第2章 第102話 五人の印
翌日の昼前。
悠斗のスマートフォンへ、カイから一枚の画像が送られてきた。
『できた』
「……早いな」
ベッドに腰掛けたまま画像を開く。
黒い背景へ、白一色で描かれたロゴ。
左側には、上下左右へ鋭く伸びる星のようなエンブレム。その背後を、ところどころ掠れた円が囲んでいる。
そこから右へ続く《placeholder》の文字は前へ走り出すように傾き、文字の端にも少し削れたような加工が入っていた。
綺麗に整いすぎていない。
けれど、雑でもない。
車に貼る小さなステッカーというより、ストリートチームのロゴと言われても違和感のない仕上がりだった。
「……格好いい」
思わず独り言が漏れる。
すぐに次のメッセージが届いた。
『どう?』
『かなり好き』
『じゃあ貼る?』
『貼る』
『夕方まで店いるから来い』
今日はNOXから呼ばれている。
時間を確認すると、その前に寄る余裕は十分あった。
◇
午後。
悠斗が白いヴェローチェで整備工場へ入ると、入口近くにいたカイが手を上げた。
「お、来た来た」
少し遅れて、青いレイザーとアキラの黒いクーペも敷地へ入ってくる。
レイザーには蓮。
黒いクーペにはアキラ、ナナ、シオン。
このあと五人でNOXへ向かうため、途中で合流してそのまま来たのだ。
「全員いるじゃん」
「このあと予定あるから」
悠斗が車を降りると、ナナがすぐに近づいてきた。
「ステッカーできたんでしょ?」
「うん」
「見せて」
「待て待て。まだ貼ってもねえのに囲むなって」
カイが笑いながら、小さな台紙を取り出す。
スマートフォンで見た時よりも、実物はずっと小さい。
白い星型のエンブレム。
その背後に掠れた円。
右へ流れる《placeholder》の文字。
「おお」
真っ先に顔を近づけたのは蓮だった。
「普通に格好いいじゃん」
「普通には余計だ」
「いや、もっと変なの来る可能性も考えてたから」
「俺を何だと思ってんだよ」
「カイ」
「答えになってねえよ」
アキラも横から覗き込む。
「このマークいいな。車に貼ったら結構映えそう」
「掠れてる感じも好き」
ナナも頷いた。
シオンはしばらく無言で眺めたあと、
「チームっぽい」
とだけ言った。
悠斗も、同じことを少し感じていた。
昨日までは自分のヴェローチェへ貼る納車記念だった。
それなのに、こうして五人で囲んでいると、個人用のステッカーには見えなくなってくる。
「どこ貼る?」
カイが聞く。
「リアガラスの右上かな」
「小さく?」
「うん。目立ちすぎない方がいい」
「了解」
カイが位置を確認し、丁寧に貼っていく。
数分後。
白いヴェローチェのリアガラス右上へ、小さな《placeholder》のロゴが入った。
悠斗は少し離れて眺める。
白い車体。
黒いガラス。
その端に浮かぶ白いロゴ。
「……いい」
素直にそう思った。
「俺も欲しい」
蓮が即座に言う。
「早えよ」
「実物見たら欲しくなるだろ」
「俺も」
アキラも黒いクーペを見る。
「白文字なら絶対合うわ」
「私も欲しい」
ナナまで手を上げる。
残るシオンへ全員の視線が集まった。
「……俺も」
「結局全員じゃん」
悠斗が笑った。
カイも呆れたように四人を見る。
「お前ら昨日まで、出来見てからとか言ってたよな?」
「見た結果だって」
蓮が悪びれずに答える。
「じゃあ追加四枚な」
「いくら?」
ナナが聞いた。
「四枚なら100ドルでいいよ」
「それなら安いな」
アキラが悠斗を見る。
「これ、もう五人で使うやつだろ。プール金からでよくない?」
悠斗は一度ステッカーを見る。
個人の飾りなら、それぞれで払うべきだろう。
けれど、五人全員で使う共通のものならプール金から出してもいい。
「俺はそれでいい」
蓮が言う。
「私も」
「いい」
ナナとシオンも頷いた。
「じゃあ、プール金から100ドル出そう」
「毎度あり。四枚作っとく」
カイが親指を立てる。
「俺はレイザーのリアかな」
蓮はもう自分の車を見始めていた。
「アキラも車?」
「もちろん」
「ナナは?」
悠斗が聞く。
ナナは少し考えてから笑った。
「私はバイク買ったら貼りたい」
「まだ免許ないのに」
「だから取るって言ってるでしょ」
「シオンは?」
「……まだ考える」
「車ないもんな」
「持ち物でもいいだろ」
「それもありか」
正式な組織でもない。
カラーもない。
縄張りも拠点もない。
それでも、五人が初めて同じ印を持つことになった。
悠斗はそれを大げさには考えなかった。
ただ、少しだけ嬉しかった。
◇
夕方が近づく。
「そろそろ行く?」
ナナが時刻を確認した。
「行こうか」
悠斗が答える。
蓮がレイザーのキーを指先で回す。
「悠斗、ヴェローチェで行くんだ?」
