7.決心
夏休みが終わる。
いつの時代も、多少の差こそあれ、子どもたちを憂鬱にさせる区切りのひとつだが、別所奈矢は久しぶりに城ヶ崎淳一郎に会えることを楽しみに、登校した。母に車で送ってもらい、寮に荷物を置いてから教室へ向かうと、すでに淳一郎は自席について、他のクラスメイトたちと話をしていた。
「おはよう」
近寄って声をかけると、「おー、久しぶり」「元気だった?」と、周囲から口々に返ってきたが、淳一郎からは、
「おはよう」
というひとこと以外、何もなかった。複数人での会話であり、すぐに続きが始まったこともあって、今までなら、そこまで気にはしなかっただろうと思う。しかし、夏休みの間、短いながらも頻繁に取り合っていた連絡がある時を境にぱったりと途絶え、メッセージを送っても既読になるだけになった。そのことを訝しむ気持ちはもちろんあったが、「お互い忙しいのだから、仕方がない。顔を合わせれば、きっといつもどおりだ」と半ば無理やり自分を納得させていた奈矢にとって、この淳一郎の反応は看過できない変化に思えた。そして残念ながら、奈矢のその予感は的中してしまう。これまでは、淳一郎の方から話しかけてくるのが常であったのに、それがまったくなくなったばかりでなく、奈矢が話しかけても生返事をしたり、話しかける前に席を立ってどこかへ消えたり、別の誰かと話しに行ってしまったりするようになったからだ。
「おれ、何かしたか?」
その状態が3日も続くとさすがに気のせいでは済ませられなくなり、メッセージを送ってみたが、
「奈矢は悪くないよ。ごめん」
すぐに既読になったあと、だいぶ時間が経ってからそう返ってきただけで、翌日からの淳一郎の態度は、相変わらず、よそよそしいままだった。夏休み中のやり取りを眺め返してみても、練習がきついこと、宿題が大変なこと、でもお互いに「がんばろう」と声をかけ合っているくらいで、取り立てて込み入った話もしていない。だから、知らないうちに、自分が何か淳一郎の地雷を踏んでしまったとは思えなかった。「奈矢は悪くない」という淳一郎の言葉が本当なら、別の何かで悩んでいるということなのだろうが、それを打ち明ける相手としては見られていない。つまりは、そういうことだ。
寂しいような、そして裏切られたような気持ちを抱えながら、奈矢もまた、淳一郎以外と過ごす時間が増えていった。そもそも所属する部活動も違えば、片や自宅生、片や寮生であり、意識して関わりを持たなければ、これほどまでに別行動がとれるのかというくらい、接点がなくなった。
そんな状態が2週間ほど続いただろうか。寮の食堂でぼんやりとテレビを眺めていた奈矢の耳に、ある曲が流れ込んできた。
「Stardust……」
懐かしのドラマ主題歌の特集番組で、今やベテランと呼ばれる俳優陣の若き姿と一緒に流れる曲を聴きながら、奈矢の脳裏に、「上手ね、奈矢」と微笑んでくれる母の顔と、「別所くんもChariot好きなんだ?」と目を輝かせている淳一郎の顔が、交互に浮かんだ。悩み事を打ち明けてくれない淳一郎に対して、勝手に裏切られた気持ちでいたが、そもそも、自分こそ、最大の秘密を淳一郎に打ち明けていないではないか。もちろん、この秘密は、自分だけのものではない。今の両親にも関わる、大きなことだ。しかし、両親は、このことを秘密にしようと言ったことは、未だかつて一度もない。むしろ当たり前すぎて、秘密の類に入る事実であるということを、忘れてしまっていたというほうが正しかった。
奈矢は、ガタガタと音をさせて椅子から立ち上がると、急いで自室へ戻り、電話をかける。
「うん、わかった。ありがとう、父さん。母さんにも、よろしく伝えといて」
しばらく話した後、そう言って電話を切ると、続けてメッセージを打ち込んで送信ボタンを押そうとし、しばらく考えてから、キャンセルした。
やっぱり、自分の口で、ちゃんと言おう。
これまでに感じたことがない種類の緊張と決意を胸に、奈矢は、翌日を待った。
「淳一郎」
陽が落ちて薄暗くなった中、部室の片づけ当番を終えて一人遅れて帰ろうとしていた淳一郎は、背後からの声にピクリと肩を震わせ、緊張して立ち止まった。
