第3章 第113話 前日の最終確認
翌日の夕方。
アキラの黒いクーペと蓮のレイザーが、ガレージ近くの大きめのスーパーの駐車場へ入っていった。
ガレージへ行く時は、ここに車を停めるのが定番になりつつある。周辺ではこのスーパーの駐車場が一番近く、歩いても二分ほどしかかからない。飲み物や食べ物が欲しくなれば、そのまま買っていけるのも便利だった。
アキラの車には、運転席のアキラと、悠斗、シオン。
レイザーには蓮とナナが乗っている。
アキラが空いている駐車枠へ車を収め、エンジンを切った。
「今日は黒いクーペで来たんだな」
助手席でシートベルトを外しながら、悠斗が何気なく言った。
「……なあ」
アキラがハンドルに片手を置いたまま、悠斗を見る。
「何?」
「前からちょっと思ってたんだけどさ」
「うん」
「なんで俺の車だけ、ずっと『黒いクーペ』なんだよ」
「え?」
悠斗は思わず車内を見回した。
黒いクーペなのだから、今まで特に疑問も持たずにそう呼んでいた。
「ヴェローチェはヴェローチェだろ? 蓮のはレイザー。昨日からあのセダンもストラドになったじゃん」
「確かに」
「なのに俺のだけ黒いクーペって雑じゃね?」
後部座席から降りようとしていたシオンも、少しだけ顔を上げる。
「名前あるの?」
「あるに決まってるだろ」
アキラは少し得意そうに答えた。
「《ヴァレント・プラントS》」
「プラントS?」
「そう。今度からそう呼んでくれ」
「分かった。プラントS」
シオンが先に口にすると、アキラが満足そうに頷いた。
「そう、それ」
三人が車を降りる。
ちょうど隣へ停めたレイザーから、蓮とナナも降りてきた。
「何の話?」
蓮がドアを閉めながら聞く。
「俺の車」
「また?」
「またじゃねえよ。悠斗が黒いクーペって言うから、ちゃんと名前あるって教えてた」
「何ていうの?」
「《ヴァレント・プラントS》」
「へえ。プラントSなんだ」
「お前まで知らなかったのかよ」
「聞いてないし」
「じゃあ今日覚えろ」
蓮が笑った。
「昨日の俺みたいなこと言ってんな」
「俺は前から思ってた」
「今、黒いクーペって言われて気になっただけだろ」
「違うって」
そのやり取りを聞いていたナナが「あ」と声を上げた。
「じゃあ私のバイクも」
「お前も?」
アキラが振り返る。
「だって私のも、ずっと『ナナのバイク』とか『黒いバイク』って呼ばれてるじゃん」
「確かにそうだな」
悠斗が言う。
「ちゃんと名前あるからね」
蓮が面白そうに聞いた。
「何ていうの?」
「《アルディス・セブンⅡ》」
「セブンⅡ?」
「うん」
蓮は一瞬だけ黙り、それから吹き出した。
「バイクまでナナじゃん」
「そうなの」
ナナも楽しそうに笑う。
「だから運命感じたんだよね」
「それで買ったの?」
アキラが聞いた。
「それだけじゃないよ。ちゃんと軽かったし、乗りやすかったし、足も届いたし」
「でも名前も気に入ったんだろ?」
「かなり」
「かなりなんだ」
悠斗も笑った。
ナナがあのバイクを見つけた時、ずいぶん気に入っていた理由が一つ増えた気がする。
「じゃあ今度からセブンⅡ?」
「うん。そう呼んで」
蓮が腕を組む。
「急に全員、乗り物の名前にうるさくなったな」
「最初に言い出したの蓮でしょ」
「俺は『濃いグレーのセダン』が長いって言っただけだよ」
「同じようなもんじゃん」
くだらない話をしながら、五人はスーパーへ入った。
◇
「今日も飲み物?」
冷蔵棚の前でナナが聞く。
「いる」
蓮が即答した。
「昨日コーラだったよね」
「今日はこれ」
蓮が手に取ったのはエナジードリンクだった。
「明日に備えてる」
「今日飲んだら明日にはなくない?」
「今日から備える」
「絶対ただ飲みたいだけじゃん」
アキラが笑いながら炭酸飲料を取る。
「俺もそう思う」
「お前は俺の味方しろよ」
「何でだよ」
悠斗はお茶を選び、シオンは水を一本取った。
それを見たナナが笑う。
「シオン、昨日も水じゃなかった?」
「水は飽きない」
「なんか強い」
「何が?」
「分かんないけど」
ナナ自身は冷蔵棚の前で少し迷ったあと、レモン味の炭酸を選んだ。
そのままレジへ向かうかと思ったところで、アキラが菓子売り場の前で足を止める。
「これも買ってく?」
「昨日ほとんど一人で食べたやつ?」
「今日はちゃんと分ける」
「信用がない」
「一回しかやってないだろ」
「実績は実績だから」
「厳しいな」
結局、今日もアキラは小さな菓子の袋を籠へ入れた。
会計を済ませてスーパーを出る。
夕方の駐車場には車が次々と入ってきていた。
買い物袋を提げた家族。
自転車を押す学生。
仕事帰りらしい作業着姿の男。
