第2章 第105話 ブルームーン
ダイナーを出たあとも、ナナが「もう少し乗りたい」と言ったので、五人はそのまま夜の街を走った。
中央地区から海沿いへ抜け、交通量の少ない道を選んで一時間ほど流す。
買ったばかりの黒いバイクを走らせるナナは、まだ交差点では慎重だったが、スクエアを出た直後ほど肩に力は入っていない。悠斗もヴェローチェで後ろを走りながら、少しずつ車体の扱いに慣れてきているのが分かった。
再び中央地区へ戻ってきた頃には、空はすっかり暗くなっていた。
高層ビルの窓や飲食店の看板が灯り、走り抜ける車のヘッドライトとテールランプが夜の大通りを彩っている。
『そろそろ帰る?』
通話越しにアキラの声が聞こえた。
『俺はまだどっちでも』
蓮が答える。
少し間を置いて、ナナが言った。
『ブルームーン行ってみない?』
「あ」
悠斗もスクエアで会った南雲レイのことを思い出した。
『いいじゃん』
アキラがすぐに乗る。
『シオンも南雲さんにレンジャーのこと聞きたいだろ?』
『聞きたい』
『じゃあ決まり』
赤信号で停まったところで、悠斗はナビへ《ブルームーン》と入力した。
◇
《ブルームーン》は中央地区の繁華街から一本外れた通りにあった。
派手なネオンが並ぶ大通りとは違い、周囲には小さな飲食店や雑貨店が点在している。その一角で、青白い月を模した小さな看板が静かに光っていた。
近くの駐車場へヴェローチェ、レイザー、アキラのクーペを入れる。
ナナもバイクを空いた区画へ停めたが、一度降りたあとで少し離れて眺めた。
「……曲がってないよね?」
「大丈夫」
アキラが答える。
「鍵は?」
「かけた」
「なら平気だって」
蓮が言ってから、にやりとする。
「たぶん」
「なんで余計なこと言うの?」
「この街だから」
「不安にさせるなよ」
悠斗が呆れる横で、ナナは念のためもう一度鍵を確認していた。
店の扉を開けると、落ち着いた音楽と人の話し声が重なって耳へ入ってきた。
長いカウンターの奥には酒瓶が並び、壁際には数人で使えるテーブル席。照明は少し暗めだが、怪しいというより居心地のいいバーという印象が強い。
仕事帰りらしいスーツ姿の男。
作業着のまま食事をしている二人組。
車の写真を見せ合っている若者たち。
カウンターの端では、一人で飲んでいる女性が店員と楽しそうに話している。
「ほんとに普通の店だ」
ナナが小声で呟く。
「何だと思ってたの?」
「もっとこう……」
「聞こえてるぞ」
カウンターの奥から声が飛んできた。
「あ」
昼間と同じ、洒落たスーツにハット。
レイがグラスを拭きながらこちらを見ている。
「人の店をどんな場所だと思ってたんだ」
「まだ何も言ってないです」
「顔に出てる」
ナナが目を逸らした。
レイは笑って、空いているテーブルを指す。
「五人ならそこ使え。飯は?」
「さっき食べました」
「じゃあ飲み物だけでいい。酒は年齢確認するからな」
「そこちゃんとしてるんですね」
蓮が言うと、レイが眉を上げた。
「ちゃんとしてないと思ってたのか?」
「いや、そういう意味じゃ」
「店潰されたくないからな」
近くの常連らしい男が笑った。
「レイ、また若いの拾ってきたのか?」
「俺は野良猫集めてんじゃねえよ」
「この前も街来たばっかの奴に仕事紹介してただろ」
「困ってたから教えただけ」
昼間とまったく同じ答えだった。
悠斗は思わず笑った。
五人が席につくと、レイは注文を取ってカウンターへ戻っていった。
しばらくして、カウンター席の男がレイへ声をかける。
「今日、東でレースあるって聞いたけど知ってる?」
「東でやるって話は聞いた。場所までは知らん」
「警察多い?」
「昨日は多かった。今日は知らない」
「じゃあ行ってみるかな」
「捕まっても俺のせいにすんなよ」
その隣に座っていた男も話へ混ざった。
「昨日はサラ来てたぞ」
「SHIFTの?」
「そう。最後の直線で一気に抜いてった」
「またやってんな」
「赤いGTスポーツもかなり速かったけど、最後は届かなかった」
悠斗は何となく耳を傾けた。
SHIFTの柊サラなら、レース好きの間で名前が出ること自体は珍しくないのだろう。
少し離れた席から今度は別の声が飛ぶ。
「レイ、港のホットドッグ屋閉まったって本当?」
「閉まったんじゃなくて改装。来週からまた開くって店主が言ってた」
「夜もやる?」
「たしか二時までだったかな」
「助かるわ」
聞かれれば、レイは知っている範囲で答える。
全部を知っているわけではないし、曖昧なところは曖昧なままにしている。
しばらくすると、入口から作業着姿の男が入ってきた。
レイと目が合うなり、男は席へ向かう途中で声をかける。
「そういやレイ、西海岸の服屋、来月移転するらしいぞ」
「へえ。どこに?」
「一本裏の広い店舗。店長から聞いた」