「うん。向こうの駐車場に置いとけばいいし」
アキラが白いヴェローチェを見る。
「仕事に使えって言われたら?」
「使わない」
悠斗は即答した。
「早っ」
「昨日塗ったばっかなんだけど」
「そんなに大事なら家に置いてくればいいじゃん」
蓮が笑う。
「乗りたいんだよ。でも仕事には使いたくない」
「めんどくせえ所有者だな」
「買ったばっかなんだからいいだろ」
「分かるけどな」
蓮も自分のレイザーを見ながら言う。
「お前も同じじゃん」
「俺は仕事でもレイザー使う」
「それは蓮だからでしょ」
ナナの一言で会話が終わった。
三台が整備工場を出る。
先頭は悠斗の白いヴェローチェ。
その後ろに青いレイザー。
最後に、ナナとシオンを乗せたアキラの黒いクーペ。
午後の街はまだ交通量が多い。
信号のたびに車列が離れ、また追いつく。
ヴェローチェのルームミラーには、時折青いレイザーが映った。
昨日までならそれだけだった。
今はリアガラスの右上に、小さな《placeholder》がある。
◇
しばらく走り、三台はNOXの拠点へ入った。
悠斗たちも何度か来ている場所だ。
敷地内の駐車場へ、ヴェローチェ、レイザー、黒いクーペを並べて停める。
悠斗が降りると、蓮がすぐに笑った。
「めっちゃ振り返ってるじゃん」
「見てないよ」
「今二回見たぞ」
「一回だから」
「回数の問題?」
アキラまで笑う。
「傷ついてないか確認しただけ」
「まだ何もしてねえよ」
ナナに突っ込まれ、悠斗は先に歩き始めた。
建物へ入ると、早乙女カナメが待っていた。
「揃ったか」
「はい」
「今日は取引の立ち会いだ」
悠斗は少し意外に思う。
「立ち会い?」
「相手が直前で人数を増やした。こっちも合わせる。それだけだ」
「揉めてるんですか?」
「まだな」
カナメはテーブルに置いていた車のキーを取った。
「偽造品の受け渡しだ。取り分はこっちが七、向こうが三。それで話はついてる」
そこで一度、五人を見渡す。
「報酬は五人まとめて2,500ドル。一人500ドルだ」
「立ってるだけでも?」
蓮が思わず聞いた。
「何も起きなければな」
「起きたら?」
「仕事内容が増えた分は上乗せする」
「なるほど」
「ただし、勝手に仕事を増やすな」
蓮が一瞬黙った。
「……俺に言ってます?」
「心当たりがあるなら、お前に言ってる」
アキラが横で笑いを堪えている。
カナメは気にせず話を続けた。
「条件に納得できないなら今断っていい。受けるなら、現場ではこっちの指示に従え」
悠斗は四人を見る。
誰も嫌そうな顔はしていない。
危険が絶対にない仕事ではない。
それでも、五人で2,500ドルなら悪い条件ではなかった。
「やります」
悠斗が答えると、四人も頷いた。
「分かった」
カナメはアキラへ目を向ける。
「水城」
「はい」
「お前、交渉が得意なんだったな」
「一応」
「今日は聞いとけ。必要になったら振る」
「了解です」
「ほかも勝手に前へ出るな。喧嘩しに行くわけじゃない」
五人が頷く。
「移動はこっちの車を使う」
外へ出ると、NOXの黒い大型SUVが二台用意されていた。
悠斗は少し安心する。
ヴェローチェを仕事へ持ち込まずに済む。
それに気づいた蓮が横から小声で言った。
「よかったな」
「何が?」
「ヴェローチェ無事」
「まだ仕事始まってもないよ」
「顔に出てる」
「出てないから」
◇
NOXの車に分乗し、南部の倉庫街へ向かった。
夕方の幹線道路を抜けると、次第に大型トラックが増えていく。
古い倉庫や工場が並ぶ一角へ入る頃には、人通りも少なくなっていた。
指定された倉庫前で車を停める。
カナメたちが先に降り、悠斗たちも続いた。
十分ほどして、三台の車が敷地へ入ってきた。
聞いていたより人数は多い。
悠斗は自然に相手側へ目を向けた。
先頭の男は落ち着いている。
左右の二人は周囲をよく見ていた。
一番後ろの若い男だけは、妙に肩へ力が入っている。
カナメと相手側の代表が向かい合う。
最初の数分は普通だった。
だが、受け渡しの確認が終わったところで相手の代表が言った。
「取り分、今日から六四にしてくれ」
カナメの表情は変わらない。
「聞いてないな」
「こっちも人と車を出してる。三じゃ割に合わなくなった」
「なら先に言え」
「今日決まった」
「なら今日はやめる。条件を整理してから次だ」
相手の代表が眉を寄せる。
「待てよ。こっちも人数動かしてる。今さら何もせず帰れってのか?」
「条件を変えたのはそっちだ」
「一割だぞ」
「一度通せば、次も同じ話になる」
声を荒らげているわけではない。
それでも、周囲の空気が少しずつ硬くなる。
蓮から笑みが消える。
シオンは相手側の位置を静かに確認していた。
ナナも人の動きと車を交互に見ている。