大通りを走っていく配送車。
少し離れた場所からは、救急車のサイレンも聞こえてくる。
街にとっては、何でもない夕方だった。
明日、自分たちが銀行へ向かうことなど、当然誰も知らない。
「悠斗?」
隣を歩いていたナナが顔を向ける。
「何?」
「また考えてた?」
「ちょっと」
「明日のこと?」
「うん」
ナナも一度前へ視線を戻し、それから小さく息を吐いた。
「まあ、私も考えるけどね」
「やっぱり?」
「そりゃね」
怖くないはずがない。
悠斗だけではなく、ナナも同じなのだろう。
けれど少し前を歩く蓮とアキラは、もう別の話をしていた。
「プラントSって結構いいよな」
蓮が言う。
「今さら気づいた?」
「前から悪いとは言ってないだろ」
「じゃあもっと褒めろよ」
「なんで?」
「俺の車だから」
「知らねえよ」
「レイザーより乗りやすいぞ」
「そこは聞き捨てならないな」
「食いつくところそこ?」
ナナが呆れたように笑う。
その横を、シオンが静かに歩いていた。
悠斗は四人を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。
明日は明日。
今日は今日だ。
銀行強盗の前日だからといって、一日中重苦しくしている必要はない。
◇
二分ほど歩き、横一列に五つのシャッターが並ぶ古い平屋へ着いた。
悠斗が端から二番目の区画の鍵を開け、シャッターを持ち上げる。
中には、昨日置いたままのストラドが収まっていた。
「お」
蓮が真っ先に中へ入る。
「また?」
ナナが笑う。
「何が?」
「昨日もストラド見て『お』って言ってた」
「別にいいだろ」
「毎回来るたびに言うの?」
「言うかもしれない」
悠斗が入口横のスイッチを押すと、天井の蛍光灯が点いた。
長机と椅子。
小さな棚。
その横に停まるストラド。
まだ使い始めたばかりで物は少ない。それでも何度かここへ集まっただけで、最初に見た時より少しだけ自分たちの場所らしく感じられる。
五人はスーパーで買った飲み物を机へ置いた。
アキラはさっそく菓子の袋も取り出す。
「今日はちゃんと分けるぞ」
「早い」
「一人二枚な」
「何枚入ってるの?」
「知らん」
「数えてから言ってよ」
シオンが無言で一枚取る。
「あ」
「配るんだろ」
「そうだけど」
蓮も続けて手を伸ばした。
「俺も」
「お前ら自由すぎない?」
ナナが笑う。
悠斗も笑いながらノートを机へ置いた。
「先に確認だけしようか」
「はい、リーダー」
アキラが言う。
「そういうのいいから」
昨日までに話したことを、一つずつ最初から読み上げるつもりはなかった。
悠斗は四人を見る。
「それぞれ、自分で確認するって言ってたことは終わってる?」
「俺は大丈夫」
蓮が答える。
「俺も」
アキラが続いた。
「問題ない」
シオンは短い。
ナナも頷いた。
「私も。セブンⅡも今日ちょっと乗ったけど、大丈夫だったよ」
アキラがすぐに笑う。
「もうセブンⅡって呼んでる」
「名前聞いたんだからいいでしょ」
「駐車は?」
悠斗が聞く。
「まだちょっと苦手」
「そこは変わらないんだ」
「二日くらいで急に上手くならないよ」
「それもそうか」
ナナがバイクで外を動くこと自体は、もう決まっている。
そこを今さら話し直す必要はなかった。
「無線だけ確認しとこうか」
悠斗が言う。
全員がそれぞれ使っているヘッドセット型の無線を準備し、電源を入れる。
『聞こえる?』
ナナの声が耳元へ入った。
「聞こえてる」
『俺も』
蓮の声が続く。
『問題ない』
シオン。
少し遅れてアキラが入る。
『聞こえる? 俺だけちょっと声良くない?』
『うるさい』
蓮が即答した。
「普通に喋ってるだけだろ」
『存在感がでかい』
「それ無線関係ないじゃん」
ナナが笑う。
『はい、確認終わり』
「ナナが仕切るんだ」
『長くやったら蓮が遊び始めるから』
『もう遊んでるけど』
『ほら』
笑いが起きた。
悠斗はヘッドセットを外す。
これで十分だった。
前日になって余計な変更を増やすより、今まで決めたことをそのままやった方がいい。
◇
そこから先は、ほとんど雑談になった。
アキラは「プラントSってもっと早く名前聞けよ」とまだ文句を言っている。
「自分から言えばよかったじゃん」
ナナが返す。
「普通聞くだろ」
「聞かなかったね」
「誰も車名に興味なかったんじゃね?」
蓮が言う。
「お前だけには言われたくない」
「俺は車好きだけど、知りたかったら聞くし」
「じゃあ聞けよ」
「今日知ったからもういいだろ」
「腹立つな」
ナナが笑う。
「セブンⅡは覚えた?」
「バイクまでナナだから覚えやすい」
「その言い方やめて」