「荒木たち待たせてるから……ごめん」
ろくに顔を見もせず、同じテニス部の同級生の名を言って、口の中でもごもごと謝りながら立ち去ろうとした淳一郎の手首を、奈矢の手がさっと捕まえた。
「聞いて、淳一郎。今度、一緒に行ってほしい場所があるんだ。そこで、伝えたいことがある。大事な話なんだ」
思わず振り向いた淳一郎の視線が、真剣な面差しの奈矢をとらえる。久しぶりに正面から見る親友の顔は、疎らに立っている照明にぼんやりと照らされた状態でも相変わらず美しく、そしてやはり、あの写真の女性にそっくりだった。
「急に変なこと言ってごめん。誰にも話してないことだけど、でも、淳一郎には、聞いてほしいんだ。一緒に、来てくれるよな?」
奈矢の大事な話とは、もしや、写真のことではあるまいか。そんなことはあり得ないとわかっていつつも、思わず視線を下げてしまった淳一郎の耳に、少し硬い、緊張の色をまとった奈矢の声が響く。
本当は、何の咎もない奈矢を避けるなどということは、したくない。だが、親友の顔を見るたびに、CDケースから抜け落ちたあの写真と、見たこともないほど弱々しく打ちひしがれた英梨奈の姿と、別荘ごと押し潰してきそうな圧をまとった窓外の闇が脳裏にちらついて、逃げ出したくなってしまう。
全く意図せず、唐突に家族の大きな秘密を握ることになってしまった英梨奈の苦悩は、そばで見ていて痛いほどだった。だからこそ、どんな顔をしていればいいかわからず、奈矢と正面から向き合うことができなくなってしまったのだが、そんな、理不尽極まりない態度をとっている自分に対して、こんなにも真摯に向き合おうとしてくれている。淳一郎は、幾重にも絡まった葛藤に激しく揺さぶられながらも、奈矢はやはり、かけがえのない大事な友人だと、確信していた。
「……わかった」
下を向いたまま、淳一郎が頷くと、
「ありがとう」
と、少し安堵がにじんだ声でそう言って、奈矢が手を放す。
「また、連絡するよ」
じゃあ、と軽く手を上げ、奈矢が去っていく。その背中が校舎の角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、淳一郎は、ゆっくりと踵を返した。
奈矢から具体的な日程がメッセージで送られてきたのは、その日の夜だった。翌月の初め、学校の創立記念日。この日は全校を挙げての休日となるから、そこで出かけようという誘いだ。了承した後、英梨奈にこのことを伝えようかと、何度かメッセージを入力しては消すことを繰り返し、結局、止めた。何と伝えればいいのかわからなかったし、なにより、英梨奈に奈矢のことで連絡をするのが怖かったのだ。
あの夏の日、別荘で、お互いにほぼ眠れないまま迎えた朝。泣き腫らしたような目で、それでも、無理に笑おうとする英梨奈を助けるべく、迎えに来た佐織に「久しぶりに、大富豪とか盛り上がっちゃって、あんまり寝てなくて」と言い訳をしてみたが、うまくごまかせていただろうか。あれ以来、英梨奈とは連絡を取っていない。普段ならそれで特に問題はなく、取り立ててどうということもないのだが、「心底気になりつつ、どう切り出せばよいのかわからない」という状況にどう対応すればよいのか、淳一郎の辞書には、まだ答えは載っていなかった。
やがてやってきた創立記念日は、まだ残暑の気配を若干残しつつも、秋らしく空の高い、晴天だった。
待ち合わせの駅に行くと、茶系のチェックと白で身頃が切り換えられたシャツにチノパン姿の奈矢がいて、制服姿とはまた違う印象が眩しかった。そこから電車に乗り、降りた駅からはバスに乗る。10分ほど揺られてバスを降り、少し歩いたところにある建物のエントランスを、奈矢についてくぐる。パッと見た感じはホテルか何かの入り口のような風情で、中に入ると、ごく小さな音でクラシック曲が流れていた。入って正面には券売機のような雰囲気のパネルがあり、左端の小さなブースには受付の人らしき女性がいたが、奈矢は迷いなくパネルの方に向かう。そして、ボディバッグから財布を取り出し、そこから出したカードをパネルにかざす。「受け付けました」「ご用意しています」という音声からしばらくすると、パネルに「桜のお部屋にお入りください」という案内が出た。すると奈矢は、また迷いなく、右手に伸びている廊下を進んでいく。そして、並んでいるドアのうちのひとつ、「桜」というプレートがかかっているドアを開いて、中に入った。部屋の中、中央の奥には、台に乗った重箱のような、黒色に金の蒔絵が施された箱があって、その台の手前には、ろうそくや線香立てが置かれている。
