第3章 第111話 逃走車を受け取る
翌日の午後。
悠斗の白いヴェローチェと、アキラの黒いクーペが工業地帯へ向かっていた。
ヴェローチェを運転する悠斗の隣には蓮。後部座席にはナナが座っている。
少し後ろを走る黒いクーペには、アキラとシオンが乗っていた。
昨日マカベから届いた連絡では、濃いグレーのセダンの点検は終わったらしい。
今日はその車を受け取り、あわせて保管場所も確認する予定だった。
「蓮、さっきから落ち着かないね」
後部座席のナナが笑う。
「別に」
「時計見たり、前ばっか気にしたりしてるじゃん」
「ちゃんと走る車が増えるんだから気になるだろ」
「それを楽しみにしてるって言うんじゃない?」
蓮が少しだけ振り返る。
「うるさいな」
「図星じゃん」
悠斗も横目で蓮を見る。
「試乗した時から気に入ってたよね」
「仕事用の車だぞ?」
「それと車好きなのは別でしょ」
ナナに言われ、蓮は諦めたように窓の外へ視線を戻した。
悠斗は小さく笑いながらハンドルを切る。
銀行強盗の準備をしているはずなのに、車の話になると空気がいつもの日常に近くなる。
けれど今日受け取る車は、ヴェローチェやレイザーとは違う。
五人が最初から裏仕事で使うことを前提に選んだ車だった。
◇
工場へ着くと、濃いグレーのセダンはシャッターの前に出されていた。
昨日より車体が少し綺麗になっている。
年式相応の細かな傷までは消えていないが、泥や埃は落とされ、タイヤ周りも整えられていた。
「おお……」
蓮がヴェローチェから降りるなり声を漏らす。
「ほら、やっぱ楽しみにしてたじゃん」
ナナが後部座席から降りながら笑った。
「車見たら普通こうなるだろ」
少し遅れて黒いクーペも停まり、アキラとシオンが降りてくる。
「完全に納車の日の人だな」
アキラが言う。
「納車だろ」
「用途は銀行だけど」
「それ毎回言うなよ」
工場の奥から、作業着姿のマカベが出てきた。
「来たか」
「こんにちは」
悠斗が挨拶すると、マカベは軽く手を上げる。
「一通り見直した。今見た範囲じゃ問題ない」
蓮はすぐにセダンへ近づいた。
「エンジンも?」
「見た。足回りもな」
「前の持ち主が弄ったところは?」
「変な組み方はされてない。だからって古い車には変わりねえぞ」
マカベはセダンの屋根を軽く叩いた。
「今問題なくても、この先絶対何も出ないなんて言わねえ。違和感あったら無理して乗らずに持ってこい」
「分かりました」
悠斗が答える。
その横で、蓮はもうタイヤを覗き込んでいた。
「普通に踏んでも大丈夫ですよね?」
「普通にな」
「普通ってどこまで?」
「お前の普通は信用してねえ」
ナナが吹き出した。
「もう完全にバレてる」
「昨日ちょっと乗っただけだぞ」
「そのちょっとで分かった」
マカベの返事に、アキラまで笑った。
悠斗はセダンを見ながら、支払いをする前に確認しておきたかったことを口にした。
「マカベさん、一ついいですか?」
「何だ?」
「この車、名義ってどうなってます?」
マカベの目が少し細くなる。
「そこ気にしてたのか」
「普通の中古車屋で買わなかった理由の一つなので」
「ああ」
マカベは短く頷いた。
「お前らの名義にはならねえ」
「じゃあ、誰の?」
「別の人間だ」
悠斗が待っていると、マカベは少し面倒そうに首を回した。
「借金で首が回らなくなった奴がいてな。名義を貸して金を受け取って、その金を返済に回してる」
「……そういう人いるんですね」
「この街じゃ別に珍しくねえよ」
ナナが少し眉を寄せた。
「その人、車が何に使われるかは知ってるんですか?」
「細かいことまでは知らねえ」
マカベはそこで話を切った。
「お前らも、それ以上は聞くな」
悠斗も追及しなかった。
「俺たちの名前は出ない?」
「出ない。それだけ分かってりゃいい」
「分かりました」
確認したかったことは、それで十分だった。
マカベがポケットから鍵を取り出す。
「じゃあ7,500ドル」
「はい」
悠斗は支払いを済ませた。
それを確認すると、マカベが鍵を差し出す。
悠斗は受け取った鍵を一度だけ見下ろした。
小さな鍵だった。
それでも、手のひらに載った瞬間に昨日までとは少し感覚が変わる。
