第3章 第109話 逃走車
翌日の午後。
悠斗の部屋には、また五人が集まっていた。
ローテーブルの上には、昨日使った紙の地図が広げられている。三軒の銀行にはナナが印を付け、その横には人通りや周辺道路について簡単なメモも書き足されていた。
けれど、今日の話題は銀行そのものではない。
「やっぱり自分の車は使いたくないな」
蓮が最初にそう言った。
「昨日も言ってたじゃん」
ナナが地図から顔を上げる。
「改めて考えたら、もっと嫌になった」
「捕まるよりレイザー取られる方が嫌そう」
「捕まるのも嫌だよ。両方嫌なんだよ」
蓮は真顔だった。
悠斗も同じ意見だった。
白く塗り直したヴェローチェを犯罪に使うつもりはない。アキラも、普段から乗っている黒いクーペを出したくないと言っている。
「テンペストも無しだよね?」
ナナが聞いた。
「うん。あれは五人で使ってる車だし、銀行で失うのは嫌だ」
「じゃあ別で用意するしかないな」
アキラが腕を組む。
「中古車を買う?」
「安すぎるのは嫌だぞ」
蓮が即座に反応した。
「逃げるならちゃんと速い方がいい」
「まだ誰が何するか全部決めてないじゃん」
「でも運転は俺だろ」
「自信あるなあ」
アキラが笑う。
その横で、ナナは地図の端を指先で軽く叩いた。
「私、銀行の中には入らない方がいいと思う」
悠斗がナナを見る。
「外にいる?」
「うん。バイクで周りを見る」
ナナは地図の銀行周辺を指した。
「警察がどっちから来てるとか、周りがどうなってるかとか。私まで中に入るより、外で動いて情報流した方が役に立つと思う」
「それはありだな」
アキラが頷く。
シオンも短く言った。
「情報いる」
ナナは調べ物や周囲の変化を拾うことが得意だ。
まだバイクには乗り始めたばかりだが、無茶な運転をさせるつもりはない。銀行の中へ入る四人とは別に動く役なら、ナナ自身も納得していた。
「じゃあ逃走車に乗るのは四人か」
蓮が言う。
「そうなるね」
「なら四ドアがいいな」
「そこだけ妙に楽しそう」
「車選びなんだから楽しいだろ」
「銀行強盗の準備なんだけど」
「それはそれ」
蓮の返事に、アキラが吹き出した。
悠斗も少し笑ったあと、ふと気になった。
「……普通の中古車屋で買っていいのかな」
「何が?」
「俺たちが普通に買ったら、誰が買った車か残るよね」
ナナが「あ」と声を漏らす。
「店にも記録あるだろうしな」
アキラもすぐに意味を理解したらしい。
「後で車から俺らまで辿られたら面倒ってことか」
「たぶん」
警察がどこまで調べるのか、悠斗には分からない。
ただ、自分たちの名義で普通に買った車を、そのまま銀行強盗に使うのは不用心に思えた。
「じゃあ普通の店で買うのはやめとく?」
ナナが聞く。
「その方がいいと思う」
「でも、そういう車どこで探すんだ?」
蓮の質問に、全員が黙った。
前世では、配信の中で犯罪用の車が準備される場面を何度も見ている。
けれど、実際に自分たちが用意する側になると、「車を用意する」という一言だけでは済まない。
少し考えてから、ナナが口を開いた。
「レイさんに聞いてみる?」
「またレイさん?」
アキラが笑う。
「こういう時、誰に聞けばいいかくらいは知ってそうじゃない?」
「それはありそう」
悠斗も頷いた。
「スクエア行ってみる?」
「いるか分かんないぞ」
「いなかったら、その時考えればいいじゃん」
五人は地図を畳み、外へ出た。
◇
昼過ぎのスクエアには、十数台の車が停まっていた。
派手なスポーツカーの横でボンネットを開けて話している若者たち。ベンチで飲み物を片手に雑談している男たち。少し離れた場所では、制服姿の警官とレーサーらしい二人組が笑いながら何か話している。
何か事件が起きているわけではない。
それでも車は出入りし、人が集まり、あちこちで会話が生まれていた。
悠斗たちは、蓮の青いレイザーとアキラの黒いクーペの二台で来ている。
「レイさんいるかな」
ナナが周囲を見回す。
「あそこ」
シオンが先に見つけた。
スクエアの端。
南雲レイが、見覚えのない男二人と立ち話をしている。
今日もハットを被り、洒落たスーツ姿だった。車ばかり並ぶ場所に立っていても、不思議と浮いていない。
悠斗たちは少し離れた場所で待った。
やがて話を終えた二人が去る。
そこで悠斗たちは近づいた。
