4話 なるがまま①
「………わぁ……」
そこは私が先程店外のガラス窓から覗いた、このカフェのホールであろうとされる場所だった。
まず目に入ってきたのは、店内を照らす暖かな店内照明。
外観よりも空間が広く感じられまじまじと見てみれば、その内装に目を奪われた。
橙色の暖かな光が木目調の店内に存在するシンプルな机と椅子を暖かく照らし、キッチンに面したカウンターの何とも言えないカッコ良さに痺れる。
こう、カフェエプロンを纏ったコーヒーソムリエが自家製豆を焙煎しながらその様子をカウンターでずっと見ていたいようなそんな感覚。
きっと珈琲の香りが漂い心地良い空間だろう。
可愛いと言うよりかはどちらかと言うと私基準でいえばかっこいい要素の方が強めなその内装は、コーヒーと言いより珈琲の方が似合いそうな雰囲気である。
壁の一角には、長方形の薄いコルクボードに目を惹かれる見た目の鮮やかで可愛らしいパンケーキやエクレアを中心に、ワッフルやガトーショコラなどの写真が飾られていた。
その隣にも、小さな壁掛け黒板のようなものが掛けられ、ドライカレーやピザトースト、ナポリタンなど食事物の写真がオシャレに貼られていた。
「…………かわいい……美味しそう」
視界がキラキラと輝くように、全てが新鮮に映り思わず感嘆の声が漏れる。
突然背後から莉恋ちゃんに抱きつかれたと思えば、腰と左腕の間からニュッと顔を覗かせる。
「んね〜!可愛いし美味しそうじゃろ!?これ全部!このお店で出される食べ物だよ〜!」
「一部日替わりじゃけども、全部美味いよ」
一緒に立ち止まってくれていた楓杜君も、見慣れた店内であるはずなのに律儀に教えてくれる。
自然と立ち止まり、落ち着く店内に心を奪われた様にボーッと眺める。
「ほらぁ〜おいで〜野薔薇ガトーショコラを召し上がれ」
「わぁ〜い」
「やったー」
ホールにある四人がけの机にそれぞれ置かれたのは、薔薇と茨がプリントされた平皿に乗っかったガトーショコラだった。
引き寄せられる様に席へと向かう莉恋ちゃんと楓杜君に連れられ、席へと着席させらた為、
「うーん。楓ちゃん、飲み物は緑茶でも良ーい?」
「あ、はい。緑茶好きです」
茉莉奈さんはガチャっとカウンターに面したキッチンに設置された冷蔵庫を開け、緑茶が入っているであろうピッチャーを持ち出しこちらへとやってくる。
楓杜君と莉恋ちゃんが各自人数分のコップとコルクコースターを持ち出し、それぞれの場所へと置く。
勢いよく緑茶好きですとか答えておいてなんだけれど、もう既に今の状況が飲み込めていない。
なぜ私は初対面の人の自宅兼カフェに連れられてきたと思えば、椅子に座り、何故目の前に食欲をそそられる可愛らしい見た目のガトーショコラがあるのか。
一同着席し、茉莉奈さんの手によってコポポポと注がれる綺麗な黄緑色をした緑茶の水位が増す様を人数分眺める。
「さぁ〜どうぞ〜薔薇ジャムがかかったガトーショコラと、試作中の薔薇ジャムボンボンよ」
「試作中でごめんね〜」と少し困ったように眉根を下げながら茉莉奈さんが手元にあるフォークを持つ。
「「いただきまーす」」
そう言って二人はフォークを握り、ガトーショコラを掬い取り美味しそうに口に含む。
「「うまぁ〜」」
幸せそうに噛み締めるその表情は、目の前のこのスイーツが自分達の糧となることを心の底から喜んでいると言うのが目で見て分かる。
一見感情の起伏がクールそうな楓杜君も、スイーツの前では形無しなのか、莉恋ちゃんとそっくりな笑顔でゆっくりと頬張っている。
今一度、視線を目の前にあるガトーショコラに移し、じっと眺める。
綺麗に切り分けられたガトーショコラの上には、薔薇の花びららしきものが入った薔薇ジャムの鮮やかな赤色が瞳に映る。
そしてワンポイントに、ホワイトチョコレートで作られている紅葉型のチョコレートが飾られている。
その傍らには、コロンとした丸いチョコレートボールにホワイトチョコレートが散らされ、モノトーンの可愛らしいチョコレートボンボンもとい、薔薇ジャムボンボンが寄り添っている。
「本当はお店自慢のエクレアを出したかったんじゃけど、ちょ〜っと今日はまだ準備してなくてね」
「ガトーショコラ、嫌い?」
私が手を付けずに食べていなかったからなのか、隣に座る莉恋ちゃんが薔薇ジャムボンボンを一口で頬張りながら問いかける。
彼女の皿を見ればガトーショコラは既にあと一口というところまで来ていた。
「ううん。全然好き」
勿論、私がガトーショコラが苦手だから茉莉奈さんからの厚意を跳ね除けているのでは無い。
寧ろ基本的に苦手なものがない私は、ご飯ものは勿論、スイーツも大好きなのだ。
しかし、今の私は味覚があまり機能していない。
故に、食事から香ってくる匂いが基本的に感知出来ない。
その為、私が口にするものは普段五感がなんの欠陥もなく正常に働いている時と比べ圧倒的に絶不調。
常に味覚情報が薄れ、殆どの場合が無味であり、少し調子の良い時にほんの少し香りと味を感じるだけ。
そんな人間が、こんなにも細部まで拘られた美しい芸術作品だと思わされる様な美味しそうなスイーツを食べて良い筈が無い。
