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6話 なるがまま③

 

「じゃじゃ〜ん!ようこそ我が家へ〜」


 車のエンジンが停められ、辺りに静けさが広がる。


 莉恋ちゃんと楓杜君に連れられ、なるがままされるがままに二人に就業先であるカフェ紅亞へと趣いた後。


 なんやかんやありつつも、彩羽家三人のご好意により雇用主である茉莉奈さんからの就職可能判定を頂き、莉恋ちゃんからここで働くならここのスイーツを食べなければという謎理論によりガトーショコラを頂いた。


 やはり味覚が機能していなく、味は全く分からなかった。


 しかしながら、二人の力による味覚・嗅覚以外での三感だけでも十二分に食事を楽しめるのだと言うことを身をもって教えてくれた。


 よって、私は晴れてここ広島の土地に店を構えるカフェ《紅亞》のパート従業員として雇用された。


 諸々の手続きを茉莉奈さんの手により行ってもらい、制服のサイズ確認といくつかのマニュアルを持ち帰らせてもらい今、楓杜君の運転により二人のマイホームであるアパートへと到着した。


「さぁさぁ!早く早く!お部屋案内してあげるけぇね〜」

「う、うん!」


 莉恋ちゃんに促され車から降り、助手席に乗せてもらっていた私のキャリーケースを引っ張り出す。


 アパート用の駐車場に停めた車の鍵を閉めた楓杜君が莉恋ちゃんからのお使いで買ってきてたであろう紙袋と、お昼ご飯だった残りのあなご飯が入ったビニール袋を持ち合流する。