「レイさん」
「ん?」
振り返ったレイが五人を見る。
「昨日ぶりだな。今日は揃ってどうした?」
「ちょっと聞きたいことがあって」
悠斗が答える。
「ナナ、働き始めた途端に店の外でも俺を使う気か?」
「違いますよ」
「冗談だ」
レイは笑った。
「で、何?」
悠斗は少し言葉を選ぶ。
銀行強盗の準備だと、そのまま話す必要はない。
アキラが先に口を開いた。
「仕事で使う車を探してるんですけど」
「車?」
「普通の店で買うのは避けたくて」
レイの目が少し細くなった。
「……普通じゃない方の仕事?」
「まあ」
「何するかは聞かない」
それ以上は追及せず、レイは五人を見回した。
「お前ら、普段使ってるメカニックはいないのか?」
「メカニック?」
悠斗が聞き返す。
「車を触ってもらってる奴。表の仕事だけじゃなく、多少こっち側の話も分かるようなの」
その言葉で、悠斗の頭に一人の男が浮かんだ。
アキラも同じだったらしい。
「テンペストやってもらったところ」
「ああ」
蓮も気づいた。
テンペストの外装を触ってもらった時から、足回りやブレーキまで何度も世話になっているメカニックがいる。
カイとは違い、少し裏寄りの依頼にも慣れていた。
「いる」
悠斗が答える。
「なら、まずそいつに聞いてみろ」
レイはあっさり言った。
「レイさん、そういう車扱ってる店とか知ってるんじゃないの?」
ナナが聞く。
「何軒かは知ってる」
「じゃあ、そっちじゃなくて?」
レイは少しだけ眉を上げた。
「初めて会ったやつから買った車、信用できるか?」
「……あ」
ナナが小さく声を漏らす。
「仕事で使うなら、走ってる途中で何か出たら困るだろ。見た目だけじゃ車の中身なんて分からない」
レイは肩をすくめた。
「もう何度も車触ってもらってるメカニックがいるなら、そいつの腕は分かってるんだろ?」
「はい」
「なら、まずそこに聞け。そいつが何も持ってなかったら、その時また俺に聞けばいい」
「なるほど」
アキラが頷く。
ナナは少し考えてから、レイを見る。
「そういうのも人脈ってこと?」
「そういうこと」
レイは笑った。
「知り合いが多いかじゃなくて、信用できる相手を何人持ってるかだよ」
「ありがとうございます」
悠斗が頭を下げる。
「まだ何もしてないけどな」
「でも、聞く相手は分かったので」
「見つからなかったらまた来い」
「はい」
悠斗たちはレイから少し離れた。
後ろでは、もう別の知り合いがレイへ声をかけている。
「先に電話しとく」
悠斗はスマートフォンを取り出した。
「お、珍しい」
アキラが言う。
「何が?」
「悠斗から電話」
「もうそこまで苦手じゃないよ」
「成長したなあ」
「うるさい」
悠斗は苦笑しながら連絡先を開く。
そこには、テンペストの件で何度も連絡している番号が残っていた。
「みんな聞く?」
「聞く」
蓮が即答した。
悠斗はスピーカー通話に切り替えてから発信する。
数回の呼び出し音のあと、男の声がスマートフォンから聞こえた。
『もしもし』
「悠斗です。テンペストで何回かお世話になってる」
『分かってる。どうした?』
「ちょっと仕事で使う車を探してて。速くて、あんまり目立たない感じのってあります?」
一瞬、向こうが黙った。
『普通じゃない仕事か』
「……まあ」
『何に使うかは聞かねえよ。何人乗る?』
「四人です」
『なら何台かある。一台だけ、エンジンと足回り触ってあるセダンもあるぞ』
「それ見たい」
蓮がすぐ横から口を挟んだ。
一拍遅れて、スピーカーの向こうから返事が来る。
『今の誰だ?』
「蓮です」
『ああ。車好きの方か』
「覚えられてる」
蓮が嬉しそうな顔をする。
ナナが小さく笑った。
「今から行っても大丈夫ですか?」
『来い。まだ工場いる』
「分かりました」
悠斗は通話を切った。
「あるって」
「しかもエンジンと足回り触ってるんだろ?」
蓮はもう見る気満々だ。
「行こう」
「まだ買うとは決まってないからね」
「見るだけ見る」
「その顔で?」
「どんな顔だよ」
アキラが笑いながら車の鍵を取り出した。
◇
五人はそのまま工業地帯へ向かった。
先を走るのは蓮の青いレイザー。
助手席には悠斗。
少し後ろをアキラの黒いクーペが走り、助手席にはシオン、後部座席にはナナが乗っている。
五人ともヘッドセット型のトランシーバーを着けていた。
