員の手が止まった。
悠斗は一つ目のバッグの中を見る。
100ドル札の束がぎっしりと入っている。
横には、まだ何も入れていない二つ目のボストンバッグ。
二つ目へ金を詰めるのは諦める。
悠斗は空のバッグを小さく畳んだ。
それを、まだ開いたままの現金入りボストンバッグの上へ押し込む。
少しかさばったが、どうにか収まった。
そこで初めてファスナーを閉じる。
「……よし」
肩掛けのベルトを持ち上げた。
「っ……」
肩へ掛けた瞬間、ずしりとした重さが食い込む。
想像していた以上に重い。
それでも、バッグ一つなら運べる。
「そこにいてください」
職員へそう告げ、悠斗は表へ戻った。
◇
フロアへ戻った瞬間、赤と青の光が銀行内へ何度も差し込んでいるのが見えた。
もう警察は完全に到着している。
ガラスの向こうには複数の警察車両。
通行人は銀行から距離を取っていた。
外から警察の声も聞こえている。
アキラが悠斗のバッグへ視線を落とした。
「一個だけ?」
「うん。二つ目まで詰める時間なかった」
「そっか」
「空の方はこの中に入れてる」
悠斗が肩へ掛けたバッグを軽く示す。
アキラは外を一度見てから頷いた。
「まあ、これだけ来てたら仕方ないな」
シオンも短く言う。
「十分だろ」
「たぶん」
悠斗は肩へ食い込むベルトを直した。
中身がいくらあるのかは分からない。
ただ、かなりの量が入ったことだけは重さで分かる。
質屋の時にも、店の中から警察が集まってくる様子を見たことはある。
それでも今回は、あの時とは空気が違った。
銀行という場所。
人質の数。
肩へ食い込む大金。
外に並ぶ警察車両。
何もかもが一段重い。
『こっちは車戻った』
無線から声が入る。
『いつでも動ける』
「了解」
『こっちも周り見てる』
「お願い」
名前は使わない。
それでも、声だけで十分だった。
◇
ストラドへ戻った蓮は運転席へ乗り込み、座席の脇に置いていた目出し帽を手に取った。
外ではサイレンが重なって聞こえている。
さっきまで普通だった通りは、もう完全に別の空気になっていた。
「……増えたな」
銀行の方向へ目を向ける。
警察車両が何台も集まっている。
ここから先、いつ三人が出てくるか分からない。
蓮は目出し帽を膝の上へ置いた。
まだ被らない。
無線を聞きながら、ハンドルへ手を置く。
「ちゃんと戻ってこいよ……」
小さく呟いた。
◇
警察が到着したことで、銀行内の空気も変わっていた。
助けが来たと思っている者。
逆に、ここから撃ち合いになるのではないかと怯えている者。
表情はそれぞれ違う。
悠斗自身も怖かった。
警察が来ることは分かっていた。
質屋の時にも似た状況は経験している。
それでも、今回は緊張の重さが違った。
やがて外から、警察の呼びかけがはっきりと聞こえる。
すぐに踏み込んでくる様子はない。
まずはこちらと話そうとしている。
アキラが悠斗を見る。
「そろそろだな」
「うん」
「最初、俺が話す?」
悠斗は少しだけ考えた。
アキラの方が話すのは上手い。
初対面の相手でも臆さない。
こういう場面も、自分より向いている。
全部を自分でやる必要はない。
「お願いしていい?」
「もちろん」
「俺も横にいる」
「その方が助かる」
シオンも二人を見る。
「俺はこっち見てる」
「お願い」
悠斗はアキラの隣へ並んだ。
外から再び警察の声が響く。
銀行内の誰かが息を呑む。
アキラも一度深く息を吐いた。
「……緊張するな」
「そっちでも?」
「するに決まってるだろ」
悠斗は少しだけ笑った。
無線から声が入る。
『こっちはいつでも動ける』
「了解」
少し間を置いて、また別の声。
『周りもそのまま見てるから』
「うん。ありがとう」
中には三人。
ストラドには一人。
銀行周辺にはセブンⅡのナナ。
五人全員が、それぞれの場所にいる。
悠斗はガラス越しに赤と青の光を見つめた。
生前なら、ここから先こそ食い入るように配信を見ていた。
警察が何を言うのか。
犯罪者がどう返すのか。
画面の向こうなら、ただ続きを待っていればよかった。
今は違う。
隣から声がした。
「行ける?」
悠斗は一度だけ息を吐いた。
「うん」
「じゃあ行こう」
「ああ」
外から、警察の呼びかけがもう一度響いた。
持ち込んだ二つのボストンバッグ。
一つには現金が詰まり、もう一つは空のままその中へ収めた。
本当なら、もっと取るつもりだった。
だが、警察はもう目の前にいる。
初めての銀行強盗は、まだ終わっていない。
警察との最初の交渉が、始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
よろしくお願いいたします。