 改めてそのアパートの外観をみれば数時間前に見せてもらった写真と同じ、シンプルな白い外壁を持った二階建てのアパートだった。


 紅亞からもすぐ近く、車では一分もかからない場所に位置して居た。


 ここから歩いて行っても五分はかからないぐらいの距離感だろう。


 確かにこれは、一緒に働くなら一緒に住む方がいいって言った莉恋ちゃんの言い分がよく分かった。


「うち二階じゃけぇ、俺キャリー持つよ」

「え、大丈夫だよ。重たいから」


 今日一日、楓杜君には運転をして貰っていた。


 そんな相手に、割と詰まったキャリーケースを階段で二階まで運ぶのを任せてしまうのは些か申し訳ない気持ちが勝り断ろうとする。


「良いから」


 しかし、そんな抵抗も虚しく、手元に持っていた紙袋達を片手に持ち替え、キャリーケースの持ち手を縮めて軽々しく運び始めた。


「ありがとう」

「ひゅ〜おっとこまえ〜」

「おら莉恋ちゃんは早よ登って鍵開けぇや」

「へいへい〜」


 楓杜君を揶揄うようにして脇腹をツンツンとつついていた莉恋ちゃんに軽く足蹴りをかました楓杜君は、ジトっと莉恋ちゃんを見つめる。


 それを華麗に躱した莉恋ちゃんは一足先に階段を上り、続いて私達もアパートの側面に設置された階段を上り始める。


 カンカンカンと三人の階段を上る足音が響きながら徐々にアパートの二階へと近づいていく。


 登るにつれ、視界が高くなって行きいつの間にか夕暮れ時になっていた空は茜色に染まる。


 二階へと辿り着いた時には、地上では見えていなかった瀬戸内の海が見え、それもまた茜色に染まった空の色が反射して普段の海色では無くなっていた。


 ガチャッと鍵を開けられ、回されたドアノブを莉恋ちゃんが引く。


「どうぞ〜我が家へ!」


 開けられたドアの先に当たり前ながらに玄関があるものの、入るのを一瞬躊躇う。


 単身無計画に広島にやって来た私が、初対面の二人が務める職場に就職を決め、二人が住むアパートへ間借りではなく、同居という形に早々にシフトチェンジされた。


 ここに来るまでの間に覚悟を決めて決めてはいたものの、いざ目の前にこの現状が来れば緊張するものがある。


「………良いのかな?」

「うん。お先どーぞ」


 一旦、確認を取り許可を得た所で先に自宅へと帰って行った莉恋ちゃんが待つ玄関へと入室する。


 揃えられた靴が並ぶ少し広めの玄関スペース。

 その隅に靴を脱ぎ、フローリングの上に敷かれているシンプルな玄関マットへ足を踏み出す。


「お邪魔します」

「はい!おかえり〜!」

「はい、ただいま」


「ほら楓ちゃんも!」


 こちらに迫ってくるように前のめりになって来る莉恋ちゃんの勢いに押され、後ろから着いてきていた楓杜君の胸板まで後ずさる。


 多分、意図としては、お邪魔しますでは無くて、ただいまと言って欲しいのだと推察する。


 しかし、私は今日初めて、この彩羽家の双子ちゃん家に足を踏み入れた。


 そんな人間が、客人として招かれる段階をすっ飛ばして同居人という括りになったのだからいきなりただいまと言うのは図々しくも甚だしいのでは!?


 例え本人がそれを望んでいたとしてもね!!!!


「え、………っと〜」


 流石にそれはもう少し親交度が深まってから行う行為であって、今この瞬間から行っていいものでない!!!


 莉恋ちゃんが距離感の近いギャル系統の人間だと言うのはお昼ご飯の時からなんとなく察しはついているものの!!


 私よりも突飛な性格で、双子の弟である楓杜君よりも強引さがあると言うのもこの目で確認してはいるものの!!


 距離の詰め方がえっっっぐいですこの子!!!!


「まぁ、諦めな?どうせ明日から一緒に住むんじゃし今言っても変わらんて」

「いやいや、図々しすぎません?」

「フハッ……何故に敬語?本人望んどるしええじゃろ」


 少し吹き出したように笑った楓杜君はいそいそと自らの靴を脱ぎ、玄関先にあるティッシュ箱からティッシュを取り出し私のキャリーケースのコロを拭き始める。


「さぁカモーン!!こう言うのは形からが大事なのさ!!」


 バチコーンと豪快にウインクをかます莉恋ちゃんに観念し、本人が望むならと口を開く。


「た、ただいま」


「「おかえり〜」」


 私の言葉を受け取った二人は一糸乱れず返事を返す。



『………ただいま』

『…………………』



 自宅へと帰る為の挨拶を交わし、それに対しての返事が帰ってきたのはいつぶりだろうか。


 仕事に疲れ社員寮の自室に帰っても帰っても、私が発する声だけが部屋へ響き、後は部屋の静寂のみが耳へと届く。


 気心が知れない不特定多数の人間が住まう社員寮では、感覚的には、マンションに住んでいるのと同じ感じがするものの、それとは全く違っていた。


 自宅の外で少ししか出会わない隣人と、職場で嫌という程顔を合わせる気まずい関係値の同僚、先輩達。


 比べるまでもなく、後者の者達が住まう社員寮での負荷は計り知れなかった。


 通常の一人暮らしで感じる返事が返ってこない寂しい部屋の反響とは違う、気の重い静寂。


 長らくそれに慣れていた私には、「おかえり」と返事が帰ってくる。


 このたった一つの動作だけでも胸の何処かが暖かくなるようなそんな感覚がした。


「よしゃーよ〜しゃ!今日は祝い飯〜!」


「の前に、部屋案内じゃろ」

「うむその通り!」


 るんるんとした莉恋ちゃんが楓杜君に宥められ、コホンと一つ大仰に咳払いをする。


「まずは此処彩羽家双子ハウスに今日から住む楓ちゃんにルームツアーを行いたいと思います!準備は良ーい?」


 右手で作った筒のような形をマイクに見立てて、話していた莉恋ちゃんが私への意思確認として、それをこちらへと向けてくる。


 断る理由もなかった私は大きく頷き元気よく案内をお願いする旨を言葉に出した。


 ・

 ・

 ・


「まずは玄関から入りまして右手のこのドアこちらにおトイレと洗面台、お風呂がございます」


 扉にかかった木製のプレートには、赤の温泉マークと、『WC』の文字が書かれていた。


 そこを開けば、右手から順に個室トイレ、三面鏡付きの洗面台、洗濯機、浴槽付きのお風呂が存在していた。


 近くにある棚には様々な入浴剤が入った籠や、洗濯用の洗剤や柔軟剤。


 小さなエビフライやアジフライ等にちっちゃく手足が生えているフィギュアがチマチマと飾られていた。


「何これ可愛い」

「これ、このバスボムシリーズのじゃで」


 ガサガサとその籠に手を突っ込んだ楓杜君の手に掴まれていたのは、全体的にオレンジ色のパッケージをした"揚げ物小人シリーズ"と言うなんともシュールで可愛いフィギュアの入ったバスボムだった。