通例であれば、こういったカフェなどで食される食事やスイーツは写真映えの良い、綺麗で、可愛らしい見た目を目で見て楽しみ、自らの嗅覚と味覚で最大限にその美味しさを享受するのだ。
それを、食事の楽しさを忘れかけている人間が体験するものでは無い。
「………もしかして、味感じんけぇ食べたくない?」
バツが悪く机上に置かれたガトーショコラをただただ眺めていれば、楓杜君がこちらを覗き込むように問いかけてくる。
「うん………味分かんないのにこんな凄いもの食べるのが何かとても嫌なの」
これは自分が嫌だという意志と、単純な丹精込めて作ってくれた茉莉奈さんへの冒涜だと思うからこそ、食に執着の無くなった私が手を出していい代物ではない。
だからこそ、躊躇われる。
「もちろん無理にとは言わないわ食べれそうだったらでええけぇね」
「まぁ、多分その場合は隣に居る莉恋が遠慮なく掻っ攫っていくし」
「ノンノン……うちはそんな暴君じゃあ御座いませんよ」
「驚くべき吸引力な癖に」
チッチッチッと莉恋ちゃんが右人差し指を立て左右に振りっていれば、じとっとした視線で楓杜君が莉恋ちゃんが食していた皿を見やる。
ちらりと私も釣られて見てみれば、先程あった最後の一欠片のガトーショコラは忽然となくなっていた。
ゆっくりと食べ進め、まだまだ三口程度しか口を付けていない楓杜君のガトーショコラと比べると速さは一目瞭然だった。
同じ双子でも食べる速度はだいぶ違うらしい。
「でもうちは食べて欲しいな。ここのカフェのスイーツってほとんどが茉莉奈ねーちゃんが作ってるからマッジで美味しいの!あ、勿論うちらも作って提供するけどね??」
「然り然り」
また一口ガトーショコラを含みながら楓杜君が頷き、その様子を茉莉奈さんは嬉しそうに微笑みながら見つめる。
「それにここで働くんなら一回は茉莉奈ねーちゃんのスイーツ食べとかなきゃ♡」
「………っえ、」
それはどう言う事か、と問おうとすれば莉恋ちゃんは自らの口元に人差し指を添えこちらへとウィンクする。
「茉莉奈ねーちゃんは、食べる事が好きな人間がだーい好きなの!ね?茉莉奈ねーちゃん?」
「そーねぇ〜好きよぉ。楽しそうに食べるている人に嫌悪を持つ人なんて寧ろ居るの?」
「少なくとも俺らは有り得んね」
そう言って三人で目を見合わせてうんうんと頷きなあっているその表情を見れば、それが嘘を言っていないのだと分かる。
「それに、さっきそこの写真見とる時の楓ちゃんは、食べる事が好きな人の眼差しじゃったよ」
「!」
さっきといえば、心当たりがあるのは莉恋ちゃんに連れられこのカフェに足を運び、ホールの壁の一角にあるあの様々なスイーツやご飯物の写真を見つけ、思わず目が止まった時の事だろう。
見た目が色とりどりに彩られ、可愛らしい食用の花びらや飾りを添えられたエクレアやパンケーキが。
今にもスパイシーな香りが漂い、口に含めばその旨辛さが想像出来そうな程美味しそうなドライカレーが。
自らの頬を湯気が掠めてきそうな程出来たてで、持ち上げれば伸びそうなチーズを乗っけたピザトーストが。
その全てをこの瞳で捉えそれぞれの食感、香り、味を想像したあの時、久しぶりに自ら食したいという欲求が湧いた。
傍から見ればそれはどう映っていたのかが私には分からなかったが、あれは莉恋ちゃんにとってその様に捉えられていたよう。
「それ即ち、楓ちゃんはこのカフェ紅亞の従業員になる資格があるのです!!」
「………それは暴論では!?」
莉恋ちゃんの言葉に感動し、しみじみと噛み締めていれば次の瞬間に飛んできた言葉は、トンデモ発言だった。
この瞬間にもその雇用主になるかもしれない茉莉奈さんがいると言うのに、それもお構い無しに勝手なことをほざいてもいいのか。莉恋ちゃん。
驚きに目をひん剥いていれば莉恋ちゃんはまだ信じぬか!と言い、茉莉奈さんの方へと視線を移す。
当の本人は私達のやり取りをガトーショコラを食しながら聞いていたようで、口に含まれた分を飲み込んだ後、手元に持ったフォークを一旦置く。
空気的にも茉莉奈さんが今から私の扱いに対して何かを物申すのだろうと察し、思わずゴクリと生唾を飲み込み息を潜める。
従業員雇用に関してはいくら莉恋ちゃんが茉莉奈さんと血縁であろうと、お店の代表であり莉恋ちゃんと楓杜君の雇い主でもある茉莉奈さんに話を通さなくてはならない。
私の事情を説明してもらった上で、茉莉奈さんがなんと思い、なんと言う決断を下したのか。
「楓ちゃん」
「は、はい」
名前を呼ばれ、咄嗟に返事を返せば、斜め前に座る茉莉奈さんから視線を合わされる。
真剣に見つめられるその瞳は、大人びた誠実そうな眼差しで有りながらもどこかキラキラとした子供の好奇心のようなものを感じさせるものだった。
「私、食べることが好きな人が大好きなの」
「はい、それは先程莉恋ちゃんから聞きました」
「なので採用」
「は?」
茉莉奈さんから語られた言葉の意味が分からず、相手が年上だというのに思わず驚いた勢いのままのアホ面を晒した。