『どんなセダンだろ』
ナナの声が聞こえる。
「地味で速いならそれでいい」
蓮が答えた。
『まだ見てもないのに決めそう』
「決めないって」
『電話の時点で食いついてたじゃん』
「条件がいいからだろ」
「シオンは?」
悠斗が聞く。
少し間があった。
『レンジャーじゃない』
「今日は諦めろ」
『分かってる』
アキラの笑い声がヘッドセットから混じった。
◇
工業地帯へ入ると、建物の間隔が広くなり、大型トラックの姿が増えていった。
目的の工場は表通りから一本入った先にある。
大きな看板はない。
シャッターの開いた工場の前には数台の車が停まり、奥から工具の金属音やエンジン音が聞こえていた。
二台を停めて中へ入る。
電話の相手だった男が、車の横で作業をしていた。
「来たか」
「こんにちは」
悠斗が挨拶する。
「電話で言ってた車、見せてもらっていいですか?」
「いいぞ。こっち」
男は手に付いた油を布で拭いながら、工場の裏手へ歩き出した。
建物と金網の間には、数台の車が並んでいる。
古い大型セダン。
傷の入ったSUV。
二ドアのクーペ。
白い小型ハッチバック。
奥には部品取りらしい車もあった。
「速い方がいいんだよな?」
男が歩きながら聞く。
「はい」
蓮が答える。
「ちゃんと曲がって止まれて、見た目はあんまり目立たないやつがいいです」
「注文多いな」
「逃げる車なんで」
蓮が言ってから、一瞬だけ黙った。
男が振り返る。
「何から逃げるかは聞かねえよ」
「……助かります」
アキラが横で笑いを堪えた。
「電話で言ってたのはこれ」
男が指したのは、端に停められていた濃いグレーの四ドアセダンだった。
「……普通だな」
アキラが言う。
「見た目はな」
年式は少し古い。
外装には細かな傷もある。高級車でもなく、街中を走っていてわざわざ振り返るような車ではなかった。
蓮がすぐに近づく。
「どこ触ってるんです?」
「エンジンと足回り。前の持ち主がそこに金かけてる」
「ブレーキは?」
「そこも見てある。今のところ問題ない」
蓮は車体を一周し、運転席を覗き込んだ。
「走らせてもいいですか?」
「近くだけな。壊したら買え」
「買うかもしれない車なんですけど」
「だから壊すな」
蓮が運転席へ乗り込む。
悠斗も助手席へ座った。
エンジンをかける。
外見から想像していたより、低く力のある音が車内へ響いた。
蓮の表情がすぐに変わる。
「いい音するな」
「そんなに違う?」
「これは分かる」
蓮はゆっくり工場を出た。
最初は普通に走る。
けれど、少し速度を乗せたところで、悠斗にも違いが分かった。
古いセダンという外見から想像していたより、ずっと軽く前へ出る。
「結構速いね」
「うん」
蓮の声が明らかに弾んでいた。
交差点を曲がる。
車体の動きも素直だった。
「これいい」
「もう決めそうだね」
「かなりいい」
蓮は速度を落としながら笑う。
「踏んだらちゃんと出るし、曲がった時も扱いやすい」
工場へ戻ると、三人と男が待っていた。
「どうだった?」
ナナが聞く。
「これがいい」
「即決じゃん」
「一応ほかも見る」
「一応なんだ」
◇
他の車も一通り見た。
古い大型セダンは車体が大きく、蓮は少し悩んだ末に首を振った。
黒いSUVではシオンが足を止める。
「これいい」
「またそっち?」
ナナが笑う。
「頑丈そう」
「レンジャーじゃないぞ」
アキラが言う。
「分かってる」
二ドアのクーペでは、今度は蓮がしばらく足を止めた。
「これもいいな」
「四人で乗るんだぞ」
アキラが後部座席を覗く。
「狭いな」
「……やっぱセダンか」
「結局最初に戻るんだ」
一通り見終わると、五人は濃いグレーのセダンの前へ戻ってきた。
「やっぱりこれだな」
蓮が言う。
悠斗も同じ意見だった。
見た目は地味。
四人で乗れる。
そのうえ、エンジンと足回りにはすでに手が入っている。
銀行だけで使って終わりにするには惜しい。
今後の裏仕事でも十分使えそうだった。
悠斗は男を見る。
「これ、いくらですか?」
「7,500ドル」
「結構するな」
アキラがセダンを見る。
「エンジンと足回り触ってあるからな。普通の古いセダンの値段じゃ出せねえよ」
蓮はもう一度車を眺めた。
「でも、この走りならありだと思う」
「今後も使うなら、別に一回だけの出費じゃないしね」