 エビフライやアジフライの他に、カキフライやとんかつなどもある様で、食べ物が好きな二人には持ってこいな代物のようだ。


「これなお風呂入れて入っとるとこ見たら油で揚げられとるみたいになるんで………これ見てみぃ」

「……?…………あは!?!」


 ポケットから出された楓杜君のスマートフォンから表示されたその写真は、ここにある浴槽で今、目の前にあるこのバスボムを入れたであろう瞬間で。


 お湯全体が薄い黄色に染まり、写真にはっきりと映るぐらい浴槽内はシュワシュワと泡立ち、そこに浸かった楓杜君が満面の笑みでダブルピースをしていた。


「揚げ物の気分に浸れる良いバスボム」

「この時はうちも大爆笑したなぁ」

「ちょっwwっと待ってwwこれ凄く面白い!!」


 写真でこの破壊力。目の前で見ていたら私の腹筋は割れ死んでいた事であろう。


 ご飯好きは、極地まで来ると揚げ物になりたいという願望を持つのだろうか。


 にしては面白すぎる!!!


「んふ〜いい笑顔いい笑顔!じゃあ今日はこのバスボム楓ちゃん使いなよ!」

「え、良いの?」

「良いよいいよ使いな。最近運が停滞してんのか、カキフライが出んくてさ」

「そー!楓ちゃんが使ったら出てくるかも!」


 そう言って手元に渡され、カキフライ出てくるといいな〜とウキウキしながら莉恋ちゃんがこの場を後にする。


 取り敢えず部屋紹介に戻ろうと楓杜君に続き水回りが集合した部屋から出る。


 そして再び彩羽家の自宅紹介へと軌道修正される。


 部屋全体が縦長になっている為、細く奥に繋がる廊下を歩いて行けば、広々としたダイニングキッチンが目の前に広がる。


 赤茶のシンプルなフローリングに漆喰塗りの壁紙。


 全体的にカジュアルな家具の組み合わせに落ち着きを感じていると、一つ目に止まった見た事のない物に目が点になる。


「…………ん??え?」


 気のせいかと思い、確認する為直ぐ様そちらのキッチンの方へ足を運びこれでもかというぐらいに目を凝らす。


「……………?」


 廊下から入って目の前の床や壁は見た通り非常にシンプル。


 では、この空間にあるとされるキッチンがどんな感じになっているのかと横に視線を流せばどうだろう。


 一見暖かなベージュ色の壁紙に小さな模様でも描かれているのかと思っていたそれは。


 まじまじと見れば、模様は模様でも、少し色合いの淡くなった()()だったのだ。


「あ〜イチオシポイントに気付いちゃったー?」


 ニマニマと微笑む莉恋ちゃんはキッチンへ駆けて行き、それに釣られた楓杜君もその壁紙を見せびらかすかのように全く同じポーズを決める。


「「じゃーん餃子壁紙〜」」


「何故に餃子!?!?!」

「「だって美味しそうだったんだもん」」


「本当はエビフライもあったんじゃけど〜」

「なんかこっちの方が遠目から見たら花びらに見えてちょいオシャレかもって思って」


 確かにそう言われれば初見で遠目から見れば一度誤魔化せるぐらいには花弁に見えないこともない。


 でも待って!?!!本当に何!?!この双子ちゃん!!!


 食に対する執着が異常すぎる!!!!


 普通こういうのは、飲食店のキッチンとかに施すものなんじゃないの!?


 いや、確かに本当に食べ物が好きな人ならば自宅の壁紙をデコレーションするのかもしれないけど!!