これで本当に五人の車になった。
「保管場所は?」
悠斗が聞く。
「ああ。空いてた」
マカベは工場内の机から紙を一枚持ってきた。
「ここから車で十分くらい。シャッター付きのガレージが五つ並んでる場所だ」
「一台ずつ入れる感じ?」
「そう。空いてるのは一つだけ」
場所と連絡先、それに月額の保管料が書かれている。
「この金額で毎月?」
「そう。使うなら月払い」
悠斗は四人を見る。
誰も反対する様子はない。
「じゃあ、そこ借ります」
「向こうにも話は通してある。今から見に行くか?」
「お願いします」
マカベがセダンへ視線を向ける。
「で、誰が乗ってく?」
「俺」
蓮が即答した。
「だと思った」
アキラが笑う。
悠斗は鍵を蓮へ渡した。
「じゃあ任せる」
「任せろ」
「壊すなよ」
「それマカベさんの台詞だろ」
ナナが笑った。
◇
ガレージへ向かう車列は四台になった。
先頭はマカベの古いピックアップ。
その後ろを、蓮が運転する濃いグレーのセダンが走る。
三台目は悠斗の白いヴェローチェ。ナナは助手席へ移っている。
最後がアキラの黒いクーペで、シオンが助手席に乗っていた。
『どう?』
悠斗がヘッドセット越しに聞く。
『いい』
蓮の返事は短い。
「それだけ?」
助手席のナナが笑いながら無線へ入る。
『いや、かなりいい。昨日よりちゃんと乗れるから分かる』
『何が?』
アキラの声が続く。
『見た目より軽く前に出るし、曲げても変な感じしない』
「気に入ってるじゃん」
悠斗が笑う。
『気に入ってる』
今度は素直に認めた。
前を走るセダンは、見た目だけならごく普通の古い四ドアだ。
派手なエアロもなければ、大きなウイングもない。
少し離れて見れば、わざわざ振り返るような車ではなかった。
「こうして見ると、本当に地味だね」
ナナが前方を見ながら言う。
「それでいいんだと思う」
『中身は地味じゃないけどな』
蓮の声が無線から飛んでくる。
「やっぱり気に入ってるじゃん」
『だから気に入ってるって言っただろ』
後ろのクーペからアキラの笑い声が入った。
◇
着いた先は、工業地帯の端にある古い平屋の建物だった。
正面には同じ大きさのシャッターが五つ、横一列に並んでいる。
外壁は少し色褪せ、ところどころに雨染みもある。見た目こそ古いが、シャッターや鍵はしっかりしていた。
マカベは端から二番目のシャッター前でピックアップを停めた。
「ここ」
「この一個を丸ごと?」
ナナが聞く。
「そう」
マカベが鍵を開け、シャッターを持ち上げる。
金属の重い音が響き、暗かった内部へ外の光が差し込んだ。
中は車一台を置くには十分な奥行きがある。
濃いグレーのセダンを入れても、左右や後方に人が動ける程度の余裕は残りそうだった。
壁際には古い長机が一つ。
その周りには、形も色も少しずつ違う椅子が六脚置かれている。
奥には小さな棚があり、壁にはコンセント。
天井には二本の蛍光灯が取り付けられていた。
「明かりもあるんだ」
ナナが天井を見上げる。
「電気は使える」
マカベが入口横のスイッチを押した。
一瞬だけ蛍光灯が明滅し、白い光がガレージ全体を照らす。
「え、普通にいいじゃん」
アキラが最初に中へ入った。
「車置くだけの場所だと思ってた」
「前に使ってた奴が机と椅子置いてったらしい」
マカベが言う。
「いらなきゃどかしていい」
「いや、絶対いるだろ」
蓮がすぐに言った。
「普通に話できるじゃん」
ナナが机へ近づき、表面を手で軽く払う。
薄く埃は積もっていたが、使えないほどではない。
「六脚もあるし」
「俺ら五人だけどな」
アキラが一脚を引いた。
床を擦る音がガレージ内に響く。
「一脚余るくらいでちょうどいいだろ」
シオンは奥まで歩き、壁や天井をゆっくり見回していた。
「どう?」
悠斗が聞く。
「悪くない」
「静か?」
「それも」
マカベが蓮へ顎をしゃくる。
「車入れてみろ」
「了解」
蓮は外へ戻り、セダンへ乗り込んだ。
エンジンがかかり、低い排気音がガレージ前に響く。
蓮はゆっくりとバックし、濃いグレーのセダンを中央へ収めた。
車を停めると、すぐにエンジンを切る。
排気音が消え、ガレージの中へ静けさが戻った。