道中、奈矢が何も言わないので淳一郎からどう話しかけていいのかもわからず、ほぼ無言でここまでついてきたのだが、さすがに混乱が極まってきた。さりとて、何をどう切り出して、何と聞けばいいのだろう。そんな淳一郎の困惑を知ってか知らずか、奈矢は慣れた手つきでろうそくに火を点し、部屋の入り口近くで佇んでいる淳一郎を振り返った。
「これ……さ。おれの母さんの、遺骨なんだ」
奈矢が何を言っているのか、淳一郎にはさっぱり了解できない。遺骨……?遺骨って、どういうことだ。奈矢のお母さんが亡くなったなんて話は、聞いていない。冗談にしては笑えないし、わざわざこんなところまで来て、冗談なんてこともないだろう。ではこれは一体、どういうことなのだろうか。
「今の、別所の両親は、もともと、里親なんだ。養子縁組してるから、今は、戸籍上も親子ではあるんだけど」
奈矢の説明は、日本語としての意味はわかるのだが、淳一郎の理解を大幅に超えていて、まったく追いつけなかった。ちょっと待って……入学式の日に見た、あの仲睦まじい親子は、本当の親子ではなかったって……?
「実の母さんは、一人で、おれを育ててくれてた。その母さんが亡くなって、5歳の時に、今の別所の両親に引き取られたんだ。父さんも母さんも、実の母さんを忘れなくていいって言ってくれて、遺骨をここに引き取ってくれた。すごく感謝してるんだ。こういうこと、隠してたつもりじゃないけど、聞かれてもいないのに、わざわざ話すことでもなかったっていうか……でも、淳一郎には、知っててもらいたいって思った。大事な友達だから、隠し事はしないようにしようって」
そう言って微笑む奈矢のまっすぐな言葉が、淳一郎を貫いた。奈矢の実の母親は、既に亡くなっている。その亡くなった母親というのが、つまり、あの写真の女性だということなのではないのか。そう思い至るのと同時に、向き合うのが怖くて無意識に蓋をしていた記憶が鎌首をもたげ、意識の表へと躍り出てくる。あの日、初めて奈矢を自宅に招いた日。祖母の麗子が見せた動揺の理由は、これだ。祖母は、奈矢を……奈矢にそっくりな写真の女性のことを、知っているのだ。
叔父の持ち物から出てきた写真に写っているのは、きっと、奈矢の実の母親で間違いない。ということは、父親は……。すべての事実が、ひとつの方向性だけを示して符合し、カチリ、カチリと音を立てながらはまっていく。
「……ごめん、引いちゃったか?」
顔面蒼白で立ち尽くしている淳一郎の様子を見て、不安そうに奈矢が言う。「違う、違うよ」と、必死にかぶりを横に振る淳一郎の瞳から、涙が散った。
「奈矢……ごめん……ほんとに、ごめん……」
嗚咽の間を縫って、繰り返し謝罪を口にする淳一郎を、奈矢が心配そうに覗き込む。
「どうしたんだよ、淳一郎。なんで謝るんだよ。おれが、急にこんなとこに連れてきたから……驚かせたんだろ?だったら、謝るのは、おれの方だよ」
狼狽と心配で、奈矢の声もわずかに震えている。思わず奈矢に縋りつき、その肩口を涙で濡らす淳一郎の背を不器用に撫でる奈矢の手のひら、その温かさが、淳一郎の涙を一層誘った。
参拝室でひとしきり泣いた後、淳一郎は、ある決意を固めて、奈矢と向き合った。
「奈矢。急に、こんなこと言われて、信じられないかもしれないけど……ぼくは、もしかしたら、奈矢の実のお父さんのことを、知っているかもしれない。だけど、今、ぼくの口から、それを言うことはできないんだ。相談する時間が欲しい。絶対に、嘘はつかないって約束するから、少しだけ、待ってて」
奈矢は驚いたように目を見張り、次いで、何か言いたげな瞳で淳一郎を見つめ返していたが、やがて、
「わかった」