ナナも頷いた。
悠斗は順番に四人を見る。
「これでいい?」
「俺はこれ」
蓮は即答した。
「いい」
シオンも頷く。
「俺も賛成」
アキラが続く。
「私も」
最後にナナも答えた。
悠斗は男へ向き直る。
「じゃあ、7,500ドルでお願いします」
「了解」
男が頷いた。
「ただし今日は持って帰るな」
「なんで?」
蓮が聞く。
「前の持ち主が弄ってる車だから、こっちでもう一回ちゃんと見る。渡してすぐ何か出たら俺も面倒だ」
「どれくらい?」
「長くはかからん。終わったら連絡する」
「お願いします」
そこで悠斗は、ふと今さらなことに気づいた。
テンペストの外装。
その後の足回りやブレーキ。
電話番号まで知っていて、何度も世話になっている。
それなのに、この男の名前を知らない。
「あの……」
「何だ?」
「名前、聞いてもいいですか?」
男が一瞬黙った。
「今さら?」
「何回も来てるのに聞いてなかったので」
男は鼻で笑う。
「マカベって呼べ」
「名字?」
「そう」
「……分かりました、マカベさん」
「さんも別にいらねえけどな」
「さすがに呼び捨てはちょっと」
「好きにしろ」
アキラが横から笑った。
「電話番号知ってるのに名前知らなかったの、結構すごいな」
「今言わないでよ」
「俺も知らなかったけど」
「じゃあ一緒じゃん」
マカベは呆れたように五人を見る。
「お前ら、車だけ預けて人の名前に興味なさすぎだろ」
蓮がセダンを見る。
「車は覚えてます」
「そういう話じゃねえ」
◇
購入の話がまとまったところで、悠斗はもう一つ聞いておきたかったことを思い出した。
「マカベさん、もう一個いいですか?」
「何」
「このセダン、今回だけじゃなくて今後も使いたいんです」
「好きにすればいいだろ」
「置く場所がなくて」
「ああ」
マカベが納得したように頷いた。
「普段使ってる車と一緒に置きたくないってことか」
「はい」
「だったら別で保管場所借りろ」
「そういう場所あるんですか?」
ナナが聞く。
「ある。車一台だけ置けるところもあるし、屋根付きもある」
アキラが興味を示した。
「この近く?」
「何か所かある。近場にも一台分くらいなら空いてたはずだ」
「いくらくらいですか?」
悠斗が聞く。
「場所で変わる。借りるなら確認しとく」
「お願いします」
「この車の点検終わるまでには分かるようにしとくよ」
「助かります」
蓮が満足そうに濃いグレーのセダンを見る。
「これから結構使えそうだな」
「気に入っただけでしょ」
ナナが言う。
「それもある」
蓮は否定しなかった。
◇
帰り道。
蓮の青いレイザーとアキラの黒いクーペが、夕方の街を走っていた。
『蓮、絶対あのセダン気に入ってたよね』
ナナが言う。
「そりゃ良かったからな」
『逃走車なのに普通に欲しくなってない?』
「でも今後も使うんだろ?」
「そのつもり」
悠斗が答えた。
「エンジンも足回りも触ってあるなら、銀行だけで終わらせるのは勿体ないだろ」
アキラの声が続く。
『完全に裏仕事用の車が一台増えたね』
「言い方そのままだな」
蓮が笑う。
少しして、シオンが口を開いた。
『保管場所も探してもらえる』
『まだ空いてるか確認してもらうところだけどね』
ナナが返す。
「そういや、名前初めて知ったな」
アキラが言った。
「電話番号は知ってたのに」
悠斗も苦笑する。
『今さらすぎる』
「それは俺も思った」
ヘッドセット越しに笑い声が重なった。
昨日は銀行を見た。
今日は、その先に必要になる車を決めた。
まだ狙う銀行は決め切っていないし、役割も細かく詰める必要がある。
それでも、準備は確実に進んでいた。
『で、次どうする?』
ナナが聞く。
悠斗は少し考えてから答えた。
「もう一回、銀行見に行こう」
『中も?』
「うん。そろそろ一つに決めたい」
ヘッドセットの向こうで、アキラが短く笑った。
『いよいよだな』
「……うん」
レイザーの前方で信号が赤へ変わる。
二台は街の流れに合わせてゆっくり停まった。
逃走車は決まった。
次は銀行を決める。
悠斗はフロントガラスの向こうに広がる街を見つめながら、次に詰めるべきことを頭の中で整理していた。
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