車を一台入れても、机の周りには五人が座れる程度の余裕がある。
「……これ、結構いいな」
蓮が運転席から降りる。
「何が?」
ナナが聞く。
「なんか、ちゃんと俺らの場所って感じする」
アキラも頷いた。
「分かる。車庫っていうより、ちょっとした部屋だな」
「ちょっと拠点っぽい」
ナナが言う。
今度は誰も否定しなかった。
豪華な場所ではない。
古い机が一つ。
ばらばらの椅子が六脚。
小さな棚と照明。
そこへ濃いグレーのセダンを一台置けば、かなりの空間が埋まる。
けれどシャッターを閉めれば、ここは五人だけで使える場所になる。
スクエアでもない。
店でもない。
悠斗の部屋でもない。
五人が自分たちのために借りた、初めての場所だった。
「鍵の扱いだけ気をつけろよ」
マカベが悠斗へガレージの鍵を渡した。
「車の鍵も、ここの鍵も無くすな。あと車に何か変な感じが出たら連絡」
「はい」
「特にお前」
マカベが蓮を見る。
「なんで俺だけなんですか」
「一番壊しそうだから」
「ひどいな」
「否定できる?」
ナナが聞く。
蓮は少し考えた。
「……できる」
「間があったじゃん」
◇
マカベがピックアップで工場へ戻ったあとも、五人はそのままガレージに残った。
悠斗は入口まで歩き、シャッターを下ろす。
金属の音が最後まで響き、外の景色が完全に消えた。
閉ざされた空間には、天井の蛍光灯だけが白く灯っている。
外を走る車の音も、さっきより少し遠く聞こえた。
「なんか急にそれっぽくなったね」
ナナがガレージの中を見回す。
「何が?」
蓮が聞く。
「拠点」
「まだただの車庫だろ」
アキラが笑いながら椅子を引く。
「でも会議はできる」
シオンが一番端の椅子へ座った。
「もう座ってるし」
「椅子あるから」
悠斗も笑いながら机へ向かった。
六脚ある椅子のうち、五脚が自然に埋まる。
一脚だけが空いたまま、机の端に残った。
「じゃあ、少し話してく?」
悠斗が言う。
「そのつもり」
ナナが答える。
「せっかく場所もできたしな」
蓮も頷いた。
「まず運転は俺でいいよな?」
「そこは異論ない」
アキラが即答する。
悠斗も頷いた。
「蓮に任せたい」
「よし」
「そんな嬉しそうにするところ?」
ナナが聞く。
「銀行強盗で運転任されるんだぞ」
「普通なら喜ばないと思う」
「俺は喜ぶ」
蓮らしい。
悠斗は次にシオンを見る。
「シオンは中にいてほしい」
「分かった」
返事は早かった。
何か起きた時、四人の中で一番落ち着いて戦えるのはシオンだ。
悠斗はアキラへ視線を移した。
「アキラも中」
「警察と話すなら俺?」
「うん。その方がいいと思う」
「了解」
悠斗自身も銀行へ入る。
蓮が指を折った。
「中が悠斗、シオン、アキラ。俺が運転」
「大枠はそれでいいと思う」
悠斗が答える。
アキラは机へ肘を置き、少し考え込んだ。
「でも、まだ全然足りないな」
「うん」
銀行と車を決めただけでは、まだ準備は終わらない。
必要なもの。
当日の動き。
想定と違うことが起きた場合にどうするか。
決めるべきことはいくつも残っている。
ナナが机を指先で軽く叩いた。
「これから、こういう話ここでする?」
「いいんじゃない?」
アキラが答える。
「悠斗の部屋に毎回五人で集まるより楽だし」
「車もここにある」
シオンが短く付け加える。
蓮もセダンへ目を向ける。
「仕事の前にここ集合でもいいな」
悠斗は改めてガレージを見回した。
古い机。
椅子が六脚。
棚。
天井の蛍光灯。
そして今日買ったばかりの濃いグレーのセダン。
格好いい場所ではない。
立派な拠点とも呼べない。
それでも、五人が集まって話をするには十分だった。
「……じゃあ、ここ使おうか」
悠斗が言う。
「決まり」
ナナが笑った。
車を置くために借りたはずのガレージが、その日のうちに五人の集合場所まで兼ねることになった。
狙う銀行も決まった。
逃走車も手に入った。
小さいながら、自分たちだけで集まれる場所もできた。
初めての銀行強盗へ向けた準備は、少しずつ形になり始めていた。
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