「今の店狭かったもんな」
「品数も増やすってよ」
「じゃあ移転したら見に行くか」
男はそれだけ話すと、自分の席へ向かった。
誰かに尋ねられて答える方が多い。
その中に時々、今みたいに客の方から新しい話が入ってくる。
大半の客は普通に酒を飲み、飯を食べ、仕事や車やどうでもいい愚痴を話しているだけだ。
それでも、毎晩これだけの人間と話していれば、街の出来事が少しずつレイのところへ集まっていくのだろう。
そのやり取りを聞いていたナナが、ふとスマートフォンを触る手を止めた。
少しして、レイが五人分の飲み物を運んでくる。
「どうだ。普通の店だろ?」
「思ってたよりだいぶ」
ナナが答えた。
「まだ疑ってたのかよ」
レイがグラスを並べていると、シオンが顔を上げる。
「南雲さん」
「ん?」
「車のこと聞いていい?」
「修理ならメカニックに聞けよ」
「探してる」
「何を?」
「ヴァルカン・レンジャー」
レイの手が止まった。
「ああ。あのでかい軍用4WDか」
「うん」
「渋いの探してんな」
蓮がすぐに口を挟む。
「こいつ、ホロ外せば乗りながら撃てるから欲しいらしいですよ」
「言わなくていい」
「そこ重要だろ」
レイがシオンを見る。
「本当にそれが理由?」
「それもある」
「それも?」
「見た目も好き」
「ちゃんと車としても好きなんだな」
レイは笑ってから、少し考えるように視線を上げた。
「そういや、何日か前に聞いた話でよければある」
シオンがすぐに反応する。
「何?」
「東の古い工業地区に《イーストサイド・モータース》って中古車屋がある。そこに軍払い下げっぽい4WDが何台か入ったって聞いた」
「レンジャー?」
「そこまでは知らん」
レイはすぐに首を横へ振る。
「俺が見たわけじゃないし、聞いた時も車種までは分からなかった。古い軍用っぽい四駆が何台か入ってたって程度」
「今もある?」
「それも分からん。何日か前の話だから、もう売れてる可能性はある」
「それでも見たい」
「なら行ってみればいい。工業地区の南側、貨物線の高架を越えた先にある店だ」
「分かった」
シオンの返事は早かった。
横でナナがスマートフォンを開く。
「イーストサイド・モータース……出てきた」
「在庫は?」
悠斗が聞く。
「出してない。店のページはあるけど、最近の在庫情報はほとんどない」
「じゃあ直接行くしかないな」
アキラが言う。
「明日行く」
シオンが即答した。
「決定早っ」
蓮が笑う。
「状態いいのはすぐ売れる」
「まあ、それは分かる」
アキラもスマートフォンを覗き込む。
「軍用車なんて見るだけでも面白そうだし、俺も行きたい」
「俺も」
蓮が手を上げる。
「昼起きてたら」
「それ行かない奴の言い方じゃん」
ナナが呆れる。
「起こして」
「なんで私が?」
「悠斗でもいい」
「起きなかったら置いていくよ」
「薄情!」
シオンはそんなやり取りには構わず、ナナの画面を覗き込んでいた。
「何時から?」
「十一時からみたい。明日また確認する」
「頼む」
「うん」
そこまではいつものナナだった。
だが、そのあとから少しずつ口数が減っていった。
スマートフォンもテーブルへ置き、カウンターの方を見ている。
しばらくすると、常連らしい男がレイへ尋ねた。
「昨日、北の山道で車燃えてたって話、聞いた?」
「聞いた」
「誰の車?」
「そこまでは知らん」
「事故?」
「それも分からん。燃えてる車を見たって話だけ聞いた」
「じゃあ事故かどうかも分からないのか」
「そういうこと」
男は納得したように頷き、また自分の飲み物へ戻った。
さらに別の客がカウンターへ来る。
「レイ、港の倉庫に警察いたの何だったんだ?」
「知らん」
「レイでも知らないことあるんだな」
「当たり前だろ」
「でも見た?」
「警察車両が何台か停まってるのは見た。何してたかまでは知らない」
「密輸じゃね?」
近くの客が笑いながら口を挟む。
「勝手に話作るなよ」
店内に軽い笑いが起きた。
ナナはそれを黙って聞いていた。
人から聞いただけのこと。
自分で見たこと。
分かっていることと、分からないこと。
レイはそこを曖昧にしない。
けれど、ナナが一番気にしているのは、もっと別の部分らしい。
「……南雲さん、すごい」
小さく呟いた。
「何が?」
悠斗が聞く。
「情報」
「確かに詳しいよね」
「それだけじゃない」
ナナはカウンターから目を離さない。
「聞かれたら答えることの方が多いけど、さっきの服屋みたいに、向こうから話しに来る人もいる」
「店やってるからじゃない?」
アキラが言う。
「それもあると思う」
ナナは頷く。
「でも、南雲さんなら話してもいいって思われてるんじゃないかな」
悠斗も改めてレイを見る。
客の話を無理に掘らない。
分からないことを知っているふりもしない。
