第577話「重だるき氷湿と、陰陵泉の利水刺」
『風池』をはじめとする駆風解表の刺鍼により、四天王フレイスの風寒の急襲を退けた枢先生率いる往診チーム。しかし、古都アバランシュの最奥『大氷結晶宮』へと近づくにつれ、周囲の寒気は「風」から「重く湿った冷気」へとその性質を変えていきます。無数の巨大な氷柱が垂れ下がる大広間で一行を待ち受けていたのは、足元からじわじわと全身の関節・骨の奥深くまで侵入し、激しい重痛と変形をもたらす病理「寒湿痺症」の恐怖でした。東洋医学の至宝『陰陵泉』と『足三里』が、凍てつく湿邪を吹き飛ばします!
氷没古都アバランシュの最奥へと続く大回廊は、静寂と冷気、そして独特の「重苦しい湿気」に包まれていた。
無数の巨大な氷柱が天井から落ち窪み、足元には凍りかけた粘り気のある氷水が泥のように広がっている。
一歩足を踏み出すごとに、水底からねっとりとした冷気が足先を絡め取り、重たく圧迫してくる。
「ん……っ……!? な、なにこれ……ッ!? 足が……足が地面に吸い付けられたみたいに重いよぉ……っ!」
ネネがすり鉢を抱えたまま膝をつきそうになり、ハッとして自分の脚を見下ろした。
彼女のブーツの周りには、青白く濁った氷のモヤが纏い付き、ふくらはぎから足首にかけてパンパンに浮腫み、丸で鉄の重りを括り付けられたかのように太くなっていた。
「おいおい……! 俺の足もだ……! 筋肉の突っ張りとは違う……関節の『骨の奥』がじわーっと激しく重痛んで、足を一歩持ち上げるだけで倍以上の筋力が持っていかれやがる……ッ!」
ガストンが戦斧の柄を床に突き立て、荒い息を吐きながら太ももを叩いた。
「 clinical に見て、ただの冷えじゃねえな……! 足の甲から膝にかけて、冷たい水分がズブズブに溜まり込んで滞ってやがる! 影の足場すら重くて広がらねえ!」
哭もまた、短剣を握り締めながら膝の痛みに顔を歪める。
「……これが、東洋医学でいう『寒湿』の病理です」
先頭を進む枢の足元にも同様の氷湿が忍び寄っていたが、彼の白銀の医療着からは微かな熱気が漂い、湿気を寄せ付けない。
枢は速やかに往診鞄から特製の生薬粉末を取り出し、仲間たちの足元へ素早く散布しながら観察を続けた。
「『寒』は身体を冷やして収縮させ、『湿』は重たく停滞して下半身や関節に溜まりやすい性質(重濁・下注)を持ちます。この二つが結びついた『寒湿の邪』が身体に侵入すると、水分の代謝が完全に停止し、関節の隙間に冷えた余分な水分(水飲)が溜まって激しい重痛と浮腫み、動かしにくさを引き起こすのです(寒湿痺症)」
『――ヒヒヒ! よく分かっているではないか、聖鍼師! だが気付いたところで、その重い足でこの『氷湿の回廊』を抜けることなど不可能なのだよ!』
天井の巨大な氷柱の陰から、半透明でヌメりのある氷の粘液を纏った怪人が姿を現した。
寒邪の四天王が第二の刺客――『氷湿の濁流・グラウコス』!
グラウコスが両手を広げると、足元の氷水が一気に波立ち、ネネやガストン、哭の足元から太い「粘液氷の鎖」となって絡みつき、彼らの下半身をじわじわと凍結・浸水させていく!
「ぬおぉぉッ!? 足の骨が……冷たい水に直接浸けられてるみたいに痛ぇぇッ! 力が入らねぇぞ……ッ!」
ガストンが苦悶の声を上げ、膝からがくりと床へ崩れ落ちた。
「ウヒヒ! 寒湿の邪は関節に入り込み、経絡を水分で塞ぎ尽くす! 重痛に耐えかねて動けなくなったところを、丸ごと氷の化石にしてやろう!」
「……人間の身体に溜まった不要な『湿気(水分)』は、無理に外から叩くのではなく、体内の『脾(ひ:水分の代謝と運化を司る器官)』の働きを高め、尿や汗として正しく排出させれば一瞬で消え去ります!」
枢の瞳が静かな光を宿し、往診鞄から二本の長鍼が抜かれた。
一本は、太ももから足先へ溜まった余分な湿気を強力に利尿・排出させる、足の太陰脾経の最高峰名穴――『陰陵泉』!
もう一本は、胃腸の働きを高めて水分をエネルギー(気血)に変え、足腰に絶大な力を与える――『足三里』!
「ハク、リナ! 水分の停滞を解消し、お腹と下半身を温めて水分を巡らせる『五苓散』と『真武湯』の温熱蒸気を取り出しなさい!」
「了解です! 脾腎温煦・利水蒸気、全開噴射ッ!!」
ハクとリナの放った薬湯の香ばしく温かな香りが、重苦しい氷湿の空気を破って広がる。
「ガストンさん、哭! 下半身の湿気を一気に排出します!」
シュッ――!! パシィィィン!!
枢の手から放たれた『陰陵泉』の聖鍼が、ガストンのすねの内側――骨(脛骨)のキワを膝に向かって指でさすり上げた時に止まる、大きな凹みへと深刺された!