 この二人ってそういう領域の人だったんだ!?!


 莉恋ちゃんはまだ理解出来る。


 ユーモアがあって一目で食べることが好きな人だということが目で見て分かってはいた。


 しかし、楓杜君にも全く同じ度合いの感性が備わっていたというのは、この短期間では見抜けなかった!!


 これが………双子!?!


「可愛いでしょ〜」

「うん。可愛いけど、どっちかって言うと美味しそうだね?」

「餃子は美味いからな」


 そう言いながら、楓杜君は手元に持っていた紙袋とビニール袋をキッチンカウンターに置き、ついでリビングに面する二つの部屋を案内してくれる。


 手前の一部屋が、備え付けの家具をそのまま使われ、要所要所に可愛らしい小物がクッションや、おにぎり型のクッションが置かれた莉恋ちゃんの部屋。


 更にもう一つ奥の部屋も、備え付けの家具を軸に、一つの大きな本棚に幾つかのコミックス本と参考書や小物が飾られている、男の子らしくも何処か、図書室のような雰囲気を醸し出した部屋だった。


「という事でー!楓ちゃんのお部屋はちょっと戻ってさっきのリビング前の廊下から繋がる扉のお部屋です!」


 ちょっと待ってて!と言い、莉恋ちゃんが近くにあった収納クローゼットを開ければ、そこから敷布団と毛布を取り出し、空き部屋と思われる場所へ運んで行く。


「楓ちゃんはベッド派?敷布団派?」

「うーんそっか実は備え付けのベットフレームが二つしかなくて、もしベッドが良かったら交代するよ?」


 せかせかと布団を運ぶ莉恋ちゃんの道を妨げないよう、扉の開閉を手伝っている楓杜君がコソッと耳打ちをしてくる。


 社員寮では備え付けのベッドがあった為、ベッドで寝ていたが、大阪の実家では床に布団を敷いたままで寝ていたので実質どちらでも寝れる為、別にこだわりなど無い。


 寝れたらそれでいいのだ。


「ううん。特にこだわりは無いよ」

「そっか、じゃあ俺か、莉恋のベッドで寝る?」

「いやいや。実家じゃ敷布団で寝てたから大丈夫だよ。寝床があるだけ有難いよ」

「あ、そっか楓チャン、ネカフェでしばらく暮らそうとしとったもんね」

「ギクッ」


 じと〜っと見つめてくる視線から逃れるためにわざとらしく目を泳がせ、視線が合わないように動かしまくる。


「まぁ、良いやでも空き部屋だったけぇほんまなんも無いけど良い?」

「全然全然」


 本当に安心できる家の寝床があるだけで二人には大感謝なのだ。


 こんな幸運に加え、これ以上の待遇を望めば罰が当たりそうだ。


 ここからの高待遇は、私のこれからの行動次第で勝ち取って行こう。


「出来た〜メッッチャシンプルじゃけど許して〜」


 両手を合わせ謝りのポーズで出てきた莉恋ちゃん。


 ちらりと私の部屋となるであろう部屋を覗かせてもらえば、確かにそこには一式の睡眠用敷布団セットと、私が持ってきていたキャリーケースとショルダーバックが置かれていた。