聞いた話へ勝手な推測を足さない。
だからこそ、また誰かが気軽に話しかけるのかもしれない。
しばらくして、ナナが席を立った。
「どこ行くの?」
悠斗が聞く。
「ちょっと」
そのままカウンターへ向かう。
「南雲さん」
「ん?」
レイが振り返った。
ナナは少しだけ姿勢を正した。
「弟子にしてください」
「……は?」
レイより先に、後ろから蓮の声が飛んだ。
「急に何言ってんの?」
ナナは振り返らない。
「人から情報を集める方法、教えてほしいです」
「俺、情報屋じゃないって言っただろ」
「分かってます」
「じゃあ何の弟子だよ」
「南雲さんみたいになりたい」
レイが少しだけ黙る。
「私はネットとかSNSで調べるのは得意です。でも南雲さんは、調べても出てこない話をいっぱい知ってる」
「客と話してたら勝手に耳へ入ってくるだけだぞ」
「そこがすごいんです」
ナナの声は真剣だった。
「みんな南雲さんに聞くし、ときどき向こうから話も持ってくる。南雲さんなら話してもいいって思ってるからですよね」
レイの眉がわずかに動いた。
「それに、聞いただけの話を確かなことみたいに言わない。知らないことは知らないって言う」
「普通だろ」
「その普通ができるのがすごいと思います」
悠斗は少し驚いていた。
いつものナナなら、気になることがあればまず自分で調べる。
そんなナナが、自分とは違う方法を持つ相手へ、ここまで真っ直ぐ教えを求めている。
レイはしばらくナナを見たあと、困ったように笑った。
「弟子は取ってない」
「……そうですか」
「ただ」
ナナが顔を上げる。
「この店のバイトなら探してる」
「バイト?」
「週に何日か入れる奴。注文取って、飲み物と飯運んで、片付けして、忙しい時は客の相手もする。普通の店員」
「やります」
「まだ条件言ってないぞ」
「週2くらいなら入れます」
蓮が吹き出した。
「弟子入り失敗したと思ったら、そのままバイト決めてる!」
「今日一日で免許取って、バイク買って、バイトまで決めたぞ」
アキラも笑っている。
悠斗も耐えきれず笑った。
「ナナ今日、行動力すごいな」
「やりたいと思ったから」
レイは呆れたように笑いながらも頷く。
「週2なら助かる。詳しい曜日と時間、時給はあとでちゃんと話す」
「はい」
「あと、働く時は綺麗な黒のワイシャツに黒のズボンで来い」
「黒で統一?」
「ああ。ベストとネクタイは店の共通のやつがあるから、それ付けろ」
「分かりました」
「それと一個」
レイの表情が少しだけ真面目になる。
「ここで聞いたことを、何でも外に持ち出すなよ」
ナナも表情を改めた。
「客が安心してくだらない話できるから、この店に人が来る。聞いたこと全部を情報だと思って他所で喋ってたら、すぐ誰もお前の前じゃ話さなくなる」
「……はい」
「知ってることが多い奴より、話しても大丈夫だと思われる奴の方が、結果的に色んな話を聞ける」
ナナは少し考えたあと、しっかり頷いた。
「分かりました」
「ならいい。次来た時から試しに入ってみるか」
「はい」
テーブルへ戻ってきたナナを、蓮が面白そうに見る。
「ほんとにやるんだ」
「やる」
「情報のため?」
悠斗が聞く。
「それもあるけど」
ナナは店内を見回した。
飲み物を片手に雑談する常連。
レイへ質問する客。
ふと思い出したように街の話を持ち込む客。
知らない者同士が、その会話へ自然に混ざって笑っている。
「ここ、普通に面白そう」
「それなら合ってそうだな」
「でしょ?」
ナナが嬉しそうに笑った。
その横から、シオンが口を挟む。
「レンジャーは?」
「あ」
蓮が笑う。
「完全にナナに話題持ってかれてた」
「明日探す」
シオンは真顔だった。
「忘れてないよ」
ナナがスマートフォンを取り直す。
「イーストサイド・モータース、十一時から。昼前くらいに行ってみよう」
「俺も行く」
アキラが言う。
「俺は起きてたら」
「蓮は置いてこう」
悠斗が言う。
「さっきより扱い悪くなってない?」
「自分で起きればいいだろ」
「正論で殴るなよ」
また笑い声が上がった。
ただ新しく知った店へ遊びに来ただけだった。
それなのに、シオンの車探しが始まり、ナナには新しいバイトまでできた。
カウンターでは、別の客がレイへ声をかけている。
「レイ、ちょっと聞きたいんだけど」
「今度は何だよ」
ナナはそのやり取りを聞きながら、さっきまでとは少し違う目で《ブルームーン》の店内を眺めていた。
近いうち、自分もあのカウンターの中に立つ。
五人の生活に、また一つ新しい場所が増えた。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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