たこ焼きが一粒も落ちてこなかった日
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
その日は、朝から妙だった。
商店街はいつものようにシャッターが上がり、八百屋の呼び声が響き、魚屋の氷がカランと鳴る。
そして、例の店の前にも、いつものように人が並び始めていた。
あの――
五分に一つ、たこ焼きが落ちてくる店である。
カコン。
普通なら、開店から五分で一粒落ちる。
それが、この店の「時間のリズム」だった。
しかし。
五分経っても、
十分快ても、
十五分経っても――
落ちない。
機械は静かに回っている。
店長もいつものように椅子に座っている。
ただ、
たこ焼きだけが落ちてこない。
最初に口を開いたのは常連の三宅だった。
「……今日は、機嫌悪いのかね」
隣の今井が腕時計を見る。
「いや、壊れてるんじゃないか?」
北川はのんびりと笑う。
「この店に“壊れる”なんて概念あるのか?」
たしかにそうだ。
この店は、時間がおかしい店なのだ。
三十分。
一時間。
二時間。
それでも、
一粒も落ちない。
客は不思議と帰らない。
なぜか誰も怒らない。
むしろ、店の前には妙な空気が漂い始めていた。
誰かが本を読み、
誰かが昼寝し、
誰かが仕事の資料を広げている。
気づけば、店の前は――
小さな公園のような空間になっていた。
三時間目。
ついに誰かが店長に聞いた。
「店長、今日は作らないの?」
店長は湯のみを置き、機械を見上げた。
そして、のんびり答えた。
「今日はなぁ」
少し笑って言った。
「時間が足りてないらしい。」
「?」
誰も意味がわからない。
そのとき。
カコン。
音が鳴った。
皆が振り向く。
しかし落ちてきたのは――
たこ焼きではなかった。
ぽと。
落ちてきたのは、
小さな紙だった。
店長が拾う。
そこにはこう書いてあった。
『今日はみんな、急いでないから焼く必要がない』
客たちは顔を見合わせた。
確かにそうだった。
今日は誰も急いでいない。
誰もイライラしていない。
誰も「早くしろ」と言っていない。
この店の機械は、
時間を食べる機械だと言われている。
つまり今日は――
食べる時間がなかったのだ。
店長は紙をポケットに入れる。
そして、客に言った。
「今日はたこ焼き休みだな」
誰も文句を言わなかった。
むしろ三宅が笑った。
「たまにはいいな」
今井が伸びをする。
「今日は時間が得した気分だ」
北川は言った。
「この店、たこ焼き屋じゃないな」
その日、
たこ焼きは一粒も焼かれなかった。
だが。
不思議なことに、
誰も損をした気分にはならなかった。
むしろ、皆こう思った。
「今日はいい一日だった」
と。
そして夜。
店長が店を閉めると、
機械が小さくつぶやいた。
カコン。
ぽと。
落ちてきたのは――
一粒のたこ焼き。
店長はそれを食べて言った。
「うん」
「今日はうまいな」
理由は誰にもわからない。