「じゃあおにぎり貸してあげれば?」

「お、ナイスアイディア」


 そう言ってパタパタと自身の部屋へ入って行った莉恋ちゃんが出てきた次の瞬間には二つのおにぎりクッションともう一つ大きなクロワッサン型のクッションが抱えられていた。


 なんだが絶妙なクロワッサンの三日月具合が抱き枕として優秀そうに見受けられる。


「これ抱っこして寝てあげて〜」

「わ、ありがとう。美味しそうだね」


「クロワッサンといえばサクっとした生地に噛んだ瞬間鼻から抜けるバターのいい匂いが特徴だよね〜」

「ポロポロ零れるのが難点じゃけど王道に美味いんよな」


 はわぁ〜と二人共々私が抱えることとなったクロワッサンを見ていながら、何処か本物のクロワッサンに、思いを馳せるように上の空になる。


 するとどこからとも無くぐぅ〜っと腹の虫がなく音が室内に響く。


「……………ごめん私です……………」


 二人が語るクロワッサンの風味、食感、味を共に想像してしまった私は、いつか見たパン屋さんでのクロワッサンを思い出し、食欲が刺激された。


「んふ〜お腹すいたね夜ご飯にしよ!!生憎とクロワッサンは無いけど、食パンとバターはある!!」

「卵ももちろん常備中、となればここは王道に彩羽家直伝………」


「「たまごパンの登場ですな!!」」


「たまごパン?」


 たまごパンと聞いて、私の脳内に浮かんだのは、一口サイズに焼かれた見た目が黄色い小さめの丸いパン。


 しかし、二人が一旦材料は、食パンとバターと卵。


 とてもじゃ無いが、私が思っているたまごパンとは形状が違う。


「さぁさぁおいでおいで」


 二人に連れられキッチンへと戻り、三人揃って手を洗う。


 冷蔵庫から取り出された六枚切りの食パンとカットバター。


 そして人数分の卵。


 莉恋ちゃんは包丁を取り出し、食パンをまな板の上に置き食パンの耳から二、三センチ程離したぐらいの位置で四方に切れ込みを入れ真ん中をくり抜いていく。


 予め楓杜君が用意していたバターを加え温めていたフライパンに切り取られた耳の部分を置く。


 その次に、卵をその切り抜いた中心部分に割り落とし、卵を覆い隠すように先程切り抜いた中の部分を上へと重ね蓋をする。


 ジュワわわわと焼き付くような音がキッチン全体に響き渡り、白い湯気が立ち上る。


「………よっ!と」


 フライ返しで食パンをひっくり返せば、そこは程よい焦げ目になった断面が。


 卵の黄身を割るように、グッと押してやれば、トロリと溢れ出た君が食パンの各所に流れ込み、全体を黄色に彩っていく。


 再びひっくり返し、外側に出てしまった君がある程度固まったところで、お皿へと移されて行った。


「かーんせーい!」

「彩羽家直伝、たまごパン。ご賞味あれ」


 平皿に盛られたたまごパン。


 卵とパンが絶妙な焼きがけんに焼かれ、油役として使われたバターが食パン全体に染み込まれジュワジュワとしている。


「わぁああ………美味しそう………」

「多分ねぇ良い感じに中央の黄身半熟じゃで」

「最高の瞬間。出来たてで食べな?」


 楓杜君に促され、カウンターキッチンにくっ付いたダイニングテーブルへと一人着席する。


 ちらりと二人を見れば食べろ〜!と言われたのでお腹がすいていたという事もあって遠慮なく頂くことにした。


「いただきます」


 普通の食パンのように齧って食べようとしたものの、それでは、端を齧ってしまえば真ん中を切り抜かれた耳が不安定になると思いまずは、耳を千切り一口口に含む。


 フライパンで焼かれたことにより普段よりカリカリとしたパンの耳がサクサクと口内を踊り耳に届く。


 バターと卵を使われたこの料理はきっと、クリーミーな甘いバターの香りがクロワッサンのように広がりつつも、卵の濃厚な黄身が食パンに絡まり空腹を満たしていくのだろう。


 実際の香り、味は感じなくとも、私にも味覚を失う前の味の記憶を覚えている。


 それを思い出しさえすれば、食感と音、覚えている味だけでもこんな味野組み合わせはこんな味かもと想像する事で食事は美味しく頂ける。


 こんな簡単な事が見えず、思い付かなかった私はやはり無意識のうちに追い詰められ心を病んでしまっていたのだろう。


 昨日までの陰鬱さはどこに行ったのかと言うぐらいのこの心の晴れ様。


 人間とは、心の支えがあればどんな状態からでも立ち上がれるというのか。


「祝い飯とは程遠いが……」

「んふ、これもこれで美味しいけぇえっか!」

「ふはっ!見てあの顔、幸せの塊じゃろ」


「美味しそうで何より〜!」

「じゃな」


 ジュワジュワとたまごパンを焼く二人の声はこの上なく弾んでいた。

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