奇跡のたこ焼き
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
商店街のたこ焼き屋「八粒堂」。
今日も店の奥では、
銀色の機械が静かに回っている。
ぽと。
五分に一粒。
この店のたこ焼きは、ゆっくり生まれる。
常連たちは、それを急がず見守る。
新聞を読む人。
ぼんやり空を見る人。
機械を観察する人。
この店では、「待つこと」も楽しみになる。
それはもう、ひとつの優雅な遊びのようだった。
だが常連の間には、
ひとつだけ、妙な噂があった。
それは——
「千個に一粒、奇跡のたこ焼きがある」
誰が言い出したのかは分からない。本当かも分からない。
ただ、そのたこ焼きを食べた人は、
不思議と幸運を呼び込むとか。
事故を避けた者。
失くし物が戻ってきた者。
電車に乗り遅れたことで、大きな災いを免れた者。
そんな話が、ぽつぽつとあるのだ。
もちろん、誰も本気にはしていない。
偶然かもしれないしそうでもないかもしれない。
店主ですら知らない。
機械はただ、たこ焼きを焼いているだけだからだ。
その日。
一人の青年が店に来ていた。
スーツ姿。
面接帰りらしく、少し疲れた顔をしている。
「一つください」
店主は新聞を畳んだ。
「はいよ」
青年は静かに待った。
ぽと。
一粒。
ぽと。
二粒。
その間、青年は履歴書を見直していた。
「はあ……」
小さなため息。
どうやら面接はうまくいかなかったようだ。
四十分後。
八粒そろった。
店主が箱に詰める。
「お待たせしました」
青年は礼を言い、店の前のベンチに座った。
たこ焼きを一つ食べる。
二つ食べる。
三つ目を口に入れた、その瞬間——
景色が、少しだけ揺れた。
いや、揺れたのではない。
一瞬だけ、違う光景が見えた。
商店街の交差点。
トラック。
急ブレーキ。
自転車。
そして——
衝突。
青年は、はっとして立ち上がった。
「……今のは」
ただの想像かもしれない。
だが胸がざわつく。
青年はたこ焼きを店に置いたまま、急いで交差点へ向かった。
ちょうど信号が青になったところだった。
しかし——
青年は足を止めた。
「……危ない」
思わず、声が漏れる。
前を行く自転車の男が、わずかに顔を上げた。
後ろの人が言う。
「どうしたんですか?」
青年は答えない。
数秒後。
ドンッ!
トラックの急ブレーキ。
自転車が弾かれる。
人々がざわめく。
青年は息を呑んだ。
——だが。
男は地面に倒れ込みながらも、
ゆっくりと体を起こした。
「大丈夫か!」
誰かの声。
「あ、ああ……」
男は呆然としながらも頷いた。
大きな怪我は、なさそうだった。
青年は立ち尽くした。
——さっき見た光景と、少しだけ違っていた。
青年は店に戻り、たこ焼きの箱の中を見た。
残っているたこ焼きは、どれも同じに見える。
——だが。
さっき口にした一粒だけが、
どこか違っていた気がした。
常連が、いつの間にか隣に立っていた。
「たまにあるんだよ」
青年が振り返る。
「何がです?」
常連は笑った。
「未来の味がするたこ焼き」
青年は言葉を失った。
信じられない。
だが確かに——
さっき、未来を見た。
そして、ほんの少しだけ違った。
店主は新聞をめくりながら言った。
「さあねえ」
少しだけ笑う。
「うちは、ただのたこ焼き屋ですよ」
そして軽く笑う。
青年は黙って、残りのたこ焼きを見つめた。
その中に、もう奇跡の一粒はない。
千個に一粒。
それは偶然の産物。
店主も、常連も、
本当の理由は知らない。
ただ一つだけ分かっていることがある。
この店では今日も——
ぽと。
まるで、時間が一粒、焼き上がったかのように、
いい匂いが香っていた。
そして、ほんのまれに。
未来も、少しだけ、焼き上がるみたいだ。