アキラは口を挟まない。
悠斗も同じだった。
今はカナメが話す場面だ。
その時、後ろにいた若い男が何度も上着の裾へ手をやっていることに気づいた。
武器を持っているかは分からない。
緊張しているだけかもしれない。
ただ、さっきより明らかに落ち着きがない。
悠斗はカナメへ一歩だけ近づき、声を落とした。
「右奥の若い人、さっきから上着の辺りを何度も触ってます」
カナメは振り返らない。
「分かった」
それだけだった。
NOX側の一人が、さりげなく立ち位置を変える。
相手側の若い男も、その動きに気づいたらしい。
「なんだよ」
小さく漏らし、一歩前へ出た。
その瞬間、隣にいた年上の男が肩を掴む。
「お前は下がってろ」
「でも――」
「いいから下がれ」
代表も一度だけ振り返った。
「余計なことすんな」
若い男は不満そうだったが、渋々後ろへ下がる。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
相手の代表が息を吐く。
「……分かった。今日は七三でやる」
「次から変えたいなら事前に話せ」
「分かったよ」
それ以上揉めることはなかった。
受け渡しは予定通り終わり、相手側の車が倉庫街から出ていく。
誰も撃たなかった。
誰も殴らなかった。
派手なことは何一つ起きていない。
それでも悠斗は、いつの間にか肩へ力が入っていたことに気づいた。
「終わりですか?」
アキラが聞く。
「ああ」
カナメは相手の車が完全に見えなくなってから、悠斗を見る。
「神谷」
「はい」
「さっきの報告は悪くない」
「ありがとうございます」
「ただ、見えたものを勝手に意味づけるな。武器を持ってるかもしれない、じゃなくて、何をしていたかだけ伝えろ」
「はい」
悠斗は素直に頷いた。
自分で結論を出すのではなく、見た事実を伝える。
その方が、判断する側も動きやすい。
「戻るぞ」
◇
NOXのSUVで拠点へ戻った頃には、外はすっかり暗くなっていた。
駐車場には、三台の車が出た時と同じ場所に並んでいる。
白いヴェローチェ。
青いレイザー。
黒いクーペ。
「無事だぞ、悠斗」
蓮が言う。
「だから心配してないって」
「嘘つけ」
悠斗は返事をせず、ヴェローチェの横へ歩いた。
もちろん何も変わっていない。
リアガラス右上の《placeholder》もそのままだ。
カナメが建物の入口から声をかける。
「報酬は話した通りだ。五人分、2,500ドル」
悠斗が振り返る。
「ありがとうございます」
「今回は追加なし。予定通り立ってただけだからな」
「十分です」
「そうか」
カナメは短く頷く。
「今日はこれでいい。次に人が必要ならまた連絡する」
「分かりました」
それだけだった。
試験でも、何か特別な評価を受ける日でもない。
単純に人手が必要だったから呼ばれた。
仕事を受ける前に条件と報酬を聞き、その内容で動いて、終われば約束された金を受け取る。
今の悠斗たちとNOXは、そのくらいの距離だった。
◇
「結局、今日マジで立ってただけだったな」
駐車場で蓮が伸びをする。
「それで500ドルなら悪くないだろ」
シオンが答える。
「それはそう」
蓮はあっさり認めた。
「何も起きない方がいいよ」
ナナが言う。
アキラは自分の黒いクーペのドアを開けながら笑った。
「俺なんて交渉できるって言われたのに、一言も喋ってないからな」
「必要な時だけって言われてたじゃん」
「分かってるけど、なんか仕事した感なくない?」
「立ってるのが仕事だったんじゃない?」
「それ言われると何も返せないな」
五人の間に笑いが起きる。
その時、悠斗のスマートフォンが震えた。
カイからだ。
『追加四枚、明日にはできる』
その下には、白いヴェローチェのリアガラスへ貼られた《placeholder》の写真。
悠斗はその画像を五人のグループへ送った。
『明日できるって』
目の前にいる蓮のスマートフォンがすぐに鳴る。
「来た!」
「今なら見ていいよ」
「なんで上からなんだよ」
「運転中じゃないから」
「俺そんな信用ない?」
ナナが即答する。
「ない」
「ひどくない?」
アキラが笑いながら車へ乗り込む。
「じゃあ明日また集まる?」
「ステッカー貼るだけで?」
「そういうので集まるのが俺らじゃない?」
「……確かに」
悠斗は思わず笑った。
今日も五人は、どこかのギャングの看板を背負っていたわけではない。
まだ正式な組織ですらない。
それでも明日には、同じ白い印を四人も持つことになる。
たった一枚の納車記念から始まった、小さなステッカー。
今はまだ、五人がお揃いで持つだけの印だった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