と、一言だけ返した。
往路とはまた違う沈黙に包まれた復路であったが、互いの信頼という意味では大きく前進した二人を乗せ、バスは、電車は、ひた走る。そうして自宅にたどり着いた淳一郎は、今度は迷わずに、英梨奈に電話をかけた。
「もしもし」
スマホ越しに聞く英梨奈の声は、やはり、どこか元気がないように思える。奈矢のことで話がある、と単刀直入に切り出すと、英梨奈が軽く息を呑んだのが分かった。
「それって、どういう……」
おずおずと、探るような英梨奈の態度は、普段であれば、まったく似つかわしくない。ある種、傲慢ともとれるほどの朗らかさで、周囲を明るくする特異なキャラクター。英梨奈には、一刻も早くその本分を取り戻してもらいたい。
「電話ではちょっと……だから、明日、英梨奈姉さんの家に行くよ。姉さん、部活は休めそう?」
「明日……?」
やや逡巡するような間があったあと、
「わかった。明日は、ママがお花のお教室の日だから、すぐに帰れば、私たちの方が早いと思う」
という返事があったが、その次の言葉に、淳一郎は、耳を疑った。
「ねえ、淳。明日、別所くんも連れてきてくれない?」
「え」
思わず絶句する淳一郎の鼓膜を、悲壮な覚悟を滲ませる英梨奈の声が打つ。
「あれからずっと、考えていたんだけど……あの写真が誰なのか、別所くんに聞くのが一番だと思うの。いつまでも、このままにしてはおけないわ」
……苦しいのよ。
絞り出すように付け加えられた従姉の言葉が突き刺さる。「きっとそうだ、そうに違いない」とほぼ確信しつつも、そうではない可能性を捨てきれず、一縷の望みを抱かずにおれない英梨奈の気持ちを思うと、いたたまれなかった。
「わかった。話してみるよ」
そう言って電話を切った後、淳一郎は奈矢にメッセージを送った。既読がついた後にすぐにかかってきた電話で、淳一郎は、自分が相談したいと言っていた相手は英梨奈であるということ、その英梨奈から、奈矢を連れてきてほしいと頼まれたことを伝えた。
そうして、残暑の余波が消え切らない秋のある日、城ヶ崎英次郎宅で、運命に引き寄せられた子どもたち三人の邂逅が、果たされることになった。
翌日、「家の用事」「塾の面談」「体調不良」……と、それぞれが理由をつけて部活動の練習を欠席し、一足早く英梨奈が帰路について、寮に外出届を出した奈矢とそれを待っていた淳一郎が、後を追った。
淳一郎がインターフォンを押すと、まだ制服姿の英梨奈が出迎えてくれる。そのまま2階に案内され、三人は、英梨奈の部屋でクッションを敷き、車座に向かい合った。リビングのテーブルの方が話し合うには向いていたかもしれないが、万が一、佐織が早くに戻ってきたらと考えると、解放された無防備な空間にいることは気が引けた。
「何から話せばいいのか……」
来てくれてありがとう、と奈矢に礼を言った後、しばらく沈黙していた英梨奈が、ぽつりとこぼす。淳一郎も同じように逡巡を続けていたが、やがて、意を決したように、英梨奈が立ち上がった。
「見てほしいものがあるの」
そう言って机まで行くと、ミュージカル俳優の写真が入ったフォトスタンドをひっくり返し、蓋を外す。そして中から小さな紙片を取り出して、戻ってきた。
「これ……」
三人の中心あたりのカーペットの上に、奈矢の方に向けて置かれた、別荘で見つけた写真。見た瞬間、奈矢の顔色がさっと変わった。
「……どうして」
この写真がここにあるのか。これをあなたが持っているのか。疑問詞の続きは言葉にならなかったが、逆に言うと、それがすべてを物語っているとも言えた。
「これって……さ。もしかして、奈矢の……」
「うん。これ、おれの母さんだと思う。小さい写真だけど……間違いない」
勇気を出して切り出した淳一郎の言葉を受けて、信じられないといった調子で、奈矢が言う。そして、事情を知らない英梨奈に、今の両親は養親であり、実の母とは死別していることをかいつまんで説明する。
「そう……なんだ」
ふうっと息を吐いた後、英梨奈が言う。そして、
「この写真ね。パパの持ち物から出てきたの。Chariotのアルバムの中から」
と、付け加えた。
「Chariot……」