「でも本当じゃん」
「まあ、名前見た時ちょっとテンション上がったけど」
「やっぱり気に入ってたんじゃん」
「名前だけで決めたわけじゃないよ。ちゃんと乗りやすかったし」
シオンが静かに菓子を食べながら口を挟む。
「レンジャーはレンジャー」
ナナが一瞬きょとんとした。
「まだ誰もシオンの話してないよ」
「名前の話」
「ああ」
アキラが吹き出す。
「買えてないのにもう呼び方だけ決まってる」
「名前は決まってる」
「それはそうだけど」
また笑いが起きた。
その時、アキラの椅子がわずかに傾いた。
「ん?」
座り直すと、ガタッと小さな音がする。
「これ脚おかしくない?」
悠斗が下を見る。
「昨日もそれガタついてなかった?」
「これだったっけ?」
「多分」
「じゃあ替えるわ」
アキラは空いていた椅子へ移り、ガタつく方を壁際へ寄せた。
それだけで話は終わり、すぐにまた車の話へ戻る。
ところが、その途中だった。
外からサイレンが聞こえてきた。
五人の会話が一瞬だけ止まる。
誰かがシャッターを叩いたわけではない。
ガレージ前へ警察車両が来たわけでもない。
近くの道路をパトカーが走っているだけらしい。
サイレンは少しずつ近づき、そのまま別の方向へ遠ざかっていった。
「……何もしてないのにビビるな」
アキラが苦笑する。
「今日はな」
蓮が言った。
シオンが水を一口飲む。
「明日は違う」
「シオンが言うと重いんだよ」
「事実」
「それはそうだけど」
悠斗も少し笑ったが、胸の奥にはわずかな緊張が残った。
この街へ来てから、警察に追われたこともある。
捕まったこともある。
顔を覚えられている警官だっている。
明日は、その警察を相手にする。
「一個だけ」
悠斗が口を開いた。
四人がこちらを見る。
「昨日決めたことは、そのままでいこう」
蓮がすぐに意味を察した。
「一人でも無理だと思ったら中止」
「うん。直前でも」
「分かった」
アキラが頷く。
「私も」
「俺も」
シオンも静かに頷いた。
確認したかったのは、それだけだった。
悠斗はノートを閉じる。
◇
話を終えて外へ出る頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
悠斗がシャッターを開けると、橙色の光がストラドのボンネットへ差し込む。
「帰る前に一回だけ」
蓮がそう言って、ストラドの運転席へ向かった。
ナナが笑う。
「やっぱり確認するんだ」
「明日使うんだからな」
「朝もやるんでしょ?」
「やる」
「今日やる意味ある?」
「ある」
「蓮の中では?」
「ある」
シャッターは大きく開いたままだ。
蓮が運転席へ座り、キーを回す。
低いエンジン音がガレージ内へ響き、開いた入口から外へ抜けていく。
蓮はメーターへ目を向け、しばらくその音を聞いた。
「どう?」
アキラが入口近くから聞く。
「問題なさそう」
「マカベも見てるんだし大丈夫だろ」
「分かってる。でも自分でも見たいんだよ」
蓮はもう少しだけ待ってからエンジンを切った。
静かになったガレージで、運転席から降りる。
ドアを閉めたあと、ストラドの屋根を軽く叩いた。
「明日な」
ナナがすぐに反応した。
「車に話しかけた」
「独り言」
「今叩いたじゃん」
「たまたま」
「何がたまたまなの?」
アキラが笑う。
「いいじゃん。明日は蓮よりストラドの方が落ち着いてそうだし」
「車なんだから当たり前だろ」
「でも蓮よりは信用できるかも」
「それどういう意味?」
悠斗も笑いながら、最後にガレージの中を見回した。
ストラドはここへ残す。
明日になれば、五人は再びこの場所へ集まる。
悠斗はシャッターを下ろし、鍵を掛けた。
五人で、スーパーまでの二分ほどの道を戻る。
「飯どうする?」
アキラが聞いた。
「行く」
蓮が即答する。
「どこ?」
「スーパーのフードコートでよくね?」
「またスーパー?」
ナナが笑う。
「車もそこだし、一番近いだろ」
「確かに」
「私は麺があればいい」
「俺バーガー」
「シオンは?」
全員に見られたシオンが少し考える。
「カレー」
「今日は肉じゃないんだ」
「カレーにも肉入ってる」
「そこなんだ」
また笑いが起きた。
やがてスーパーの駐車場が見えてくる。
プラントSとレイザーは、停めた時と同じ場所にあった。
明日は銀行へ行く。
それはもう決まっている。
けれど今はまだ前日の夕方だ。
五人で夕飯を食べて、車やバイクのくだらない話をして、それぞれ帰ればいい。
悠斗はプラントSの方へ歩きながら、少しだけ笑った。
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