続いて、すねの外側、膝のお皿の下から指4本分下にある最重要穴『足三里』へ、力強い補瀉の手技が叩き込まれる!
ドクン……ッ!!!!
「――つ……ぐおぉぉぉぉッ!?!? な、なんだぁぁ!? 足の先から……生温かい汗と気がドッと噴き出して……ッ!?」
ガストンが叫んだ瞬間、彼の脚を覆っていたパンパンの浮腫みと重痛みが、まるで破れた風船から空気が抜けるようにスーッ……と消え去っていった!
「脚が……軽いッ!? 膝の骨の奥の激痛が消えて、羽が生えたみたいにスイスイ動くぞぉぉッ!」
ガストンがガバッと立ち上がり、豪快に足を高く蹴り上げた。
「『陰陵泉』は体内の余分な『湿気(水滞)』を排出し、浮腫みと関節の重痛を解消する利水の要穴! そして『足三里』で脾胃の陽気を高めることで、寒湿の邪気を完全に体外へ追い出したのです!」
枢は続けて哭やネネの『陰陵泉』と『足三里』へも素早く刺鍼を施していく。
「 clinical に見て……激アツだな相棒! 足が軽すぎて、影の上を跳び跳ねられるぜ!」
哭が影の足場を軽やかに踏み切り、空中へ高く舞い上がる。
「ヒ、ヒイィィッ!? なぜだ!? 我が寒湿の粘液を……体内からの排泄(利水)だけで打ち破るなどあり得んッ!」
グラウコスが狼狽し、後退りする。
「影疾風・湿邪一散ッ!」
空中から滑空した哭の短剣が、グラウコスの氷湿のコアを一閃して撃ち砕いた!
「ギャァァァァァッ! 絶陰の四皇様ぁぁぁッ……!」
グラウコスは悲鳴を上げながら、水溜まりの中へと溶けるように消滅していった。
◇
寒湿の重苦しいモヤが晴れ渡り、大回廊の突き当たりにそびえ立つ、荘厳にして不気味な『大氷結晶宮』の正門が全貌を現した。
「見事な鮮やかさです、枢先生。……ですが、あの門の奥には、数百年の氷漬けの元凶である『絶陰の四皇』の本陣が広がっています」
ガイルが戦槌を握り直し、引き締まった表情で巨門を見上げた。
「ええ。どれほど重く冷たい邪気が立ち塞がろうとも、正しい鍼と生薬、そして皆さんの熱い志があれば、解けない氷はありません」
枢は仲間たちと深く頷き合い、大氷結晶宮の門扉を力強く押し開くのだった――!
第577話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、古都アバランシュの最奥へ向かう道中で往診チームを襲った「寒湿の邪(冷え+重く滞る湿気)」による関節の重痛や足の激しい浮腫みに対し、枢先生が体内の余分な水分を強力に排出する最高峰の名穴『陰陵泉』と『足三里』への刺鍼によって一瞬で打破する、スカッとする治療劇をお届けいたしました!
さて、今回は作中でガストンさんやネネちゃんが苦しんだ「寒湿(冷えと湿気による身体の重だるさ・関節痛・浮腫み)」の病理に基づき、「梅雨時期や冬場の冷え込み、湿度の高い環境や冷え性の影響で、脚や足首がパンパンに浮腫んで重だるい、膝や股関節が重く痛む、身体全体が鉛のように重くてだるい時」に、体内に溜まった不要な「水毒(湿気)」を尿や汗としてスーッと排泄し、下半身を軽やかにポカポカにしてくれる最高峰の利水・健脾名穴をお届けします。
今回ご紹介するのは、すねの内側にある、体内の水分代謝を司る脾経の要穴『陰陵泉』です。
場所は、**すねの内側にあり、骨(脛骨)の内側のキワに沿って指を足首から膝に向かってスーッと押し上げていった時、膝の下あたりで骨のカーブにぶつかって指が止まる大きな凹み(押すとズーンと心地よい響きと痛気持ちよさがあるところ)**にあります。
東洋医学において『陰陵泉』は、体内の水の巡りを整え、冷えて滞った余分な水分を効率よく外へ追い出す「利水の第一選択穴」です。冷えや湿気で下半身が重だるい時、この『陰陵泉』の周囲は硬くむくんで押すと強い痛みを感じます。ここを適切に刺激することで、作中の枢先生が聖鍼『陰陵泉』を打ったように、滞っていたリンパや水分代謝が一気に活性化し、脚の浮腫みや関節の重痛みが驚くほどスッキリと解消します。
ケアする場合は、反対の手の親指の腹をツボに当て、骨のキワへ向かって深く優しく5秒間押し込むのを左右交互に5回〜7回ほど繰り返してみてください。また、作中に登場した『足三里(膝のお皿の下外側指4本分)』と一緒にマッサージすると、お腹の働きも高まり、寒湿に負けない軽やかで健康的な脚を取り戻すことができますよ。
次なる第578話は、本日**7月26日(日曜日)の夜【21:00】**に更新を予定しております。
ついに足を踏み入れる『大氷結晶宮』。そこに眠る『絶陰の四皇』の第一の刺客と、激化する東洋医学バトルの続きを、どうぞお楽しみに!