奈矢がつぶやくように繰り返す。母が好きだったバンドのCD、それが城ヶ崎家にもあり、そこから、これが出てきたという。それはつまり……
「……前にさ」
視線を写真に落としたまま、意を決したように、淳一郎が口を開く。
「奈矢がうちに遊びに来てくれたことがあったんだけど、その時、おばあさまの様子が変だったんだ。奈矢の顔を見て固まっちゃって、いきなり、両親のこととか聞き始めたりして。『昔の知り合いに似ていた気がした』って言ってたけど……おばあさま、たぶん」
視線を上げ、淳一郎は、英梨奈の方を見た。
「奈矢のお母さんのこと、知ってたんだと思う」
聞き終えて、そっか、と、頷いた英梨奈は、
「パパったら……何やってるんだか」
と言いながら後ろ手に床に手をついて、天井を見上げる。
「道理で……別所くんを見たとき、なんとなく懐かしいというか、初めて会ったような気がしなかったのよ。初対面のはずなのにね。そっか、そういうことだったんだ」
あはは、と、上を向いたまま、英梨奈は乾いた笑い声をあげた。そして、
「一度も会っていなくても、わかるものなのね。なんだか、ドラマみたいじゃない?ある日、偶然に出会った素敵な男の子は、わたしの弟でした……なんて」
と続けたが、その語尾は、みるみる涙で湿っていく。やがて両膝を抱え込み、そこに顔を埋めて肩を震わせ始めた英梨奈に対して、淳一郎も、奈矢も、何も言えなかった。
「……決めた。わたし、パパに聞くわ」
重苦しい沈黙を破り、顔を上げて座り直した英梨奈が、手の甲でグイと涙を拭って、言う。
「聞く?聞くって……ちょっと待って、無茶だよ、なんて聞くのさ」
「この写真の人は誰、って。そう聞くわ」
慌ててなだめに入った自分の言葉をものともせず、きっぱりと言い切った英梨奈を、淳一郎は呆気にとられて見つめる。
「じゃあ……じゃあさ、ぼくも一緒に行くよ。英梨奈姉さん一人に、そんなことさせられない。それに、この話は、奈矢のことでもあるんだから、奈矢も一緒に……」
真剣な顔でそう言う淳一郎を、険しい顔で黙り込んでいた奈矢が、静かに制止した。
「おれらは……一緒にいない方が、いいと思う」
どうして、と気色ばむ淳一郎を目で制し、奈矢は、
「城ヶ崎先輩は、先輩のお父さんと、話すんだ。そこには、家族ではないおれらは、いない方がいいと思う。家族にしかわからない、家族にしか言えない、そういうものが、あると思うから」
と、続けた。自分たちは、英次郎の家族ではない。奈矢がそう言い切ることが、何よりも、重たい。英梨奈は、そのとおりだわ、と奈矢に微笑むと、
「大丈夫よ、淳」
と、淳一郎に視線を向けた。
「パパとは、わたし一人で、ちゃんと話すわ。わたしは……ママを守りたいの」
穏やかで、いつも優しい、佐織叔母さん。そんな叔母が酷く傷つく姿は、淳一郎も見たくないと思う。英次郎とどう話せば、”そう”なるのかは、まったく見当もつかなかったが、甥っ子である自分まで表に出ていくことは、ことを不用意に大きくしてしまい、確かに、マイナスにしかならないような気がした。そして、老舗旅館のお嬢様という肩書に相応しい、楚々とした風情の中に時折垣間見える佐織の芯の強さは、確実に娘の英梨奈にも受け継がれているように思えて、そんな英梨奈なら一人でも大丈夫だと、信じてよいような気がした。
「余計なことかも、しれませんけど」
わかった、ぼくらは行かないよ、と頷いた淳一郎から英梨奈に視線を移し、遠慮がちに、奈矢が言う。
「おれにとっての家族は、今の、別所の両親と、実の母だけです。先輩とお父さんの話がどうなったとしても……事実がどうであっても、それは変わりません。何をしていただく必要も」
ここで奈矢はいったん言葉を切ったが、一呼吸置いた後、まっすぐに英梨奈の顔を見て、
「謝罪とか、そういったことも、何も、必要ないですから」
と、言い切った。
「……ありがとう、別所くん」
ある種の硬い覚悟を滲ませた瞳で、じっと自分を見ている奈矢に向かって、英梨奈が、にっこり微笑む。それは、幼いころからずっと英梨奈を知っている淳一郎が見たどの笑顔よりも、美しく、凛として見えた。




